土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

武士の台頭 (源氏・平氏とは何か)

2013-08-26 19:03:03 | 歴史の読み方

土佐のくじらです。

さて、平安時代の末期には、地球レベルで寒冷化の兆しが見えてきます。
そして日本でも争いごと、揉めごとが増え始め、その対応の必要性から、武士が台頭してきます。

温暖な気候が続いた平安時代ですが、末期になると世界規模で寒冷化が進みます。
それまでは、多少作物を取られても、「まッいいか。」とやり過ごせたことでも、寒冷化で収穫量が収穫量が減ってくると、そう安穏とはしていられません。
どうしても、ぶつかり合いが多くなります。

そこで、自分たちの取り分や領地を、実力で護衛する動きが出てくるのは、時代的要請として致し方ないであろうと思います。
恐らく、平安初期からの鎖国政策(遣唐使の廃止)からの長期の平和ボケで、朝廷の常備軍などの警備組織の弱体化もあったのではないでしょうか?

そういう時代背景から、時の政府の治安が当てに出来なくなり、平安時代の日本国民は、自分たちの利益は自分たちで守る・・・という行動に出たのが、このころの武士の出現に、大きく関わっていたと私は推測いたします。

これが、源氏や平氏以外の武士の姿なのだと思うのですね。
でなければ、後に源平合戦をやったり、鎌倉時代に全国規模で武士による政治が現実的に起こりますが、短期間にそれだけの武士を出現させるだけの、時間的な説明ができないのです。

そして鎌倉期など、その後も武士は年貢を納めていますが、やはり武士とて、【農家】なのですね。
武力を持ち、それを駆使した農家なのです。
これが崩れるのは、後の豊臣秀吉の刀狩までであり、完全に農家が身分として定着するのは、江戸時代からです。

ですから、それまでの日本国民は、総農民・・・なのですね。
これを見落とすと、武士なら武士・・・という人たちが、古来より日本にいたような認識をしてしまいがちなのです。

何を隔そう、私がそういう眼で歴史を見ておりました(笑)。
しかし、【かつて日本国民は、全て農家であった】というキーワードに気づいてから、日本史が面白くなったのですね。

ですからこの時期は武士という身分は、完全には確立しておりません。
あくまで、自力で領地を守る者や、領地を守るために雇われた、ガードマンのような位置づけですね。
あくまで武具を身に着け、それを使う農民なのです。

そして、後の世に権力者として振舞う平氏や源氏ですが、これらは他の農家から自然発祥的に出現した武士とは、ちょっと違うのですね。
どこが違うかと言いますと、お家の成り立ちが、歴代の天皇から来ているところが違うのです。

平氏は、桓武天皇の血筋からの分家です。
源氏は、清和天皇の血筋です。

つまり、家柄が違うのですが、恐らくこれらの血筋の方々は、朝廷ゆかりの土地を警備していたのではないかと、私は推測いたします。
このころは、庶民が勝手に土地を開墾して良い時代ですから、一般庶民も自前の農地があったのですね。
またそれとは別に、朝廷の承認を得た土地というのもあり、その所有者が貴族なのです。

天皇や貴族の所有する土地を、警護する役割としての軍事組織の仕事が、天皇一族の分家としての、平氏や源氏一族の役割だったのではないでしょうか?

まぁ、言葉は悪いかも知れませんが、多くの武士が自衛団的組織とは言え、ヤ○ザや山賊的な要素が大きかったのに対し、平氏や源氏は一応、国家が認めた警察や自衛隊的な、由緒正しき組織であったとは思います。

そして、寒冷化が進み、増加する現実的ないざこざ・・・つまり、戦闘ですけど(笑)、それらを通して、地侍などの軍閥派閥を取り込むことで、平氏や源氏が年々、現実的な力・・・つまり、軍事力ですけど(笑)や、発言力を増して行ったのではないかと、私は推測している次第です。

                                             (続く)


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