【映画・『もういいかい』を観て・・・】
平出 正人
皆さん、ハンセン病をご存じでしょうか。
ハンセン病と聞いて「らい」「癩」「らい病」(すべて差別用語)と発想された方は、高年齢の方ではないかと思います。ハンセン病と改められたのは、強い偏見と差別の歴史から、正しい理解と認識を持ってほしいというハンセン病を患った患者たちの強い願望から、“らい菌л”の発見者であるハンセン博士の名をとったのです。この映画は、ハンセン病問題の真実を、多くの証言に基づいて追っていきます。三つの法律をもとに展開された絶対隔離政策によって、療養所で何が行われ、入所者がどのような生活を強いられてきたのか、その仕組みと実態を検証し、百年にわたるハンセン病の歴史を描いた作品です。
『そこは療養所ではなく、収容所のようだった』映画の冒頭で語る国立のハンセン病療養所である長島愛生園の入所者の言葉に私は胸が詰まる思いでした。
この映画は、①「癩予防ニ関スル件」(1907年) ②旧「癩予防法」(1931年) ③新「らい予防法」(1953年) の三つの法律のもとで国がハンセン病患者に何を行ってきたのかを、多くの人たちの証言を基に検証しています。「絶対隔離、絶滅政策」のもとで、断種や堕胎、過酷な労働、懲戒検束など想像を絶することが、療養所内で平然と行われていたことについて大きな衝撃を受けました。特に女性たちの証言にはショックと共に強い怒り&憤りを抑えることができませんでした。そこでは、女性たちの意思も人権も全てが奪いとられているのです。まさに女性に対する暴力そのものです。「ハンセン病患者をすべて強制隔離し、たとえ治癒しても社会に帰ることを許さない」、国がとったこの政策こそが今日のハンセン病問題すべての根源ではないでしょうか。3つ目の法律が廃止されたのは1996年です。1907年から89年間続いた人間としての誇りと尊厳をズタズタに切り裂いた隔離政策。今もハンセン病については、国民の多くが病名として認識しつつも、患者・家族の実態、経緯、問題点について十分な理解が得られないまま、偏見や差別が現存し続けています。映画の中で語られる事は、私にはほとんどが知らないことばかりでした。しかし、決して過去の物語りではなく、知らなかった、で済まされる問題ではないと思います。ハンセン病に対する「偏見と差別」をもたらしたのは一体誰だったのでしょうか。国なのか、国の情報を鵜呑みにした人たちだったのか、真実を知ろうとしなかった私たちなのか。しっかりと考えなければならないと思うと同時に、個人として社会として難病患者にどう向き合っていくべきか改めて考えさせられる映画でした。映画の題名でもある、「もういいかい」の言葉が今も私の胸に鋭く突き刺さっています。
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