ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

これからのこと

2012-10-19 10:15:20 | 四国の道を考える会
 昨日の高知新聞に掲載されている記事です。
 10年以上、道路整備に係わる運動に関係していたことから、妙に気になる記事です。それに記憶にある方々が実名で出てきたこともこの記事が気になった一因です。

「談合と決別」
「国交省説明なし」大見出しです。



 「やっぱりね。」といった感想です。別段驚いてもいません。

 ただ公取委から総額17億円もの課徴金が課せられたのです。
 ふと思ったのです。「この金額で未整備の工事区間を延長してくれないかなあ。」

 不謹慎なのでしょうが、基盤整備が遅れている高知県の現状を直視し、かつ「金がない」といった理由で進まない事業についてちょっと考えてしまいました。

 「力勝負で入札すれば、大手だけが受注し、つぶれる業者も出てくる。業界の連帯意識もあって・・・」
 記事の中で、関係者の意見として出ています。「共存共栄」というのを公取委が認めるはずがないことは、解っていたはずですから、仕方のない処分です。

 もちろんこれで「処分完了」でもありません。
 県も処分を検討しているのでしょうし、国もそうでしょう。
 また事業を継続できる企業はもしかすると少なくなるのかもしれません。
 
 高知県は「建設業中心の経済からの脱却」を余儀なくされてはいたのですが、今現在、それに代わる業界が伸びているようにも思えないのです。この件の処分によって、また高知県の経済規模が縮小するようなことがおきないように、切に願うだけです。そして不便を享受している県民の生活をなんとか保証して欲しいところです。

 正すだけでは、いたちごっこでしょうから。 
 

 これからなのです。今度は行政の力が問われると思っています。
 行政の役割は、民の安寧を保証することだと思っているからです。

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土居廊中

2011-12-13 15:51:57 | 四国の道を考える会
 今日は友人に会うために安芸市に行ってきました。

 場所は内原野です。
 柚子の剪定作業等の作業をしている現場にお邪魔しました。
 2011年の柚子の収穫も終了して、これから木の手入れです。



 上に上にと伸びようとする柚子の木を紐で引っ張って広げています。なかなかに大変な作業だそうですが、これをやることで木自体の高さを押さえて収穫を楽にすることが出来また収穫量増大にも効果があるのだそうです。

 昼食は少し移動して廊中ふるさと館へ。



 日替わり定食700円でした。おいしかったですよ。




 「龍馬伝」による岩崎弥太郎のブームも去り、一段落と言ったところでしょう。

 それでも4組ほどのお客様がいましたから、まあ好としましょう。

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秋は赤

2011-11-25 01:00:30 | 四国の道を考える会
 秋の色彩と言えば黄色。そのように思っていましたが。今回の北川村宗の上では、見事にくつがえりました。

 秋は赤です。

 妙に印象深かったのです。









 赤い実が緑の葉と対比して実に目立っていました。他にもイチゴ。これは正確にはわかりませんが、田舎の野生種で俗に「ヘビイチゴ」等と言っていますが、よくはわかりません。しかし口に含んでみると、少し酸味の利いたいいアジなのです。あれも赤です。

 今、山は赤い実で溢れています。



 今回の花の女王はこれです。
 薄紫の花が咲いていました。少し棘のある葉が印象的です。

最後にもう一つ赤をご紹介します。



 帰りに車を走らせていると、工事による道路規制に引っかかってしまい、30分ほど待たされてしまいました。
 年度末に向けて工事が急ピッチで進められています。

 これも季節の話題です。
 山は今、色彩に溢れています。
 いい季節です。
 作業をするのにも、いい季節なのですが、かなり日暮れが早くなりましたね。
 晩酌の時間が早くなって、お酒を飲む量が増えています。これは困ったものです。

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刺激的な日

2011-07-17 23:48:20 | 四国の道を考える会
 いい日だったのでしょうか。
 最後はつい感傷的になってしまいました。

 朝起きて、一仕事をしてから昼食。
 そして、北川村島に所要があって出かけました。

 

 暑い日でしたが、北川村の山間部の緑のトンネルの中に入ると、清涼感が漂っていて、車はわざとゆっくり走らせていました。
 山の贅沢の一つです。




 久方ぶりの二又橋です。
 今日はつい左奥の発電所まで写真の中に入れました。
 橋の下を通る川を上流に向かって走ると、東洋町野根に行き着きます。
 今日は当然、発電所方向です。



 堀ヶ生橋です。
 相も変わらず美しい曲線を誇っているコンクリート橋です。
 この橋、長さが46.9mもあるのです。昭和16年に出来たことを考えれば、凄いことです。完成してから、もう70年も経っているのですから信じられない感じです。
 この写真を撮るために、つい川床まで下りてしまいました。

 この橋の下で、いつかキャンプをして遊ぼうかと思っています。
 いつか!!。



 トンネルの写真も何枚か撮ったのですが、お見せできるのはこれ1枚です。
 へたくそですね。写真。



 北川村島で、用事を済ませた後、奈半利に向かって走っていると目の前にドーンと迫ってきました。赤茶けた山の地肌が刺激的でした。
 高知県の面積の84%は山間部です。山を大切にしないとそのうち、山からしっぺ返しを食らいます。

 つい悲しくなりましたね。

 間伐するわけにはいかなかったんでしょうかね。
 明日は、台風かなあ。
 お天気だったら、花の谷に行きたいんだけれどね。

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記録に残る大会でした。

2011-06-01 01:03:12 | 四国の道を考える会
 高知県安芸郡北川村で開催された大会の次は、徳島県阿南市で開催されました。平成12年11月1日のことでした。阿南市商工会議所が主催する実行委員会を組織してくれました。私にとって記録に残る大会となりました。

 というのも、阿南の大会で大会の開催モデルの一つが出来上がったからです。
 行政の長や議員。さらにかつての建設省等の官僚とのパイプを作ることが出来たからです。



高知県と徳島県の両知事が並んで、国会議員の方々まで勢ぞろいの大会でした。
 テーマもチャンと決めて、整理の聞いた大会でもありました。
 観光開発のためにも高速道は必要であるとのはっきりとしたメッセージを打ち出してくれました。

 この大会における私の役割はというと、常任委員でした。委員会を開催するからと何度か徳島県阿南市にまで行きました。全体の構成について少し役割を果たしたように思います。
 そう、高知県のよさ来い踊りのグループを紹介して阿南まで行っていただきました。
 土佐と阿波の踊りが壇上で舞い踊っておりましたね。迫力のある舞台でした。



 四国黒潮街道 フォーラム2000
 そういえば室戸の深層水の商品を会場で販売したいからと、業者との調整作業もやりました。常任委員って準備段階では結構忙しかったですね。



 記録に残る大会の面目躍如については、記録性が高かったのです。今見てもよく出来た資料です。誰が何をしたのか。何を語ったのか。よく整理してまとめてくれました。
 大会当日には、ほとんど仕事もなく、何人かと挨拶をした程度で、ひたすら会場内で話を聞き楽しんでおりました。

 阿南市の商工会議所青年部の方々には随分とお世話になりました。
 ただ、あれから10年以上経ちましたから、かつての青年部もすでに・・・・。
 アノ大会の後、アノ会場でアルバート・ロト氏のピアノリサイタルもやってくれました。人材豊富でしたね。阿南市民会館大ホールがどちらの会も一杯の人でした。

 私も・・・・・。
 思い出に浸っているつもりはありません。
 これからやらなければならないことへの資料研究です。

 次回の記述は東洋町大会です。白浜の海岸近くで開催されました。
 
 


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トンネルで開催

2011-03-07 22:47:54 | 四国の道を考える会
 北川大会の開催です。
 開催されたのは、平成13年6月2日(土)午前10時から午後3時までです。
 場所は開通前の道路で、久府付トンネルの南側でした。
 もうあれから10年経ったのですね。

 

 ここです。いまはもちろん地域高規格道路の一部ですから、通行止めにしてイベント開催などということはとても出来ないのでしょうが、今から考えても盛り上がった大会でした。
 記憶では場所を決めたのは、H県議でした。面白い大会になると有頂天だったように思います。
 場所よりも大会委員長の人選に躊躇しました。当時私は商工団体を辞職して野市に住んでいたからです。まず委員長にS氏にお願いしました。

 まあ今から考えれば彼しか居なかったのですが、事務所にお願いに行くと快く承諾してもらい、うれしかったですね。いまでも実行委員長の人選は難航の連続なのですから。

 実行委員会を組織して、よくO町議の事務所で会議を開きました。50人近い人数が出席して準備会ができていたのですから、あの時点で成功は保証されていたのです。
 実行委員長としてS氏は実力を遺憾なく発揮してくれましたし、事務局としてH氏も頑張ってくれました。
 私も野市から会議のために何度も通ったものです。



 今でも時々着用する当時のスタッフ専用の上着です。
 防災ヘリ「りょうま」も飛んできました。基調講演は大石氏、当時は国土交通省の道路局長でした。あれから技監となり、退官の後、平成17年から東京大学大学院特任教授として後進の指導にあたっています。町づくり活動等にも理解がある素晴らしい方でした。
 音楽もあり、フリーマーケットありといった、賑やかな大きな大会でした。私はといえばトンネルの中で3つだったか4つだったかの分科会を飛び跳ねながら、ときに会場全域をうろうろしていました。忙しかったですねえ。分科会の内容も行政の合併問題など地域の課題に向き合って議論をしていたのです。
 ここの会場では駐車場には困らなかったですね。なにしろ奈半利方面に向かってずっと道路に駐車OKだったのですから。

 1000人を越える参加者がいたこの大会は、各方面から大きな反響をいただきました。
 手前勝手な推論なんですが、この大会の成功が奈半利から北川に向かう地域高規格道路が野市や夜須の町に先行して道路が完成したのですし、さらに「四国の道を考える会」がこれほど長く継続的に開催されている理由だったと考えています。



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交流

2011-02-11 12:54:57 | 四国の道を考える会
 高知県室戸市の最御崎寺で開催された「四国の道を考える会」。続いて徳島県の宍喰町で開催されることになったのです。今でもお付き合いがあるK氏が大会委員長を勤めてくれました。大先輩なのですが、元気に地域活動を続けておられます。

 「四国の道を考える会」の運動が、10年以上も継続され広域活動として今も継続されている原因のひとつに、この相互開催システムがあるように思います。これからも高知県側と徳島県側が交互に連携を取りながら開催を続けていくのです。


 宍喰大会の開催場所は宍喰小学校体育館
 日時は平成12年(2000年)3月25日14時でした。



 この大会。今から考えても企画のしっかりした大会でした。時間をかけて準備をしてくれました。徳島県の南部地域の将来像をかなり具体的に観光を中心に提案をしておりました。安芸市のY氏が高知県側のパネラーとしてがんばって発言をしていた記憶があります。

 この大会における私の役割は、総合司会でした。
 前日に会場入りをしてホテルに入ると、まあ広い部屋を準備してくれていたのを覚えています。
 大会が始まってからのことです。徳島県のH県議会議員が若者を連れて司会席にきたのです。「こんど衆議員選挙に立候補するGさんです。挨拶をさせてくださいませんか。」
 この若者。いまはテレビにも良く出てくる代議士さんとなっています。
 論客としても名を馳せている方です。懐かしいですね。

 この時の私の姿といえば、笠と白装束で、お遍路さんの格好でしたね。実行委員会から是非にといわれて着ていたのですが、北川村から参加していた建設課の課長氏が目を見張っていたのを覚えています。可笑しかったですねえ。

 あのときの装束、死に装束が、それ以降の私の活動を決めてしまったようです。
 「死ぬまでやりなさい。」なのです。

 パンフレットを見ると第4回となっています。これは私にとっての事前活動も入っている回数設定ですね。これはこれで好いと思います。誰彼なく道路整備促進に向けて活動をしているのですから、それぞれに評価するべきです。

 私が考える第一回大会と第二回大会の間には1年4ヶ月間程時間がたっています。それは前年の平成11年9月(1999)に安芸市の有志が企画をして、安芸市から高知市内まで、歩いくれたのです。歩くことでメッセージを伝える。面白い試みでした。
 「四国の道を考える会」は、組織としては曖昧模糊としている様に考える方がいます。

それはそれで仕方がないと思いますが、まあ目的は道路整備に向けて活動すること、地域活性化に向けた提案をし元気な地域にすることだけなのです。組織を含めた手段等は自由なのです。

 次は北川大会の話です。

第1回大会の開催。

2011-02-02 10:32:50 | 四国の道を考える会
 四国の道を考える会を開催する際、私にとっての先進事例の2例を紹介しましたが、あらためて思うことは、結構時間がかかっていましたね。色々なことがたくさんあり過ぎました。
 忙しかったですねえ。

 さて第一回目の四国の道を考える会の運営企画書が手元に残っていました。
 実行委員会を組織するまで、準備の為の会合も何度かやりましたし、私自身室戸の県会議員さんの自宅に宿泊して作業をしたことさえあったほどです。



 かなり気合の入った企画書です。これを全部やったのかと考えると、最初から全力投球でしたね。



 内容はというと、テーマを「世界へ結ぶ田舎道」としています。

 どんなに小さな田舎道でも、その道は世界に通じている。
 世界に羽ばたける道であり、世界から訪ねてきたくなる道でありたい。
 そんな道を語ってみたい。
 
 こうした言葉が続いています。
 基調講演のあとシンポを、そして分科会まで、それも4分科会を準備したのですから、頑張りました。1泊2日の第1回大会に相応しい内容です。

 この大会の私の役割りはというと副委員長。名簿をみるとこの時点ですでにずっとこの大会を運営、応援してくれた方々が名前を連ねています。東洋町のN氏、安芸市のY氏等です。

 さらにもう一つの心配事が広報だったのですが、東寺さんの宿坊の上階、本堂の瓦屋根が見える部屋にラジオのスタジオを臨時に作って、放送を午後ライブでやりながら、夕方からの大会準備をしていました。RKCの番組をラジオジャックしてしまったのです。

 田村和郎氏の軽快な話し振りは未だに記憶に残っています。3時間という長丁場をあっという間に仕切ってしまいました。私はずっとそばで見ていて、時々口を挟んで、飽きることはなかったですね。
 番組としては大会に参加するパネラーだとか関係者が次々と発言をつなげてくれました。とくに東京大学のT教授の付加体についての話は、真に興味深かったですね。いまのジオパーク運動に繋がる話でした。

 資金調達については難しかったのですが、記憶に残っているイベントでしたね。
 当時は室戸や中芸、安芸、徳島県の南部まで自由民主党の若手の議員さんたちが多数いらっしゃいましたので、みんな元気でした。 今はみんなばらばらになった印象です。

 平成10年10月23日~24日のことでした。今年は平成23年ですから随分と昔の話になってしまいました。

 

先進事例 2

2011-01-19 16:05:30 | 四国の道を考える会
 一本の電話が鳴ったことから、道路をテーマとする運動を始めることになったのです。

 当時私は商工団体の職員で,時期は平成4年(1992)の春じゃあなかったかな。随分と昔の事になってしまいました。

 その電話は徳島県のある事業主の方からでした。「高速道路の計画さえない地域からのメッセージを出してはどうか。」といった話でした。

 平成4年頃から商工団体の中でも事業の広域連携について検討が始まっていたのです。しかしながら具体的な活動内容について模索中だったことから、道路の整備計画さえないことを地域の問題として提起することについて、検討をすることは全く問題はありませんでした。ただ高知新聞への意見広告の掲載については財源の確保が問題でした。100万円単位の金が必要だったのです。
 東部地域の商工団体の青年部組織が主体となって実施することを決定し、事業は事務局担当を東洋町に移行して実施することとしました。
 一人1000円の募金を募り財源とする活動を始めたのです。単純に1000人から1000円を頂ければ、事業は遂行できるのです。
 



 未来(あす)への道
 ここだけがナゼ!!
 高速道路計画のないまちからの意見です。

 ・・・・・・・・。

 最後にこのように締めくくっていました。

  私たちはこれからも安芸ー阿南ルートの高速道路を実現する運動を展開します。
  なお、この広告は一人一人の会費によって掲載しています。

 この意見広告は平成5年(1993)4月20日と11月3日に高知新聞の半面広告として掲載され、大きな反響をいただきました。

 「四国の道を考える会」が高知県室戸市最御崎寺で開催されるのが平成10年10月23日ですから5年前の話です。そして今から18年ほど前に企画された事業でした。

 最近は道路整備も少しずつではありますが事業化されています。
 昨年8月には地域高規格道路の奈半利から北川に向けた道路が一般供用されたことは、皆さんご存知の通りです。
 いま平成22年の段階では高知県安芸郡芸西村と安芸市大山岬付近で工事がすすんでいます。

 やっと次は四国の道を考える会の第一回大会です。
 問題は大会の要旨と人集めを含めた広報でした。
 なにしろ民間でこのような大会を高知県東部地域で開催するなど初めての試みだったのです。
 私はいまだにこの活動を引きずっているのです。
 よきにつけ、あしきにつけ・・。
 


 

先進事例

2011-01-08 10:55:12 | 四国の道を考える会
 「四国の道を考える会」を開催することになったきっかけの一つだろうと思うのです。
 それが「明日の道を語ろう会」。
 当時の資料にキャッチコピーとして書かれています。
 「おらも
  おんしゃも、しゃも鍋喰うて明日の道を語ろう会」
 

 平成9年(1997)9月22日に桂浜で開催されたのですが、6分科会をもった結構大規模な大会でした。国会議員の先生方が分科会アドバイザーを勤めて当時の知事から高知市長、議会関係者まで総動員といった構成で、私は国会議員のY先生の分科会に入って議論をしたことでした。
 この大会では準備にも借り出されて、はりまや町のT組の社長宅に夕刻から集合して協議を重ねた記憶があります。

 当日は鍋をつついて、楽しい時間が持てたことでした。
 何故だか解らなかったのですが、桂浜の砂浜で綱引きをしましたね。面白かったですよ。

 高知県の東部地域で「四国の道を考える会」の名前を付けるときに、「考える会」としたイメージがこうした会の先進事例にあったような気がしています。
 地域はいかにあるべきかといった問いかけをする、そうした会を目指していたのです。

 さらに東京の建設省へ陳情活動のために上京した最初の大会となりました。当時は橋本龍太郎総理大臣の下、石川県選出の瓦力氏が大臣でした。
 陳情中に電話がかかってきて、大臣が中座したのですが内容が筒抜けで、大臣って役割は大変なことだなあと思ったことでした。石川県に能登空港を建設しており、空港への連絡道路の件だったようです。相手は運輸省の官僚だったような。

 この「明日の道を考える会」は翌年4月には波濤編と題して高知新港船上でも開催したのですから、お金のかけ方が「四国の道を考える会」とはずいぶんと違いましたね。

 高知のお城下の方々はやるときにはやるのです。

 私は波濤編には参加していません。船酔いをするからです。
 道路をテーマとしたイベントを開催するきっかけになったように考えています。

 「四国の道を考える会・室戸編」が開催されるのが平成10年ですからほぼ1年前の話です。

 当時の青年達は元気でした。
 今年は平成22年ですから13年ほど前のことです。