西川攻のブログ

西川攻が日本を斬る!!

☆小説 「孤高」 -闘うは、われ、ひとりなり- 「10」 西川攻著

2012-05-31 21:39:17 | ☆ 小説「孤高」

  「より深く、より静かに」

 

 

 

    西川攻(さいかわおさむ)の小説

          「孤高」⑩

      --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 

 

      「より深く、より静かに」

 

 

  I C Gテストの結果肝機能が著しく低下している事が判明した。

 

 そのため肝臓癌の摘出手術ができず体力との調整をしながらの化学療法が為されていた。

 

 しかし抗がん剤の副作用により白血球が少なくなり、定期的な抗がん剤治療もままならない状況に至っていた。

 

 そこで R F A(ラジオ波焼灼療法)実施のため入院した折、

 

 「先生!いったい余命は率直に言ってどれ位なのですか、このままでは全く計画が立てられません。」

 

 「これからやることが山の如くあるんです、死ぬわけにも参りません!」

 

 体調悪化による3年前の衆院選出馬断念。

 爾来、入退院、通院が間断なく続く闘病生活が主体となっていた。

 

 「これではまるで蛇の生殺しに等しい・・・。」と裕樹は思っていた。

 

 実質的に際立った政治活動ができない苛立ちに耐え切れず、このところ執拗に、主治医に質問するようになっていた。

 

 「よく考えてください、あなたはがん患者なのですよ!」との主治医の返答が返って来た。

 

 事実。大腸癌、肺がんの摘出手術そして、当面治療中の肝臓癌の一連の病状の流れ等から類推すれば全身、癌蔓延の予兆真っ只中にあった。

 従って、今後さらに他の臓器にも転移が進み、命が絶たれる怖れと危険がいっぱいなのが真相であった。

 

 裕樹には判っていた

 「もう自分には時間が無い・・・。 急がなければ!」

 

 「此の侭だと、何もしない、何もできないままで人生が終わってしまう」

 

 しかし、所期の目的達成のためには、時間的に単なる一議員をこれからやっていたのでは、とても話にならない。

 何ひとつもできないことに繫がりかねない。このばに至っては,唯一の解決方途、

 

 「一足飛びに天下を取るには如何にしたらよいものか。」

真剣に考え始めていた。

 

 折りしも世情は既成の議員と政党の無能と廃頽堕落ぶりに絶望している国民は清新にして逞しい新たに強力なり-ダ-を希求しており、それが原因してか最近、首相公選制がしきりに叫ばれてきた。

 

 しかし裕樹は、従来の如く東京や大阪及び其の近郊都市出身の総理では従来となんら変わりない結末を見るだけだ。

 彼らは、真にこれからのアジアの時代に向けて躍進する牽引力とは決してなりえず、パフォ-マンスだけの一過性に終わるに過ぎないとの確信を持っていた。

 

 要するに、これからの日本の表玄関となる日本海沿岸地域で中央の頭脳の手足となって今も負担を強いられている現状を打破できる愛郷無限に燃える政治家でなければ意味がないとの思いを持っていた。

 

 地方の潜在能力を如何なく発掘できる地方出身人物こそ、国民の全体力と活力を育み、日本の根本的変革ができる総理になるべき時代がそこまで来ているのではないか考えていた。

 

 闘病中に病院で自らがしたためた総理に向けての三大国家目標を超える大胆にして壮大なビジョンとこれを実行する上での不屈の魂は己に勝る如何なる者も絶対他に存在しない、との強い自信が漲っていた。

 

 この度の入院の折も裕樹の使命的野心は、何ら萎えることなく、以前にも増して益々燃え盛っていた。

 

 主治医の言葉も含め諸般の状況を考え、裕樹は今後の心組みの結論を導き出した。

 

 

 ここは焦らず、

「後の先」や

「静かなること、林の如く。動かざること、山の如し。」の時であり、

次の一気呵成に

「風」と「火」如く行動するための、

寧ろ大切な刻であると得心せざるを得なかった。

 

 「段取り八分、仕事二分」との言葉もある事だし、と裕樹は

逸る気持ちを抑えるのに必死だった。

 

 そして、この期間が実は

とてつもないチャンスを齎し、

夢が現実になる突破口となるとは

其の時裕樹は未だ

ゆめゆめ想像だにしなかった。

 

 

 

  次回6月は、

  「生きているとは、素晴らしいことだ!」です。

 

 

 

平成24年5月31日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<65>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-05-28 19:19:02 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

否定できない正義は力なり

 

 

第十章 我、日本の柱とならん! ・3・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

             <65>

      --それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著

 

 

 

第十章 我、日本の柱とならん!

 

    3・否定できない正義は力なり

 

 

 いくら高邁な理想を掲げてもそれを実行し実現できなければ絵に描いた餅に過ぎません。

 事を起す場合、理想と現実とのギャップからくる難しさが立ちはだかり、それを克服し浸透させるためには即効性のある手段と力を駆使しなければ理想実現に向けての進展は望むべきもありません。

強力なバックアップや活動資金がこの場合不可欠なものとなってクロ-ズアップされてくる訳です。

 人間の業は本能によるものであり、それは往々にして論理や倫理を抑圧し、選挙ともなると因習、情実、損得が輻輳する格好の対象として取り扱いされる例がいまだに田舎には根強く残っております。

 惰性と腐敗の温床は、将にこのような悪しき風土と因習によるものです。

 しかし、之を操作する力が無ければ事は何も進まないし、変革の勝負に勝つこともできません。

 力の伴わない正義は絵空ごとであり現実味なき無意味な結果に留まる例が大半です。

 正義は力なりと云わしめる所以です。

 本来から言えばひとり一人が自己の努力と研鑽によって所期の目的を達成できるか否かが人生の意義を左右します。

 一方、長いものには巻かれろ、勝てば官軍と言った平穏無事に生き、勝ち馬に乗るための処世術が一般には広く最優先されております。 

 冒険や、挑戦することは危険やリスクがあるとしてハンで押した如くひややかに対応するのが常であるようです。

 仮に、これに理解や応援するにしても背後にどれだけの力のある所謂、バック如何によって其の判断が為されるのが通例です。

 したがって無名の新人が未踏の道を切り拓き先駆的人生にかけることに対しての配慮や尊さに理解を抱く心は皆無であるのが現実世相の実態です。

 寧ろこのような行動を取る者については侮蔑や白眼視するといった非本質的な判断以外なし得ないのが大半です。

 結果として質よりも量を重視の選挙に際しては、此の点を留意しての力を行使できない限り、当選するだけの票の集積はありえないことなのです。

 総選挙等においては、誰がバックにいるのか、どこに所属しているのか、資金は潤沢かを軸に勝ち馬に乗るべく慎重に行動を取るのが利害集団化した後援会組織の体質となっています。

 昔、見られた選挙バカと称される純朴な類の人々は少なくなり、逆に全て目先の損得の計算ずくで選挙組織に参画するパタ-ンが地方に行くに従って依然として多く見受けられるようです。

 選挙時のうまみと後援会幹部になることによる利権が狙いの有権者と候補者の絆の輪は全国津々浦々の選挙に蔓延し世知辛くなった世間の風潮と相まって留まるところを知らない勢いで日本列島を汚染したわけです。

 このように金と権力を確保し、告発されない限りは正義を振りかざし世間を堂々然として通用することは極めて危険な錯覚であってもこれを否定することはできません。

 加えてそれだけの力を蓄積できる者は全ての信用度、発言力に格段に威力を発揮するわけであり、仮にそれだけの力無くして理想を訴えたとしても変人視されるだけで終わるのが世間の相場なのです。

 力の無いものは単なる犬の遠吠えで終わることになりなんら社会に影響力を発揮することはできません。

 しかし現在の如く見識や志の高さよりもぜにかねの力に異常に左右される現象は明らかに狂っているとしか言いようがありません。

 これを断ち切る為にはゼロからはいずりあがり,其のことの解決を実証する哲学と信念を貫くの新しい政治家の出現こそ明日に向けての躍進へと導くように思えてなりません。

 国際的にも理の政治を実現しなければならない時期に至っていることは明白です。

 これを実現するためにも日本は自主自立の逞しい力を育む正義力が必要です。

 

 この場合の

正義の意味は

西川攻の提言を

ご参照ください

 

 

平成24年5月28日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<64>--それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-05-14 20:57:39 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

勝つための陣立て

---目的達成のためには当選しなければならない---

 

 

第十章 我、日本の柱とならん! ・2・

 

 

 

 

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

              

   --それでも私はなぜ出馬するのか--  西川攻著

 

 

   第十章 我、日本の柱とならん!

 

 

        2・勝つための陣立て

   ---目的達成のためには当選しなければならない---

 

 

 

  「どうして衆院選しか出ないのですか」「なぜ衆院にこだわるのですか」と今までよく質問されました。

 中には面識の無い人からもよく聞かれましたが「衆議院議員でなければ総理大臣になれないからです!」と一貫して答えてきました。

 

 総理大臣になるためには、憲法上の問題もあり、衆議院議員でなければなれないのが現実です。

 これに対し昨今、首相公選制が云々されております。

 衆愚政治を決定付ける危険となる今のマスコミの扇動やパホ-マンス候補に振り回される点を留意し、これと逆の全く新しい進歩的内容のものであれば、むしろ即、実行する必要があります。

 しかし、少なくとも現在遡上に上がり、世間を騒がしている新党および其の予備軍には将来的にはなんら期待できるものではありません。

  蓋し、国難の今に対する切り口の根本が彼らには、判っていないからです。

 加えて、一蓮托生に責めを負うべき立場の悪しき従来の勢力との連携が不可欠と今から考えており、とても変革を担うとの覚悟をうかがい知ることは出来ません。

 にも拘らず国民世論が彼らに熱狂的な期待を抱くことに大いなる疑問を払拭することができません。

 事ほどさように日本国民はいつからこうも表層的、非本質的なことにしか其の基準を置く事ができなくなってしまったのか。かくも軽いのか残念でなりません。

 

 

 選挙は勝たなければ意味を成さず、参加することに意義があるとされてきたオリンピックの精神とは趣を異にするものです。

 だからといって勝つための手段方法が目先の利害得失や物、金、パホ-マンスのみで決定される現状ならばならば其の不正にこそ今、メスを入れる必要があります。 

 これが為されない限りいつまでたっても国民不在政治の根本的解決はありません。

 しかし人間の業(さが)というものはえてして土壇場においては本能が理性を抑圧することは言うまでもないことであります。

 悪しき利害集団と化した後援会と候補者の阿吽の絆がより一層一般選挙民の主体性と自立心を蝕み、反民主的投票行動へと駆り立てるてているわけであります。

 浪人生活を支えつつ私が不屈の魂を継続して育むことができたのは、次世代に誇れる政治道の先駆的実践者に徹するとの怯むことなき使命感と、それに共鳴し、励ます一握りではあるが一騎当千の先見性ある人の存在と其の支援のおかげと言う他ありません。

 衆愚政治の原因は主体性と見識が欠落した国民やマスコミであり、政治家は結果的に彼らを素直に反映しているアホの代表以外のなにものでもありません。

 「其の国民のレベルに値する政治家しか持ち得ない」「どっちもどっちの間柄」の事実をもう一度正しく認識する必要があるような気がしてなりません。

 このような視点に立脚、これを正し、しかる後に正義を貫く見識層の拡大と其の結集に総力を注ぐ世論の形成が切望されるときと思います。

 高邁な思想も議席を握らなければ政策実現の出来る枠内に入ることができず所詮、犬の遠吼えで終わるにすぎません。

 従って清新な力を結集していかなる手段を講じても議席を確保する必要があります。

 しかしこの時点に於いてもこれが為されなければ議会制民主主義はますます風化の一途たどる愚をおかす事になります。

 その結果、相も変らぬ解決能力を欠く無能政治家に席巻される中央政界に対する国民の先行不安が更に増幅することは明白です。

 このような難局を克服するためには、的確な判断力と強力な指導力を発揮できる新しい政治家と自立心を持った国民をめざす逞しい日本創りへと大きく転換することが不可欠です。

 要するに旧来の悪しき勢力との戦いが来るべき総選挙と捉えるべきであり、従って次回こそあらゆる手段を講じても勝つための陣立てを考え其の布陣の完璧に努めなければならないと覚悟しております。

 浪人生活と癌の闘病中であるハンデイを逆に票獲得の転化のバネに渾身の力を振り絞り、蔓延している「政界のガン」を退治しなければならないと考えております。 

 今や一期やらせてみれば其の代議士がどの程度の政治力を発揮できるかは概ね類推できます。

 其の視点から、何度も議席を確保しているだけで、際立った事が何一つできないで尚も出馬し、国会に居座り続け惰性と自己保身のみを軸とする候補と其の支援組織をぶっ潰す正義の行動を起すときなのです。

 明日に向けての警鐘を乱打し、見識と活力ある国民の層を拡大させる事が大切です。

 日本の飛躍のためには、内外に誇れる新しい力によって逞しい政治を創設する機運を高め、全てこれに向けて大きく前進する世論を喚起する行動を興さなければなりません。

 国民の意識のバロメータ-が奈辺にあるのかを把握するに於いても次回の総選挙は注目度の高い試金石となる事と考えます。

 

 

平成24年5月14日

西川攻(さいかわおさむ)でした。 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<63>――それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻

2012-05-06 23:23:56 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

新しい力で逞しい政治!

 

 

    第十章 我、日本の柱とならん! ・1・

 

   自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

                  

    --それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

 

 

 

    第十章 我、日本の柱とならん!

 

 

 1・新しい力で逞しい政治!

 

 

 「出る杭は打たれる」という諺があります。

 頭角を現すものは人から憎まれたり、邪魔されたりするということです。また、出すぎたことをすれば制裁を受けるというたとえとされています。

 

 高い志を実現するために止むに已まれず、行動した純粋な人の中にこそ歴史を切り拓いた本当の先駆者がいたような気がしてなりません。

 

 しかし実のところ寧ろ、立ち回りの上手い人に凌駕され、真に実績を果たした人物名はふされ,歴史上黙殺されたり、誤って後世に伝えられている例が多いとの話はよく耳にすることです。

 

 政治の世界も本物が偽者の群れに阻まれ、真の人材が発掘されない結果、国政は何一つ根本的解決がなされないまま無能政治家国家日本丸は今、人災的国難が次々と惹起され極めて危機的な状況が加速しています。

 

 小選挙区制の弊害がこれを一層,増幅せしめております。

 

 かくのごとく、国難の今にあっても,尚、自己保身のために国民不在の政治を継続している既成政治家、政党は、既得権益を保持せんがため、政局や、政治ごっこを隠れ蓑にしております。

 

 小選挙区制の弊害が変革されることを嫌い、これに挑まんとする有能な人材(杭)を国政に参画させまいとして議員になる前に、陰湿且つ老獪な手段を駆使し、出るこの杭を打つか、引く抜く事に依って正しい競争原理の下での戦い、真っ向勝負を避けんと戦々恐々としてることが見え隠れしています。

 「卑怯千万!」そのものです。

 

 官僚出身、二世、金権、惰性といった緊張感が欠落した旧態依然とした構成員に加え近年、パフォ-マンス、○○チルドレンなどが加わり、国会議員の劣化現象は、一層拍車がかかり留まるところを知りません。

 

 このような勢力のみで固められていては中央政界の全ての政治が現在の如く停滞することは至極当然なことなのです。

 

 かくのごとくメンバ-で構成されていれば、全体がマンネリと自己保身を車の両輪の如く考え、ぬるま湯から逃れられなくなるのは充分頷ける事です。

その結果自信と勇気がすっかり消え猜疑心や恐怖心が強くなり、まともに真剣勝負をすることができなくなっているのが実態なのです。

 

 既成の議員、政党をチェンジしなければと、その必要性を痛感している層は確実に拡大傾向にあることは周知の事実です。

 

 このような客観状況を踏まえ、冷静沈着に明日の日本を考えた場合、どうしても新しい力の台頭 が求められる事になる訳です。

 

 新勢力の結集によって国内外に誇れる逞しい日本を創設しなければならない、待ったなしの時にあると思います。

 

 漸く政界再編の空気が芽生えつつあります。とは申しても既存の新党や、いま話題の新党予備軍では真の先駆的役割を担うことは不可能です。

 

 なぜなら彼らの先頭に立っている者や黒幕とみなされるブレ-ンは所詮旧来の悪しき手続きや手法で議員となったり、政府の要職を歴任し、今日の政治の混迷と停滞を招いた一蓮托生の責めを負は無ければならなかった立場にあった人達です。

 にも拘らず、口を拭って今も、平然としていられる卑怯者に他なりません。

 

 要するに純粋な志の高さと信念に水を差し、刷新そのもを玉虫色にし結局、先行きは従来の悪しき勢力と調和し手を結ぶことは明らかであります。

 

 従っていかにも曖昧さが残り後々のことを考えると到底受け入れることはできないものと判断できます。

 

 従来の悪しき惰性政治の残党の層をも断ち切って前進する真の先駆的刷新勢力は、いまだに浮上しておりません、また出現の環境にもありませんでした。

 

 しかし必ずや巨大な潜在能力を持った人材が決起するときが、もうそこまできているように思えてなりません。

 

 そして私は其の実践者としての範を垂れるべく全力で頑張りぬかなければと、腹を既に括っております。

 

 誰でもが、努力すればできる証を自らが身をもって実践しそれを見て多くのひとも自分もやれるとの勇気と夢と行動力を持つことができる、そんな生き方の範を示すことこそ、これからの政治家に求められているように思えてなりません。

 

 このことは長年の浪人生活中であっても自らが其の実践者に徹しようとの人生の心組みは微動だにしませんでした。

 

 ただ、いつまでも外見上其の成果が見えないままでは負け犬と変わりなく、積年の風雪に堪えてきたのは何のためだったのか、全く意味を成すことにはなりません。

 

 新しい力とは腐敗と惰性に押しつぶされること無く、変革に向けて不屈の信念と使命感を抱き之を燃焼し続けてきた力です。

サラり-マンと化した既成議員、政党とは一線を画す最も画期的なものでなければこれに取って代わることは出来ません。

 

 今日まで私は先駆的役割を担うべく全身全霊を傾注して未踏の道を切り拓くべく長期間に亘り行動してまいりました。

 

 おりしも政界再編の声が日増しに高まるこの歴史の転換期に逞しい政治実現を牽引し大きく前進させ勝利するため不退転の決意の下、今後も日々奮闘してまいります。

 

 次回は、

新しい力で

逞しい政治を

実現せんとする、

西川攻の

人生の

勝負を賭ける

将に

正念場になると思います。

 

 

 

平成24年5月6日

西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

 

 

 

 


自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」<62>--それでも私ははなぜ出馬するのか--   西川攻著

2012-05-01 19:50:32 | ● 改訂 日本海時代の首都実現に燃えて

ひらめく勝利への戦略

 

 第九章 全青春を衆愚政治との対決に  ・10・

自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」

             <62>                       ---それでも私はなぜ出馬するのか--   西川攻著

 

 

 第九章 全青春を衆愚政治との対決に

 

 

 

 10・ひらめく勝利への戦略

 

 

 

 私の今までの選挙のやり方は、意気込みや使命感のみが先行しておりました。

 

 その結果大局且つ遠謀的視点だけでことを進め、浅く広く票を集積するための術を欠くことになり、折角の努力も票に結びつかず全くの徒労に終わる形になってしまいました。

 

 今考えてみると余りにも勝つ票集め戦略とかけ離れていたことは否定できませんでした。

 

 更に無一物に近い状況のわが選対では、いかなる運動の広がりも弾みも生まれ難く、加えて新潟旧3区という金権物量一色に染められて培われていた風土は、一朝一夕にして崩れ去る筈がありませんでした。

 

 しかし今後は、

アジアの時代にふさわしい

新たな日本の表玄関としての

実を日本海沿岸地域が獲得し

繁栄する為には、然るべく

変革を

自らが

果たす

覚悟が

われわれに

求められていると思えてなりません。

 

 

 変わらなければ、

明日に向けての、

この地域の

発展はありません!

 

 

 候補者も選挙民も「惰性」や従来の「悪しき因習」から脱皮する信念と主体性を実行する勇気を発揮すべき日本海側の地方が飛躍する時代がすぐそこまでに来ているとの自覚と認識を持ちたいものです。

 

 私は、

この時であるからこそ、

かねて主張し続けてまいりました、

 

「自らが主体的に判断できる選挙民」と

「良識層の拡大」

 

に向けて全力で頑張りぬく決意と其の

必要性を強く感じております。

 

 日本海時代の首都を実現するだけの巨大な力を駆使できる政治家を目指し、それにふさわしい国策としての唯一無二の素晴らしいビジョンを打ち出し西川攻は、この担い手となるべく全力で頑張ります。

 

 本音を申せば、衆議院議員になることは兎も角、

総理大臣になることに対する、

異常な使命感と魅力を禁じえません。

 

 何故なら、

「西川攻の総理に向けての

三大国家目標」

実現は、

私で無ければ不可能であるとの

絶対的確信があるからです。

 

とは言っても先ず、その為の必要条件である、衆院選に勝つ行動を実践してまいります。

 

 次世代に誇れる政治家像を鮮明にすることによって、信念と哲学に裏打ちされた西川攻が、如何に他の衆院候補と比較した場合、「歴然たる格の違い」があるかを浮き彫りにできる否かが鍵となると思われます。

 

 要するに従来のマンネリ化を断ち切るチャンスのときであることを、選挙民にしかと認識させる必要がある訳です。

 

 サラり-マンと化してしまった既成政治屋群の居座る余地を、この機会に思い切って一掃し、年齢を超越したみずみずしく活力に富む清新な血を以って、今こそぬるま湯中央政界の澱んだ血を一気に放逐し、吐き出させなければなりません。

 

 変革期の今、政界を刷新するにふさわしい新たな政治家を国政の舞台に送り出せるか否かは、将にこれからの選挙民の手中にあります。

 

 此処で始めて其の資質がどのような判断に基づいて票としての結果となるかは今後の日本の命運を占う重大な関心事であり最も注目に値する課題と考えます。

 

 官僚や疑惑、惰性臭がむんむん臭う既成の議員や党幹部の手先に過ぎない候補にはもはや何も望むべきものはありません。

 

 従来と異なり国難の今だからこそ、一期やらせてみれば其の議員の政治家としての将来性や基礎能力の有無は誰でもが容易に判断できるようになって参りました。

 

 いま問われている問題と、それへの対応を国民は誤ってはなりません。

 

 次世代に誇れる政治の実現と、いままで東京の手足としての役割を余議なくされてきた日本海沿岸及び裏日本視されてきた地域の人々の潜在能力を発掘し、奮い立たせることがこれからの日本が飛躍するための不可欠な問題なのです。

 

 チャンスの公平をいまこそ全国的規模で実現するためにも

都会地及び其の近郊からではなく

日本海側の

この地から

不世出の

強力な総理を誕生させることが

歴史的運命と思えてなりません。

 

 

 アジアの時代を切り開き、日本の新しい表玄関、首都をわがふるさとに国策として移転する為の大型ビジョンの策定と肉付けが急がれます。

 

 以上の力を行使できる、不可能を可能にする人物をこの地から誕生させなければなりません!

 

 これに反し,既成議員の多くは、なんのために再び議席を得んとするのか不思議としか思えません。

 

 現職でありながら実績ゼロの衆院候補が尚も国会に居座らんとしていることに対する怒りを増幅させているのは決して私だけではありません。

 

 現状のままでは血税を貧るだけで何もしない、何もできない無能政治家国家日本丸は沈没します。

 

 

 西川攻はこれをくい止めるため命を賭してこの国を刷新します。

 

 

 

 癌との闘病の日々ではありますが、ひらめく勝利への戦略を自分の心に反芻するたびにワクワクし、武者震いを感じないわけには参りません。

 

 

 戦略の内容の詳細は手の内を見せることになりますので文字にすることはご容赦をお願い申し上げます。

 

 従って歯切れが悪いとのそしりを免れないと承知しつつ、恐縮とは存じますが本稿はこの辺でペンを置きます。

 

 

 

 

平成24年5月1日

西川攻(さいかわおさむ)でした。