北極の化石探し 北欧旅行記その1
川西自然教室 森 雄三
「地球の天辺(トップ)」という言葉から、人は何を想像するであろうか。平凡だが、私は北極のことを思う。北へ北へと進んで北極に到達したら、目印はなくても「天辺」の実感が湧くのだろうか。地球儀を手にとって見る。回転軸が貫通している所が北極で、軸を支える金具に半ば隠れてスバールバル諸島(ノルウェー領)がある。ここはすでに北極と呼んでもおかしくない場所なのだ。ひっくり返して南極側を見ると、意外なことにかの昭和基地は金具から外れている。スバールバル諸島、中でも最大の島スピッツベルゲンは、昭和基地よりもまだ1000キロメートルも極点に近い、文字通り「地球の天辺」という場所なのである。これは、その地球の天辺での化石探し体験談。
最初に、そんな妙な経験をする事になったいきさつから話したい。会社を辞めて時間が自由になったので夫婦で念願の海外旅行、約4週間の北欧めぐりを計画した。日本からの往復は勿論、現地で移動するにもSASスカンジナビア航空が便利である。で、大阪にあるSASの支店まで出向いて旅行代理店用の資料――スカンジナビアン・パスの利用規制の詳細――を手に入れた。このパスを使うと北欧諸国内の空港はどこでもワンフライト約70米ドルで飛べる特典があり、うまくスケジュールに組み込むと非常に安くつく。例外があってノルウェーのオスロからアルタとキルケネス、それにLongyearbyenへの便に限り130米ドルである。前二者はいずれもオスロからかなり遠い都市なので値段が高いのは分かるがはて、Longyearbyenとは一体どこにあるのか?第一、何と発音するのか?ロングヤーバイン?はた、と気付いてスカンジナビア航空の時刻表のルートマップを見るとノルウェー本土から海を越えはるか北へ離れた島の空港である。ああそうかこれは有名な石炭産地スピッツベルゲン島なのだと理解した。その時の気持ちを一言で言えば「これはチャンス、今なら行けるがこの機会を逃したら二度と無理、たとえ炭鉱しか無くて他に何もなくても、氷と雪しか無くてただ眺めているだけでも良いから」と。人が常時居住する、おそらくは世界最北のこの町をロングヤービンと勝手に呼ぶ事にした。正確ではないかも知れないが現地ではチャンと通じたのであまり間違っていないと思う。
北極点まで僅か1300キロメートルの極地にもかかわらず、メキシコ湾流の間接的な影響か、夏期には摂氏20度を記録した事もあると言う。地図上はノルウェー領だが、歴史的には1920年のスバールバル条約により、各国が経済目的又は研究目的のために諸島を利用できると言う条件で、ノルウェーの主権行使が認められた。主な産業は石炭鉱山で、その中心地ロングヤービンは同時に諸島の首都でもあり、近年はその地理的・気候的条件を生かして観光客も受け入れている。
スピッツベルゲン島に関する観光資料は国内には極めて乏しく、北欧専門と称する旅行社に依頼して入手した資料はコピーしたものしかなかった。しかも現地発のツアーたるや「北極圏の大橇トレッキング12日間」とか、「北極熊の生息域探検8日間」とか、本格的探検風で日程的にも肉体的にも普通の人間にはとても付き合いきれないアクティビティーばかり。結局、ロングヤービン滞在中の丸2日間は何もしないでただ極北の雰囲気さえ味わえればそれで良し、ということにした。
忘年7月6日、ノルウェー北部の町トロムソからバレンツ海を飛び越えて1時間35分、ロングヤービン空港着。風が冷たい。一切の装飾を排したと言えば聞こえは良いが、何となくうらぶれた感じの倉庫風の建物が空港ビルである。満席のDC9から降り立った乗客はあっという間に散って、バス停も無いし、様子の分からない私達夫婦は取り残されてしまった。案内所で聞くと、タクシーは出払っていて1時間から1時間半待たねばならぬという。町まで数キロメートルあるらしいがさてどしたものかと戸惑ってしまう。表に、団体客用?の小型バスが止っているので、駄目元と聞いてみる。「フンケンホテル、OK?」……運賃30クローナを払えば連れていってくれるらしいので、やれ助かった。バスは、フィヨルドを見ながら海岸沿いに走る。暗い色の海水一面に浮かぶパックアイス、彼方にそそり立つ万年雪を頂いた山々。樹木どころか草の緑さえ僅かな荒々しい地形。やがて町に入り建造中の家屋の横を通り過ぎる。基礎打ちは無く、地面に直接材木を組んでその上に床板を張っている全て木造である。永久凍土地帯では夏期、地面が持ち上がるので建物全体を浮かす構造にするのだという。
今回の旅行で最も宿泊予約の難しかったのがスピッツベルゲンで、フンケンホテルは旅行社が根気よくキャンセル待ちをして取って〈れた。ここも内外装全木造、温かみの感じられるシックな肌合いの宿で、中へ入るとホッとする。西欧では珍しい事に、スピッツベルゲンでは屋内には履物を脱いで上がる習慣である。それは兎も角、チェックインする。宿泊客が入り口の辺りに脱ぎ散らかした靴やらブーツやらが見苦しい。日本旅館のように上がり框がはっきりせず、屋外の玄関口から廊下まで一続きの床面なのでそうなってしまう。
部屋で一服してからロビーに降り、パンフレットを漁ると意外な事に日帰りツアーがいくつもある。明日の日曜日のプログラムは「浮氷のフィヨルド船旅」「ロングヤー氷河遡及とトレッキング」「ロングヤー高原トレッキング」「フィヨルド海のカヌー漕ぎ」「ボルターダーレン渓谷の化石探し」……が、船旅は人気が高くすでに満員、他のツアーは登山装備が必要、などとても無理で最後の「化石探し」ならただ歩くだけで身体も楽らしい、と参加する事にした。ところがこれがとんでもないハードなピクニックだったとはこの時は知る由もなかったのである。
パンフレッHこよると、朝10時に集合し渓谷の底をたどって氷河末端の氷堆石堆積地まで行き、五~六千万年前の化石を探すもので、途中の行程12キロメートルの間は全く道が無く所要時間は約8時間となっている。雪解けの流れを渡渉するのでゴム長が必要であるが、これは貸してもらえるのでOK、がしかし英文によく分からない個所があるので尋ねてみる事にした。「Pack-dock」とは?ホテルのフロントが一生懸命説明してくれたが、英会話能力が限りなくゼロに近い者にとって何度聞き返してもはかが行かない。どうやら荷物運びのエスキモー犬を連れて行くらしかった。
当日、日本で言うなら冬装束に身を固めノルウェー人用のブカブカの長靴を履いて、渓谷の入り口に建つガイドのベースキャンプを出発。一行はガイドの他ノルウェー人が4人、イタリー人2人、スウェーデン人1人、そして日本人の私達夫婦2人の合計10人のパーティーとなった。エスキモー犬はというと、先になり後になりして大喜びで皆にまとわりつくだけの事で、ガイドの説明では、どうやら北極熊が近付いてくる場合などのための危険予知の役割を果たすらしい。
最初の間は、高台にあるベースキャンプから谷に並行するコースをとる穏かな丘陵越えで、谷底の河原へ向かって少しずつ下ってゆく。足下は、道路工事の砕石のような一面の砂礫で、やがて片側から山が追ってくると突然、敷き詰めたように一面に水苔が生えている地帯に差しかかり、それが何百メートルも続く。山麓から湧出する大量の雪解水が地面を伝わって河原に流れ落ちる地形で、注意して見るとそこにもここにも極く小さい黄色のチングルマのような花や、濃紫色のワスレナグサのような花がびっしりと咲いていて、よくまあこのような自然条件の厳しい所でと、感嘆してしまう。水苔の上は、一歩踏み出すたびに靴がめりこんで歩き難い事おびただしく、その上あちこちに点在する水たまりを避けるのでなかなかはかどらない、あっという間に私達は一行から遅れてしまった。
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