花籠生花図 唐絵
紙本着色絹装額タトウ入(平成11年改装) 画サイズ:横182*縦250
ずいぶんと古い軸装になった状態で購入し、非常に生地が良かったのですが、迷った挙句額装に改装しました。
生地を帯地の中から選び、表具に際しては何度も手直しをしてもらいました
以下、購入・改装当時の文章そのまま・・・。
この作品もまた仙台の汲古堂にて購入。
ご主人が大事に所蔵していたものを譲って頂いた。小生にとっては高価な買い物であったが、とても気に入りどうしても欲しくなり入手したものである。現在では品がよい唐絵自体が珍しくなった。
本作品は最初軸装であった。うぶでも良かったが痛みがひどいため、迷った挙句、額装とした。
明末か清初めの院体画派の作品と思われるが、院体画に傾倒した日本人が描いた可能性も少なからずある。
院体画とは、院画ともいい、中国の画院の画家が描いた画の様式の意味である。従って人物画、山水画、花鳥画と時代を異にするにつれて画風も異なる。この画院の作風を院体というが、その山水画は南宋頃に完成された李唐などの様式が支配的である。花鳥画は黄氏体と徐氏体が交替し、あるいは融合されたものである。しかし、今日では明清の文人画の花鳥画に対して、伝統的な宋代の花鳥画様式をもちものすべてを院体花鳥画と呼んでいる。上記の各様式を説明すると次のようになる。
黄氏体―黄氏の画体という意味で、五代時代の蜀の黄筌によって創められた花鳥画風で、徐氏体とともに後の花鳥画の典型となった。明確な線描と濃淡を用いる鈎靭填彩で装飾的な写生画である。富貴の体と評され、北宋時代の画院の様式となった。北宋後期の画院では少し変化したが、南宋以後また用いられる。
徐氏体―黄氏体と共に中国花鳥画様式の二大様式で、五代の江南地方の徐煕に始まる。水墨を主として淡彩を加えた簡素な画法なので野逸と評された。その子の徐崇嗣は黄氏体に倣って、父の水墨を色彩のぼかしに代えて没骨写生画を創め、宋以後長く中国花鳥画の一般の画法となった。
鈎靭 ―没骨度と共に絵画の二大画法で、双鈎とも呼び、輪郭を描いて細い描線でくくって、その中を彩色する。中国では五代の黄筌にはじまる黄氏体の花鳥画がその代表である。
日本において院体画の影響が顕著になるのは江戸初期であり、その代表的画家としては文人画初期の柳澤淇園である。彼は中国の文人画家の作風を真似るのではなく、文人としてのあり方そのものを受け継いだ稀有な画家である。その他の日本の文人画画家との大きな違いであり、その影響によって日本の文人画はひとつの境地を目指すものとなった。ともあれ、彼から多くの中国画が日本に流入し、日本画に大きな影響を与えた。
この作品もそのようなときに日本に入ってきた作品であると推察される。改装に際しては帯地をさがして表具した。
絵柄のずれを修正するためにすかして生地を貼り付けた。
紙本着色絹装額タトウ入(平成11年改装) 画サイズ:横182*縦250
ずいぶんと古い軸装になった状態で購入し、非常に生地が良かったのですが、迷った挙句額装に改装しました。
生地を帯地の中から選び、表具に際しては何度も手直しをしてもらいました
以下、購入・改装当時の文章そのまま・・・。
この作品もまた仙台の汲古堂にて購入。
ご主人が大事に所蔵していたものを譲って頂いた。小生にとっては高価な買い物であったが、とても気に入りどうしても欲しくなり入手したものである。現在では品がよい唐絵自体が珍しくなった。
本作品は最初軸装であった。うぶでも良かったが痛みがひどいため、迷った挙句、額装とした。
明末か清初めの院体画派の作品と思われるが、院体画に傾倒した日本人が描いた可能性も少なからずある。
院体画とは、院画ともいい、中国の画院の画家が描いた画の様式の意味である。従って人物画、山水画、花鳥画と時代を異にするにつれて画風も異なる。この画院の作風を院体というが、その山水画は南宋頃に完成された李唐などの様式が支配的である。花鳥画は黄氏体と徐氏体が交替し、あるいは融合されたものである。しかし、今日では明清の文人画の花鳥画に対して、伝統的な宋代の花鳥画様式をもちものすべてを院体花鳥画と呼んでいる。上記の各様式を説明すると次のようになる。
黄氏体―黄氏の画体という意味で、五代時代の蜀の黄筌によって創められた花鳥画風で、徐氏体とともに後の花鳥画の典型となった。明確な線描と濃淡を用いる鈎靭填彩で装飾的な写生画である。富貴の体と評され、北宋時代の画院の様式となった。北宋後期の画院では少し変化したが、南宋以後また用いられる。
徐氏体―黄氏体と共に中国花鳥画様式の二大様式で、五代の江南地方の徐煕に始まる。水墨を主として淡彩を加えた簡素な画法なので野逸と評された。その子の徐崇嗣は黄氏体に倣って、父の水墨を色彩のぼかしに代えて没骨写生画を創め、宋以後長く中国花鳥画の一般の画法となった。
鈎靭 ―没骨度と共に絵画の二大画法で、双鈎とも呼び、輪郭を描いて細い描線でくくって、その中を彩色する。中国では五代の黄筌にはじまる黄氏体の花鳥画がその代表である。
日本において院体画の影響が顕著になるのは江戸初期であり、その代表的画家としては文人画初期の柳澤淇園である。彼は中国の文人画家の作風を真似るのではなく、文人としてのあり方そのものを受け継いだ稀有な画家である。その他の日本の文人画画家との大きな違いであり、その影響によって日本の文人画はひとつの境地を目指すものとなった。ともあれ、彼から多くの中国画が日本に流入し、日本画に大きな影響を与えた。
この作品もそのようなときに日本に入ってきた作品であると推察される。改装に際しては帯地をさがして表具した。
絵柄のずれを修正するためにすかして生地を貼り付けた。
寅吉が、ようやく完成!
休み明けには艶姿をご披露させていただきます。
乞うご期待を。
ところで、ブログのアクセスって休みになると如実に影響がでるもんですね!
「寅吉」が完成ですか
楽しみですね~
ブログのアクセス件数は減るのはしようがないですね。でも、逆に新規投稿しなくてもこれだけアクセスがあるのも驚き