『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

「わたしの住民運動」のアップを終えて

2014年09月14日 | 日記

 「私の住民運動」のカテゴリーについては、関係者の方々以外には、面白い読み物ということにはならないかもしれない。日誌というか、記録を目的にしたものであるから、それは仕方のない事とは思う。

 阪神間道路問題ネットワークの初代、代表世話人であった、故 砂場徹さんは、このシリーズを何とか一冊の本にまとめたい、といわれていたのが印象に残る。それは、この記録をもとに、人々の物語や人生を書こうというものだったと、今頃になって気が付いた次第です。

 これを書かれた山本さんの御主人は、住民運動を提起されるような雰囲気の方ではない。「山手幹線拡幅・架橋に反対する市民の会」の代表を引き受けて、地域住民の先頭に立つなど、想像も出来なかったのは事実ではある。西宮市の戦後史に残るという出来事を、繰り広げる先頭に立った事実を、不思議なことと今も思っている。

 また、現役の職業人の御主人を支えた、ご本人も言っているように、住民運動など縁の無かった方ではある。が、そんな住民運動活動家ではないことが、奇想天外な運動を展開され、市当局も一歩も二歩も身構えた原因ではあったのだろう。

 甲子園口北町の三代にわたる会長さんが、この運動の最中、それぞれ急逝されたのは大変ショックであった。染原さんと黒住先生とは、大変親しくさせて頂いた。それぞれに、稀な人生の持ち主であり、本来、私などと親しくして頂ける人ではなかったのに。惜しい方々を、早くに亡くしたことは、記し様もない。

 また、横内さんや沖さんも、想い出すと、目頭が熱くなる。静かな中にも、熱い情熱の方たちであったのを、ありし頃の出来事と共に、走馬灯のように過ぎ去ってゆく。

 長年の道路住民運動に参加してきた中で、行政が素人と高をくくる地域住民であるが、ドッコイそうではないと思う。山手幹線沿道にも、なかなかの専門家が揃っていて、往々にして市当局を厳しく追及する場面に、何度も遭遇した。

 町会の役員をされた人々は、それぞれに責任感を持って対処されたのにも、敬意を表したいと思う。何の損得もなく、最後まで道理を通されたことには、脱帽という外はない。行政と対決する場面が続く中で、訴訟まで起こされても、筋を曲げなかったのは感激でもあった。

 この方々の生き様。座り込みや交渉、それに“武庫川河川敷合戦”と言われる場面での、心の葛藤などを振り返ってみる。もうこれは、ドラマ以外の何でもない。私に文才があれば、芥川賞ものの小説が出来たのは間違いない。人生で、このような出来事に遭遇するなど、そうあるものではないであろう。

 「私の住民運動」では、余り表現されていないことなのだが、市当局の役席者や職員にも、各場面での葛藤があった。山本さんも、「人がいいんだ」と思ったことも多かったのだろう。行政、住民、それぞれに立場はある。政治の歪みが、それぞれに割り切れない態度を強制する。そんなことも、書いてみる価値はありそうではある。

 当時、若かった職員も、もう中堅から幹部になっている。いまさら、彼らの過去の出来事を表に出すことはないのだろうが……。市長・助役(現 副市長)も退役されている。時に、道で出会ったりもするが、ただただ普通のご挨拶を交わすだけである。

 こんな奥深い中身を、「私の住民運動」から読み解いて頂きたいとは申しません。が、そんな一旦でも感じて頂ければ幸いだと感じています。

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 さて、「私の住民運動」は、なかなか長文で、アップに当っては苦労しました。デジタル情報が喪失されていて、ペーパーのスキャナーでの読み取り。次にデジタル化。変換ミスの点検や、誤字脱字の点検。眼精の老化と共に、かなり手強いシリーズでした。

 このシリーズのアップが終了して、『みちしるべ』の過去記事のアップも、75%程になった筈です。なんとか、総てアップして、新たな展開を考えたいと思っています。できれば、少しでも若手に、ブログ版『みちしるべ』の管理者をお願いしたいものです。

 みなさんからの御意見も、頂ければ幸いかと……。今後もよろしくお願いします。

コメント
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