光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

一日遅れの水園便り

2010-05-31 18:55:13 | 植物・花(春)
  いいお天気で、西の空の太陽が、まぶしくきのうまでの梅雨のようなお天気が嘘のようだ。とい
つも晴れると思うものだが、晴れも三日も四日も続くと、いい加減鬱陶しくなって、雨の一つも降ら
ないか、という気になるから、人はないものを求めるし、また飽き飽きとする。ないものがそれが
目の前にあるとなると、すぐに大体飽きてしまう。これは人のことでなくて、自分のことだった。飽き
っぽい、その先がない。繰り返しがよくて、退行現象も見られる。何か追い求めるものがあるか、と
いうとないようで、それでいて、不満だけは一人前。お天気に向かってしゃべるのは、その点、気楽で、
お天気ゆえの苦労もあるから、お天気に向かって、あーだのこうだのいうのは許されるような気がす
る。それゆえ、お天気もあまりいい気がしないようだ。

  喜怒哀楽、うまいこと四字の漢字が出てきました。喜怒哀楽、いい言葉ですね。最初の「き」、こ
うするときは出ない。それで嬉しいとか思うときはある。滅多にないこと。でも嬉しいときはある。
これは間違いはないようだが、その数は少ない、余り嬉しがっている場合でもない。喜怒哀楽、という四
つの演算子があるとすると、これは大体、足したり引いたり、かけたり割ったりすると、もとに戻って
しまうというか、平坦な何か、が残るだけというようなことを、感じてしまう。こうゆうことをいう学者
先生、研究者は多いようだ。新しい発見があれば、それの何倍もの未知なる疑問が生じるとか。これなど
は、相補性で代表される、ボーア博士の言葉が思い出されるが、それに接近することなく、その問題は
どうゆうことか、ということを知ろうとすれば知るほど、わけがわからなくなる、という、そうゆう
問題が私にはあるようで、あるところまではいくような気もするが、それ以上は追い求めない方
が、嬉しい状態であったりもする。

  いいお天気になったということである。花でいうと、シャクヤクの花は咲かないか、あちこち
探しているが、なぜか咲く品種がある。これはここのいえでも咲いた。そうでなく、真っ白に近いと
いうシャクヤクもあって、それが一番お気に入りであって、これを見ると、たしかに嬉しいような
気がする。喜怒哀楽の、最初。その先というのは考えない方がいい。楽だというのも何のことだか。
だから追い求めてはいけない。シャクヤクの花が今は季節で、しかし去年はもっと早かったはずであ
る。で、シャクヤクの蕾は、ずっと早くから出来ていて、咲かない。
  例えば、シャクヤクの本体の芽、というのも一度見ると、忘れることもなかなかない。そうゆう
点で、ボタンはずっと木でそこにあるから、消える状態はなく、返って存在感はないかも。シャク
ヤクはきれいさっぱりとこの世から消えて、それで、夏が来て、秋が来て、冬が来て、その冬の終り
に、芽が出る。うまいこと出来ている。なんだか、とっても不思議な花に思えても来る。もちろん、
そうゆう、多年生の植物、宿根草の植物は多い。
  消えて、また出てくる。そうゆう風に見える。地面の下は、考えない。こうゆうものが、世の中
をまずは安穏と生きてゆくために必要なことのようにも、思える。秋の、マンジュシャゲ、ヒガンバ
ナ、同じような花だ。これは、それこそ春に、その緑を見せるが、一体にいつ枯れてというのも
わからないものだ。それで、その根っこの方を探ると、これに毒があるとかもいう。恐ろしい話しだ。
そうゆうところが今の世の中で、すべて見えるようになっているので、TVなど見ているとハラハラ
ドキドキすることが多いのだろう。これは精神衛生上、好ましいとは思えない。こうゆうこと
に、余り興味を持たない、というのが最近で、それゆえTVを見ていると、なんだか嫌になってくる
のだろうか。臭いものの蓋はしっかりしておかないといけない。


  きのうは、今日もさほど変わらないが、ま、虫の写真の用意をしていたときは、たしかにそれ以上
のことを考えていなかったが、それから、その間というのも、いつもゴタゴタとものごとはあるも
ので、それで、ここの画面に向かうときというと、あさっての方向をむいて、おつむは働いて
いるようで、これが日常なのだが、今日こそお隣の町かも、というところで見ていた、田んぼ、イネ
の植えられている、水田というものを持ってこようと思った。これに間違いはなく、ここまで来るの
に、それ以外のいろいろなことがやっぱりあるので、いらないこと、いらんことを書いたと思う。





  時系列でゆくと、このジャーマンアイリス、ドイツアヤメが一番最初。
  これ、あちこちにあるが、真っ黒に近い色、というのもあった。それと
  今日の印象でもないけれど、今もこの花は、あるいは今頃この花は最盛
  かも知れない、という状況があるようだ。




  身近に見た、田園、イネが植えられている田んぼ、水稲である。




  端っこのほうに、苗の塊が大体置かれている。カセットみたいなものか
  も知れない。イネランド。




  嬉しくなる、また楽しくなる、楽はラクチンででなくて、楽しいだった、
  そうゆう花々。




  幾つか、どうゆうものがいいか考えるが、ごく普通に。




  密集する、白い花。もともと、こうゆうところが好きなので。




  イネの植えられている、田んぼはいくらでもある。で、その道の脇まで
  田んぼはある。落っこちないようにしないといけない。いつも注意して
  いる。田んぼにズルはいけない。もっといけないのは、農業用水とか
  で、これははっきりいうと、私の場合は近づいてはいけない。
  遠いところから眺めるのがいい。




  曇り空の水田もいい。

  その大きな水田はその先にある。で。入り口のようなところで、バラ。



  何度かその辺りは歩いていて、このバラに気が付かなかった。きれいな
  色。惜しいことは少し時期がずれたことか。




  蕾はでも期待できる。




  距離的には一番、離れたところ。秋も花が咲くかな。



草深いところのシャクヤクが咲いた

2010-05-31 16:18:05 | 植物・花(春)
  お天気は、ほぼ快晴。空は青く澄み渡る。
  雲も多いが、あったほうがいい雲で、この雲も
  だんだんと少なくなるような感じもある。
  風が強い。晴れで、晴れの北風。
  それで、日向はポカポカ、ほかはちょうどいいぐらい。

  道みち、ちょっとよそ見をして、白いシャクヤクが
  咲いていないか探した。いくつか、というより
  二、三んであるが咲いていたが、今ひとつ元気は
  ないようだった。それより、風で揺れに揺れていた。


  草深いところのシャクヤクが咲いた。周りに草も木もある。
  そこはどこか、というと、ここのいえであって、
  この花はきのうから咲き始めた。朝大きく開いていた。




  これは草は少ししか写っていない。緑色のハナグモがもういる。




  草の中の、もも色とクリーム色のシャクヤクの花。




  風もあるから草も揺れて、またシャクヤクも揺れる。




  最初のシャクヤクの花だが、方向を変えると、草の緑が入る。


  ここで考えを変えて、花をあるもので押さえた。



  前の草を少し倒して、シャクヤク。背景は草のままだ。箒で軽く草を
  押さえた。




  淡い色のようで、あまり元気がないかも。




  これだけ、トリミング。拡大、他のものはファイルのイメージ。




  咲き始めたもの。これも恐らく、お昼ころまで、太陽が出ていれば
  開き切ってしまうような、感じのもの。
  開き始めの、色濃い時間、わずかな時間だけある、色の濃さの魅力。




  草深い、ところのシャクヤクの、花の配置図。



今日は、晴れで、あしたはどうか

2010-05-31 06:39:15 | 散策


  先週の土曜日の、宵の西の空。
  金星だけ、なかなか雲に隠れないで、輝いていた。
  金星しか見えない空、というのも困りものだ。


  朝のお天気は雲の多い晴れ。雨を降らす雲ではないようで、でも雲は多い。
空の青さは、少し足らない。静かな朝で、たまに雉とか、オナガが鳴く。鳴くと
いえば、カラスも鳴く。ときどき、カエルも鳴く。今日の予報は、曇り後、晴れで、
少しは、暖かくなるようだ。でも、まあ朝は、あるいは夜は冷えそう。これが5月
の最後か、と思える天気。

  アメダスの6時の気温、14.6℃。気圧は1014.5hPa、湿度は89%。北東の風が、
1mとありその前は東の風である。穏やかな様子。室温は16.8℃。寒くもなく、暑く
もなく。

  といいつつ、冬の恰好でいる。歩くときも、風があったりいつ雨が降っても
いいように、一枚上に、パーカのようなものを着て、きのうは歩いていた。それ
でも大して汗は出なかった。それくらい、気温は上がらず、それから田んぼのイネを
見ていても、緑色は薄いような感じがあった。五月晴れというお天気が何回あった
かな。五月は、寒い五月だった気がする。
 
  明日は、6月で、衣替えとかいう。
  明日は6月か、もうことしも半分終わった、と思う季節。ことしも残り少ない。
毎度、同じようなことを考えていて、それが一ヶ月も残り少ないとなり、一週間も
やけに短いようにも思える。短いと思えるから、大事に使わないとということか。
その割りに、適当に過ごしている。その場主義。2、3日までしか先のことは考え
ていない。風見鶏、でもないし、いったいになになのか。
  後悔は、必ずするし、すると楽観主義でもあるようで、結局どうしたらいい
のか、わからない。そうゆう時間をいつも過ごしている。これは変化がない。昔
からそうだった、といわざるを得ない。自業自得か、このようなものは本当に変
わらない。

近いようで、遠いところは隣の町

2010-05-30 19:11:30 | 虫、その他
  虫についての、写真が後ろにあります。小さい虫、コガネムシか、ハムシか、あるいはカメムシ。
と、もう一つは、セセリチョウです。どちらも今年初めてのものです。


  隣は、というと、射水市ということになる。これは遠いようで近い。旧名の新湊市というと一番身
近な感じで、この街との境界はかなり近いと思う。その辺りを何度か行き来するが、今は滅多なこと
でそうゆうところへはいかない。眺めるだけ。高岡はどこにでもある名前で、これも困ってしまう。
高岡の街も確か一回だけ、ちょっと回ったことがある。大仏さまを拝んできたと思う。
  立山町は、かなり遠い。街の真ん中の向こう側にあって、その先の方に、たしか立山とかがあるは
ずだが、剱岳は、立山町と、上市町との境にあるようだ。今地図を広げて、少しだけガタガタとした。
新しい地図があり、どこかに埋もれたままの地図があって、地図はいろいろな年代のものがあると
楽しいが、判読に問題が出る可能性もある。保存もむつかしく、適度にというしか、方法はない。

  相変わらず近くを回っているので、ときとしてこんにちはということにもなる。そうゆうときは、
それでいいが、まずはそうゆうことは余りない。気楽にという場合は、どっちだというと、ただの
散歩している人と見られるのがいい。なんだか知らないが、もともと生まれも育ちも違うからかも
知れないが、多少は血のつながりがあるような、方がいるし、これはご先祖様がいるからしょうが
ないことだが、それ以外にも、古い感覚というのが残っているところでもあって、こちらは意識しない
が、相手の方が、こうゆうことですということもある。でも、ま、この辺りに住む人というしかな
い。
  同じところを歩くと、このように多少はこんにちはという挨拶もするケースが出るが、もう少し頻頻
とゆくところを変えるとこうはならないかも。つまり、花が咲くところなどにゆく、という目的もある
と、「こんにちは」現象は起こる。

  で、お隣の町は同じ市内である。そうゆうところもあるようで、どうゆうことかというと、互い
に違うところに住んでいるという意識は強いような感じがある。何しろ住所が違う。市は同じだが、
それから下が違うのである。そうゆうところはなかなか足が向かない、というのは間違いで、距離的
な感じでゆうと大して差はない。大体1km四方に入ってしまうようなところで、いろいろな境界線
が引かれる。高々、2、300m歩くと、そうゆうところになってしまう。いってみると、ここはある集落
の端っこにある。だからそっちのほうの隣は近い。逆に反対方向の隣というのは、当然遠い。遠いといっ
てもすべて、1km四方に入ってくるような感じがある。だから私は、たまに、そのちょっと離れた、
隣の町にゆくが、そこにゆくと、田んぼはみな水田、ということにもなる。なるほど、境界線はどこ
にあるかわからないが、こうゆうものを見ると、違うところというのは、勘でわかるし、一目瞭然、
よく出るなこの言葉、となる。そうゆうものかねー。

  これで、近いようで、遠い、逆に遠いようで近い、隣の町に田んぼが水田が多いというのは
よくわかった。それから、花でいうと、花に植えられるものの違いはあるかも知れない。でも咲いている
同じ品種のものについては、これは変化は少ない。場所より日当たりとか、同じ品種だとやっぱり
咲いていた、シャクヤクの話しだが、となる。
  一本の農業用水は、常願寺川のあるところから、取水されてぐるぐる、あるいはサラサラ流れて
きて、この辺りにも到達するか。そこからこの水はやって来るのか、結構きれいな水が流れてく
る。でも、常願寺川とこことの間に、神通川が流れていて、こうなると、この辺りの農業用水の
取水口はどこかというと、常願寺川ではないということになる。水道の水と勘違いしているのか。
これはいけない。
  それであまり見ない光景だが、その農業用水の上を、ちょっと青い色もある大型のツバメが、な
んども行ったり来たりしている。往復して、ときに上昇する。用水の上にいる虫を探して食べて
いるのだろう。この眺めはなかなかよく、肉眼でツバメを追うのは可能だが、これを写すのは無理の
ようだ。ツバメが用水の上を飛んでいるのはたまに見るが、ちょっと大き目のまっすぐな用水を
極々水面のわずか上を飛んで、決して着水しないものを見ているのは、結構気持ちのいいもので、
もちろんそのまねは出来ない。どこにゆくか、サイコロを転がして、今日はこっちと出た。そのところ
で、ツバメの水面すれすれに飛翔する様子というものを見ることが出来て、これはよかった。
  近くて遠いような、遠いようで実際は近いのだが、場所が変われば、なんだか目に見えるものも
変わるようで、懲りずに歩かないといけない、など殊勝なことを思う。

  
  あーなんだか、違うことを書いたようだ。頭の中はその方面の田んぼのこと、水田のこと、ツバ
メのことなど、いろいろ思っていて、画像の用意をしていたときは、それではなくて、最近見かける
小さな虫の様子だった。これは困ったことになった。でもこれもよくあることなので、画像は虫の世
界ということで、先を進めないといけない。





  ハルジオンである。花のあるところに黒い点がある。




  ハルジオンはどこにでもある。それで、このときは珍しく、小さい虫が
  肉眼でも見えた。でもハルジオンの花からわかるように、小さい。




  同じようで、少しだけ様子の違いがわかると思える画像だ。一番に思う
  のは、ハムシとかの仲間。ハムシは、甲虫である。それから、カメムシ。
  でも一体に何なのか。甲虫の中に、コガネムシ科というのがあるが、な
  んだかその中の一種かも知れないとかも思う。




  虫は貴重であるから、近寄る。すると虫も逃げようとしているかの
  ようだ。
  頭部の先っぽを見ると、コガネムシかなとも。




  後を向かれた。これでファイルはおしまい。逃げられたのである。敏感
  だなー。




  開き始めた、シャクヤクにも虫はいる。この虫も、意外と敏感である。


  それで、朝も書いた、セセリチョウ。




  今年、初めてのセセリチョウ。姿は何度か見た。この緑に止まったの
  で、急いで慎重に。




  移動するが、後ろに太陽があるから、影が出来てしまう。チョウの全体
  の様子がわからない。




  もう一度、光が当たるように後に移動。それで、今度は向こう側へと移
  動するが、もちろんチョウ全体が影になって、それからすぐに逃げられ
  た。

  セセリチョウもそうだが、シジミチョウにしろ、何しろよく動く。どこ
  にいるのかも段々とわかりにくくなってしまう。これ、って老化だよね。



ムラサキツユクサの、濃淡

2010-05-30 16:02:57 | 植物・花(春)
  寒いお天気、といっていいかも。
  じっとしていると、クシャミも出るし、
  ゴロゴロとしていると、それこそ冷えてくる。
  コタツか、空調暖房がないと、寒いと思える。
  じっと冷たいところで我慢していると、
  風邪引きそうな寒さ。

  それで、雨は午前も午後も起きている時間は降っていない。
  今にも降りそうなときがあって、そうでもないときがある。
  北風が強め、午後3時までのアメダスの最高気温は、16.5℃とある。
  歩いていると、ちょうどいいが、なんだか人もおらず、ブルッと
  来るかも。


  それで、ムサラキツユクサ、淡い色の花がきれいで、
  株というのだろうか、これが大きい。花も蕾もたくさん。
  それと以前出た、濃い目のムラサキツユクサの、今。
  揺れる、ムギセンノウも。




  きのうの青空。



  
  大きな株の、ムラサキツユクサである。これだけ葉っぱがあると、花が
  いくらあっても、咲きそう。




  花に接近。




  花びらの色は、薄め、薄い紫か、薄い青か。




  中央のモジャモジャは、これは紫色。




  色の濃いもの。こうして並べると、赤味が目だつ。




  ムラサキツユクサの、色も、いろいろある。




  ムギセンノウも、紫色だろうが、もも色にも見えてくる。風があって、
  よく揺れる。ちょうど揺れが戻るというときに、ボタンを押すのがい
  いが、そうはいかないものだ。




  中央から、放射状に、破線のように感じられるものが出るのがいいよ
  うで、憎いよさというのがある。



曇り空、薄ら寒い

2010-05-30 06:40:33 | 散策


  ヒゲナデシコ。
  雨に濡れているようで、花模様だったりする。こうゆう風に
  見える花。
  蕾もいくつか、出てきている。



  朝のお天気は、曇り。雨か、露かわからないが、瓦に濡れた跡がある。やっ
ぱり雨か。それから、西の空は少し明るく、これはきのうと同じか。雲がかなり低く
垂れ込めていて、雨が降り出してもおかしくはない様子。西の空だけ少し明るく、
空の色も青い。

  アメダスの6時の気温、13.3℃。これは低い。気圧は1012.3hPa、湿度は91%。
東北東の風が2m、とある。木々の枝葉が揺れるのもわかる、風があって、少し寒々
しい。室温は、16.3℃。このところ20℃いかないかも。

  肌寒さ、冬物衣料を引っぱり出してくる。そうしていないと、なんだかスー
スーとする。冬物衣料が今もいるこの気候。それで、歩いたりするには、雨さえ
降らなければ結構快適かも知れない。汗は出るが、出る汗も乾いたりもする。なん
だか外出して帰って来る。帰って来たときは汗がひどそうだが、しばらく片付けを
していると、その汗も気にならなくなる。ときどき、太陽が出るから、悪くはない
か。そうゆうことにしておかないと。

  小さいチョウはシジミチョウが、よくいる。これに少し遅れて、セセリチョウ
がやって来るようで、そのセセリチョウがいた。これはもう何度か見ている。今頃の
チョウはやけに動きが早い。俊敏。で、そのチョウは小さく、また黒っぽいから
ただなんだかわからない。でも黒い点が右から左へ、上から下へスッと移動する
ようで、なんだろうとポカンとする。
  そのセセリチョウの一つが、ようやく花の一つか、葉っぱに止まった。最初は
蛾かと思った、そうゆう思い出のあるチョウ。今はシジミチョウに次いで気にいって
いるチョウ。
  ムシトリナデシコが咲き始めた。このものに、虫がくっ付くのはなかなかない
ようで、実際このものにくっ付いている虫は見たことがない。


いい一日、好日の条件

2010-05-29 19:01:25 | 植物・花(春)
  いい一日だったかも知れない。あるいは、好日の条件。山歩きに適したいい一日、読書三昧。最後
はないか。いい日とか、好日とか、日常の中での日常であるというのは、なかなかないもので、ドキ
ドキとするものは向こうからやって来る。やって来ないと困るものもある。どっちだという感じで、
もう来なくて安心したというのは、なんだかわからない。それで、来ないといけないもの、というのは
一つは時間で、一つはいいお天気で、一つは程ほどの安堵だろう。

  お天気でいうと、もう少しいいはずと思う。そう思うが、問題は寒気で、これを表示するのはむ
つかしい。寒気がどの辺りに、どのくらいの量で存在するか、反対の熱気でもいいが、これは表わすのに
むつかしく、大体観測が不可能で、そうゆう意味だと、まだ曇り空で星が見えないなどいうのは、贅沢
な悩みとも思える。でももう少し、お天気がいいと、すでにさほどの寒さもないものだから、星の一つ
も見えてほしい。どっかの山の上のというところ、にゆかないと星も見えないとかいうのは、ときに
残念だなとか思うこともある。これはもしかして、体調がいいという証拠かも。そうゆうときに限っ
て、曇り空があったりする。惜しい時間である。その時間を惜しんで、TVを見る。これもまたいいか。

  好日、朝は早く起きれること。これが昔はかなわなかった。それでも、まだ山歩きをしていた
ころは、4時とかに起きた。それで、5時台の電車の発車時刻など、前もって調べたりもした。早いとき
は、あるいはこれ以上遅いと間に合わないが、御茶ノ水の駅に、午前7時にいたというときもある。こ
うゆうときは奥多摩へとゆくときで、それで、もう午後も2時ころに同じ奥多摩の、一駅か二駅か違ったとこ
ろの駅にたどり着いて、それでも自宅というか、借りていたところへと戻ると、もう午後も遅い、
5時とか、6時になっていた。そういえば、12時間はいきすぎのようだが、そのくらいの時間を使って
いた。もっとも、7時頃通勤で、駅に出て、それで帰りが午後の7時なんて、いうことはあり得ない
ような気もするから、遊びにあるいは、目的を持つ行動で、12時間を使うというのも普通かも。そ
れに比べると、今はずいぶんとグータラしていて、出来ることも段々と少なくなってくる。悲しい
ものである。もう少し元気でいれたら、と思うことが多いが、それもどうなるか、わからないも
のである。

  このところ、花といえばシャクヤクで、シャクヤク探しでアタフタか、あるいはガタガタとす
る。それで、今日はもう5月の29日の土曜だが、先ほど新聞を見ていて、シャクヤク園というところ
は各地にあるものだが、この地の割と有名なそのシャクヤク園で、シャクヤクが見ごろという。これ
には少し驚いた。でも、そこに驚くべきたくさんのシャクヤクの花が、咲き乱れていて、ゆったり
としたかたが、その花を眺められている、という写真が掲載されてもいた。ちょっと遠いところ。
シャクヤクはここかしこにあるので、そこにゆく必要もない。そうゆうところのシャクヤクは多く
の方が見られるだろうし、そうゆう写真も多くでるだろう。
  何しろ、近くですぐに、簡単で、安く、これは違うか、いつでも好きに済ませられるところが
いい。そうゆうところはこの辺りとなり、それでときにその花の持ち主の方、というか、地面の持ち主
というか、植えられているご本人という方にも出会うときがある。なるべく、挨拶をし、それで申し
訳ないと思いつつ、花だけ撮らせてもらっている。

  そうゆう意味で、シャクヤク園というところ、もしかして入場料がいるかも知れない。お金を払う
と気楽かな。山歩きはこれは交通費はかかるが、その後は自分の体力だけが頼りだからこれは気楽で、
気苦労はいる。あれあれ、昔話になってしまった。シャクヤクの花はここかしこにあって、少し早足に
なって、大体200mくらいの範囲で、あっちにいったり、こっちにいったりで、合計の歩く距離は、足し算
で400mくらいかも知れない。そこまでゆくのに、8分。10分はかからない。でも寄り道じゃないか、油売り
は道々やるから、時間はどんどんと過ぎてゆく。時計を見てびっくりで、シャクヤクのある知っている
場所もせいぜい30%くらいしか見物出来ない。これではなー。

  どうでもいいようなことで、残りの画像の容量というのが、500MBを切ったので、時間があれば、昔
の画像ファイルを削除することにした。幾つか削除した。なかなか減らない。一時、容量を減らさず、
一枚が「1MB」近くもあるようなものを平気で送信して、それで一気に残りというのが減った。書き始めは、
たくさんは書いてないが、それでも一ヶ月たつと、投稿したものを半分くらいに削除していた。それが
面倒になって、そのままになった。ハチャメチャなことをやっている。投稿は削除して、画像はそのま
ま残っているというものもあるのに気が付いた。画像の表示で、この画像を使う記事というのが
ないのがある。
  一言感想は、なんだかむなしい。残しておきたいというもの。
  夜に、あちこち、ぶろぐ探索をやっていて、たくさんは出来ません。拝見させてもらって、で夜は
時間がかかるようだ。来ないのである、データが。それで、それを朝にやると、意外と早い。これ
から朝がいいかと思うが、そう簡単でなく、どのようにしてぶろぐ拝見というのは可能か、そこが
わからない。


  いえの中にある草はどうか。苦しいところ。台所のうち。



  ハルジオン、たくさん。




  アジサイ。このタイプのものはこれだけ。他はたくさん。




  みなミニカメ。マクロはもっとはっきりと出るはずだが、ぼやける。




  ドクダミ、ようやく出て来た。本来はたくさんある。ドクダミは好き
  な花。その花はまだ。




  葉っぱはサツマイモに似ているですね。




  小さい、ごくごく小さいノイチゴのようなものか。昔からいつも出てくる。




  この光景は、何十年も前と同じかも知れない。昔の様子が思い出される。




  キク科の花の、なんだかなー。フワフワとしているが咲いたものはタネ
  がなくなる。次の蕾もたくさん。




  タンポポ。冠毛、外来種だと思う。




  タンポポの冠毛、これもたくさんあるといいたいが、ハルジオンのよう
  に、群生はない。タンポポ畑ににはならない。



新しく咲いた、いくつかのシャクヤク

2010-05-29 16:24:40 | 植物・花(春)
  今日も、比較的いいお天気だといえるかも知れない。
  少し涼しい。
  それから晴れ間もあるが、雲も多い。
  雨が降りそうで、降っていない。
  北風である、でも一枚多く着ると、問題はない。

  それで、ちょうど出かけるとき、シャクヤクの花
  を求めて、うまいこと青空も出て来た。空が青い。
  太陽がうまいこと、空から出て来た。明るい。
  後は、シャクヤクが新しく咲いたか、どうかだけ。


  すでに咲いていて、満開に近いのが、まずはある。




  もも色、クリーム色の出るもの。これもしかし日が当たってというのは
  なかったと思う。露光補正をしている。暗めかも。




  その二。この色のものは他でも、大体もう咲いている。




  太陽がうまく出て来て、よかった。




  その四。




  その五。バニラアイスみたいだ。


  新しく、咲いたと思う花。きのうのものも入っている。それも
  より大きく、花は開いた。


 

  朝早くから晴れていたら、きっともっと開いただろう。




  もう少しで。




  ようやく、もも色、あるいは紅か、赤紫か、のものも開いた。




  これはきのうも少し開いていたもので、これは白みを強く出した。




  もも色。咲き始め。



 
  白。ふんわり。



薄曇、ヒゲナデシコ

2010-05-29 06:36:50 | 散策


  雨のヒゲナデシコ。ビジョナデシコとかもいうようだ。
  これは、おとといの、雨の散歩の後のもので、
  きのうのファイルはなかった。忘れていた。
  今朝見ると、花の数は三つくらい。蕾のものが咲いたようだ。



  朝のお天気は、薄曇。小雨が降るときもあって、瓦は濡れている。道のほうを
見ると、そうゆう気配はない。降っていないか、降っているか、どっちかわから
ない程度の、雨。曇りの予報、梅雨寒。寒いまま。春というより、冬に逆戻り。

  アメダスの6時の気温、12.1℃。気圧は1013.8hPa、湿度は91%。東北東の風が
2mとある。室温は、16℃。今も灯油ヒータを朝はたく。電気ヒータも使う。ここは
どこか、といった感じ。

  曇りの夜の空は、大体暗いか、たまにぼんやりと地上より少し上が、明るく
見える。その色が、赤かったりすると、まさか火事はないが、あまりいい感じは
しない。夜の空が赤いとかいうと、少しドッキリする。それ以外の色だと、青とか
緑系統、寒色系だと、オーロラのような感じもあるから、悪くはないが、めったに
ない。
  夜の曇り空に、カメラを向けると、どうゆう色が出るか、これは試しにやって
みるしかないが、あまり面白くはない。そこに出てくる色は、目には見えないが、
面白みに欠ける。ただ、雲がはっきりと写ると感じるのは、その枚数を増やすと、
移動しているのがわかるからで、一目瞭然。これがきのうは、北東から、南西へと
移動していた。風の方向と同じ。

  今頃、ポツポツとサツキの赤い花が咲く。今頃なので、サツキも名前を変え
ないといけないか。でもまだ5月だった。サツキは小さい。小さいが雪の中に埋も
れていて、今頃咲く。
  ヒゲナデシコは、冒頭。

咲きそうで、咲いていなかった、シャクヤク

2010-05-28 18:54:38 | 植物・花(春)
  晴れ間もあったし、青空もあったし、最近あまり出していないというか、空の様子もそうは悪く
はない。それで、もう5月もおしまいというときだが、ボタンは、例年と一週間くらい遅れて咲い
たけれど、これも遅いとか思うが、ちゃんと咲いてくれていて、こちらが探すのを忘れたりもした。
庶民的な花というとおかしいが、特に守られることもなく、そこかしこに、シャクヤクはある。あ
るのがわかる。 
  それでも咲いているのは、わずかだ。あるところのものは咲いていて、同じ色のものはお寺にもあ
って、それでもも色も、クリーム色もあるそのシャクヤクは、咲いていて、もう一つあると思う、
そのシャクヤク、お寺の、はやはり咲いていない。それでもシャクヤクは、日当たりの問題もある
から、もしかして咲いていないか。こう思うのもおかしくはない。

  結局、やっぱり咲いていない。結論めいたものはこうだ。それから、花好きとわかる、園芸愛好家
の方の、シャクヤクももも色のきれいなものが咲いている。で、その隣というと、ごく普通のご家庭
で、でもシャクヤクは恐らく、白いものが咲く。で、そのシャクヤクはやはり咲いていない。堂々
巡りのようで、他も少しだけ、探したが咲いているものは、ない。一つを除いて。あー、なんだか運動
にはなるが、シャクヤクも自身もウジウジしていないか。

  利き腕の右手がやけに痛いというか、うまく力が入らないような感じがある。これも気にしだすと
どんどんと痛くなるようで、それでもやっぱり気にしないで、その利き腕で、なんでもごしごし掃除を
するし、またものを切ったり、つかんだり、腕はこれがないと何も出来ないと思うくらいいろいろ
なところで、活躍する。その中の一つにカメさんのボタンを押す、というのもあるが、左利きの方は
どうしておられるのでしょうか。ピアノも右から左へと、反対か、左から右へとなるにつれて、鍵盤の
音階は高くなるが、これは余り利き腕に関係ないか。でも、ギターとか、バイオリンとか、その方面だ
とやりにくいような気もする。でも右利きだから、そうゆうことの不便は感じない。

  腕が痛い、とか引きつるとかも、ただの運動不足で、これはしかし適度に慣れるしか、もともと
使わないからそうなったのだから、慣れるしか方法はないだろう。火事場のなんとかというの
もあるから、そうゆうときにケロッと直ったりもする。そうゆうことでなくて、昔は箪笥とかに頭を
ぶつけることはなかった。何でもよく見えていて、瞬時に判断する脳があったのだろう。意識せず、
ある程度の年齢になると、箪笥にゴーンとぶつかるとかいうことはなかった。抽斗を閉めて、指を挟
む、ということもなく、それで、はさみを使って、紙やら布やら、つまりは目的のあるものを切って、
自分の指を切る、ということはなかった。こう書いて、詰まるところ、箪笥に

  ゴーンとぶつかるし、はさみを使って、紙も切るが薬の包装も切るが、ついでに自分の指も切った
りもする。一体にそうゆうことはなかった。考えもしない。しかし最近は指切らないように、考えて
はさみを使う。困ったことである。戸の開く角度も、そう広いいえではない。だから、ものが置いてあっ
て、45度くらいしか開かない。それで、無理にものを押し込むと、ガンと角に当たる。ものは傷付き、
また建物の戸の囲いの部分にも大きな傷が出来る。
  こうなってかなり時間がたつ。だから、十分に大丈夫であることを確認する、という面倒な儀式
をやる習慣は出来ている。そのはずだ。もう、脳の瞬間に判断するというものは、信用出来ず、一々
危なくないか、おい君とか問いかけるのである。一々、私が、私に。こうなるのもしょうがない。
  眼鏡、かけていて眼鏡がない。これもあった。それはいいとして、一々眼鏡をはずさないともの
がはっきりと見えない、というのも進んだ。それで、眼鏡置き場が作れればいいが、そのようなも
のも出来るわけがない。段々追い込まれる。ご飯を食べると、口からこぼれる、お茶碗を持って、手
から滑る、これはたまにある。お茶碗を割るのはこれは昔からあった。それゆえ、茶碗とか皿とか、
容器はどんどんと減る。

  例えば、水をコップに汲んでそれをある場所に置こうとする。すると茶碗の角が、ものを置く台
に当たる。水がこぼれる。これに似て、水の入っている、グラスを持って、椅子に座ろうとすると、
ゴンとそのそばにある本箱の角に腕が当たって、コップの水が、お茶でもいいが、それ以外の飲み物
でもいいが、これがこぼれる。いろいろ、羅列してみた。枚挙というものもやってみないと出来ない
ものだが、星の数ほどはなくても、あーこのようなことで、こんな惨めなことになるのか、という思
いがあって、それで、一々書いてみるということをやった。これがすべてではなく、なんだか10%くら
いのようで、そうゆうことも忘れる、ということも実証した。一つ一つ、書き上げるというの
も出来ないものだ。せいぜい、二つくらいというのがいいところ。



  だから、シャクヤクも咲かない、というのは違う。



  ヤマボウシ。やまほうしではなく、ヤマボウシである。ツクツクと
  同じか。それで、ハナミズキにも似る。同じミズキ科の木ということ。




  なんだか、という色。赤い草のような感じのバラ、小さいバラである。




  セキチクのような花で、これも色の出方が、べったりすぎて、どうにも
  ならなかった。




  非常に細かい、というしかない、そうゆう植物。




  ムギセンノウ、あるいはムギナデシコ。ヤマボウシとこのムギセンノウは、
  「季節の花 300」さんを参照させていただいた。 


  シャクヤク、の今。



  咲きそうで、咲いていない。なんだか蕾の数も多いし、かわいそうに
  なるくらいだ。段々と、花びらも傷んでくるようだし。




  少し離れて、それで一輪、大きな玉の白いのは咲いていた。なるべく、
  柔らかで、みずみずしくありたい。色的には、クリーム色が少し出るか。




  同じ花。もと画像が大きい。近づいている。




  すでに咲いている、またまだ蕾も多い、すでに出ているシャクヤク。
  品種的に、早く咲くようだ。でも、ここのうちに同じ色のものがあって、
  これは日当たりが悪くまだ咲かない。