光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

真っ暗な朝の光景、さほど時間差のない、朝の光で木々に秋は来ているか。

2015-10-31 14:00:49 | 植物・花(秋)
  今日は、お天気は冬形だけど、いくらか日が差している時間がある。


  これからもっと晴れ間が出るかも知れないが、これは時間が来ないと誰もわからない。

  今日の朝は、先ほど画像を見ていたが、立山連峰のわずかに上に晴れ間、その細い空間というか「のぞき窓」。

  その上にまた真っ黒な厚い雲で、これは明日の朝の画像にすることの決めた。ただその後、この雲もだんだんとなく

  なって来ていて、これが弱い冬形だなと納得する。


  日が差すが、しかし雲もお日様を隠す。どっちが長い。北風と雲か、実際は南風だが、それともお日様が出ている

  時間か。結局、どこにゆくにしても、着るものはだんだんと多くなる。こうゆうときに薄着出来る人はうらやましい。

  だいたい寒がりの人は、暑がりである。そんな気がする。で暑くても大丈夫で、寒いのはもっと平気。

  どうかしている。


  それでも今日もきのうも朝は暗かったが、その暗くて寒そうな中、歩く人の姿はわかり辛く、しかし自転車などに

  乗る人はいる。無灯火、違反しているのだが。わかっていないというのは、暗くても大丈夫ではなく、ライトは相手に

  気付かせるためにつけるということ。自転車と車がぶつかることはあるが、どっちがどうなるか、勝敗はついていて、

  これは見るも無残だが、その場にいたことはない。

  いまは自転車と人とがぶつかる事故もある。これは言葉は不足していて、自転車が栄光の時代にあったとき、その事故の

  数も多かったと思う。曲がり角、減速せず。いろいろ盲点は多い。私も何度か、危ない目にあったことはあって、

  そういえば、雨が降っていたが、信号青で、前進したが、夜で、ライトは止まっているとつかないが。相手の車も

  ライトをつけていたはずだが、どこ見ていたのか、右折してきた。当然、私は前進し、相手は右折だから、ぶつかる

  わけで。車の下ではなく、たしかボンネットの上に乗っかったと思う。ソリャ痛いが、こんなことを書く気もなく

  これも突然に思い出したことだ。36年以上前のこと。

  
  それでも学生さんは、中学だけど、けっこう「遅刻」気にしているようで飛ばす。いまは見ると逃げる、止まる、

  先にいってもらう。そうゆう考えを常に持っている。それでぶつかってきたら。でもいまのところ、それはない。

  自転車の乗り方も忘れた。

  
  朝の画像はきのうのものだが、偶然でもあるが、暗かったので、新聞配達の車がちょうど来たが、このライトが明るく

  それだけ撮るため、ちょっとボタンを押した。それ以外の朝の画像は、東の空の雲の切れ間の星だが、

  金星だろうと思う。だがよくはわからない。


  ときどき地図を見る。他に年表も、他にPR誌も。年表の新しいのが欲しいが、ためらっている。買い物恐怖症。

  で、地図を見て、縮尺が記載されていないものだったが、実際に歩いているところのもの。どうゆう回路かは

  不明だが無料で郵便受けに入るタイプのものだ。

  どこがお金出して、というのはもしかしたら、町内会費が使われるのかも知れない。

  町内会費を払う義務はもちろんない。これは税金でもないし、徴収されるものではない。でも払っている。

  何やかや、お金はなくなってゆくということだが、その地図を見て、むかしはどこどこまでは歩くことが出来た。

  そんなことを思う。近くのNTTの、電話交換局のありかもわかっている。

  
  地図は7年くらい前、もっとむかしだと、20年くらい前、それよりも昔のものがあるかも知れない。

  こうゆうものを見ていると、いかに街の中の道路が多くなり、また新たに建設されるものも多いと

  いうことがわかる。これは永久に続くんだろう。細い道は太く太い道は高速に、それはないか。

  それでも渋滞は解消されないと思う。一家に3台ではなく、一人2台とか言う、車社会である。


  で今朝に戻ると、晴れ間が出て、ちょうど東に見えるお寺のイチョウの木が少し黄色くなっている。これは遅いか

  早いかわからないが、そこではなくもっと近いところの景色を見にいった。これはカメラ持ちである。

  日がちょうど出て、それでも南風があったので、温かい感じはなかった。ウインドブレーカ1枚着ていたが。


  南風といえ冬に近い天気だから、暖かくはない。空気は澄んでいて、田んぼとか木の多いところ、いつもと同じ

  ところの様子を撮って帰ってきたが、カメラには何かは写ったが、目で見ているのが一番気分はいい。

  これもあまり長居は出来ない。30分未満で帰ってきた。

  ただまだ木々の様子に、秋の気配が感じられないものもあって、この辺りなんとなくだが、お寺のイチョウと同じで

  ようやく黄色に、というところである。


  今日も何かは出てこず、昔むかしの沈殿と、それと思い付くことを書いた。

  今日は10月31日、でもまだまだある。もう少し日が出る時間長くならないか。

  電気ヒータをつけていて、ちょうどいい。



  以下はきのうの朝の、真っ暗な画像、2枚。それと、これこそ慌てて何にもなくなったので

  窓から南側の木々の様子を撮ったもの。これは久しぶりで、それでもまだ秋の半ば。




  その一。私が起きていて、ようやく新聞到着。たまに忘れているようで、配達しているご本人もゆう。
  辛い仕事だから、こっちはくればいい。そうゆう気持ち。新聞余ると、私のところが最初の、忘れた

  候補だって。




  その二。きのうの朝、5時45分くらいかな。露光などはみなマニュアル。ぶれないようにしている。
  雨だと、朝はこんな時間でも暗い。ポツンと星。





  その三。同じきのうの朝で、柿の木。実はまだある。朝数えたら10個はあった。




  その四。ここがだいたい真ん中。真ん中にエゴノキ。




  その五。ここが赤い葉が出る。今朝もまずは庭を見ていた。同じ種類だろう、他にもある。




  その六。常緑は多い。




  その七。これもエゴノキ、今年は花は咲いたが、小さかった。




  その八。意味はなく、むかしのまま。




  その九。これも同じ朝の時間だが、カメラを空に向けると、多少は凹凸のある、不規則ではないような
  灰色の雲がある。



  このお天気だと、山は雪が降っているか。



弱い冬形、この言葉は便利だ。いまはお日様が出て青空も見える

2015-10-31 07:02:42 | 散策
  午前5時40分過ぎた。それでも布団から出ること出来ず、42分にはでも起き上がった。


  真っ暗だが、山の上だけ、わずかに明るい。これも不思議な光景で、どこに切れ目があるのだろうか。

  ほとんど降っているとわからない雨が、ときどきだが降っていて、瓦も道も濡れている。

  水溜りが見える。よく見ると、いまも波紋があるので、小雨がぱらぱら。


  きのう、道を歩いていると、ケイトウの花がわずかにある。

  白いバラの花もある。

  ススキはわからなかった。

  サザンカは早く咲くものが、もう満開過ぎているが、このお天気だから、見ていて少し寒々しい。

  ピラカンサの実かも知れない。そうゆう赤い実、こんなところにもあった。

  なかなか名を覚えられない、ほかの秋の小さい赤い実。


  夜が来て朝が来た。

  午前6時半前、わずかに太陽の明るさが見える。この時間珍しいが、NHK総合の、天気情報、気象情報

  だったかな、聞いて見ていた。冬形ですね。

  大陸に高気圧、太平洋側に低気圧で、西高東低。

  しぐれのような雨はなく、弱いが、晴れ上がることのない空が、このところ続く。

  いまもやけに明るい太陽が横にあるが、これがすぐに雲に隠れる。


  ネコが来ていて、遅れて来ていて、食べ物あげて、その後もまだいる。これは雨のせい。

  新聞の印象はなし。


  空の画像しかないが、これもそんな古いものでなく、夕日が一部写っている。

  他は雲と青空で、これだけ。















  雨降っていて、お日様が出ている。

  室温13℃で、電気ヒータつけても、今ごろ冷えてきた。


  夜中にクシャミがあった。目も痒いような気がしたが、原因は体調のほうにあると思う。

  アレルギーの元は何、いま考えることではないか。


  

季節は、太陽の出る位置と冬物の衣類探しで感じる。

2015-10-30 14:10:39 | 散策
  前々からいつにするか、考えていたが、どうも寒さに耐え難い気がするので、今朝、ついにという

  感じで、電気ストーブ、電気ヒータを押入れの下から出した。まだ正常で、水も入れた。

  通電テスト、OK。お湯沸しに、50ワット、ニクロム用に350ワット。ものすごいものだが、

  掃除機は650ワットだ。ただ、電気ヒータは、三本つけると 1050ワットで、これは使わない。


  それから、順番にゆくと、画像の問題があって、残るものを捜したが、太陽。日の出の画像が、揃わないか。

  二台のカメラで見た。G10、か、G12で撮っているはずだが、晴れていないとだめ。惑星を見ていて

  日が出るのはその後だから、これが思ったより、揃わなかった。でも10月12日はあって、・・・、10月19日も

  あってこれは月曜から月曜までの、8日間の日にちの差があるが、うまく日の出の位置の違い、東から

  南東へと移動しているのがわかるか、はっきりしなかった。でも、8日間あると、大丈夫か。


  雨が降りそうだが、足りないものが出てくるので、9時前に外に出て、25分で帰ってきたが、雨はポツリ。

  でもその後も、天気はよくはない。これから2時間くらい飛ばして、


  そういえば、この布団何年間使っているかな。万年床みたいになっていて、限界でもある。だが、布団は

  押入れの下にはあるが、これがいつのものかわからない。床ごろりきつくなってきて、マット代わりになる

  ものはないか。これがありそうでない。みな残っている、いつの時代からかわからない。

  下にもあるので、今日はその可能性のある、布団のようなマットのようなものの掃除だけをした。


  12時に近い。来るか来ないか、気を揉んでいた、PR誌のもう一つが来た。なぜ、気を揉んだか。

  先月号を再度発送してもらった。ほとんどの場合、PR誌は、間違いなく来ていて、来ない月を思い出すのが

  むつかしい。それがあって、今月11月は気を揉んだ。


  ただ、板の間でゴロンで、食後だったので、なかなか文字を追いづらく、さらに寒い感じはあるので、

  来て安心で、冬物の衣類探しに方向転換した。

  15分、冊子を見ただけで、目がかすんできた。腕がしんどくなった。今度は立って、冬物の衣類探しだが、

  これがまたまたひどい。


  整理ダンスは高校のときに着ていた、そうゆう半袖のシャツまで入っている。ただ記憶にあるのは、その半袖の

  シャツくらいで、ほかは違う。でも、ここに衣類をつめてということをやらなくなった。さらに他のものが

  入った。2000年くらいまでの、あるいはもう少し後までの、PCに使うメモリとか、ハードディスクのお古、ほかに

  フロッピーディスク、ハードの方。CPUのカラ箱、エトセトラ。山歩きに使ったものとかもあるが、

  靴下はみな穴が開いている。ロングスパッツ、考えられない。


  で、立ち上がって、二つある押入れから、まずは厚めのニット地の長袖のシャツを探した。これはいい。

  長く着ているが、ついに、発熱カイロなど使うことになると、生地がだんだんと薄くなる。それでもこれがいい。

  いいものは大体一枚。いまはまだ着ていない。

  ここにも、かなりむかしのものは入っていて、もっと言うと気に入らない、そうゆう理由でほぼ新品のセータなども

  ある。でもこれも着ないと。いままで、これはいいと思っていたセータの多くは、肘が抜けている。

  毛糸の洗濯、やったことないし、やれそうにない。

  こうゆうものは1年で着捨てするものらしい。こんな日本語はありか。使い捨てがあって、衣類に関しては

  着つくして、洗濯屋さんに出す価値もなくなるので、ゴミになる。でも、私の着ていたセータは意外と

  高級だったのか、着心地はよかった。肘抜けたもの、よく引っ張るところのほつれと穴、みなある。隠して

  着ていた。


  体形変わった。ので、忘れていた、こんなの買ったっけの、新品セータ、着る予定で、去年も気が付いていて

  一昨年も気が付いていて、でも着なかった。今年は、洗濯は考えられないので、引っ張り出して

  わかるところにおいてある。こうゆうことを先ほど1時間くらい前、やっていた。

  他に、保温性のいいというものも。これなどもけっこうボロッチイものに変わっているが、見つけた。


  何しろ、30年分くらいは入っている。もう父のものはカビも生えているものもある。箪笥が障害物があって

  開けられない。どこに何があるか、そのときは記憶にあるが、忘れる。

 
  ひっくり返していると、これがあるともう一つあれもある。記憶がよみがえる。これも探す。

  バーゲンセールよりは、勢いはない。それでも、その下はまた布団だが、一応今日はこれでいいや。

  そうゆうところで止めた。

  むかしは、これが重要だが、みな床に投げ捨てた。投げ捨てたようで、下着類、ワイシャツ、厚めの秋冬用の

  上に着るもの。ズボン、みなジャージ、いろいろなものを、出すだけ出して、必要なものを残して

  また元に戻した。一応たたんで、と書きたいがここは適当である。

  いまはそれが面倒で、ひっくり返して、それでも、15分しか経たなかったが、どうにか衣類の山は

  またもとの姿に戻ってまだ冬用のものもあり、春・秋用のものあり、夏物あり、もう絶対に着ない

  破れた衣類あり、最後に靴下、片方だけもある。


  そういえば、靴下、べらぼうな数があるが、これも合うものは、2、3足。悲しいくらいに、伸びきっている。

  それにしても、この先どうなるのだろうか。


  今日は、350ワットのニクロム熱と、50ワットの蒸気熱で、さほど寒くは感じないで、ここまできたが

  さっき、身体をひねって後ろのものを取ろうとしたら、積んである、読まない本、むかしのノート、そうゆう山が

  崩れそうになって、これを何とか元に戻さないといけない。これは可逆的ではあるが、歪む。


  日の出の様子。10月12日(月)から、19日(月)まで。


  10月12日。



  その一。これは出ていないと思う。だけど出しているかも知れない気も。




  その二。補助的に、大きめに撮っているもの。山がわかればいいが、簡単でなかった。


  10月14日。



  その三。この画像は出している。で、日の出の位置は、予想するしかない。1枚のみ。


  10月16日。



  その四。快晴の日で、出そうな時間である。この日は3枚。




  その五。




  その六。


  10月17日。



  その七。これも一枚は出ている。どこで出ているか、わかりにくい。




  その八。高くなったときの、太陽。


  10月19日。



  その九。




  その十。この日も、雲が山にかかっているので、日の出の位置はなかなかわかりにくい。
  ただ、その一の画像と比べると、これも感覚的なものだが、より右側に日の出の位置は移動

  していると思う。並べているので、わかりにくいが、一枚一枚を順に見ていると、パラパラ漫画のようで
  残像残っている感じはあって、朝は移動はわかると、判断出来た。
 

  19日で終わっているのは、面白いものでもないからだが、この後も日の出の画像はありそうで
  
  でもこの何日か、天気の悪い日も続いている。揃いそうにないし、他にというと

  秋分過ぎて、顕著な移動は、わかりにくくはなっている。


  

このお天気では、身体もおかしくなる。変わらず、秋・残像。

2015-10-30 07:10:04 | 植物・花(秋)
  10月も30日になってしまった。


  天気がさっぱりなので、デテクルノハ愚痴だけど。空に向かって愚痴だとおかしいとか思われるので、

  心の内で、叫ぶことはないが、小出ししている。

  きのうも新聞一面見て、けっこうクラクラときたが、今日も来た。どうゆう新聞かは、ときどき書いている。

  どこもかも同じか、というと違うと思うが。

  規制緩和、聞き飽きたが、今度は高校生まで犠牲にするのか。網の中、檻の中は気の毒で、カゴの中のカナリヤ。


  ことしの手帳に来年のカレンダがある。これを見ながら、でも見ているときにしか頭には入っていない。

  これを見ながら、ある数字の簡単な掛け算を繰り返していたのは、きのうの夕食の後である。

  ようやく冷えたと思う体が温まってきた。ただ、この時点で、特にガソリンの追加はしていない。

  簡単だが、数字は二桁だ、暗算では間違えるので、筆算でやる。数字を変えているので、もちろん計算結果も

  異なる。

  
  このとき、TVの音を小さくしていて、聞こえてくる声があるので、どうも脳のほうの集中力は弱い。

  対象は小学校上級から高校生。で、スタジオにいるのは、もしかしたら、小さいときからTV慣れしている、

  子役CMなどにも出ているかな、いまは高校生、男女。話題は多様。流行先端。

  優等生で、製作側のいうとおりの発言、表情、あるいはインスタント芸。服装、スタイルは、これはもうアイドル並み。

  この高校生、将来タレントさんか、役者さんになるのが夢か。実生活、親のいるいえの中でも、学校でもありえない

  時間。話聞いていると、じゃれあっている、としか思えないのだが、こんなものか。

  でも、たぶんいまだけ楽しい。気が付くときがあると思うが。


  見ている人多い?。


  TVをつけっぱなしにしていて、時間たって、もう眠ったほうが賢明と思うが、今度は頭の中で先ほどまでやっていた

  計算が繰り返し、脳味噌の中で再現される、これもよくあることかも知れない。ため息、消えない。


  秋の残像、あちこちから引っ張り出して。






  柿、これがなくなるのはいつ。今日もまだある。








  このときの画像がまだあるが、でももうこれが最後かな。




冴えないお天気に。少し鮮明に、山の様子、空の雲、カエデ紅葉。

2015-10-29 14:09:28 | 散策
  きのうの夜も、そんな寒いということはなかった。午後も実は雨が降りそうだったが、結局降っていない。

  午後3時、雨はない。風もなかった。ただ雲はあった。その後は、晴れた。ここまでは間違いないと思う。


  ちょうどいいときにお腹を減らしたネコが来ていた。そこにゆくまで、いるのかいないのかわからない。

  暖かいと、草と枯れ草と両方混じっている、でも少しガサガサとしたところで眠っている。眠っていると

  いっても、目を閉じているだけである。そう思う。見透かされているような。


  で、それ以前と言うと、一昨日の朝になる。できのうの夕方だから、何も食べていないと、気温もそうは

  上がっていないので、空腹のはず。で、実際に戸を開けるとネコは寄ってきて、ニャーニャーと、回数は多いが

  音量下げて鳴く。このところ、大きな声で鳴いているのを聞いたことはない。オトナのネコ。

  オスネコだけど、声は比較的高い。関係ないかな。でもその大きさと顔つきと体形からは、もう少し大きな声が

  出てもいいと思う。


  知らないネコがときどき現われる。でもむかしよりはネコの数は減ったかな。あまり見かけない。そう

  いえると思う。食べ物は温めたほうが、匂いもわかるし、また感触で食べ物だというのがわかりやすく

  なっているはず。そうでなく、冷蔵庫から冷え切ったものをむかしは出していたが、あるところは食べて

  あるところは「これは食べ物ではない」、そう判断したのだろう。そのままである。で、思案して

  温めることをやると、ほぼ100%食べる。でも、ネコのお腹の減り具合もわからないもの。

  少ないと、けっこう長く待つ。でも寒くなると、私の姿が見えなくなると、相手も消える。

  普通に満足すると、何事もなかったかのように、いなくなる。これがネコ。


  いまひとつ調子がでないので、まずはネコの話で。

  気になることは多い。しかし、番号が記載されたものはいつ来るか、これは気にしてもしょうがない。

  これが有効に機能するかどうかは話は別で、お役所だけではどう考えても、完全な管理は出来ないだろう。

  もともと、民間会社の協力なくして、出来るものでもない。これは日常のお役所の仕事でもそうだけど。

  でも、いっとき父と母の介護は続いたので、やたらこちらに届く様々な書類やら通知は多く、それでも

  どうにか対処はした。お金はこれは個人の口座があったし、年金もあったからガタツクことはなかった。

  でも取り過ぎていて、返金する、ということもある。これまた大変で、いちいち口座の番号をこちらから

  知らせないといけない。それでも、その当時はどうにか問題はなかったと思う。介護保険だけでも

  1年に3回くらい、いくらになるという案内から、変更があって、年度末では、過不足。でも足らない

  場合はなく、それでも返してもらうのは当然で、面倒だった。

  
  介護も介護の域を、超えてきているような。

  認知症はどうなるか。この辺りでも多くの、介護施設は出来ていて、何度でも朝は、その名を冠した車の姿を

  見ることが出来る。でも介護福祉士の仕事は厳しい。父のときに、近く、3軒ほど向うに住んでいる、その人の

  妹さんが、父の面倒をも見ていて、直接ではないが、父はその場でどのようであったか聞くことはあった。

  ただ、その方も、その仕事を離れたという。辞める人は多いようだ。その厳しさは、もちろんわから

  ないわけではない。


  父のケアマネージャーをやられていた方がいて、詳しい話は聞くことは少なかった。7年も前のことである。

  その時点でも、かなりの利用者、あるいは御世話にならないとどうしようもない人は、増えていた。

  父は入院して、もう戻って来なかったが、その「ケアマネージャー」の方はわざわざ見舞いにも行かれていて

  後日この話を直接だったと思うが聞いて、御礼をいったと思う。


  その後、今度は母が、2年かは間は開いて、同じところで時間を過ごせるようにお願いしてそれは可能だったが、

  母はなかなかそこにゆくのをためらい、首をたてに振らなかった。このときのケアーマネージャーの方は

  別の人だったが、いろいろ話し合いを進めてゆく途中、父の話にもなったのだが、このとき、父を看てくれていた

  見舞いにもいってくれた人は、その職場を去ったということだった。交代したということである。

  このときも、この仕事のむつかしさをいやというほど知った。


  私の祖父のときのことを思い出したが、祖父は、どこかへ遊びにいっているときに体調急変した、ということで

  私はここにはいなかったのでそのときの顛末は知らない。でも高齢で、最後は、ここのむかしのいえでであった。

  祖母もいたが、父と父の妹二人と、母もその場にいた。しばらくの間、意識不明のままだった。

  でも、これだけの人数いると、年齢もいっているので看病するものにとって、気持ち的には楽なものは

  あったと思う。


  今日は神妙なことを書いている。


  山の様子、これは27日、雲とカエデは、きのう28日。



  その一。ここは好きな場所だが、電線だけが消えない。どうしようもない。




  その二。これは勘定を間違えた。空はこんなにいらなかった。




  その三。登れそう?。




  その四。今日は見え隠れしていたはずだが、いまは見えない。





  その五。きのうの雲。これが雨を降らせる雲で、でもこのとき結局雨にならない。




  その六。どこかわからない感じ。鳥はトビ。




  その七。




  その八。ここにいつも出る、発電所の煙突がある。西の方角。





  その九。みな中途半端だが、ここのいえの北側のカエデ。葉の量はべらぼうに多い。


  マラソンの一番の気掛かりは、交通規制があって多くの道、通行止めで、クルマを使う方、混乱しないかと

  いうこと。

  あとは天気だが、これも怪しい。



雨の後の快晴に近い空、月は変わらず大きい。秋残像。

2015-10-29 07:18:16 | 植物・花(秋)
  朝は、晴れで、でも地面に近いところ、低い雲がある。

  満月は一昨日だったが、きのうも大きい月が出て、でもこのときは、雲も多かった。

  朝の、西南西の空に残る二度目の月を見て、また大きいと思った。


  天気の小変化があって、雨は夜も降っている。きのうの午後は、2時過ぎからは宵の時間までは雨は

  なかったようで、これも不確実だが、その後は不明というしかない。ただ今朝は路面に水たまりはあって、

  雨が音もたてずに夜中だろう降っていたのは、いつかはわからないが、それはたしかだ。

  夜中に二度ほど起きているが、月明かりの記憶はある。


  あまり冷えている感じはない。5時40分に布団から抜け出して、東の空を見た。

  離れた、金星と木星。金星はホント、惑わされる。火星を双眼鏡で探した。それらしきもの、予想とかなり違って

  金星のさらに斜め下に、やや赤いか、あまり明るくはない星は見えた。火星もまた移動していて、

  予報を見ていないので、なんともいえない。ただわずかに赤味。


  午前6時に新聞、一面だけ見て、あーこうゆう書き方になるのねと思う。

  わずかにバラ色の時間があって、これからは力の差をいやというほど見せ付けられるときが来るが、

  やり方が汚い。


  これは、60年安保のときの状況とほぼ一致していて、安保法制のときも同じだ。

  (書かなかったけど、安保法制はもちろん、完全に憲法に違反している)。

  軍事同盟に反対できるかどうか、力関係からいって、それは無理があるが、第三者的な見方としては

  だれとはいわないが、国民に「デモというパレードをさせる力を与えた」のは、権力者のその卑怯なというか、

  ただただ力づくでねじ伏せて成立させたからだ、というものがある。

  
  しかし、そのときと「いま」は似ているようで違う。どっちが疲弊しているか。

  米国も、中国も、ロシアも、そうして日本の中枢にいる人も。てな感じで思っている。


  あれまた時間オーバー、これまた遅れている。













  こうゆう時間もありました。


  しかし何かやるにつけ、時間ばかりかかって、結局日々生きていくだけで精一杯。

  子分はいない。





残っている秋の小道散策の画像だが、散っているものは。文字は本が読みやすい。

2015-10-28 14:03:24 | 植物・花(秋)
  近くにお寺がたくさんある町、そうゆう場所はある。いまとなっては、そこが公園のような感じにならないか。


  この近くだと、多くはないが、東側と、それと南東の方角にある。歩いていける。お寺、数え方、思案中。

  東側は、よく歩く道にあって、いまはようやく大きなケヤキが、色付いている。空間は広い。お墓もある。

  木はむかしに比べて、ずいぶんと減った。葉が大量に落ちる。この使い道がない、んなことはないと思うが。


  ケヤキの葉。それにイチョウの葉。これは踏ん付けて歩くためにあるようなものだが、でもツルリ事件が

  あるか。私も靴ははいているが、なんだか滑りそうな気配がいつもあって、その先、ずるずると足が開いていって

  などということも想像する。今朝、この靴は穴開いていない、そう思って歩いていたが、帰ってきて靴下が

  わずかに湿っぽい。あーやっぱり穴開いている。靴は1年持てばいい。そうゆうものが多くなった。

  それでも晴れていれば、この靴をはくしかない。そうそう長靴もはけない。靴売っている店、なーい。

  このお寺には、イチョウの木もあるが、実はならない。イチョウも、銀杏の緑はおいしいが、そこまで

  ゆくのが大変である。これが落ちる場所、実だらけ、歩けないし、臭いも強烈か。

 
  毎年、秋も深まるころ、このお寺の中を歩くが、最近ではヒガンバナのときだけ。石畳で、イチョウの木があると

  ずるり現象はやっぱりある。雪でもある。滑って転んで、その先は。


  TVも見なくなった。でも見るときももちろんある。ときどき、気分がまーまーのとき。新聞がやけに見辛い。

  紙が薄いとか、裏写りとか、裏写り、この字でよかったかな。これは本でもある。さらに字がかすれて、二重に

  印刷されるときも。わずかにずれている。1mmの百分の一くらい。これは小さな悲劇である。

  新聞が見辛いのは、まずは紙面が大きくて目がどこにもゆかない感じがあるから。どこ見ている、そうゆう

  ことになる。あまり見出しだけ見てもしょうがなく、冒頭に肝心なことがあったりする。字面の大きな見出しは

  あまりよくはない。むかしはなんとも思わなかったが。


  通勤列車の中で、新聞を読んでいる。あれはやったことはない。でも丁寧に小さく折って、読んでいる人はいる。

  日経。本はさすがにみない。あの乗車率200%を越す、身動きとれない中でゆうゆう本は読めない。目の前に

  字があれば酔うことはないだろうが。この前久しぶりに姪っ子の車に乗ってガソリンスタンドまで行った。

  大体は見当付くが、念のため地図見ていたら、一遍に平衡感覚がおかしくなった。もともと、バランスは悪い。

  かなりむかしの話になるが、携帯などはもちろんないが、シャカシャカという、イヤフォンからの漏れ音は

  あった。あれも、気になる場合は多い。でも、一駅止まれば、また大量の会社人間が入ってくる、そのたびに

  中へと押し込まれる。聞く余裕あるの。


  最後は、電車の減速を利用して、加速の反対だけど、加速といってもおかしくはないかな。

  符号はマイナス。そのとき、中にいる人は前へと押し出される。これを利用する。睨まれて降りる。うしろ見た

  ことないけど。でもそれでも、なんともなかったのだから。

 
  TVもあまり見る気はない。新聞は見辛いものとなった。でも、あの形は変わらないだろう。冊子には出来ない

  理由はある。残る文字は何か。軽い本の文字、これに限る。ごろんと寝転がって。

  新書がやたら出たときがあるが、いまでも出ているようだが、一回の印刷部数は少ないはずだ。あの大きさ。

  重さ、字の大きさ。よろしいとなるが、これを1ページ読むのに、時間かかる。先いかない。途中で、ぽい。

  むかしからこうだ。


  新書、文庫でも言いが、あれだと2時間で読める。ちょうどいい。なるほど、読書家の言うことは違う。

  この話にもちろん「うそ」はなく、学校で使う教科書など、1冊を1日あれば、みな読める感じがする。

  この違いはどこから。私の場合、絵本でもそうはいかないだろう。


  本のことについてあまりいい印象はなく、もともと読む力がない。しかし、新聞も見辛く、TVも見るもの少なく

  頭の中すっからかん状態では、生きてはいけないので、小型の本、薄い冊子、そのほかかためて積んである。

  そうゆう本を、ごろりとなるとき、10冊くらい持ってくる。どうかしている。

  ここに国語、漢和辞典、外国語の辞書も欲しいが。

  パラリと開く、あれ、ここ読んだかも。そうゆう本はしかし少ない。でも何とかネタ探しで、あー嫌だ。

  疲労度はない、目も大丈夫なときがある。眼精疲労に効く、ビタミン剤飲んでいるから。違うな。わからない。

  10冊20冊くらい下に、この前読んだ本がある、ちょっとだけ。こんなことろか、随分移動したな。

  読書の秋でなく、本を移動する秋。


  秋の本番はこれからだという感じなので、10月ももうおしまいだが、結局、たくさん撮ったときの残り物を探し

  出すしかなかった。




  その一。自分にしかわからない、ギョギョッというところである。何でこんなことに。




  その二。ドウダンツツジ、記憶にこれは問題はなかった。




  その三。木の葉の色、同じ日のものを、もう少し明るいもので、過去に出しているが、撮り方で
  さらに赤くなる。その点、ドウダンツツジは、まだまだかな。




  その四。柚子にこだわっていない。ただある。他所さんの、柚子。




  その五。色もきれいだし、この時点では、いま私がいるいえの柚子は、こんな黄色くはなかった。




  その六。露光補正で、明るくしているが、これは嫌味はない。





  その七。いろいろ。




  その八。秋の始まりの、大木。




  その九。スギは一応常緑のはずだが、それでも枯れてゆく。




  その十。柿ドロボーが出来そうなところにあって、これはこのときの最後のほうの画像だが。
  目の前にあるので、やけに親近感がわく。


  朝から雨が何回か、13時ごろ、午後の1時だが降りそうになった。でも降らない。


  晴れるはずなのだが、高解像度降水ナウキャストにわずかだが、雨雲があって、これが消えない。

  傘に残った雨の量はそれでも多く、水落とすために振ったら、けっこう多かった。

  靴の雨漏りは直せない。



暑いくらいだったのだな、きのう。朝は雨、これも冷たくはない。難民問題が。

2015-10-28 07:11:42 | 散策
  ウーンと唸っている。朝は雨、この雨は弱い。きのうの降り出し、こちらのほうが勢いはある。


  体調は、こんなものだからどうしようもないが、きのうは暑いくらい。温度、数字で書くとそうなる。

  午前中から、初めはそれほどの熱気はなかったが、体力はいらないが、けっこう細かい作業をやっていて、

  頭だけがやたら興奮していた。しかし熱は冷める、こんな程度か。期待した私が馬鹿だった。

  こうなると、今度はただ心臓だけがバクバクいっている。


  生暖かいような、なんか部屋の中もいつもの涼しさもないし。あまり水も飲んでいないので、体温上がり

  すぎている。これは普通考えられないが、夕食の後も、主に水分を多めにとった。

  しかし余韻がありすぎて、過度というものはいけない、そう思う。でも、昔から熱くなる方かも知れない。

  でも理屈はだめ。


  新聞見ていて、自分の頭の中で抜けているものは、難民の問題。で、他人事ではない。

  これは国内から国外への、避難ということになるが、普通簡単でない。実情は、戦争、あるいは簡単に

  テロ活動、これにもいろいろだ。が、結果として、人の住めるところではなくなっている。脱出しかない。

  シリアだけでないけど。

 
  中国の歴史は古すぎて、お手本だった。どこの、列島の国の。これが変わるときも来るが。

  米国と言う国、US。アメリカという名で、独立宣言をする。大陸には、もともとそこに住んでいる

  人がいる。メイフラワー号は、どうゆう理由で、どこから船出して、なんであの大陸に着いたのか。

  英国からの避難。


  ちょっと違う本を読んでいて、この米国の独立までというものを、おさらい。

  難民と一口に言うけど、この辺から考えると、アメリカという国、むかしのご先祖様のことを

  忘れてはいないか。それから、アメリカには中国の人もたくさんいるはずで、これに格別むつかしい問題は

  ない。


  中国からの難民、これはもっとも新しいPR誌に書かれている。


  きのうは緑のことを考えていたので。













  雨止んでくれるとありがたいが。

  見直していて、文字消してしまった。思い出すのはむつかしい。



雪の量は減ったような剱岳の岩壁。青空と流れる雲に夕日の色も。

2015-10-27 14:01:20 | 散策
  フェーン現象で、気温は上がっている。乾いた風。


  気象台の、午前4時の気温、8.7℃。午後1時の気温、25.0℃。

  ただ風だから、暖かい感じはあるがそれだけかな。それに比べると、朝も書いたように、きのうちょっと寄ってきた、

  あるお宅。寒い朝の、あのストーブはなぜか暖かかった。だいたい長袖のYシャツ姿で、いつも世間話をする、その

  人はいる。この格好は冬ではない。


  世間話と言っても、だいたい私が話をする。それを聞いてくれるのは、やはり長い間、ご商売をやってきていて、

  相手の感情にさほど何か言うことはない、そうゆうものがあるからのようだ。ここは私も見習わないといけない。

  もっともほとんど聞き流してくれる。それもありがたいものである。格別、政治の話はしなかった。ただ時間だけ

  過ぎていって、10月も終わりになった、なんだか寂しい。そうゆう話をしている。それ以上のことはなかなかない。


  その人のことを書いても誰かわからないと思うので、これも作り話ではなく、で、もともとの生まれは、違う。

  ずいぶんと、遠いところである。こんなことってあり、それくらい遠い。格別仲がいいとかはない。しょうがなしに

  私のほうから、まだ商店をやっていたときに、食料品を扱っているのでなおさらのことだが、買い物にゆく。

  重いものは運んでもらう。私自身、ここ富山の生まれではないが、でもその方は、生まれてさほど長い時間その地に

  いなくて、生まれていつかは知らないが、この地に来ている。これまた親の仕事の関係ということも。


  だから、ほとんど富山人である。この辺だけど。小学校、中学校、話を聞いていると、そうゆう場合もあるが

  幼稚園もあそこ。

  学年的に同じである。そうゆうことまで話すことにあるときからなる。私は私で、この辺の集落の、昔を

  断片的には知っている。もっというと、私の祖父の時代の人も。そこまでゆくと、相手もわからない。

  しかしいまは昔の話は通用しない。古くても、昭和の終わりくらいで、あとは平成だが、私の知らない

  中学くらいのことは、そのとき同じ年齢か近い人をほとんど知っている。これも学年の違いがあっても、

  住んでいるところが近いのが決定的だ。それで、いままで、父からも教えてももらわずに知らないことだらけ

  だったが、この同学年の「おやっさん」から、ときどきだが、その時代にいないとわからないことを聞く

  ことが出来る。


  なんといっても、私自身が60超えて、61になった。こうなると、よっぽど野望でもない限り、むかし話になり

  またこれはもちろん私の方が多いが、情けない話もする。これにうまいこと対応できるから、驚くべき能力を

  持っているとも。いまの、この列島の国の、男の平均寿命は80くらいだから、というところで、話は終わりに

  近づき、でもそこまで果たしてゆくことが出来るか。これも話題にはなる。しかし、相手のオヤッサンは、身体も

  丈夫ではあるが、残念なことにある種の薬の副作用で、それこそご自身びっくりしたようだが、人工の骨を入れる、

  そうゆう手術を二度も受けている。こうゆうこともあって、運命というのは何ぞやということにもなる。

  天命でなく薬禍。むかしは20kgの荷物を平気で運んだ。でもいまは重いものを持つのは、医者からだめだと

  言われている。

  私とは、全然別の問題だが、やっぱりそれが出来なくなるというのは、語らないが、侘しいものがあるのでは

  ないか。


  単純に、今日はまったくこうゆうことと関係ないことで、朝からではないが、ある時間からそれに関わっていて

  それについては実は、あんまり書くことはない。しかたなしに、たまに話しをするある人について、ここに書いて

  いるが、その人はちゃんと家庭がある、お孫さんもいる。正常な人生を送っているのである。この差は大きい。

  しかし私も嘆くこと出来ず、何かあるとやっぱり失敗かと思いながらも、こうして字を入力し、また画像を

  作って、今日という時間を過ごしている。それにしても、朝から新聞も、TVも、ネット関係もほぼ見ていない。


  ただ生暖かい風が吹いている。頭の中に何があるか。


  山は失敗した。今日の方が、透明度がある。切ることのない木が伸びて、見えなくなる部分が増えるのは

  悲しい。




  その一。これはきのうの午後、なんという木かわからないが、30cmくらい伸びたので、どこまでカメラを
  持ち上げても、視界を遮る。




  その二。もっと見えていたのに。




  その三。夕暮れのときの方が、いいような。




  その四。雪少ない。



  同じ夕方、この雲はよかった。



  その五。似たような雲は多かったが、また出てきた。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。


  こうゆう画像の中に、あるときは鳥が、あるときは訳わからないものが写っている。ゴミではなく

  トンボかも知れない。これまた不思議なものだが、多いといえば多いかな。



お天気占いは外れた。夜中も朝も快晴っていいことだ。花はないけど

2015-10-27 07:04:34 | 散策
  今朝も快晴、朝焼けはなし。


  きのうの午後、やはりあまり暖かくはならなかった。

  午前はと言うと、寒かった。で、9時半ごろだったが、ちょっと寄るところあって世間話。

  短い時間だが、店舗のような、事務室のようなところに入ると、暖かい。なるほど。

  すぐにはわからなかったが、ストーブをつけている。これが暖房の暖かさだ。

  納得した。


  玄関先に、シクラメンが置いてある。これが実にきれいで、ここのいえのシクラメンも、何年か前はあんな

  感じだったかなと思った。「このシクラメン、きれいだ」と言い、ただいくらかというのは、想像しただけで

  聞かなかった。三種類の色があって、むかしからのものとは少し変わっている。

  ここのいえのシクラメンは、シクラメンらしくない花の咲き方を2年目からはした。

  朝、わずかに日が入るようになって、しかし花は春だな、咲くとして。


  いま外を歩くと、サザンカの花は目に入る。これは多い。それから柚子、これも。いままではそこで止まっていた

  道をさらに歩くと、あーここにもある。そうゆうことになる。

  ここの柿の実は、もうほとんどないが、ほかはと言うと、これがまだこんなにというくらい、実が残っているもの

  ばかりといっていい。葉のまったく落ちた、実だけが多い柿の木。そこに鳥はいない。


  ピラカンサの実は今年は見なかった。ナンテンは、赤いものは赤く、でもまだ真っ赤というのはない。

  いくらか菊の花が咲き始めている。季節は循環というか、きのうは秋の終わりの気温で

  今日はまた夏に戻るかのような、最高気温予想が出ている。


  外はそれほど寒くない。いったん気温は下がって、南風で気温は急激に上がっているようだ。

  わからん天気で、今日もわからんことを書いている。


  のんびりか、愉快か、雲の色と形。













  身体曲げて、けっこう痛む。


  今日は午後も雲になりそう。

  雪は山の上だけ。