夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れさられた画家ーその10 人物像 勝川院雅信筆

2010-11-29 05:57:50 | 掛け軸
人物像 勝川院雅信筆
絹本金泥着色軸装箱入 342*9901

橋本雅邦の師となる狩野勝川院雅信の作品を取り上げました。




近年、狩野勝川院雅信に対する評価は変わりつつあります。橋本雅邦ら明治の近代絵画に画人から粉本主義と言われ、その評価は低かったです。

しかし、多くの近代日本画家を育てた功績は大きいのですが、彼を抹消しないと当時の近代日本画は成立しなかった時代の潮流であったのでしょう。

本画に見られるようにその技量は飛びぬけているわけではありませんが、師としては最高であったと思われるます。

本作品は仙台の骨董店で購入したものです。それほど高価でなかったと記憶しています。



参考文献からの落款と印章です。




誰を描いたのであろうか?「人麻呂」がはたまた「家康」か?

勝川院雅信:明治12年8月8日没、享年57歳。

狩野晴川の子。名は雅信、素尚斎尚古、櫟堂の号がある。

弘化元年に法眼に叙され、万延元年に法印に叙す。木挽町狩野家第十代当主であり、橋本雅邦、狩野芳崖の師である。しかし、幕末の狩野派は臨模につぐ臨模の教育方針であり、そのため粉本主義に陥り、同時に明治維新の煽りを受け、全く精彩を欠いた状況であった。

ことに芳崖は「わが師は絵を知り給わず」と公言していた。岡倉天心もまた粉本主義の弊害を危惧していた。絵画はもはや明治維新の時代であったといえる。粉本主義によって個人の自由な発想が妨げられ、生きた絵が描けなくなっていることに周囲も画家自身も気がつき始めた時に、雅信は当主を任じてられていたのである。彼を境にして狩野派は衰退の一途をたどる。それはまさしく徳川幕府と同じである。


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