日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

昭和問わず語り11~小学校のプール2

2011-08-30 | 経営
小学校のプール話が予想外に盛り上がったので、夏休みが終わる前に少々続きを。

あの頃の小学生の水着っていうのも、今思うとけっこうすごかった。ゴワゴワした厚手の生地でやたらに水を吸っちゃうの。だから曇った日とかは水から上がると余計に寒いんだよね。スクール水着っていうのは大抵紺色だったような。しかも一人ひとり名前が書かれた布が貼りつけてありました。名前は太マジックで名字だけ親の手書き。男の子はパンツに小さくだったけど女の子は胸に大きく貼りつけてあったんじゃない。カッコわりーの。授業では着用水着を指定されていたように思います。他のプールに遊びに行く際には、別の水着を着ていたと思う。名前入りのスクール水着を着ている同年代の小学生を見て、子供ながらに「だっせー!」って思った記憶があるからね。

先生方はどんな水着来ていたのかな。全然記憶にないです。まさかお揃いじゃないでしょうけど、女の先生だってビキニとか言う時代じゃないでしょ。かなりジミ~なワンピースの水着だったのでしょうか。そもそも女の先生があまりプール指導をしていたという記憶がないです。恐らく記憶ではプールの時間は何クラスか合同だったように思うので、大抵男の先生が中心になって授業(と言っても、水浴びみたいなもの?)をしていたような。浮き輪とかも学校にも備え付けがあったと思います。でもなんかタイヤと同じようなゴムの匂いがする黒い臭いヤツだったです。あんまり授業で使った覚えはないです。ビート板は出始めだったかな。今のは前が丸くカットされているじゃない。当時のは長方形で角が尖っていて、厚みも今の倍ぐらいあってよく浮くに浮くんだけど、やたらに使いにくかった。

友達連中で遊びに行くプールというのはたいてい品川でした。今の品川プリンスホテルの敷地の高台の方にあったんだと思う。プリンスがやっていたプールなんでしょう。でも庶民的でした。やたらに大きいタテヨコ比4:3ぐらいの四角いプールでした。あとは神宮プール。室内プールは浅い、屋外は大人向けの競泳用。監視員が厳しくて、つまらなかった記憶があります。行ってみたかったのは、当時話題の日本初の「流れるプール」。大磯ロングビーチだったです。今じゃどこにでもあるプールなんだけど、当時は画期的だったんですよ。クラスの友達から行ってきてすごかったって聞いてうらやましくて、親におねだりして連れて行ってもらいました。確か細長いプールで、もっと早い流れだと思っていたから、入ってみたらたいしたことなくてガッカリでした。覚えているのは、大磯がとにかく遠かったこと。値段は、神宮が30円ぐらい、品川は150円ぐらい?大磯は700円ぐらいしたのかな?もしかすると1000円とか?高かったと思います。

余談ですが、うちの小学校には実はもうひとつプールがあったんです。戦後間もなく日本で初めてプール付きの小学校になったといいう記念すべきプールだそうで、なぜか地下にありました。タテが15メートルだったと思います。当時先生に聞いた話では、「水が漏っちゃったのと、室内プールは陽があたらないから寒くてだめだった(当然温水なんてあり得ない時代ですから)ので閉鎖されたらしい」とのことでした。私が学校に通っていた頃は、プールの姿のまま工作室になっていて、水が抜かれたプールにはたくさんの工作机置かれ、プールサイドには材木を切る糸ノコミシン(懐かし~)とかが並んでいました。プールサイドに上がる梯子もまんま残っていましたし、実にレトロな雰囲気のプールでしたから今だったら飲食店とかに改装すればかなりいけそうな感じがします。これが本当の“プールバー”?

★J-CAST~大関暁夫連載「営業は難しい~ココを直せばうまくいく!」更新しました。
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私の名盤コレクション10 ~ Italian Graffiti/Nick Decaro

2011-08-28 | 洋楽
★Italian Graffiti/Nick Decaro

1 UNDER THE JAMAICAN MOON
2 HAPPIER THAN THE MORNING SUN
3 TEA FOR TWO
4 ALL I WANT
5 WAILING WALL
6 ANGIE GIRL
7 GETTING MIGHTY CROWDED
8 WHILE THE CITY SLEEPS
9 CANNED MUSIC
10 TAPESTRY

またまた最近の再紙ジャケ化が嬉しい、マニアックな1枚を。ニック・デカロ。プロデューサー、アレンジャー、シンガー、ソングライター…、様々な顔を持つ才人です。このアルバムは、74年にリリースされた彼のセカンド・ソロ作。プロデューサー兼アレンジャー的センスでの当時の彼の発想、「カーペンターズのようなポップ・ミュージックにジャズやソウルのエッセンスを加えて、大人の音楽の味わいを表現したい」とは、まさしく新感覚。本作が後のAORの原点と言われる所以はまさしく、彼のこのコンセプトにあるのです。しかもプロデューサーは旧友トミー・リピューマ。あのマイケル・フランクスやジョージ・ベンソン、スタッフらをこの2~3年後に次々と世に送り出し、AORの誕生を支えた重要人物です。

コンセプト通り、全曲珠玉のカバーナンバーをクルセイダースのウェルトン・フェルダー、デビットTウォーカー、ハービー・メイソン等々ジャズ界の一流どころをメインに据え、見事な大人の世界を作り出しています。選曲がまた渋い。当時はまだ無名だったステーヴン・ビショップが書いたボサノバ・ナンバー1「UNDER THE JAMAICAN MOON」は、とにかくおしゃれ。スティービー・ワンダー作の2曲2「HAPPIER THAN THE MORNING SUN」6「ANGIE GIRL」あたりは、まさに初期AORの手触り感一杯で、明らかに2~3年後のジョージ・ベンソンやマイケル・フランクスに直結、という印象がバッチリ感じられるのです。特に後者のサックス・ソロなんぞは、74年ではありえない大人感です。

ジョニ・ミッチェルの名作「ブルー」収録の4「ALL I WANT」、トッド・ラングレンのデビュー作「ラント」からの5「WAILING WALL」、ランディ・ニューマンの8「WHILE THE CITY SLEEPS」あたりは、音楽界でも突出した超個性派3人の楽曲を見事な“大人アレンジ”で再演。ニックの個性で原曲イメージを塗り変えるカバーではなく、旧友でプロデューサーのトミー・リピューマとの共同作業の下、楽曲のオリジナリティを活かしながら縁取りを変える、当時はまだ誰も踏み入れたことのない新しい世界への確実な第一歩がここには記されているのです。一言付け加えておけば、あえてブラック系や個性派アーティストの曲ばかりを選んだことが、実はこの後のAORの成立にも大きくかかわってもくるのです。

ただ74年当時ではあまりにも早すぎた感は否めず、リリース当時にはこの作品が大きな話題になることはありませんでした。もちろん私も当時の日本ではリアルタイムでこのアルバムを聞くことはなく、知ったのは20年も後の事ではありましたが、「74年にこんなアルバムがあったのか」と本当に驚かされたものです。確かに、その後のAOR全盛時代の作品群に比べると、ニックのヘタウマ・ボーカルのせいもあってか、洗練されきれていないイナタさもあるのですが、それがまた今聞くと適度に“いい味”感を漂わせてもいるのです。このアルバムの後は、ニックは主にプロデューサーやアレンジャーとして活躍し、90年代には阿川泰子や山下達郎などとも仕事していましたが、残念ながら92年に持病の心臓発作で53歳で亡くなっています。AORの誕生を語る上では絶対に欠かすことのできない名盤です。

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“紳助引退事件”と「“反社”コンプライアンス」の定義づけ

2011-08-25 | 経営
タレントの島田紳助氏が、暴力団関係者との“交際”を理由に突如引退を表明すると言う事態が世間を騒がせています。問題のシロクロはメディアの報道にお任せするとして、私の立場からは今回の問題で人によって、あるいは業界によって、あるいは立場によって、まだまだその捉え方が統一的でない「“反社”コンプライアンス」のにかかわる定義づけについて考えてみたいと思います。

「コンプライアンス」とは「法令順守」であり、「法令順守」そのものの定義づけとしてはホリエモンのライブドア事件の際にも、まさに「法だけ形式的に守っていればいいというモノではないのでは」という議論が展開され世間一般の定義づけに至ったことがありました。今回は同様の観点で「法令順守」の中の重要なポイントである「反社会的勢力(以下「反社」)」との関係を、明確に定義づけするいい機会なのではないかと思っています。

「反社」とは、暴力団関係者をはじめとした、「非合法的手段の下に生計を立てる団体または個人とその関係者」と位置付けられます。今回の件で問題となっている部分でもあり紳助氏もそうですが、現状では暴力団員との直接の関係はアウトという認識は大方の社会人および法人の間でなされているものの、そこ止まり。「直接当人が明確に暴力団員でなければ暴力団とのつながりに関する疑いがあっても関係をもつことはOKなのか」とか、「「反社」的存在としての疑念はどの程度で判断すべきなのか」とかが、広く一般には定義づけがされていないのではないかと思うのです。

上場企業における「反社」に関する一般的解釈としては、「ブラック」「グレー(ブラックの可能性が疑われる)」のふたつがあり、さらに「ブラックの関係者(家族・友人等)」「グレーの関係者(同)」といった分類がなされています。「ブラック」は「暴力団関係者はじめ非合法的活動者(法人および個人)」、「グレー」は「ブラックの疑いがある、またはブラックとの付き合いが疑われる者」です。

一般的な企業モラルでは、アウトなのは「ブラック」だけでなく「ブラックの関係者」と「グレー」も該当します。この基準に照らせば、今回の紳助氏の件は、十数年前にA氏(渡辺二郎氏)がB氏(暴力団幹部)に相談して問題を解決してもらったのが分かった段階で、「ブラック」のB氏はもとよりB氏と付き合があることが明確になったA氏は“限りなくブラックに近い”確実に「グレー」以上であり、彼とも接触を断たなくてはいけなかったのです。このような基準が広く徹底されないが故に、引退を表明する段階に至ってなお、「私はセーフだと思っていた」という誤った認識を生んでいるのです。ちなみに「グレーの関係者」は、「アウトとは言い切れないものの、つきあいは避けるのが肝要」という存在です。

整理をすると、
①「ブラック」暴力団等非合法的手段で生計を立てる団体・個人→付き合い即アウト!(今回のB氏=暴力団幹部)
②「ブラックの関係者」①の家族、友人等(企業舎弟を含む)→付き合い即アウト!(今回のA氏=渡辺二郎)
③「グレー」①②の疑いがある団体または個人→付き合い即アウト!
④「グレーの関係者」③の家族・友人(つきあいのある企業)→即アウトではないが、付き合わない事が望ましい
となります。①から④にいくに従って「色」は薄くなっていくのですが、「君子危うきに近寄らず」であって、①~④と思しき兆候があれば付き合いは止めるべきなのです。

今回の事件を単なる「一芸能人の非常識」で片付けずに、反社会的勢力の撲滅に向けて、一般的な反社会的勢力に係る「コンプライアンス」の順守基準を社会ルールとして明確化させる好機ととらえる必要があると思っています。各メディアには、ぜひともこのような定義付けが芸能界はもとより広く国民の間に定着し反社会的勢力の活動を封じ込めるよう、しつこいくらいに「アウトの基準」を明示する等の情宣報道に尽力して欲しいと思うところです。

昭和問わず語り10~小学校のプール

2011-08-23 | 昭和
久々このシリーズ。店舗でスタッフの雑談を耳にして、「子供が小学校のプールの時間に水着を忘れて入れなかった」とかいう話に、なんとなく「小学校のプール」ってヤツがやけに懐かしく思い出されました。

私の小学校時代は昭和40年代前半。都会のど真ん中の小学校だったので運動場が狭く、プールは運動場の端に作られていました。しかも夏場プールを使用する時以外は木でふたがされてそこはグラウンドの一部になるという、今思うと大きなお風呂みたいな実に変わったプールでした(運動会の徒競争とか一部この木の上を走るの、変でしょ?)

覚えているのはタテ(プールの長い方)が20メートルで5コースという、今考えるとあり得ない半端なサイズだったのです。普通のプールは25メートル単位ですよね。コースも6~8コース。それもこれも狭い敷地に無理やり作ったせい?でもあの時代は何でもありだっのかな。それにしても20メートルじゃ50メートルのレースはできない訳で、100メートルのタイムトライアルをやったとしても25メートルプールよりもターンが1回多くなっちゃう。これじゃ都とか区の記録にも提出のしようがないと思うんですがね。いい加減だったんですよ、きっとね。

今思うと授業も適当だったなぁ。水泳を教わった覚えは全然なくて。勝手に泳いだり碁石やらカラーリングやらを先生が投げ込んでそれを拾う数を競わされたり。だいたい先生の平泳ぎの足がみんな“あおり足(カエルっぽく横に広がるやつ=公式競技では失格)”でね。あれじゃ教わりようがない。私は当時巷に出来はじめのスイミング・スクールとかに通っていたのでけっこう水泳には自信があって、「先生それ“あおり足”じゃん」って言ったんだけど全然通じなくて、逆に平泳ぎの進級試験とかあった時に「足が広がってないから失格」とか言われちゃったり。けっこう悲しかったな。

その進級テストもいい加減で、タイムトライアルはなくて基本的には距離と持久力だったとの記憶です。例えば6級が「平泳ぎで40メートル完泳」、5級は「クロールで40メートル完泳」とか…。クロールの方が速い分偉かったみたい。けっこう得意の水泳の事だからよく覚えているんだけど、2級が「何でもいいから100メートル完泳と潜水20メートル」。1級は「何でもいいから200メートル完泳と立ち泳ぎ1分」って、今思うとかなり変でしょ。東京のど真ん中の小学校でこれだったんだから、やっぱり昭和なのかな。結局私はと言えば、意地でもスイミング・スクールで教わった“正しい”平泳ぎの足(ドルフィンキック)を曲げなかったので、「平泳ぎ20メートル完泳」の8級に上がれずじまいでした。

もうひとつ、昭和の学校のプールは水が冷たかった。水道水そのままだもん。しかも今みたいにプールって青くなかったんだよ。底も横も全部白のタイル張りでさ、余計に冷たそうに感じたよね。シャワーだってお湯なんか出なかったんだから。今日みたいな曇った日の体育=プールはホント嫌だったなぁ。

私の名盤コレクション9 ~ The Eyes Of An Only Child/Tom Jans

2011-08-21 | 洋楽
★The Eyes Of An Only Child/Tom Jans

1 Gotta Move
2 Once Before I Die
3 Where Did All My Good Friends Go?
4 Inside of You
5 Struggle in Darkness
6 Out of Hand
7 Lonesome Way Back When
8 Lonely Brother
9 Directions and Connections
10 The Eyes of an Only Child

アメリカのシンガーソングライター、トム・ヤンス75年のセカンドアルバム。雑誌のリトル・フィート特集などでエグゼクティブ・プロデューサーがフィートの故ローウェル・ジョージであると知って、以前から聞きたいと思っていた1枚です。紙ジャケで再発されてようやく聞くことができました。と言う訳でリアルタイムでは全く聞いていなかった作品ですが、とにかく1回聞いただけでゾッコン惚れこんでしまい、即「私の名盤」入りです。

メンバーがスゴイ(あくまで個人的価値観ですが)!まずリトルフィートから、上記ローウェルと私が最大級に賞賛するピアノのビル・ペイン、さらにパーカッションのサム・クレイトン、再結成フィートでギターを弾くフレッド・タケット、孤高のスワンプ・ギタリスト、ジェシ・エド・ディヴィス、ジャクソン・ブラウンの片腕であるスライドの名手デヴィッド・リンドレー、さらにベースにチャック・レイニー、ドラム陣にはジム・ケルトナーにジャズ畑からハービー・メイスン、さらに当時新進気鋭のセッションドラマーであった故ジェフ・ポーカロ(彼だけは南部臭が薄い分、やや浮いて感じます)…、とにかく一般的にスゴイと言えるか否か分かりませんが、私には確実に物凄いメンツが集まったアルバムです。ちなみにローウェルはミュージシャンとしては、控えめにアコーステック・ギターのみで参加しています。

音楽的ルーツは、ところどころにR&Bの影響は感じられるものの、スワンプと言うよりはカントリー。聞くところによればファースト・アルバムは、カントリーをベースにしたかなりフォーキーなノリとか。対してこのセカンドは、もろカントリーではなく先の一流のミュージシャンで上下左右をがっちり固めて“フィート的”を基本とした、本当に素晴らしい作品に仕上がっています。1「旅に出よう」はタイトルナンバーの10「子供の目」と対をなすローウェルと共作のハイウェイ・ソング。佳曲揃いの10曲中でも白眉の1曲です。「子供の目」とともに、シンガーソングライター、トム・ヤンス面目躍如のメロディーと風景が浮かんでくるような表現が見事な旅路へ誘う歌です。このあたりは、同時期にローウェルが共作した、ジョンBセバスチャンの「タザナ・キッド」の中の名曲「フェイス・オブ・アパラチア」とも共通する世界ですね。

2「死ぬ前に」4「きみの中にいるとき」6「手にあつまって」あたりはメロディは完璧なカントリーでありながら、ベタなカントリーに流れないアレンジが実に冴えています。8「孤独な兄弟」はAOR的名曲。3「死ぬ前に」5「暗闇での苦しみ」9「間違った方向」あたりはイメージ的には「ラスト・レコード・アルバム」あたりのフィートの演奏に近く、共に演奏面で聞きどころ満載。特にビル・ペインのピアノ、キーボード類とスライド・ギターのデヴィッド・リンドレーのスゴイこと。ビル・ペインのキーボード・アレンジはこの先フィートで爆発し、解散の一因ともなった前衛的な匂いも漂わせています。ローウェルが敢えて自分でスライドを弾かずにやや手癖の違うデヴィッドに任せた意図は何だったのでしょうか。人の手を借りた強烈な自己主張に何か深い含みを感じさせられもしますが、本人亡き今では知る由もありません。ちなみに当のトム・ヤンスも84年、35歳の若さでローウェルの後を追うようにドラッグのオーバードースでこの世を去っています。

ローウェルのソロ作よりもよほどフィートっぽい、フィート・ファン必聴の名盤です。

フェイスブックのすすめ!

2011-08-19 | その他あれこれ
以前から気になっていたフェイスブック。お盆休みを活用して、情報書を読みあさりつつ始めてみることにしました。

ツイッターは「始める、始める」と言いながら約2年、結局(自分で“つぶやく”ことを)始めることなくここまで来てしまいました。その理由はただひとつ「匿名性」の双方向コミュニケーションがはらむ危険性の問題です。自己の考えや感じたことをリアルタイムに“つぶやく”ことの有効性は確かにありますし、先の震災時の緊急情報連絡ツールとしての機能性の高さも認めるところではありますが、双方向コミュニケーション・ツールとしての真の有効性を考えたときに、やはりひっかかるのが“匿名性”の部分であるのです。ケースによっては、「言いっぱなし」や言われなき「非難」といった問題発言がいわゆる「炎上」を引き起こす例も間々あります。当の本人に正当な理由説明の場も与えられずに「閉鎖」に追い込まれた有名人のツイッターもこれまた間々あります。言ってみると、本来「2ちゃんねる」あたりで繰り広げられるべき“無責任発言”が、堂々と本人に対して匿名で行われてしまうという双方向コミュニケーションの根本概念を覆すような事態が間々起きているわけなのです。信奉する著名な方をフォローしてその方の“つぶやき”を聞くというのは十分有効性ありな訳でして、ミニブログとしての本来的な機能のみを活用させていただくのがふさわしいツールなのかなと思う次第です(「青山カレー工房」は、利用者の皆さまへの情報伝達ツールとしてツイッターを使うことにしました。もちろんご意見・ご要望もお受けします)。

一方、フェイスブックは本人が素性を宣言して始めるのが基本です。しかも「友達」という形でお互いの存在を確認しながらコミュニケーションの輪を広げていく。展開としては「友達の友達は皆友達」的な広がりが、無限の情報共有サークルとして形作られていくわけです。リアルの世界とは違った匿名性こそがネットの良さではないのか、と考えられるむきもあるのかもしれませんし、それを全否定するつもりもありません。ただ、ネットの世界がここまで存在感を増し、市民権を得たコミュニケーション・ツールとなっている以上、あえて実社会と同じく匿名性を排除しつつもリアルではできない世界に広がるネット独自のの有効性を活用するツールがあってもいいのではないか、という考え方がフェイスブックに対する支持を急激に増加させているのではないかと思うのです。言ってみるとバーチャルの利点を活用したリアルの世界がそこにはあるわけで、まさにネットの世界は新たな時代に入ったと言っていいと思います。

始めてまだ数日ではありますが、なかなかおもしろい。いろいろな使い道がありそうで、可能性は無限に広がるように感じています。ちょうど、15年ほど前に初めてPCを購入してインターネットやメールを始めたときに感じたのと同じワクワク感を覚えます。組織、サークル、同窓会等の切り口での使い道やアプリを活用した使用法等、かなりいろいろな機能があるのでまだまだ使い込まないと十分なメリットは享受できないように思いますが、とりあえずスタート5日でかなりハマったことはまちがいありません。2年前のツイッターの時に直観的に「これはちょっと違わないか?」と感じたのとは雲泥の差です。既に相当ご無沙汰の旧友何人かとも“友達関係”を結ぶことができました。もちろん旧友を探すためだけに使ったのではもったいないツールですが、それもまたフェイスブックの付加価値的楽しみとして位置付けてみるのはいいのではないかと思います。

私の新旧お友達の方、新たにお友達になっていただける方、ぜひフェイスブックで「友達検索」して私に連絡をください。大きなコミュニケーションの輪をつくれれば、皆でより有益でより楽しいフェイスブック・ライフが送れるのではないかなと思っています。当ブログをお読みの皆さんにもフェイスブック活用をおすすめいたします。

「青山カレー工房」だより ~ ツイッターはじめました!

2011-08-18 | ビジネス
「青山カレー工房」のツイッターがスタートしました。

カレーのお話やら、野菜のお話やら、熊谷のお話やら、スタッフのことやら、新メニューやら、キャンペーンやら、お得なクーポンやら…、もろもろの情報を楽しく提供してまいります。
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復興財源確保に関する私的提案

2011-08-17 | その他あれこれ
“菅後”の政局を巡ってあわただしい動きが報道されています。焦点は何と言っても震災復興です。これまで菅内閣下では、明確なビジョンも方針もないままダラダラと5カ月が過ぎてしまった感が強い訳で、民主党政権にとって国民の信頼を取り戻すラストチャンスであるとも言えるでしょう。ただどうも見ている限りでは、あまりに心もとない。例えば、出馬を予定している野田財務相が口にしている「大同連立」も今言うべき事かどうなのか。連立の是非は政策論ではなく方法論に過ぎず、各候補者は正式立候補に際しては現在の日本が抱えてる焦点の問題に関して、明確なビジョンや方針をまず掲げるべきであると思います。

関連してひとつ思いつきの私的提案です。あくまで思いつきレベルでありますが、財源確保に関する個人的アイデアを書いてみます。

「日本の強み」は何かと考える時、なぜ今円高なのかを考えてみると浮かび上がるヒントがあります。それは膨大な「個人資産」。約1500兆円と言われる我が国の「個人資産」の存在が“借金まみれ”の我が国財政を底支えしているという構図を作り出し、壊滅的欧米の経済財政情勢に比しての消去法的選別の結果として、昨今の理由なき円高の一因となっているとも言われています。そこで、この「個人資産」を上手に復興財源として活用できないだろうか、という発想に転換してみます。さらにもうひとつ「日本の強み」として今回の震災復興でも見せてくれた、日本人の自発的ボランティア精神の強さも活用できないものか、という考え。この2つの強みを活用した復興財源確保策を考えます。

今取りざたされている「復興債」。当然国債を発行すれば利払いをしなくてはいけない訳で、政府保有株の売却等が言われていますが膨大な利払いを賄うためには「増税」をも視野に入れざるを得ないでしょう。そうかと言って復興にメドの立たない段階での「増税」は、景気の先行きに暗い影を落とします。そこでこんな案はどうでしょう。例えば「利払い」のない債権の発行。「利払い」がない債権をどう買わせるのかですが、もっとも簡単なアイデアとしては「復興債」を細かく分かりやすい目的別に分けて発行する案です。例えば、「今回の債券は南三陸町の道路整備に使用します」とかの明言化です。これは言ってみれば「復興債資金使途の見える化」と言えるでしょう。

寄付もそうですが、日本人は強い被災地支援精神を持ちながら、行き先の不明確なおカネの流れにはいまひとつスッキリしていないもの事実です。街頭で耳にするのは「使い道が明確ならもっと協力したい」との声。ならば、「復興債」の使い道を明確にするだけで、たくさんの寝ているおカネが動きだすのではないでしょうか。あれだけの義援金が集まったことを考えれば、「無利子でも復興支援になるなら復興債を買おう」となるのではないかと思う訳です。しかも寄付ではなく国への“貸付”ですから。さらに資金使途が「見える化」されれば、国民が優先度を認めない使途の債券には資金が集まらず、施策が先送りあるいは中止され、無駄遣いの排除にもつながるという一石二鳥でもあります。

「利払い」が発生しないなら当面の「増税」は避けられます。ならばまずは政府は「復興ビジョン」を明確化し、そのビジョンの復興計画期間にあわせた長期の「復興債」を発行、償還までの間に「増税」も含めた徹底した「財政再建」を策定・実行し償還原資を確保する、という流れが可能ではないかと思うのです。これが実現するなら、「財政再建」も「増税」頼りの小手先ではなく、国として計画的に長期で取り組むという姿勢を明確にできるいい機会になるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

また「復興過程において「増税」をする場合には、債権保有者に優遇措置の可能性あり」というアナウンスも「復興債」購入動機づけとしてあっていいかもしれません。これは、たばこ税や酒税等の間接税引き上げ政策を債権保有者への税率据え置とセットで実施する、とかです(根幹をなす直接税や生活直結の消費税は優遇対象になり得ません)。この施策はそのまま実行したのでは「税負担公平の原則」から批判もまぬがれえないでしょうから、やり方にひとひねりふたひねり必要とは思いますが…。いずれにしましても、寝ている「個人資産」をいかにして有効に目覚めさせ、日本人のボランティア精神に訴えかける復興財源確保策を考えだすか、安易な「増税」策に頼るのではなく今こそ知恵を絞るべき時ではないかと思います。

実行できるか否かは別にしても、国家的危機打開に向けてまず必要な「財源確保」に関し何も言わない何も提案しない今の政権は、国民に考える場すら与えず政府としての体をなしているとは到底言えないでしょう。誰が政権を継ぐことになるとしても、一国のリーダーとして国民に未来の日本づくりに向けた前向きな具体論を提示し、皆で“復興日本”に向けた次の一歩を議論できるような土壌を作って欲しいと思います。

70年代懐かし洋楽曲10~12

2011-08-14 | 洋楽
今回は女性シンガーを懐かしんでみます。

10「アンジー・ベイビー/ヘレン・レディ」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=UQKyGt_I5L4


この人、70年代前半から半ばにかけて全米ではヒットを連発。ラジオ関東の「全米TOP40」ではけっこう常連でした。代表曲は「デルタの夜明け」「私は女」…、個人的には「歌のある限り」で引き寄せられたかな。この曲は74年のアルバム「フリー&イージー」からの第1弾シングルで、見事全米�1に輝いています。日本でもチョイ売れしたと記憶しています。作者は自身も「アンダー・カバー・エンジェル」の大ヒットを持つAORの旗手アラン・オディです。そのせいでしょうか、以前に比べてサウンドもAOR風味の効いた都会派になってかなりおしゃれになりました。アルバム的には本曲と争う白眉レオン・ラッセルの「ブールバード」収録の次作「さめた心」がベストと思いますが…。ちなみにジャケットの“金太郎スタイル”は、当時ワースト・ドレッサーに選ばれたという“お墨付き”のセンスの悪さです。


11「辛い別れ/アン・マレー」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=mhZQaRdR5WA&feature=related


カナダの女性シンガー。「スノー・バード」がデビューヒットで、その後もケニー・ロギンスの「ダニーの歌」とか「ラブ・ソング」とか、どちらかと言うとカントリー系の曲で名を馳せていた方です。その辺までが70年代前半のお話で、その後しばらく鳴かず飛ばずの時期があって、78年に突如この曲で大人の女性シンガー的風情で見事カムバック!全米№1という彼女最大のヒットを記録しました。自身もアルバムをリリースしているAOR系コンポーザーのランディ・グッドラムの作になるこの曲、私は受験時代に文化放送の「100万人の英会話」なる番組の「今月の歌」で聞いてしびれました。本当に名曲です。彼女はその後余勢を駆っての“大人路線”で2~3曲のヒットを出しますが、徐々に尻すぼみ状態に…。ここまでいい曲を出してしまうと後がキツイですよね。ちなみに作者ランディ・グッドラムの幻のアルバム「フールズ・パラダイス」が、近々紙ジャケで出るそうです。隠れた名盤ですのでこちらも注目です。


12「ハイヤー・アンド・ハイヤー/リタ・クーリッジ」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=-DJXeglQgkc


70年代初頭にはスワンプ軍団の紅一点“デルタ・レディ”として、レオン・ラッセルらと行動を共にしていたリタ・クーリッジが、これまた77年にいきなりAOR的なイメージ・チェンジで大ヒットを飛ばしたのがこの曲でした。確か全米2位まで上った彼女最大のヒットであると記憶してます。日本では「みんなひとりぼっち」(ボズ・スキャッグスの超有名曲)とか「あなたしか見えない」とかの方が有名なのかもしれませんが、彼女の昔を知る人からすれば断然こっちの方がらしい訳です。レオンはじめスワンプ&アメリカンロックの錚々たる男どもと浮名を流した時代から、クリス・クリストファースンとの結婚期を経てたどりついた新境地だったのかもしれません。ちなみに現在のご主人は、音楽とは無関係の日本人だそうです。最近はジャズっぽいこともやっていて、これはこれでなかなかです。

「青山カレー工房」だより~ホームページ完成+13日(土)特別営業&夏季休業

2011-08-11 | ビジネス

6月20日の開店以来、メニュー表示の臨時ページで情報量が少なくご迷惑をおかけしてまいりました「青山カレー工房」のホームページが完成し本日アップいたしました。

★「青山カレー工房」ホームページ
http://www.studio-02.net/aoyamacurry/index.html

現時点では、トップページの他「メニュー」「熊谷かれーぱん」「店舗案内」となっております。多数ご要望をいただいております「熊谷かれーぱん」の通信販売は、今月中の取扱開始をめざし現在急ピッチで準備を進めておりますので、今しばらくお待ちください。

★お知らせ★
①8月13日(土)は「青山カレー工房」は特別営業を実施したします。
正午~売切まで(カレーライスの販売は15時まで)
16時からは、「熊谷かれーぱん」と生ビールのセットで500円など「花火観戦特別セット」を販売いたします。
人気商品につき数に限りがありますので、お早めにお買い求めください。
(かれーぱんのみの販売もいたします。)

②夏季休業について
8月14日(日)15日(月)16日(火)は休業させていただきます。


◆「青山カレー工房」ホームページ◆
http://www.studio-02.net/aoyamacurry/index.html