街を往く(其の九) 清潔さはともかく公衆トイレの多い日本
藤井新造
阪急芦屋川駅の公衆トイレが改修された。昨年の9月より今年の2月まで、およそ半年間工事を行い、やっと増改築された。このトイレは六甲山を芦屋川より高座の滝を通って登るハイカーにとっては、非常に貴重な存在である。改修中は、駅構内のB3位の大きさの掲示板に、北へ30分歩くと高座の滝に、もしくは南へ5分歩くと、公園に公衆トイレがある旨を貼ってあり、そこを利用するよう書かれていた。
春から秋にかけての登山季節には、多くのハイカーがこの駅を起点として六甲山へ登る。その数は中途半端ではない。高座の滝より屏風岩を通過し頂上へ着き、有馬街道(俗に言う魚の道)を下り温泉を行くのが一般的なコースである。それ以外にもいくつかのコースがある。
屏風岩から本庄橋を通り住吉川の方へ降りる短いコースもある。お多福山から奥池、そしてゴロゴロ岳、苦楽園へと降りるコースも変化にとんだコースである。バスでお多福山バス停まで行き、帰りはその人の脚力に合わせて、道を選べることができる。逆のコースで帰りはバスを利用することもできる。
私も何回か、いくつかのコースを選んで友達と登った。仕事をしていた時は、休日に少し時間があれば、1人でお多福山まで昼から出かけることもあった。
ずい分昔の話になるが、夏のある日、昼から1人で馬の背のコースを登り、お多福山へ行ったが、下ってくるグループの年配の女性かより、「今からどこまで行くの?大丈夫なの」と心配して声をかけられたことがあった。その親切心へのお礼ではないが、暗くなる前に山を降りますからと、言葉を返したのを今でも思い出しては苦笑することがあった。
山では、見ず知らずの人間がすれちがう時、自然と「今日は」と挨拶をする。儀礼的と言えばそうだが、やはりそれだけではない。「今日は」のなかには、お互い怪我をしないで気をつけて歩きましょうと、双方の気づかいが、込められている言葉ではなかろうかと、思っている。
それはさておき、上記のトイレの件であるが、改修前でも登山者(特に女性)は、男性、女性と二つしかないのでハイキングシーズンの時は、行列をして待っている人がいた。私は、その場に遭遇するたびに、もう少し何とかならないものか(便器を増やすこと)と思っていたが、他人ごとのようにみていて、その場を通り過ぎると忘れてしまっていた。
そして今、芦屋市は休日に六甲山へ上る人が群れを作る程いるのに、何故トイレの改築をせず放置していたのだろうと考えてみた。一つには、そこへ投資する財政的余裕がないと行政側の答弁がある。次には、登山者は殆ど他からと考え、整備を怠ってきたのではないかと邪推したくなった。
芦屋市の最近のスローガンは、市の広報をみる限り、ここでも書いたが『国際文化都市』の看板をおろし、『庭園都市』(ガーデンシティ)の名称をいつのまにか標榜するようになった。その名前の詳しい由来を聞いていないが、先の名前を語るのにはふさわしくないと、当局は熟慮したにちがいない。
まあ、そのことを議論するより、この場所にトイレを増改築することは、海岸にヨットを係留する設備に金を投入するよりは、多くの人に喜ばれることは間違いないと思うが、どうであろう。
たまたま、2月6日のラジオの深夜放送で、脚本家の小山内美恵子さんの話(再放送)――カンボジアの農村に学校を建てるボランティア――活動を聞いたら、あの地では学校を建てる前に、先ずトイレ設備を解決せねばならないと語っていた。17年間も長期にわたるボランティア活動を通じ、先ず一番大きい問題として、衛生状態の改善に手をつけていると言うのだ。
このことは昨年の末に短期間のカンボジアへのパック旅行に私も参加して、実感したことである。私の短い、それこそこの国のほんの一部分しか見ていないことを承知の上での発言であるが、トイレの設備の悪さには辟易した。宿泊したホテルの豪華で清潔さに比し、屋外はあまりにもひどい状態である。あの広大な面積に横たわる遺跡群、アンコールワット内にトイレは一箇所もない。場外にあるトイレは水も流れず、大の方を放置されたままである。
たしかキューバでもそうであったが、手洗いの水、大の方での流し水はゆっくりちょろちょろと流れていたので、少しましの方であった。ついでに言えば、キューバ観光の目玉商品の一つであるゲバラ記念館にトイレが無かった。場内をゆっくり見学するのを楽しみにしていたのに、トイレ休憩がゆっくりとることができなかった残念さは今も心の中にまだある。
勿論、ヨーロッパのどの国へ行っても、公衆トイレは少ないし、有料である。御存知のように、花の都パリがよい例であろう。それにしても、カンボジアではもう少し何とかならないものかと愚痴を言いたくなった。
カンボジアのトイレの使用で想い出したのは、阪神大震災の後、公衆トイレの「大」の方はどれもこれも便器の中が山盛りになり、外に溢れだしていた。さすが家の中ではそうできず、私は仕事が終わり帰宅次第、車で芦屋川まで行き、水を汲み持ち帰り、風呂に貯水し使用する度に流したものだった。1ヶ月間、そのような水汲み作業をした。大震災後、私と同じような苦労を体験した人は多いことだろう。その時のことを振りかえると、東日本大震災に遇った人の辛さが痛い程わかってくる。
またまた、話をもとに戻せば、六甲山へ芦屋川から登るハイカーにとって、半年間もトイレが使用できなかったので、ずい分困った人がいたであろう。考えてみたら、狭い場所であることがわかりながらも、簡易トイレを置くこと位はできたのでないか、それ位の配慮をしてよかたのではないかが、私の言い分である。そうすれば、芦屋市もずい分いきなことをする小都市として感謝してくれた人がいたであろう。
小さいことのようだが、大事なことであった。そうすれば「庭園都市」の名前も輝いていたであろう。桜の季節にいくつもの簡易トイレを用意しているのだから、できないとは考えにくいのだが……。
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