2021年3月28日受難週礼拝メッセージ 要旨
■タイトル:『3本の十字架』
■聖書箇所:ルカ23:32~49
■中心聖句:ルカ23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
・笹尾鉄三郎師は「ここに世界の良い写真が示されている。真ん中に主の十字架が立ち、両側に罪人が十字架についている。一方は罪を悟った者、他方はそうでない者。」
・笹尾師は、明治時代のキリスト教界のリーダーの一人。淀橋教会の初代牧師。巡回伝道も。宇都宮でも。(そのころ、田中正造にも影響を与えたらしい)
・「3本の十字架、それは世界の縮図」だ、ということ。まさにその通りですね!
・33節
1.世界の真ん中にイエス様の十字架があります。
(あ)歴史において。今年は西暦では2021年。西暦:紀元前(BC)と紀元後(AD)。イエス様の誕生を中心として定められた。
※後にキリスト降誕は紀元前4年に修正されたが。
(い)霊的な意義。これが重要!
・イエス様の十字架は世界を二つに分けてしまう。
・イエス様が用意してくださった救いを受け取るか、受け取らないか、によって。
・十字架は、神様からの救いの手の象徴。
・その救いの手にすがるか、拒否するか、これは大きな分かれ道。その人の運命を決める選択。
・イエス様の十字架は、世界のど真ん中に立っているのです!
・イエス様は、十字架の上で、私たちの罪を負ってくださいました。ご自分は何一つ罪を犯されなかったのに。
・罪なき方が罪を負われた。罪あるものが罪なき者とされるため。救いをいただくため。神との交わりに入れられるため。
・全世界、全歴史の真ん中にイエス様の十字架は立っているのです!
・一方の十字架は、イエス様をののしった人の十字架でした。(39節) これは何を教えているでしょうか?
2.罪ある人間は、裁かれなければなりません。
・一方の罪人は、イエス様の間近にいましたが、(もちろん、極刑の追い詰められた状況の中だが)、イエス様がどういうお方か悟ることはできなかった。
・彼は、救いを受け取れなかった!
・すべての人は罪人です。救いをいただかなければ裁きを受けなければなりません。神から引き離されたままです。
・もう一方の十字架は、イエス様が救い主であることを認め、救いをいただいた人の十字架でした。(40~43節)
・これは何を教えているでしょうか?
3.罪ある者であっても、イエス様に頼るなら、救いをいただくことができます!
・先の人物は罪人、この人物は罪赦された罪人!・この人物はイエスに頼り、罪赦され、救いをいただくことができた!
・43節 あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。
・この人物が、救いにあずかるためのいくつかのポイント(神の恵み)があります。
(あ)この人物は、自分の罪を認めました。
・41節 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。
(い)イエス様に罪がない、とわかった。
・41節 だがこの方は、悪いことを何もしていない。
・この後は推測のレベル。
・→ということはどういうことだ?罪なき方が罪とされている。身代わりか。誰の?罪ある者のため?自分のためでもあるのか?たぶん、一瞬のうちに思いがめぐったことだろう。
(う)彼はイエスに頼った!!
・42節 「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
・考えてみれば不思議なこと!私のことを思い出してください?あつかましい話ではありませんか?
・しかし、先ほどの推測どおりであったなら不自然ではない。むしろ自然なこと!
・もう一方の人物は次のことを悟らせていただいたのです!イエス様は「罪なき救い主」、自分は罪人、イエス様に頼れば救いをいただける、と。そして、イエス様に頼りました!救いをいただきました!
・イエス様は招いておられます。今も!
・イエス様の十字架は世界を二つに分けると話しました。その通りです。しかし、イエス様は招き続けておられます。
・先の人物が最終的にどうなかったか、聖書は教えていません。もしかしたら、もう一方の人物の証言を聞き、あらためてイエス様に目を向け、そして、救いにあずかったかもしれません。
・イエス様が招き続けおられるからです!
・今も!あなたのことも!
■宣言:イエス様、あなたはすべての人の罪を背負って十字架にかかってくださいました。自分の罪を認め、あなたに頼るなら、救いをいただくことができます!あなたに頼り、救いをいただきます!