アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争

社会構造を分析しています。

「拒否できない日本」を読んで

2016年08月30日 | 記事

>この本『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)=写真=は、米国政府が毎年10月に日本に提出する「年次改革要望書」の存在を暴く内容。10年来、日本の規制緩和政策が、独占禁止法や郵政民営化、先に成立した会社法など、すべて「要望書」通り実現していく様を描いている。

 もっとも、「要望書」自体は、米国大使館のサイトで日本語訳が読め、同書は《数年後の日本になにが起きるか知りたいときには必読の文献である》と指摘する。
(97621)

 文藝春秋社のサイトで注文後、2週間も経って届けられたこの本を読んで、最もショックだったのは、アメリカの内政干渉とも言える数々の要求を、「まぁ、今までよりよくなるということだし、アメリカ方式結構。変化を受け入れて、早く対応して時流に乗ろう。」という土壌が常に国内にあったという実感だった。

 指名入札からコンペプロポ方式への移行、阪神大震災後のタイミングにして逆に緩和の方へ改定された建築基準法の性能規定化、商法の改正、金融の自由化、裁判の迅速化を掲げた法曹人口の増員、etcetc・・・・。

 郵政民営化もサービスの向上や税収の増、官から民へ・・・・とマスコミを通じて喧伝されたが、それを真に受けてその気になった層はアメリカの国益になるような方向へ投票してしまった。

 だがアメリカは何も日本国民の利益を考えて数々の要求をしてきたわけではない。

 北京で開催された建築家世界大会の話から始まる、様々な分野における一連のアメリカの布石、その目的と動機に関わる考察を読み進めると、とても勝ち目のない相手の土俵に引き出されつつある現状が明らかになってくる。

 自由競争市場というシステムでの利権争いが変わらず繰り広げられている。金融・株式市場では企業買収や空売りなどのテクニックを駆使した勝者が、敗者から収奪していく。既に日本は参戦してしまっているが、外資が日本の企業を食い物にしようとしたら、赤子の腕をひねるようなものだと言う。
 
 勝者となるべく戦略を持って自国に有利な国際基準を整備し、他国に干渉し、布石を打っていく。勝つためには手段を選ばず、敗者がどうなろうと顧みることはない。「市場の勝者となる。」ために、財界政界法曹界一糸乱れぬ動きをとっていく。

 アメリカは日本の指名入札制度を非難し、圧力を掛け続けてきた。しかしイラク復興事業はアメリカの企業の指名入札でなされた。「アメリカ国民の税金を使う事業において、アメリカの企業に利益を還元するのは当然である」と開き直るアメリカ。それは日本が数々の非難を受けながら、言いたくても言えなかった台詞であったという。

 アメリカは常に正しく、日本は間違っている。日本の制度は不公平である。だから是正するように。と日本政府は要求され続けてきた。談合や贈収賄などの不祥事をすっぱ抜き、マスコミをうまく使い、日本国内にもアメリカ親派、アメリカ流儀肯定ムードを作り続けてきた。

 マスコミを通して洗脳され続けている結果、アメリカは日本という大事な同盟国に対して悪いようにするはずがない。という感覚がどこかにあったのではないか。

 EUという対抗勢力を作り上げたヨーロッパ諸国や、巨大な市場を楯にアメリカとの駆け引きに臨む中国に対して、アメリカの温情を信じて何も手を打ってこなかったかのように見える日本は、共認社会の先進国として可能性を拓くどころか、今や孤立無援でアメリカの餌食になりつつあるように感じる。

 でも、それにようやく気付いたからといって、アメリカに負けないよう、国際社会で多数派工作して市場競争に勝っていくことが日本が目指す道ではないのだろう。

 市場は縮小している。市場主義の限界・矛盾・破綻は明らかである。全ての側面に於いて共認原理に移行しつつあり、人々の活力源・可能性の所在、その意識潮流は動いている。そのシステムを一から創っていくことでしか根本的に問題を解決することはできない、ということを、リアルに迫る危機感のもと、改めて認識する。





渡邊かお里 
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

性格神経症のアメリカとその呪縛からの開放

2016年08月29日 | 記事
> 私は、この「集団自我」概念は、「国家」というものを考える上で、あるいは「戦争がなぜなくならないのか?」という疑問を考える上で、一つの切り口になるのではないか?と思います。
( 【「集団自我」という観点から国家と戦争を捉える】82960)

という投稿がありますが、アメリカを理解する上で、同じく岸田秀氏の「アメリカを精神分析する」という論文が有効だと思います。同氏は、「アメリカは、個人にたとえれば強迫的な性格神経症者である」として、アメリカの「集団自我」を論及しています。

> 性格神経症に関して言えば、経験の欺瞞の結果、同種の経験が強迫的に反復されるようになる。その強迫的反復は、経験の欺瞞が暴露され、当人が真実を認識するまでつづく。なぜ反復されるかと言うと、当人としても、経験の欺瞞を心の隅のどこかで薄々と、あるいは無意識的には知っており、知っているがゆえに、経験の欺瞞が欺瞞ではなく、正しいのだということをいやが上にも証明しなければならず、そして、そのような証明が成功するはずはないので、いつまでも繰り返し証明を企てざるを得ないからである。(岸田秀著「アメリカを精神分析する」より)

経験の欺瞞の始まりは、17世紀初頭にメイフラワー号でアメリカに上陸した聖徒たちで、アメリカの自由と民主主義の始祖と言われる彼らが為した所業とは、信頼と尊敬の態度で接してきたネイティブ・インデアンに対する裏切りと残忍な殺戮であった。

その結果、自由と民主主義は裏切りと暴力の口実に過ぎないのではないことを証明するために、アメリカ人は、他民族・他人種を見ると裏切りと暴力を使ってアメリカの自由と民主主義を押し付けたい強迫的衝動に駆られる、と岸田氏は展開する。

アメリカの対外侵略の歴史もそれを踏襲しており、メキシコ領土からテキサスをハワイ王朝からハワイを領土化していった。その手口は一様で、相手を追い詰めて相手が止むに止まれず一撃を打って出ると、「自由と民主主義を守るため」に闘うということで自己正当化する。対日戦争も然り。

たしかに、ベトナム戦争では「トンキン湾事件」をつくりあげ、イラク侵攻においては「捏造した核の脅威」を根拠に事を為す手口は、アメリカ建国時に端を発する[性格神経症]に基づくもの見て取れる。それは、いまだに尾を引き、その駄々っ子振りは目に余るものとなってきた。

「アメリカがインディアンにインディアンから奪った土地を返し、ハワイ人にハワイを返し、東京裁判を恥じるようになるまでは、アメリカ人というものを信用できないことは言うまでもない。おのれの犯した悪を正当化し、正義化した者は、正義の名において、どのようなことをやらかすか、わかったものではないからである。」という岸田秀氏の結びには、得心せざるを得ない。

しかし、強大な国力を背景にしたアメリカの所業も、アメリカ経済破綻予兆の前に陰りを見せ始めているし、何よりも、人類はすでに「共認を統合軸とする時代にパラダイム大転換」していることを考えれば、淡々とした事実観念を積み重ねて共認形成していくことにより、『アメリカの性格神経症』の問題が浮き彫りになって、それにより、日本がアメリカの呪縛から解放され得るのではなかろうか?

参考:「続ものぐさ精神分析」岸田秀著 中央文庫『アメリカを精神分析する』




小圷敏文
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

貧困層の活力をエンジンにする米国(=貧困の輸入)

2016年08月28日 | 記事
豊かな先進国でありながら成長力を維持しているアメリカは、きわめて特殊な国であるという事を良く耳にする。

一般的に、経済が未成熟な国(=戦後の日本や現在の中国)は、先進国というモデルに見習い、どうすれば産業を発展させられるか、どうやったら生活を豊かにできるのかといったことが明確に意識され(課題化され)た結果、急速な経済成長を実現している。
しかし、すでに成熟を迎えた日本やヨーロッパの国々では、その成長力は失われてしまったという事は皆が実感する通りです。
でもなぜアメリカは、日本やヨーロッパの国々と並ぶ豊かな国でありながら、今でも高い成長力を維持しているのか?

○「貧困をエンジンにする仕組みが成長力を維持」
 移民の国として成立したアメリカは、世界各地からの貧しい移民を受け入れ続けてきたために、常に貧しい人が人口のかなりの部分を占めていました。これは、豊かな先進国のなかに、貧しいけれども成長力のある発展途上の国を組み込んでいるようなものです。
(人種構成は、ヨーロッパ系が 77.1%、アフリカ系が 12.9%、アジア系が 4.2%、アメリカとアラスカの原住民族が 1.5%、, ハワイなどの太平洋諸島原住民族が 0.3%、その他 4%。)
 貧しい移民はアメリカで仕事を見つけて一生懸命に働き、その稼ぎを消費に回すことで豊かな暮らしを実現していきました。アメリカは、そうした貧困層の活力をエンジンにすることで、今でも成長力を維持しているのです。
 この仕組みは、アメリカ自身の成長力の維持と同時に、国外から取り込んだ貧困を解消することで、世界全体の貧困問題の解消に貢献するものでもあります。いわば「貧困の輸入」による国際貢献です。
(中略)
・・・貧困は、アメリカ経済を前進させる主要なエンジンの一つだったのである。
 貧しい移民を受け入れるのは、その貧困エンジンに燃料を送り込むことを意味していたが、世界レベルの貧困問題への貢献でもあった。

途上国への資金援助を軸とする日本の国際貢献が「豊かさの輸出」であるのに対して、米国のそれは、いわば「貧困の輸入」による貢献と言えるだろう。
(「未来経済研究室」から一部引用)

○「・・・日本も移民を受け入れる?」
以前、日本でも高齢化の進行や成長の鈍化の背景を問題意識として「貧困層(東南アジア系)の受け入れ」という福祉政策(介護・介助)が議論に上げられたと聞いたことが有る。
これは先にもあった様に、もろに米国の経済モデルをなぞっただけのもので、目先の課題に振り回されているだけの日本にかなり違和感を感じた。
借金を大量に抱えた日本の経済を、どの政治家も答えが提示できないとはいえ、あまりにも安易な政策である。

このままでは、完全に米国の市場戦略に飲み込まれてしまう。
皆の潜在的な意識が少しずつ顕在化している状況というだけに、何とももどかしい。



峯川満章 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

戦争とは経済行為

2016年08月27日 | 記事
戦争論で有名なクラウゼヴィッツは「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である。リンク」と戦争を定義しています。しかし、現代では加えて経済的行為の継続という面が非常に強くなってきているように思います。

                 ◆             
<近年の主な戦争>
1990年 - 1991年 湾岸戦争
1991年 - 2000年 ユーゴスラビア紛争
1991年 - (継続) ソマリア内戦
1994年 イエメン内戦
1994年 - 1996年 第一次チェチェン紛争
1999年 - (継続) 第二次チェチェン紛争
2001年 アメリカのアフガニスタン侵攻
2003年 - (継続) ダルフール紛争
2003年 イラク戦争
 
<アメリカ軍事関連データ>
・世界最大の軍事国家で、世界全体の軍事費の40パーセントをアメリカ 1国だけで占めている。
・軍事費は、2,767億ドル。GDP比は、3.2%。2003年で歳出の43%(国防総省の使ったお金)。
・兵器の輸出も世界一で世界の47%、2位ロシア18%、3位フランス、4位ドイツ、5位イタリア、6位中国、7位イギリス(2000-2003)
世界の軍需企業上位100社のうち米国企業は42社(2002)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リンク
                 ◆
 軍需産業で取り扱う兵器・車両類、諸物資などは市場で取引される民間物資に比べ法外な利益率で取引されます。よって、軍需産業は国家的にも位置づけが非常に大きくなる。まして、現時点でその軍需産業比率が大きいとなれば、その産業維持及び振興政策をとるのは至極当然な結果だといえます。

 例えば世界一の軍需国家であるアメリカがいくら大義名分をうたおうが、その本音の部分(国益)はすでに周知のこととなっています。

65778 山澤氏
>実際、先のイラク戦争でヨーロッパに反戦運動が盛り上がったのは、欧州各国のイラク油田の既得権益をアメリカに持っていかれるのが明白だったからであって、反戦運動とは姿を変えた国益収奪争いであるとの事実は今も変わりません。

21世紀初の米経済の不振を透視する(甄炳禧・中国国際問題研究所副所長 リンク
)より引用
>ニューヨーク株式相場の下落とは反対に、軍事関連企業の株価は「9.11」後の取引き開始1週間で急騰した。レイシオン社の株価は2週間で37%増、ノースロップ・グルマン社は24%増、ロッキード・マーティン社やゼネラル・エレクトリニック社も数十ポイント上昇したほか、一部軍事科学技術関連の小企業の株価も30~40%値上がりしている。

 と考えれば、戦争をなくすために行う平和運動は、結果としての戦争行為を抑止しようとするのみで表層的・対症療法的な行為でしかない。そもそも戦争を行う目的、背景、構造などを考えれば、序列格差を生み出し続ける資本主義経済システムが継続する限り、より正確には国家間貿易が存続する限り、戦争はなくならないといえるのではないかと思います。資本主義がアメリカ型グローバルスタンダードにより傾注し、利益追求志向を強めていけば戦争経済という巨大な市場を対象にしないはずがない。

 戦争を生み出す構造がある限り、表層的対処をいくら続けても戦争はなくならない(平和問題というような分断された領域でこの問題を扱っても答えは出ない)。つまり、人道的側面を強く打ち出した平和運動ではなく、序列格差を拡大する社会統合システム(序列原理)そのものを根本要因として検証していくことがまずは必要なのではないでしょうか。




浅野雅義
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

規範意識と法の違い

2016年08月26日 | 記事
スマトラ沖地震は各国で甚大な被害が発生した。その中でも一番被害の大きかったインドネシア政府が各国軍の駐留を3ヶ月間に限定要請したり、タイ政府も「わが国には援助は不要」と発信している。それに対して、国連を始めアメリカや西欧諸国は援助を受けるべきだと反発し新たなルール作りに躍起になっている。

当初は各国の援助の異常な盛り上がりに違和感を覚えつつも、何故素直に援助を受けないのか?と不思議に思った。しかし、被災国の立場に立って見ると、その背後には私権社会での強い警戒心、将来に亘って国益を損なうことへの不安があることが理解できる。とりわけ、イスラム教圏のインドネシアはキリスト教に対する宗教上の価値対立が存在する。

>『私権闘争は力の序列共認に収束する』というこの原理は、人類の「文明時代」にも顕在化する。文明時代3000年間は、力の序列→身分制が秩序の根幹となり、体制の主軸となっている。また近代においても、『力関係を基盤にした秩序規範』というこの構図は、何ら変わっていない。(2240)

いくら米軍兵士(の一部)が「今回は(イラク戦争に比べて)大義がある」と言っていたとしても、「援助」の背後に隠されている利権や力の支配を被災国は敏感に嗅ぎ取っている。だから、必要以上の援助は不要であると防衛しているのだ。私権社会の強者(西欧キリスト教諸国)の間だけで都合よく定められたルール(法や条約)は、弱者にとっては搾取されるだけで何のメリットも無いのは、歴史を見ても明らかである。

>規範とは不文律です。(中略)・・・そして共通感覚、感覚の共有、相手も同じである(仲間、同朋である)という意識これらが規範意識の土台ではないでしょうか。(957)

多くの日本人(東洋)の規範意識は僅かに残存する縄文体質や儒教規範も相まって「みんなで決めたことは守るのが当たり前」であると正直に考えている。一方、西洋人は「強者同士の利害調整のために作った法や条約などは破るのが当たり前。いつでも都合よく変更できる」と考えている。国際社会で日本が舐められ続けているのも、この規範意識の差にあると思われる。

>そう!足りなかったのは「機能と場」、即ち部族集団を超えた共認を可能とする共通の言語や人類に普遍的な事実観念=『社会統合観念(構造認識など)』と、集団内での対面+体感を超えて共認を形成していける場=るいネットやなんで屋のような『社会媒体』。
(83900、「国家=社会ではない⇒共認社会は国家を突き抜ける」)

今、各国は環境破壊や経済破局、精神破壊などの人類共通の課題を抱えている。序列原理⇒共認原理の社会への転換が最も進んでいるはずの日本(日本人)が、いつまでたってもアメリカ追従路線ではいけない。「社会統合観念」と「社会媒体」を駆使して、みんなの期待に応えていかなければならない。そのためには、私権社会(序列原理の社会)の構造とその終焉構造、そして来るべき共認社会の在り様を発信してゆく役割がある。



橋口健一
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加