「ともしびをかかげて」 作:ローズマリ・サトクリフ 絵:チャールズ・キーピング 訳:猪熊 葉子 発行:株式会社岩波書店
(前回よりつづく)
ともしびをかかげて〈下〉 (岩波少年文庫) Rosemary Sutcliff 岩波書店 2008-04 by G-Tools |
サトクリフの小説では、主人公は最初になにかしら困難、障害を背負わされることが多い(それはサトクリフ自身が身体に障害をもっていたことと無関係ではあるまい)。「太陽の戦士」のドレムは片腕が不自由だし、「第九軍団のワシ」のマーカスは、戦闘で足を負傷して、軍人としての未来を絶たれる。では、アクイラはどうか?
アクイラは、ローマ軍がブリテンを離れる時にいっしょにブリテンを離れれば…困難を味わわずに済んだかもしれなかった。しかし彼は残ってしまった。ローマ軍のいなくなるブリテンがめちゃくちゃな状況になることが多分わかっていたにもかかわらず。
要するに、アクイラはみずからの決断で困難をしょいこんでしまったわけだ。
ではなぜ彼は困難な道をえらんだのか?
それは、家族や故郷があることだけでなく、自分がブリトン人である、という強い意識があったからだ、とある。
ブリトン人である以上、ブリテンを捨てて逃げることはできない、と考えたのだ。
彼は損得でなく、自らの尊厳、信念、そんなものを優先したのである。
はたして今の日本人に、信念を貫いて生きているものがどれだけいるだろう?
かくいう自分も、信念などかけらもなく、あっちふらふらこっちふらふらしているだけではないか。
まあ、アクイラにしても、この後さまざまな困難に直面して、迷い、苦しみながら生きていく。奴隷になったころなどは、どうとでもなれ的な精神状態にまで落ちている。それでも、自分がブリトン人だ、という尊厳は捨てなかった。心までサクソン人に売り渡してはいなかった。そして、その「ぶれない生き方」が、不遇の時を脱して、幸運を引き寄せたのだ…ということなのだろう。自分にもいささか覚えのあるところではある。(自分の場合は、生き方がぶれたために、苦しみを味わうことになってしまったのだが)
アクイラに限らず、「ともしびを~」にでてくる人々はそれぞれの考え、信念を持って登場する。例えば、2人の女性-妹フラビアや妻ネスの生き方は、アクイラとまたちがった筋の通ったものである。彼女たちは、男たちにいいように振り回され、それでも生きていくために(そこには愛もある)人生の選択をする。それはある意味やむをえない選択だったのかもしれないが、また最善の選択でもあったのだと思う。女性の強さ、たくましさがそこにはあると思う。
そんな一人一人の人生、生き様が、幾重にも折り重なって、「歴史」がつくられていくのではないだろうかと、そんなことに思い至った。
「われわれはいま、夕日のまえに立っているようにわしには思われるのだ。…そのうち夜がわれわれをおおいつくすだろう。しかしかならず朝はくる。朝はいつでも闇からあらわれる。太陽の沈むのをみた人びとにとっては、そうは思われんかもしれんがね。われわれは『ともしび』をかかげる者だ。なあ友だちよ。われわれは何か燃えるものをかかげて、暗闇と風のなかに光をもたらす者なのだ。」
物語のラストで、医師ユージーニアスがアクイラに向かって語った言葉を引用してみた。「ともしびをかかげる…」は、物語の冒頭でアクイラがルトピエの灯をともすところともつながり、また物語全体を象徴する、見事な締めくくりである。
いいことはすくないかもしれない、つらいことや苦しいことばかりの人生かもしれない、でもいい時も必ずくる、その日のためにわれわれは生きているんじゃないか。いいことがあると信じて生きようじゃないか。
そういうことだ。
またいらんことをくだくだ書いてしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございます。
例によって、行って見てきたかのような、克明な情景描写も見事です。
1959年のカーネギー賞を受賞。
万人にはすすめにくいけれども…とてもいい本、じっくり読んでほしい本です。
"THE LANTERN BEARERS" by Rosemary Sutcliff (1959)
★サトクリフの本