「小さなジョセフィーン」 作:マリア・グリーペ 訳:大久保貞子 発行:富山房
小さなジョセフィーン (北国の虹ものがたり 1) マリア・グリーペ 大久保貞子 冨山房 1980-12-01 by G-Tools |
●
ジョセフィーンは六つ、いつまでもこどものままで遊んでいたいし、
ほかの子とおなじかっこうもしたいのです。
でも世の中は思うようにいきません。
お父さんもお母さんもいそがしがっています。
きょうだいはずうっと年上で、遊び相手になりません。
ふとしたことから家出して、
<もしあたしが死んだら、うちの人たちは、
あたしをいじめるのやめてくれるんじゃないかしら…>
そんなことを考えていたら、どこかのおばあさんに出会いました。
おばあさんはあめをくれ、同情してもくれましたが、
ジョセフィーンの心には別のなやみがめばえ、どんどん大きくなっていきました。
なにかが起こるまでおとなたちは気づかないものです。
さてジョセフィーンの場合はどうだったでしょう?
(あとがきより)
●
またまたマリア・グリーぺだ。
これはまさしくリアル系。子どもの日常が子どもの立場で描かれる。
気づいたことが2つ。
1つは「名前」に対するこだわり。
「ジョセフィーン」は、本当の名前ではない。自分でつけた名前である。
「夜のパパ」でも、ユリアは本当の名前でなかった。
名前が気に入らないから変える。ある種の変身願望かな。
もう一つは「雨のしずく」。
ジョセフィーンのお父さん(牧師)が、いった言葉。
「わたしたちは、『しずくが落ちる』というがね、
しずくたちは、空をとんでいる、と思っているだけなのだよ。
わたしたちは、空に上がる、っていうだろう?
ところがしずくたちは、地球に上がる、っていうんだよ。
地球は、しずくたちの空なんだ。」
全地球的な、雄大な自然の営みだ。
ジョセフィーンは雨が降らないのは、自分の行いが悪いからだと思い込む。
だから、自分がおとうさんに、行ってはいけない川へ行っておぼれた事を
打ち明けたあと、雨が降ってくる。
ジョセフィーンの心と、自然、そして神への感謝が一体になった瞬間である。
子どもの心理が、文字通り「みずみずしく」描かれている。
ジョセフィーンのシリーズは3冊ある。また読んでいきたい。
"JOSEFIN" by Maria Gripe(1961)