徒手空拳(素手)でチャレンジし続ける理由
乞う、ご期待。平成23年11月 から連続投稿!
あなたはどう生きるかに応える
現代人渇望の感動と知的話題の書
改定 「日本海時代の首都実現に燃えて」 -2-
--それでも私はなぜ出馬するのか-― 西川 攻著
まえがき
本編は、平成6年前後に執筆したものを、今日視点を考慮し、加筆訂正し改訂版として新たに書き直したものです。
目次は初版と同じです。従って2011―5―22日投稿
(逞しいしいふるさとづくりは西川攻にお任せください)済みの、ブログを御参照下さい。
尚、初版の3頁に亘るまえがきは、諸般の事情により割愛しました。ご了承の程・・・。
第一章 首都奪還!日本海時代実現に向けての第一歩
2・徒手空拳(素手)でチャレンジし続ける理由
その国民のレベルに値する政治家しかもてません。
従って、立派な選挙民を育てる事が立派な政治家を選出することが出来る訳です。
今の言語に絶する中央政界の廃頽堕落ぶりは、
この場に及んでも変革のチャンスを逃している無能な既成政治家・政党はもとより、決起しない私たちにも責任があるような気がしてなりません。
多くの国民は、平穏無事の生活を確保することが人生最大の目的と化しています。
今日、それは、各年齢層に共通して浸透するに至っております。
若者の間にも老後の不安が増幅、これを反映してか、l冒険心や、喜怒哀楽の実感を自発的に体験する場面は何故か置き忘られる様です。
勢い自分達のこと以外はあまり関わりたくないと思っているのです。
自らはリスクを負いたくない、冒険は、したくない反動もあり他人の生活が気になり、その比較に一喜一憂している感は否定できません。
彼らの多くは家族の為のみに、毎日印を押したように同じ日々をこなすことが、なによりも立派で正しいことであると自分に納得させているわけです。
そこには、”大義、親を滅す”・”滅私奉公”・”パブリックハピネス”の中に人間であるが故に秘められたドラマチックな素晴らしさ、や、情熱ほとぼしるロマンは遥か彼方の遠い存在となっています。
反面、幸いにこのところ、自立心を育んだり、
ボランテア活動を通じ充実した人生の活路を模索する傾向も散見されるようです。
ますます世知辛さ、ギスギス感が募る世相の中にあって、せめてもの救いです。
話を本論に戻しますが、私は、冒頭のような平穏無事の生活を一切絶ち切り、已むに止められず、正義感と使命感を燃焼せんと
立ち上がる行動にでたわけです。
「廃頽堕落の、この日本を西川攻が必ず変える!」との意欲、
野心満々で、はやる気持ちを自らも抑え難かったのが実情です。
わがふるさとの民度は金権物量一色に、席巻されていました。
私は全国注視の、この選挙区旧新潟三区から出馬すべく、東京を後にしました。
まったくの身ひとつ、・・・”徒手空拳”のまま・・・。
周囲には、無謀極まりない行動に映ったったようです。
これに対し、「自分の想いを明日の国家国民の為にどの程度塗り替えることができるか!」を考えた時の筆舌に尽くしがたいゾクゾク感が異常に駆り立て、わが決断に不安は何処へか吹っ飛んでいました。
時折しも、田中角栄氏がロッキ-ド事件で逮捕されたにも拘らず、刑事被告人の身としての出馬が確実になってました。
高潔な政治を貫きながらわが大野市郎代議士は政界を引退しました、後継者として大野先生の秘書の私がこの時に立候補することは大義を成すことに他なりません。
しかし、地元での私の出馬は、時、すでに遅く、先輩秘書連中6人は、各陣営に散らばっておりました(桜井派4、田中派1、村山派1)。
彼らの行動うを評して”政治信念と節操のあった大野先生の秘書としてあるまじき挙動だ、腰抜けどもだ!”と怒り顕わな人もいました。
落選引退議員の秘書も人の子、その後、各自が身の振り方を考えざるを得ません。一概に批判はできぬことです。
加えて、私の身内である県議1人、市議1人(ともに当時)は越山会(田中派)の大幹部でした。
ゆえに、彼らも自己の政治保身を考えたら磐石の組織内では、まったく身動きできない状態でありました。
縷々述べたように私にはこのような不利な悪条件が幾重にも立ちはだかっておりました。
人間には、150億個の脳細胞があります。之をフルに稼動、発揮すれば、必ず逆境を取っ払い、自ら、道は拓けると必死に暗示をかけ族けました。
国民の政治意識改造は国家100年の大計そのものです。
一朝一夕になるものではありません。
政治啓蒙活動家としてこれからの全生涯を賭けることを、固く心に誓い、胸に刻みました。
高校を卒業以来の郷里は様変わりしておりました。
金や物や目に見えることのみによって人の価値及び投票の基準が決定される風潮が蔓延しておりました。
、
これ以上の殺伐とした世知辛い人種の発生をくい止めなければ、
志の高さ、哲学や見識といった人間の本質価値、尊厳そのものさえ消えうせかねない民度の低さでした。
「この選挙区は根本から改造しなければ駄目だ。日本海時代の表玄関として飛躍するためにも。」を痛感しました。
更に、「虎の威を借るキツネとの戦いになる、群れなければ生きられない卑怯者に負けたら、犬死にだ、死んでも死にきれない。
西川攻が負ける訳が無い、いまにみておれ、必ず当選する!」
こうして余りにも永い
無一物で戦い抜く、
私の、苦節30年の第一幕は、斬って落とされた次第です。
平成23年12月1日 西川攻
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