騒がしかった上高地
――1930年代生まれが知った山の憂鬱――
川西自然教室 畚野 剛
この夏、初めて上高地へ?!
山好きから自然観察の「業界」入りした私ですが、独身時代、西日本の低山(標高2000m以下)からピーク・ハントをトロトロと進めていました。深田さんの「百名山」で言えば、白山の手前までで止まってしまい、北アルプス連峰については今迄、三俣蓮華岳の頂しか踏んでいないのでした。こんな私が、この夏、小児2人を伴った長男一家と松本で合流し、1日目、乗鞍高原、2日目、上高地に入りました。環境庁保護(?)下の国立公国内のモデル観光地を見て、いろいろと感ずるところが多くありました。
8月19日朝、快晴、泊地の明神を出て、梓川沿いに上高地バスターミナルまで歩きました。その間、ピストン運転で物資輸送するヘリコプターの音が絶えることがありませんでした。ヘリコプター好きの泰(とおる)には良かったようですが、梓川の瀬音をかき消す響きに少々、抵抗を感じました。もちろん、河童橋への道は都会並みの雑踏で、橋の上は写真を撮る観光客が鈴なりでした。ああ、もっと静かな「昔」に来たかったなあ。
菊地俊朗「北アルプスの百年」文春新書
松本駅で解散し、特急の待ち時間があったので駅ビルの本屋で時間調整。そこで目に留まったこの本を買ってしまった。
北アルプスでの営業小屋開設100年に因んで地元信濃毎日の松本氏がまとめられたもの。山小屋や登山道の歴史がいままでの「外来者」の視点と異なる地元からの記述を特徴として打ち出されています。「登山ブーム」を裏から支えてられる人々、とくに遭難救助隊の人々の苦労もきっちりと書き留められている好著でありました。
この本では、最近主流となった「リソコプターによる救助」についても触れています。それに平行した最近の現象として、携帯電話による救難要請が急増して問題を起こしているようです。
最近の中高年登山者のなかには、途中で歩けなくなったり、些細なけがでも「携帯」を使って安易に救助を求める姿があると言います。このような救助体制の整備に悪乗りするような、マナーをわきまえない利用者たちの増加がいまの世の実相だと知らされて、私などは、年寄りの憂鬱に浸ってしまうのです。
科学技術の進歩の裏に人々の心の荒廃
すこし話が飛びますが、私が中学生のころ、日本はアメリカなどを相手に無謀な戦争をしていました。戦争の末期、(なんと音楽の)先生が「落ちた敵の飛行機を調べるとなにに使うのかわからない機械が一杯だった」といわれ技術面での負け戦を(雑談まがいに)暗示されたのが心に残っています。このような、「日本は科学・技術の面で負けた」という認識が、戦後日本を国民一体の科学技術重視の方向に誘い込みました。それにより現在の物質的に豊かな社会が実現されました。しかしその反面、精神的な荒廃がしずかに蔓延してきたのではないでしようか? そのような社会の病理の当然の反映として、登山という場においても、「ヘリコプターや携帯電話というハードの発達」VS「安易な登山者たちの増加」という救いようのない現象を引き起こしているのだと、私は思うのです。
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