道路環境基準の基礎知識
道路に関する環境基準の現状と問題点 Vol.1
世話人 藤井隆幸
1-1 はじめに
道路公害から沿道住民の健康を守るために、各種の環境に関する指針が決められている。道路公害に立ち上がった住民に対して、そんな判り切った講釈をするのは失礼である。とは思うのであるが、行政と住民が数値でせめぎ合っている内は、その内容と現実には向き合っていないものである。判っているようで、実感として捉えられていないのが、環境に関する各種の指針である。
短期間の二酸化窒素カプセル調査の数値を以って、行政に詰め寄り、鬼の首を獲ったかのように言う場面には、少なからず遭遇した。被害に遭う住民の切実さから言えば、それは無理からぬものがある。しかし、二酸化窒素の環境基準に関する現時点での法律的解釈では、それだけで行政を詰め切れるものではない。カプセル調査で判明するのは、その日だけの数値でしかなく、年間を通しての設置地点の数値を表すものではない。大気汚染は日によって、かなり変化するものである。短期間の調査で、設置地点の汚染度の位置付けをするのには、多少無理がある。そのことを充分理解した上で活用すれば、カプセル調査は無限の可能性を有しているのであるが。
また、環境影響評価において、旧建設省の技術指針による予測数値を、金科玉条の如く扱う行政の姿勢も、陳腐という他は無い。予測式と手法には決定的な弱点があり、或る限られた条件下のみ有効な技術指針では、環境影響評価には不適当という他は無い。現実の過去に行われた環境影響評価と、供用後の実測値では極端な差が必ず生じる。予測交通量と現実の交通量の差があったからと、行政は弁解するが、予測交通量の間違いそのものも問題である。また、技術指針は出来る限り数値を過小評価する方向で扱っている為、現実の供用中の道路で試してみると、極端な乖離を示すのである。西宮市での山手幹線の現道で、交通量と騒音を測定したことがある。その実測の交通量を基にして、旧建設省の技術指針により騒音の数値を算出させたことがある。結果は、11t車クラスの混入のあったと思われる6時~11時の時間帯で、実測騒音値を2~6dBの差で下回った。交通量(エネルギー換算)にして、2~4倍の差というお粗末なものであった。
道路公害に関する住民運動に取り組むと、環境基準問題は先ず手掛ける課題である。その為に、安易に判った気になるものである。しかし、数値の上の事だけでは済まされないのが、環境に関する指針である。家の前に幹線道路が通り始め、被害者になって初めて判る事が多いものである。幹線道路沿道に住みながら、判らない事も多いものである。深夜の道路の状況を、寝ずに監視した経験のある住民は殆ど無いのである。その辺の事も含めて、これから説明してみたい。
1-2 道路環境指針の種類について
表題で「道路環境基準」としておきながら、この節では「道路環境指針」とした。「環境基準」という言葉が、広く一般的に使用されているので、表題ではそれを使用した。しかし、法制度の上では「環境基準」と「要請限度」というのがある。それを区別する為に、わざと「環境指針」と使い分けたのである。
環境基本法で「人の健康を保護し、及び生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準」、いわゆる「環境基準」が規定されている。具体的数値に関しては環境庁告示によって示されている。また、騒音規制法・大気汚染防止法・振動規制法で「都道府県知事は公安委員会に対し、道路交通法の規定による交通規制を要請できる限度」、いわゆる「要請限度」が規定されている。具体的数値は総理府令等で示されている。おのずと環境基準より要請限度の規制値のほうが、大きな数値になることは判断できる。環境基準より要請限度の方が、緩やかな規制値なのである。
大気に関しては、二酸化窒素NO2・二酸化硫黄SO2・一酸化炭素CO・浮遊粒子状物質SPM・光化学オキシダントO3などの規制値があり、環境基準と要請限度が決められている。
騒音についても環境基準と要請限度がある。しかしながら、振動については環境基準が決められておらず、要請限度しかない。幹線道路沿道では、被害意見の数では一番多い振動であるが、軽視されている実態は何なのか。注目したい。
また、規制制度が無いのであるが、低周波空気振動というのがある。周波数が低すぎて、人の聴覚では感知できないのであるが、健康被害があるとして問題視されている。その他、日照妨害・電波障害・生活圏の分断・交通事故・犯罪の増加・商業不振・過疎高齢化等々、環境指針の無い被害も多い。
1-3 このシリーズの進め方
環境基準・要請限度に関して、騒音・振動・大気それぞれについて、系統的に網羅して解説するつもりは無い。それらについては政府刊行物に委ねたほうが、よほど正確を期す事が出来る。誰でも知っている事に、紙面を割く必要は無い。反面、数値的には明確でも、実感で捉えられていない事は、肌で理解して欲しい。ここで説明したいのは、被害住民の立場にたった、具体的被害感の科学的解明にある。
そこで多くの読者に興味を持ってもらえるよう、トピックスの項目毎にシリーズを進めたい。例えば「阪神淡路大震災は振動規制法の要請限度を越えるか?」とか「新騒音環境基準では43訴訟最高裁判決の10倍の交通量でもOK」とか「大気汚染は43号線より2号線のほうが深刻?」といった話題から、その科学的実態の分析を進めたい。
このシリーズを始める今の段階で、トピックスはこれこれで、何回で終了するとは決めかねている。たとえで例示した三つについては、最低限の課題と考えている。前置きが長くなったが、今回は最初のトピックスに入ることにする。
2-1 阪神淡路大震災は振動規制法の要請限度を越えるか?
この命題については、色々な場で発言してきたので、答えは判っている人も多いと思う。が、何故そうなるのかを説明できるほど、内容を理解してくれた人は少ないようである。それこそ俄かに信じがたい答えに、充分な説明が広がったなら、世間は騒然となる筈であるからである。
2-2 道路振動測定のマニュアル
まず、道路振動の測定をする手法について、環境庁が指定したマニュアルが存在する。内容を簡単に説明しておくと、道路の官民境界(道路敷地端)の地表面に、振動計のセンサー部を設置する。そして垂直方向の振動のみを測定する。原則として24時間測定とし、毎正時(時計の長針が0を指した時)から5秒間隔に、瞬間値を100個記録する。記録された100個のデータを、数値の大きいものから順に並べ替えて、大きい方から10個目を時間値(単位はデシベル=dB)とする。午前7時台から午後7時台の時間値を平均して、昼間の振動値を求める。午後8時台から午前6時台の時間値を平均して、夜間の振動値を求める。
2-3 振動測定結果と現実の道路振動
ここで勘の良い人は判ったと思うが、振動計が24時間設置されていても、実際に稼動しているのは、毎正時から5秒×100=500秒。つまり1時間の内、稼動しているのは最初の8分20秒だけである。阪神淡路大震災は午前5時46分頃で、振動計は稼動していないのである。仮に震災が午前5時5分に起こっていたとしても、地震は僅か20秒足らずの間で、5秒間隔に瞬間値を計測しているので、4個のデータしか記録はされない。大きいデータから9個のデータは除外されるので、震災のような揺れは考慮されることは無い。
幹線道路沿いに住む人であれば判ることであるが、道路振動は恒常的な振動と、時折、地震と間違うような揺れが、数秒間の長さで襲ってくる。このような振動で睡眠が妨げられたり、家屋が傷んだりするのは明白である。しかしながら、このような振動は道路振動としてデータ化されることは皆無なのである。
少し古いのであるが、環境庁大気保全局交通公害対策室(当時)が平成元年3月に「道路交通振動特性調査報告書」を作成している。昭和62年度の道路交通振動現況調査を都道府県と政令指定都市にアンケートしたものの結果の部分がある。その中で道路交通振動で寄せられた苦情件数は238件であり、そのうち振動のデータがあるものを見た場合、99%は要請限度を下回り、苦情のピークは20~30dBも低いところに集中している。
これらのことが示すように、振動規制法の要請限度は現状の振動被害から、格別の隔たりがあるというべきである。
2-4 道路振動の被害の認定
道路公害に対する運動では、圧倒的にこれから建設される道路に対するものが多い。現実に道路公害と向き合っている運動は少ない。公害を問題にする人は、先ず転居を考えるからであろう。全国で幹線道路沿道に居住する人は、1000万人と言われているが、その実態は不明である。被害者が声をあげて運動しなければ、行政は動く筈も無い。そう言った意味で43号線訴訟は、振動の環境基準(要請限度ではなく)を創設させる少ないチャンスであったのであろう。
古い資料を紐解いてみると、提訴直後に弁護団から原告団へ、振動規制法の欠陥を何とかする運動の展開を提起されている。原告団は地裁段階の前半では、国に対して振動規制法の実効ある改正を要望している。しかし、次第に要望することを忘れたかのように、中央省庁への要求から外れていっている。地裁・高裁判決では、規制基準(現実的でない要請限度)を引き合いにされ、振動被害に関しては棄却されている。最高裁は高裁判決を支持した。今後、振動規制法の改正は見込める要素が無いといえる。
2-5 メカニズムの複雑な振動被害
道路振動のメカニズムは相当に複雑である。振動の専門家でも、道路振動の実際の現場を足で調べた学者は、残念ながら皆無と言ってよい。従って、国道43号線で起こっている現実の現象を、科学的に推測するより方法は無い。それから、日本の学術的研究の現状と、国際基準(ISO国際標準化機構)からの立ち遅れについて説明しておきたい。
ところで、のっけから長文になっては、編集者に迷惑が掛かるし、何より読者に苦痛になってはいけない。この項目は、次回Vol.2に独立して説明したい。少々ややこしい用語や、物理・数学的思考が必要となってくる。楽しみにしておいて欲しい。
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