学生法律討論会で感じた三流校の悲哀
第七章 (回想記 イ )
大学で得たもの失ったもの
自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」
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--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
第七章 (回想記 イ )
大学で得たもの失ったもの
3・学生法律討論会で感じた三流校の悲哀
司法試験に何人合格できたか、学生法律討論会で何位になったかは、法学部にとっても、司法研究室にとっても重大な関心事でした。
日夜黙々とする地道な司試勉強とは異なり、学生法律討論会は各々の大学内で勝ち抜き優勝した一名が代表者として出場するものです。
まず代表者が立論し、その内容について質疑応答を所定の時間内で大勢の聴衆の前で戦わすものです。
東大や早慶を始め各大学の強豪が競う、将に法学徒の研究発表の最大の桧舞台であり各大学もその名誉にかけて上位に入賞せんと、力のいれようは凄まじいものがありました。
特に「関東学生法律討論会」(所謂、東京六大学に東洋大と専修大を含む関東八大学が参加)・最高検察庁主催の「学生法律討論会」(上記八大学に上智大学・一橋大学・東京大学が加わる十一校の参加)における東洋大学の活躍はI先輩を軸に例年好成績を上げており、東洋大学ここにありの感を与えておりました。
特に他大学に対し東洋大学の存在感を発揮する唯一の場として、司法研究室を始め関係の教授・先輩も熱を入れ文字どうり大学代表として恥ずかしくない成績を収めるべく、一心同体となって大会に臨んでおりました。
1年のころから先輩などの勇姿に接し、何時の日か私も代表として大会に立論者として出場し優勝することを胸に秘めておりました。
ついに3年のとき、関東学生法律討論会の学内予選で優勝し、出場権を確保しました。
そして見事入賞し所期の目的を果たした感動は大きく、その後の生き方に大きな自信となって勇気を奮い立たせることとなりました。
続いて同年の学生法律討論会にも学内予選で優勝し、本学の代表権を得ました。
先の関法連で入賞した経験と実績もあることから、教授連も期待していたし、私自身もイケルとの自信はありました。
殊に大会の前日T教授は私の留守中に司法研究室に立ち寄り、夜遅くともよいから自宅に連絡するように伝言を室員に依頼して帰った位の熱の入れようでありました。
そして私がT教授宅に電話をすると実に一時間近く明日の立論についていろいろな示唆を与えてくれました。
更に、在学中に司法試験に合格したI先輩の指導もあり,万全の構えで臨みました。
そして立論を終えました。
しかし、その後の質疑応答で少々難があり、惜しくも入賞を逸する破目になりました。
その採点の中身を視ると、満点近い点をくれた委員の人も多くある反面、極端に減点した審査員がごく数人いたらしく、それが原因で入賞を逸したわけでありました。
「あの程度の質疑応答の不手際でこんなに減点されるのは不公平であり、将に事実は小説より奇なり」の趣旨のことを言った先生もいました。
私には判っていました。
東洋大学生が一つ間違っても、それが全評価となって判断され、仮に東大生が一つ間違ってもそれはたまたまうっかりしていたのであり、減点はしないという風潮が確かに審査員の中にはあったように思えました。
事実、他大学の立論者が誤った質疑に対する応答をしているのに、六法をめくって確認せずに見落としている例を、討論会でこの目で見ているからでありました。
しかし私が完璧であったならこのような結果にはならぬはずではありました。
女々しく、屈折した考えは持つべきではないと自ら戒めながら、何とかその場は平然として耐えてました。
しかし、その晩、床に入ってから悔しさが次から次へ込み上げて堪らなくなり、布団を被り、「ウオン、ウオン」と男泣きし、このとき初めて悔し涙を流したものです。
平成24年4月5日
西川攻(さいかわおさむ)でした。
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