このブログにいらして下さる皆様、更新しないのにも関わらずいつも訪問ありがとうございます。
年内は更新はしないであろうと思っていましたが、最後に今年を振り返ってみます。
今年は最後の最後まで色々とあった大変な年でした。
昨年末に産まれた娘の育児をはじめ、アゼルバイジャン人の夫の甥っ子との同居生活(7月まで)、これだけでも生活が変わって大変でしたが、これにコロナウィルスというものが加わり、今年は本当に大変でした。日本とアゼルバイジャンへの一時帰国の中止、サロンドートンヌ 2020に再び入選しましたが開催三週間前にウィルスの拡大のため中止が決定。そして、極め付けは二週間前に夫のお父さんがコロナで亡くなり、その四日後に夫のお母さんもコロナで亡くなりました。夫と兄姉でなんとか両親を助けようと必死でしたがそのかい虚しくこのような結果になってしまいました。
一週間で父も母も失い夫も憔悴しきっていました。
今アゼルバイジャンはコロナが蔓延しており、義両親は病院で感染してしまったのです。そんな中、夫は本日アゼルバイジャンへ出発しました。現地の人を含め誰一人としてアゼルバイジャン行きに賛成の人はおらず、もちろん義母も生きていたら絶対に渡航を反対していたはずですが、それを知っていても夫は出発しました。一度に両親を亡くし、死に目にも会えず自分の心をどうすることもできなかったのです。せめてお墓参りをしたら両親の死をもっと実感し、どうしようもない悲しさや辛さに向き合うことができるのではと確信に近いものを持って渡航の決心をしたのです。しかし今回の出発は本当に困難の連続でした。これは行ってはいけない警告であると夫も理解していました。
ほぼ毎日かかってきていた義母からの電話ももうありません。ああ、とっても静かだと夫は涙を流していました。
毎月、実家に送金していたのも、明日このお金を送ったらこれが最後、それがお墓代なんて、と泣いていました。
毎回アゼルバイジャンに帰る度に、義母から頼まれた化粧品ももう買う必要はありません。手元に届く化粧品会社のダイレクトメールは義母のためにとって置いたけどもうそれも必要ないのです。そしてもっと料理を教えて貰えば良かったと今更思います。
そして、義母は毎日電話かけてきてはうちの夫や兄姉もちろん、孫もいつも気にかけては心配していました。義母の分も夫をと子供を大切にします。
アゼルバイジャンに行く度に、帰りは必ず義父が空港まで見送りに来てくれました。私たちの姿が見えなくなるまでいつも手を振っていました。私が最後に行った2018年の時、この風景はあと何回みれるのだろうか、まさかこれが最後でなかろうかとふと思って涙しました。
ナナとババ、安らかに眠ってください
年内は更新はしないであろうと思っていましたが、最後に今年を振り返ってみます。
今年は最後の最後まで色々とあった大変な年でした。
昨年末に産まれた娘の育児をはじめ、アゼルバイジャン人の夫の甥っ子との同居生活(7月まで)、これだけでも生活が変わって大変でしたが、これにコロナウィルスというものが加わり、今年は本当に大変でした。日本とアゼルバイジャンへの一時帰国の中止、サロンドートンヌ 2020に再び入選しましたが開催三週間前にウィルスの拡大のため中止が決定。そして、極め付けは二週間前に夫のお父さんがコロナで亡くなり、その四日後に夫のお母さんもコロナで亡くなりました。夫と兄姉でなんとか両親を助けようと必死でしたがそのかい虚しくこのような結果になってしまいました。
一週間で父も母も失い夫も憔悴しきっていました。
今アゼルバイジャンはコロナが蔓延しており、義両親は病院で感染してしまったのです。そんな中、夫は本日アゼルバイジャンへ出発しました。現地の人を含め誰一人としてアゼルバイジャン行きに賛成の人はおらず、もちろん義母も生きていたら絶対に渡航を反対していたはずですが、それを知っていても夫は出発しました。一度に両親を亡くし、死に目にも会えず自分の心をどうすることもできなかったのです。せめてお墓参りをしたら両親の死をもっと実感し、どうしようもない悲しさや辛さに向き合うことができるのではと確信に近いものを持って渡航の決心をしたのです。しかし今回の出発は本当に困難の連続でした。これは行ってはいけない警告であると夫も理解していました。
ほぼ毎日かかってきていた義母からの電話ももうありません。ああ、とっても静かだと夫は涙を流していました。
毎月、実家に送金していたのも、明日このお金を送ったらこれが最後、それがお墓代なんて、と泣いていました。
毎回アゼルバイジャンに帰る度に、義母から頼まれた化粧品ももう買う必要はありません。手元に届く化粧品会社のダイレクトメールは義母のためにとって置いたけどもうそれも必要ないのです。そしてもっと料理を教えて貰えば良かったと今更思います。
そして、義母は毎日電話かけてきてはうちの夫や兄姉もちろん、孫もいつも気にかけては心配していました。義母の分も夫をと子供を大切にします。
アゼルバイジャンに行く度に、帰りは必ず義父が空港まで見送りに来てくれました。私たちの姿が見えなくなるまでいつも手を振っていました。私が最後に行った2018年の時、この風景はあと何回みれるのだろうか、まさかこれが最後でなかろうかとふと思って涙しました。
ナナとババ、安らかに眠ってください