作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 あの日あの時(5) 】

2010-01-19 18:31:01 | 02 華麗な生活

神戸市民になって二十年にもなるのに、三宮・元町といった
中心部から西にはあまり足を踏み入れたことがない。
せいぜいが湊川神社の辺りまでである。

そんなボクが震災の二日前となる15日に、長田区内を
相当に走り回っていた。
当時すでに93歳になっていた父親が、ボクが新規購入した
超高層マンションなるものを見せろと言ってきて、なんでも
長田区の中華料理店で県知事を囲む会合があり、そこまで
迎えに来てくれと言われたのであった。

マイカーでいったのだが、駐車の場所がみつからず、
やむなく村野工業高校の裏門の辺りに停めて、迎えに
行ったのだった。その二日後に村野工業高校はこの辺りの
遺体置き場になるのだが、そんなことの予想があるわけもない。

父親は若いとき、大阪で繊維商社に勤めた経験があり、
なぜか神戸の町にも詳しかった。
あそこはどうなった、などと聞かれ、見せるのが早かろうと、
菅原市場の界隈もゆっくりとクルマを走らせたのだ。
もちろん、その二日後にこの界隈が一面の焼け野原になる
なんてこと、想像もしていなかった。


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【 岩崎弥太郎 (歴史エッセイ 87) 】

2010-01-19 18:18:18 | 05 歴史エッセイ

倒幕から新政府樹立のドサクサまぎれに、同郷の上士、
後藤象二郎に巧みに近づき坂本竜馬の遺産である海援隊を
横取りしたワルとしか思ったことがない。

土佐の脱藩浪士が、新撰組や京都見廻組の手によって、
最大の犠牲者を出した。
脱藩した下士であるが故に、土佐藩邸は彼等をかくまうことを
しなかった。

世に薩長土、また薩長土肥というが、土佐を加えるのはどうだろう?


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【 土佐山内家は江戸期最悪の藩主 (歴史エッセイ 86) 】

2010-01-19 18:16:06 | 05 歴史エッセイ

またもや坂本竜馬の人気にあやかろうとするNHKだが、
江戸期俗に300諸侯と呼ばれた約260の藩の中で、最も
ヒドイ内政を布いていたのが、土佐の山内家であったことに
異論はなかろう。

そもそも藩主が山内一豊と言う、信長・秀吉の時代には、
嫁さんの持参金で馬揃えの馬を購入できたことがエピソード
として知られているだけの、まことにつまらん男。

家康の策謀で上杉討伐の豊臣軍が組織され、その留守を
狙った石田三成が反徳川の旗を上げる。

これを待っていた家康は、小山で評定を開くのだが腕力は
強いがアタマが悪い福島正則の、三成憎しだけで後先を
考えぬ行動宣言で態勢が決まる。

全軍が家康に従うとなったからには、何か家康の気をひく
発言が必要と判断した一豊は、こともあろうに秀吉から
与えられた掛川の城を家康に差し出すというおよそ豊臣大名
にあるまじき行動に出る。

そうまでして家康の気にいられようとする、およそ男の風上
にもおけぬヤツ。

関ヶ原の戦後、西軍に加担した長宗我部氏が家禄没収と
なって、その後釜に、なんと一豊が。

普通なら長宗我部の旧家臣を多数召抱えることで地元の
安心感を買うところを、このバカは京都で浪人どもを多数
召抱え、それらに守られた形で土佐に入国する。
まるで多数の民主党員を従えて得意然とする小沢一郎を
見る思いがする。

京都から引き連れたあぶれ者が上士で、地付の長宗我部侍
たちは下士。道で下士が上士を見かけると、跪いて道を譲る。
上士は気にいらねば下士を切り捨てご免だ。

こんな乱暴な藩政を布いたところは他にない。
幕末だって、土佐の山内容堂は最後まで佐幕の本心で、
行動は日和見を決め込む。
もう官軍の勝利と決してから、やっと行動を起こし官軍に
参加した汚いヤツ。
それが山内家だ。


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【 岡田に出番なし 】

2010-01-19 14:45:00 | 10 我ら猛虎党

地元大阪出身で、自身も熱烈な阪神フアンであった岡田の
入団で80年のシーズンは岡田人気で沸いた。

ところが時の監督は外人のブレイザーで、岡田に先発出場
の機会を与えず、さして戦力でもないヒルトンというアメリカ人
選手を使い続けた。

これに不満を抱いたファンは、ヒルトンが打席に向かう度、
岡田コールで球場を揺るがしてブレイザーの指揮を批判。

嫌気をさしてブレイザー途中でアメリカへ帰国。
その後を打撃コーチの中西太で埋めた。
中西監督は翌81年、67勝58敗の好成績でAクラス入りを
果たしたが、江本の暴言事件もあって、シーズン終了後
安藤にバトンタッチした。

中西打撃コーチは得がたい人材だったから、もっと長く
阪神選手たちを鍛えて欲しかった。


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【 79年の阪神タイガース・ドラフト 】

2010-01-19 14:40:00 | 10 我ら猛虎党

79年のシーズン終了後に開かれたドラフト会議で
阪神タイガースは大物選手を引き当てている。
早稲田から岡田彰布を入団させた。

翌80年シーズン入りで、ファンは岡田の先発出場を
せがんだが、当時の外人監督(ブレイザー?)は外人選手の
ヒルトンを起用し続けた。
ファンはヒルトンが打席に向かう度に、岡田コールを繰り返し、
これに怒ったブレイザーが途中で監督を投げ出すことになった。


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【 79年のタイガースには 】

2010-01-19 14:33:42 | 10 我ら猛虎党

阪神タイガースの79年シーズンには、電撃トレードの
小林繁投手(前巨人)の他に歴史に残る有名な
トレード劇があった。

当時福岡クラウンという球団名だった、西武ライオンズの
前身に、球団の至宝と呼ばれた田淵を出し、投手の古沢を
添えた。見返りに貰ったのが4選手。
真弓・若菜・竹之内・竹田だったが、その中の真弓が現在の
監督。
若菜も竹之内も戦力となったが、竹田投手はほとんど活躍の
機会もなく消えた。


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【 小林繁を悼む 】

2010-01-19 14:10:26 | 10 我ら猛虎党

79年のことだった。世に言う江川問題。
すべては江川のエゴイズムから出た事件。

空白の一日なるものを、コミショナーが認める結果となる
インチキ操作の始末のために、江川をドラフトで獲得した
阪神とのトレードの指令が出て、宮崎キャンプに向かう
小林繁が急遽タイガースへの人身御供にされた。

ボクはというと、辞めさせないと頑張る会社の意向を無視
して、勝手に会社を長欠し、独立すべく大阪は淀川の
川向こうに、廉い家賃と保証金の事務所を構え、あとへは
引かんと会社との対決姿勢に出ていた。

大阪市東淀川区西中島。
この地名は、やがてマンション・トルコなるもののメッカとして
週刊誌などで喧伝されることになる。
そんな場所での独立の準備だった。

果たして脱サラ独立がうまく行くのか。
夕闇がせまり暗くなると、不安が頭をもたげてくる。

あの頃は、毎晩のように酒に浸った。
酔うことで不安を押しのけていた感じ。

新事務所の界隈に十数か所の飲み屋があって、そのすべて
にオールドのキープをした。ボトルの名前は、19小林だった。

80年のシーズンで22勝を上げた細腕サイドで、対巨人戦で
8連勝を挙げた。なのに当時の阪神タイガースは優勝とは
縁遠い弱小チームであった。

小林繁を暖かく迎えた選手会長が江本。
後に中西太監督に「ベンチがアホやから」と歴史的な暴言を
吐いて退団。
なんと参議院議員として政界に出た。
小林繁は31歳で野球をやめた後、歌手を目指したり、
事業家になろうとしたりで、あまり幸福ではなかった。

日本ハムの二軍コーチだったとは、今回の報道まで
知らなかった。  合掌


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【 相続税はどうした 】

2010-01-19 13:53:46 | 04 時事ニュース

小沢の個人預金は、父の遺産を基にコツコツと貯めたもの
だと言うのだが・・・

政治家が公開すべき資産の中に、該当するものが明記
されているのかどうか。
父の遺産としたら、相続税はきちんと払われているのか。
何しろ盟友の鳩山の資産管理が、あんなに杜撰だったの
だから、どうしても聞きたい。

三人の元秘書が逮捕され、すでに小沢自身の弁解と石川の
供述に1億円のズレがあるようだが、小沢の資産は何も
4億円なんてものじゃなく、十数億円はあるのじゃないか。
金丸が持っていたはずの金塊とか、旧自由党の政治資金
とか、やっぱりアンタは逮捕された上で何かも吐かなきゃ
ダメだと、テレビ画面で見るたびにそう思うがなあ。


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【 あの日あの時(4) 】

2010-01-19 11:45:08 | 02 華麗な生活

我が人工島と本土とを結ぶアクセスは一本だけ、六甲大橋と
名づけられた道路が残った。

地震の直後の六時台に、若い人たちをメインにかなりの
家族が、その道路を使って脱出した。やがて警察が出動
して、この道路も封鎖された。

我が人口島は、神戸の最初の人工島ポートアイランドの
学習効果を生かした産物で、液状化現象などもポートの
それと比べると、はるかに影響が少なく済んだが、それは
後で分かったことである。

我が人口島はまさに孤島と化した。
心強かったのは、この島のデベロップに当たった積水ハウス
が社員を動員して、食料や水の配送を行ってくれたことだった。

余震が相次ぐ中を、次々と積水ハウスの社員が水の入った
ペットボトルを、そしておにぎりや食パンを運んできた。

その代表がマイクを持ってスピーチを行った。
「この島はいまや神戸の中の別天地です。いったん島の外に
出たら、そこは地獄です。
皆さんの食料は我々がなんとでもします。
間違っても島からの脱出なんて考えないでください。
もう一度言います。
本土側は地獄の様相を呈しています」


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【 あの日あの時(3) 】

2010-01-19 10:54:07 | 02 華麗な生活

永遠に揺れ続けるのじゃと思われた長い辛抱の末にようやく
揺れがおさまり、ボクはすぐカーテンを開けて近くの景色を
つぶさに見た。

周辺に経つビルの姿が、いつものそれと変わらぬことで、
ボクは我がマンションが無事に立っていることの確信を得た。
同時に周辺のビル群のすべてが無事であることも確認できた。

屋内はそうはいかない。あらゆる家具類が倒れ、中身が
飛び散って、リビングなどは陶器とガラスの破片だらけであった。

ボクの部屋はやや西に傾いた南側に面している。
関西空港と淡路島の遠望が利く反面、神戸市内の様子が
全く見えない。

北側(神戸市本土側)のシースルーエレベーターからは
阪神間が一望できた。
こんな時だからと、非常階段に通じるドアを開けて、そこから
双眼鏡で覗いたら、すでに三ヶ所辺りから火の手が上がる
のが見えた。

見ている間に、次々と白煙が上がりだし、中には炎が上がる
箇所もあった。神戸のみならず芦屋市や西宮市と思しき辺り
からも白煙が上がるのが見えた。

近くに双眼鏡を移すと、人工島と本土とをつなぐ唯一の
交通機関である六甲ライナーが列車ごと海中に没している
ことが分かった。

湾岸線という高速道路も、途中で切断されている。
これは四国か九州にいったん落ち延びるしか無いなと考えた。
それは浅はかな考えであった。港湾設備は全滅していたのだ。
四国・九州方面へのフェリー乗り場で生き残ったものは
一ヶ所も無かった。


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【 あの日あの時(2) 】

2010-01-19 09:58:24 | 02 華麗な生活

神戸の大震災と言えば、長田区の火災が代表と報道される
ことが多いが、あれは地震発生の翌日になってから出た
火による二次災害が中心だった。

当日の家屋倒壊による犠牲者は、むしろ東灘区の方が
多かった。東灘区本山が被害多発の町名である。

当時テレビ各局が基地を構えたのが、本山第一と第三
小学校だったから、本山の町名は全国的に知られることに
なった。

ボクの本宅?は、その本山中町にあった。
最寄の酒屋のお兄ちゃんが、ここを中心に半径500メーター
の円内で、千人近い人々が亡くなったと言っていた。

木造家屋は、たとえそれが蔵を備えた大邸宅であろうと
文化住宅やアパートもろとも、すべてが崩壊した。
そこに神戸大をはじめ多くの学生が下宿していた。
その多くが、あたら有為の将来と共に潰えたのだった。

ボクはというと、東灘区の沖合いにできた人工島に超高層
マンションが建ち、そちらの方に移転すべく荷物を少しづつ
運び出す最中であった。

そんなわけで、ド~ンと来たときには、地上百メーターの
辺りで寝ていた。

神戸を直撃した地震は15秒だけ揺れたというが、この超高層
物件は、およそ30分揺れ続けたと神戸大の教授による
発表があった。
ボクの実感もそうだった。30分は軽く揺れたであろう。
耐震工法のなせるわざである。

ビル崩壊は必至と、こんな死に方が待っていたのかと覚悟
したのだったが、幸いにもこの人工島での人身事故は皆無
であった。

東灘区の中の別天地であったことが、だんだん判明していった。

      - 続 -

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【 自由がない党とは 】

2010-01-19 09:10:00 | 04 時事ニュース

大挙して先の総選挙で議員先生のバッジを付けた人々が、]
やれ小沢主催の教育を受けろ、せっかく任命された、事業
仕分けのメンバーからは外されて選挙区を固めろ、そして
何よりも、党大会でも自由な発言が許されぬ空気。

なんとも気の毒なハナシである。
小泉ジュニアが、党名に自由が無いと駄洒落を飛ばしたが、
あまりいただけない。

しかし民主とか共和といった、いかにも民衆に主権がありそう
な国名で、その実態は独裁国家だった例ならいくらでもある。

小沢が党大会で大見得を切った、銀行のカネの出し入れに、
矛盾点が見つかったらしい。

政治家が公表すべき資産目録にも無かった親父譲りのカネ
だとの苦しい説明?

民主党は小沢さえ居なくなれば、少なくとも自民党よりは
良い政党になれる。
後は組合系の排除だけが、鳩山の仕事として残る。

鳩山は新党さきがけを潰した張本人。
党首だった武村正義を排除した、あの意地悪さをもって、
社会党系のニセ民主党員を排除すればいかがと進言する。


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