●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

介護過労死

2006年09月21日 | こころの健康

日記やblogには書いていませんが、私はここ二年程の間に叔父叔母を三人亡くして、今週の日曜に義叔父を亡くしました。

今回はblogに書いて置きたいと思いました。なぜなら日記に書いたように「介護過労死」だと思うからです。認知症の奥さんを介護する病人、義叔父の○殺は予想出来たからです。ですから大阪に嫁いだ娘さんも一ヶ月に一度は帰っておられたし、兄弟姉妹もしょっちゅう、差し入れを持って、顔を見に行っていました。うちのばあちゃんだけは事情があって別でしたが…。
義叔父は十年程前、8時間に及ぶ内臓の手術を受けて全快しました。最近では、両膝を痛めて手術して金属を入れていました。
そんな状態で炊事、洗濯。介護。叔母の症状は急激に悪化し、ほんの三、四年の間に…徘徊、排泄の世話は大変です。ディーサービスは週に三回。
では何故?ディーサービスを増やすとか、施設に入ってもらうとか、ヘルパーを頼むとか、考えなかったんでしょう。

実は二人暮しではなかったんです。同じ敷地内に、全く別棟で息子夫婦と三人の孫達が住んでいるのです。事情は分かりませんが、元々仲が悪く全て別生活でした。
最近でこそ、タッパーにおかずを作って差し入れしていたようですが、家計や洗濯、介護は全くノータッチでした。本当の二人暮しなら、他人がお節介を焼いてアドバイスしたり、事情を加味した判断が出来たと思うのですが、息子さんがいるのにでしゃばった事も言えません。

「もし」は終ったことに関しては言っても仕方のない事ですが、みんなで考える事は大切ですから、あえて「もし」を使います。
「もし、息子さん夫婦が全くの別居だったら・・・」
親戚の者も、施設の方も、「どうにかして、義叔父を守る方法」を考えたんじゃないでしょうか?叔父は元々面倒見が良くて優しい人でした。でも、ここ最近は、いらいらしていてウチのばあちゃんにも、怒鳴っていました。昼間からお酒を飲んでいたから余計でしょう。ばあちゃんは叱られるのが怖くて、怯えながら「実家に行かなければ・・・叱られるぅ」と言った気持ちで行ってましたから、時々しか行きたがらなかったんです。
今、思えばお酒を飲んでいたので分からなかったのですが、うつ状態だったと思います。
元来、気丈な人で責任感があり、人望も厚かったので、余程の事でない限りこんな事をする人とは、思えませんでした。その「余程の事」があったのです。ギリギリでした。みんな、ギリギリだって事はある程度分かっていました。なのに、防ぐ事が出来なかったんです。残念です。

息子さん夫婦を責める訳ではありません。私が同じ立場でも、関われなかったかもしれません。それぞれの家には事情があるので、何とも言えませんから。ただ、一緒に暮らしていたら?・・・でなければ、全く違う所で暮らしていたら?・・・老人世帯として、回りが何らかの助けをする事が出来たかも?知れません。難しい所です。

叔父が私に、最期に会った時に言った言葉は「ばあちゃん(ウチの)の事をよろしくお願いします。」でした。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
辛いですね (Rie)
2006-09-21 18:12:39
もしも・・・は確かにつかいたくないですが。

でも、あえて

もしも、おじさんでも。おじさんの息子さんでも息子さんの奥さんでも教会に来られててイエス様の愛に触れておられたら死なれることはなかったかもしれませんね

おじさんの最後の言葉に涙が出ました
そうです。 (ぴーち)
2006-09-23 05:01:24
誰も、自分の力には限界がありますから。

どこかで、頼る事を学んでいたら、こんな悲惨な結果にはならなかったかも知れません。



本当に頼れる方はイエスさま以外にはおられませんもんね。人はいつも一緒にはいられないから。残念です。



叔父さんは、帰る時には必ず「○○○さん、ばあちゃんをよろしく頼んます。」と言ってました。思い出します。。。
Unknown (Rie)
2006-09-23 22:17:25
おじさんは、とても愛のある方だったんですね。。。コメントを読んだらまた涙が出てきました。
そうなんです。 (ぴーち)
2006-09-24 21:49:25
今日、違う叔父が来て、亡くなった叔父の認知症の奥さんが、施設に入所した旨を教えてくれました。もっと、早く出来なかったのかと悔やまれます。事情はあったんだとは思いますが・・・。

でも、今は何と言っても生きている人達が大切です。

コメントを投稿