東大出に負けるものか
第七章 (回想記 ロ )
大学で得たもの失ったもの ・5・
自書●「改訂 日本海時代に首都実現に燃えて」
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--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
第七章 (回想記 ロ )
大学で得たもの失ったもの
5・東大出に負けるものか
人間は一人では生きられません。
何らかの関係ある人との縁や絆の中で力を育み、能力を発揮できる場を創って行かなければなりません。
大学にも一流から三流果ては四流・五流までのランクがあり、どこに入れたかによってその人の将来度予測のメルクマ-ルとなっていたきらいがありました。
最近こそ個性豊かな人材を登用することが、会社や団体のイメイ-ジアップとなるとの理由から柔軟な対応が見えるようになりました。
従って私学で三流校と評される卒業生も各分野の第一線で活躍できるチャンスが大きくなってまいりました。
しかし、依然として財務省などのエリ-ト官僚を始め、超一流の企業は東大に代表される一流校出身者がその数として圧倒しています。
所謂、学閥が冷厳な事実として定着していることに今も昔もなんら変わりはないようです。
このような状況に鑑み、よりよい大学合格を目指し、父兄子供も幼児の頃から一体となって受験勉強に血道をあげることになる訳です。
更に問題なのは、塾や教育に投入した金額の多寡に比例して、いい大学に入られる傾向が顕著になってきており以前のように貧乏でも東大に合格したなどと言うことは、今ではごくごくまれな例となっているのが実体のようです。
金によって子供の教育能力も左右されるというのは、最もである反面、何故か空しさを禁じえません。
どちらかといえばなんらか理由で一流校には入れなかった人間のよい意味での反動をもつ個性と感性が、寧ろこれからの日本の飛躍をもたらすり-ダ-的資質が潜在している気がしてなりません。
優等生的な手堅い調整能力だけで激動の世界を引っ張って行くだけの日本のリーダ- になれるわけがありません。断じて不可能です。
めまぐるしく変転する国際情勢を正しく認識するに留まらず、日本が平和国家として主導的役割をを勇気を持って切り拓く行動力が期待されて久しくなっております。
今の政治家や政府の行動はいかにもそのひとつひとつをとってもぎこちないと指弾する外ありません。
当然のことながら、変革や未踏の時代を切り拓くには、従来の手法に甘んじていては取り返しのつかない大変な誤りを起す危険を孕んでおります。
今、日本は何をやるべきか、どういう方向に進むべきか,その決断と行動力に富む従来とは違った強力且つ異能な指導者の台頭が必要となってきております。
そしてこの分野に最適な役割を担うべく東大及び一流大学ではない多くのわれわれの層が奮起し、その主役となって登場する突破口となる責務を感じなければならないやに思えます。
いつでも燃える情熱と勇気をバネに頑張れば、門戸が開かれている公平なシステムを日本の縦社会の中に組み込んでいかなければなりません。
でなければ無数の人々の膨大なエネルギ-を国家国民のために効果的に発揮させることは、未来永劫に不可能です。
学閥偏重は、日本のこれからの国際社会に向けての自立力を高め、世界の新秩序を創る能力を発揮する上で必ず弊害となってくることは間違いありません。
日本の人材は山の如くいるはずにも拘らず、悪しき権威主義によって終始眠らされ表分野に登場させない慣例を打ち破るときに来ています。
教育大国日本にふさわしい幅広い人材を公平に社会に押し上げ、名実共にゆるぎない新しい日本の建設に向けて国民の総力を結集し供しなければ、明日の輝かしい日本を保障することは出来ません。
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平成24年4月9日
西川攻(さいかわおさむ)でした。
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