はばかりさま

日常生活など諸々の自己満足日記、
マイブームは「スウィンギンロンドン60'&昭和40年代」です。

図書館本 古川緑波「ロッパ日記代わり手当たり次第」

2015-09-30 | 

古川緑波「ロッパ日記代わり手当たり次第」 河出書房出版 20150422

横山エンタツ花菱アチャコ榎本健一と並ぶ大正昭和の喜劇(演芸)のスターであり、
この4人の中では一番、凋落ぶりが激しい人じゃないかと思われ…。

大体が、男爵加藤照麿の六男として生まれ、嫡男以外は全て養子に出すという
家訓らしいけど多分貧乏貴族の上手い生き残り法というか言い訳ですな…。

(浜尾)四郎:子爵浜尾新の養子(浜尾実侍従長の父) 弁護士、小説家
(京極高鋭)鋭五:子爵京極高頼の婿養子 音楽評論家
(古川緑波)郁郎:静岡県氏族古川武太郎の養子、コメディアン
七朗:新潟県人増田義一の養子 東京帝国大学史書書誌学者


緑波は、実父の妹の婿(義理の叔父)、元陸軍中将古川宣誉の長男で
満鉄役員の古川武太郎の養子になり早稲田大学へと進み早熟の天才と
持て囃されてその気になってずるずる芸人に…で、
でも養子先は裕福ではあるものの、爵位の無い家で、平民ですよね。
他の兄弟は子爵家だったり、はたまた仕事も検事や学者だとかになっていて
本人は良い養父母で愛情をかけてもらったと書いてはいるけれど、
軽妙な文章中にチラリチラリと見える自分は他の人間とは違う!という
他者への見下し感というか、でも兄弟への「嫉妬」や
華族の生まれなのに芸人の職についているという屈辱感が
根深かったんだなぁと思いました。
貴族の生まれだからお金に対して執着心を出すのは憚られ
(かなりお金にうるさかったみたいですが、でも浪費家で大雑把)
その鬱憤がすべて食欲というものにいったのかしら、と。

ようは自分を捨て切れない、アホになれなかったから売れなくなった
戦後はしんどかっただろうなぁと思います。 



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