20万人しか居なかったのに、どうやったら30万人殺せるのでしょうか?
南京大虐殺が大嘘であり、反日プロパガンダであることが日本の研究者によって解明されています。
南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ・日本軍による南京虐殺の犠牲者数はゼロ(0人)・南京事件テーマに映画祭では匿名の証言など証拠力ゼロの映画を垂れ流し・南京虐殺は嘘(0人)シリーズ84の目次 より引用
陥落直後の南京、日本軍の配給を受ける避難民。昭和12年12月
「南京大虐殺」が嘘っぱちのでっち上げであり、日本軍による南京虐殺の犠牲者数がゼロだったことを簡潔にまとめると次の通り。
●まとめ
日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。
支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。
陥落直後の南京で治療活動をする日本軍衛生隊
国民の油断 歴史教科書が危ない! [西尾幹二・藤岡信勝] より引用
大量に殺害したのは、中国軍自身
まず、日本軍が南京を占領したとき、そこにはどれだけの中国人がいたのでしょうか。南京城内にはアメリカ人やドイツ人の大学教授や宣教師によって管理された安全区がありました。市民は戦闘にまき込まれるのを避けるため、周辺の農村に逃げ出すか、この安全区に避難していました。
日本軍が南京を占領した直後、この安全区には約二十万人の市民がいました。どうしてそれがわかるかというと、さきの外国人からなる安全区の国際委員会が日本軍に住民のための食料の手配を要求する手紙を書いて、その中に「二十万人」という数字が出てくるのです。
では、日本軍を迎えうつ南京防衛軍は何人いたかというと、『ニューヨーク・タイムス』のダーディン記者の報ずるところによれば、約五万人でした。ダーディンは国民党政府の南京防衛軍から取材したものと思われます。
以上の、「市民二十万」「防衛軍五万」という数字をよく記憶しておいていただきたいのです。
さて、南京をめぐる攻防戦で、万を数える中国人が死亡したことは間違いのないことです。その死者のほとんどすべては民間人ではなく、兵士です。なぜなら、さきの安全区国際委員会は、日本軍が占領した一ヶ月後に、日本軍に二十五万人分の食料を調達するよう手紙を出しているからです。日本軍が占領することによって治安が回復し、周辺に逃げいていた市民が戻ってきたのです。市民の虐殺は、あったとしても極めて少数であったはずです。例えば数千のオーダーで虐殺が行われている市内に周辺から市民が戻ってくるはずがありません。それはまるで殺されるために帰るようなものです。
では、なぜ局所的に大量に中国兵の死者が出たかというと、その責任はあげて中国側にあります。それには次のような事情があったのです。
国民党総統の蒋介石はもともと南京を無血開城させようとしていました。ところが唐西智という部下がいて、蒋介石に「南京は孫文の記念の土地であるから、やはり一戦交えてここは一旦は死守しなければいけない」と進言したのです。蒋介石はその言葉にほろりとして、「それじゃ、おまえを最高司令官に任命するからやってみろ」と言って、唐西智を南京防衛の最高司令官に任命しました。蒋介石自身は先に逃げました。
ところが、蒋介石の前でそういう大見得を切って「私は命を賭けて守ります」などと言っていた唐は、一旦、日本軍との戦闘が始まったら揚子江を通って真っ先に逃げ出したのです。そのときに部下に指揮権を委譲せずに、勝手に任務放棄をして逃走してしまいました。そのことによって中国軍は大混乱に陥りました。散を乱して烏合の衆となって逃げる中国兵を、大量に殺したのは中国軍自信なのです。中国軍の督戦隊が逃げる兵士を阻止するために発砲したのです。
それが城壁から鈴なりになって何メートルにも堆積しました。その死体を見た『ニューヨーク・タイムス』のダーディン記者は、「これは日本軍がやったことだ。見せしめにこれを片づけていないのだろう」というふうな解釈をしたのです。
そのダーディン記者の誤解に典型的に表れているように、たしかに、南京の周辺で中国人がたくさん死んだことは間違いないけれども、それはほとんど戦闘と自軍通しの殺し合いによって生じた死者です。戦闘自体、中国側が日本側の投降勧告を受け入れていれば何の必要もないことでした。
南京大虐殺の元となった風説を流布した男
ダーディン元ニューヨークタイムズ記者
河村たかし市長、あなたは正しい
どうか信念を貫いて下さい
真の友好は、真実の上に築かれるべきです
「南京大虐殺」は捏造(ねつぞう)だった
上記サイトは解りやすくまとめてあります、是非ご覧下さい
こういうのを世界に広めねば。
しかしそのNYタイムズの記者は、なぜ、嘘を広める必要があったのですか? 日本を憎む理由が?それとも、中共からお金をもらっていた?そのことも書いてください!
これによると、NYタイムズのダ―ディン記者は 違う内容の記事を書いたそうです。
お調べください。重要なことだとおもいます。