土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

日本の弱点、戦略的国防感覚の弱さを考える。(更新)

2016-02-28 20:10:30 | 土佐のくじら国防論

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土佐のくじらです。

土佐のくじら国防論は、言葉を変えれば、国家の健康を保つ・・・という考えになろうかと思います。
国が外敵の脅威を受けない状態を、国家が健康な状態として見る訳です。

そういう観点から日本の国防を観たならば、ひとつの傾向性が見て取れます。
それは、戦略的な国防という視点が、どうやらかなり弱いらしいということです。

何度か当ブログ記事で述べた通り、侵略国家というのは、自分より強い相手とは戦いません。
絶対に勝てる相手とのみ戦います。

これは鉄則です。
なぜなら、侵略とは軍事力を行使したビジネスであり、戦闘行為という投資リスクに見合うだけの利益がないと行えないからです。
肉食獣が、自分より強い相手を狩の対象としないのと同じです。

肉食獣は、自分たちが生きるために狩りをするわけですから、狩りをすることで、自分たちが死ぬような行為は本末転倒です。
ですから狩の対象は、自分たちより弱い相手であり、もしも自分たちより強い相手と対峙しなければならない場合は、相手を弱らせてから狩りを行います。

ですから、自分たちより弱い勢力と戦ったことのない近代日本は、侵略国家とは呼べません。
強国としか戦ったことのないということは、いくつかの戦争は、国防戦争であったということが最も論理的な解釈となります。

しかしそれは、日本は反省する必要がない国家であるということではありません。
なぜなら、日本と対峙した国家群は、広大な領土や、多くの植民地を持つ侵略国家であったのですが、彼らは侵略という行為に対して、戦略的な思考を用いてきているのです。

それに対して日本は、日本的美意識とでもいうべきでしょうが、決戦という形でしか対峙していないのです。

これは「侍意識」と言い換えることはできましょうが、結局のところ日本は、戦略的国防感覚が弱いと私は考えます。

相手は戦略的に侵略を考えるのですから、こちらもそれに対しては、戦略的国防で臨まないと、ひっくり返すのに難儀するのは当たり前です。

結局これが、日清・日露・日中・大東亜戦争と、近代日本が難儀な、しんどい戦争の歴史しか、経験していない要因だと思うのです。

実際に病気をしてから、病気を克服するのはすばらしいかも知れませんが、病気をする前に、予防することが重要ですよね。

この「戦争を予防していく感覚」というのが、著しく弱いのが日本だと、歴史愛好家の私は考えるのです。

私の持論では、大東亜戦争の前に日本が孤立化した要因を、1919年のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃宣言をしたことを上げております。

当時は白人至上主義に基づく、植民地主義全盛の時代ですから、これが連合国、つまり、世界中に植民地を持つ国家との対立となったと私は考えます。

人種差別が根底にないと、人口の少ない白人国家では、膨大な人口を要するアジアやアフリカ諸国を、植民地支配ができないからです。

その前には、1905年の日露戦争で勝利した日本を警戒する、国際的な動きはあったでしょう。

次世代の覇権を狙っていたアメリカでは、それ以降日本への嫌がらせが始まりますので、日本の孤立化は、大正デモクラシーで日本が、つかの間の平和を享受しているときに始まっているのです。

そういう視点で観れば、大東亜戦争以前の日本の時系列的な動きが、すべてつじつまが合います。

孤立化の動きに対して、有効な手立てを打てぬ日本政府に業を煮やし、旧日本軍は独自で対応したのが、軍部の独走として語られているはずです。

ここで考えなければならないのは、1941年に大東亜戦争を仕掛けたアメリカは、実際に日本に対峙するまで、パリ講和会議から25年、日露戦争から言えば、40年近くの歳月を使って、戦略的にことを進めているわけです。

一方の日本は、軍部の独走と言われるようになったのは、開戦前の10年前からでしかありません。
つまり、対応が遅すぎるのです。

予防接種(戦略的国防)が遅すぎたので、厳しい闘病生活(超大国との戦争)を強いられているのが日本の歴史。

私には、日本の近代の歴史は、そう見えて仕方がないのです。

日本人は侵略者ではありませんから、その感覚は理解が難しいのかも知れませんが、侵略者というのは、戦略的に侵略を考えるのです。

ですから、日本が平和国家であり続けるには、どうしても、戦略的国防感覚を身につける必要があるし、「それが大事だ。」という価値観を、多くの日本国民が、基本的な思考ベースとして持つ必要が、絶対に、絶対にあると思うのです。

これこそが、日本がしなければならない、真の反省だと思います。
それは日本人が、古来より侵略者的発想をしない民族であるからこそ、絶対に必要な反省なのです。

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健康と平和(土佐のくじら国防論)更新

2016-02-27 12:03:30 | 土佐のくじら国防論

 

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土佐のくじらです。

私は平和主義者です。
少なくとも、自覚的にはそのつもりです。(笑)

私は平和主義者であるがゆえに、現在の日本に蔓延する、憲法9条至上主義や、米軍基地撤退運動のような、一見平和に見える活動は、平和運動には見えないのです。

まるで「平和平和」と、となえてさえいれば平和がやってくるがごとき、のんきな思考で平和が来ると考えているとするならば、それはとても危険な思想だと思います。

皆様、「健康大事」ととなえていれば、健康が保てるでしょうか?
もしもそんなことで健康が保て、健康な体が手に入るならば、これほど楽なことはありません。

現実的な視点に立てば、日々健康状態を保つためには、自身の身体はもちろん、医療関係者や保険所関係者も、製薬会社も、食料や衣料、電気などの文明関係、そして政治も何もかもが必死の努力をし、過去の学問の蓄積から何から何までを総動員して、一個人の健康は保たれ、ある程度保障されているのが現実のはずです。

そして健康になり、健康で過ごすためには、健康になる理由があり、健康になるための努力があることは、おそらく大部分の方がご存知のはずです。

平和も同じなのです。
平和を享受し維持するには、平和になる努力をし、それを邪魔するものを、排斥する努力をしない限り、多くの人が平和を享受することは難しいのです。

人々に健康を提供するために、医学では人間を科学します。
解剖学・生理学・病理学が医学の基本です。

解剖とは、体の仕組みです。
生理とは、体のはたらきです。
病理とは、病気の仕組みのことです。

日々病と闘い、病を根絶するためには、病気そのものを見て、研究する必要があるのは当たり前のことです。
でなければ、病気を克服することなどできません。

また、上下水道がないところでは、赤痢やコレラのような消化器系の感染症に。
日の光が弱く、風通しの悪い人口密集地では、結核などの呼吸器系感染症になりやすいです。

また鳥や豚など、家畜と人が多く混同する場所では、インフルエンザウィルスが変異しやすく、深刻な蔓延を起こしやすくなります。

ですからこれらのように、社会環境学や衛生学の研究をし、それに伴った、健康に悪影響を与える因子を、排除していく社会的な努力も必要です。

また、あまりにも安楽な環境・・・。
たとえば、一日10時間以上も睡眠を取るような生活や、あまりにもきれい過ぎる環境だと、免疫機能が落ちて、アレルギーや癌になりやすくもなります。

平和も同じです。
まず自国を知り、敵国を知り、いかにすれば、敵国からの侵略を止められるかの考察なしで平和が来ると思っているならば、そのような甘い見識では、侵略されても仕方がないです。

病に至る原因追求なしで、健康を維持するのが難しいように、一見平和主義では平和にはならないのです。
また、極度の平和ボケも、実際には平和を遠くします。

要するに、日本でおなじみである(左翼的と言った方が通りが良いでしょうか?)一見平和主義こそ、もっとも平和から遠い思想であり、行動基盤であるということです。

これが歴史愛好家から見る、土佐のくじら国防論の序章です。

 

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日本を再び被爆国としないために。

2016-02-26 11:29:30 | 土佐のくじら国防論

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土佐のくじらです。

今年に入り、北朝鮮では水爆実験を成功させたという発表しました。

その実情がどうであれ、「水爆実験が成功した」と発表したことは由々しき問題です。

水爆は原爆で起爆させます。

水爆は水素爆弾の略ですが、決して水素を燃やしているわけではありません。

原爆(原子爆弾)が比重の重いウランを核分裂させるのに対し、水爆は重水素を核融合させて膨大なエネルギーを出す構造です。

いわば、太陽と同じ原理なのが水爆です。

この核融合のための高温は、原爆によって得るわけで、「水爆が成功した」ということは、「原爆が起爆装置として使える」ということです。

つまり北は、「北朝鮮には、小型で精密な原爆がある」ということを表明したということです。

その後、今月に入って北朝鮮はミサイルを発射しましたけれども、これらを総括すれば、「北は、原爆をミサイルに載せて飛ばせる」ということを、日本を含めた世界にアピールしたことになります。

自衛隊は北朝鮮ミサイル迎撃のために、PAC3を沖縄に配備しましたが、核ミサイルならば、地対空で迎撃しても無意味です。

迎撃できるのは、せいぜい数十キロ上空だからです。

ということは、たとえ迎撃に成功したとしても、数十キロ先で原爆投下されたのと同じ被害を被る結果となります。

つまり簡単に言えば、相手が核ミサイルならば、撃つ前段階に破壊するか、撃った直後に迎撃しない限り、日本は被爆国になるということですね。

一方中国は、フィリピン沖南沙諸島のさんご礁を埋め立てた人口島において、軍事基地構想を着々と進めております。

ミサイルを配備し、どうやら戦闘機やレーダーもあるようです。

ずっと昔から中国は、日本に向けて、200発もの核ミサイルを向け続けております。

撃つ撃たないは別にして日本は、核保有国に囲まれ、いつでも滅ぼそうと思えば滅ぼすことができ、脅そうと思えば脅せる位置にあるということです。

問題はその決定権、イニシアチブが、中国や北朝鮮など、相手国側にあるということです。

日本の広島・長崎は被爆地であり、「二度と過ちは犯しませぬから」と言っていたとしても、たとえ日本がおとなしくしていたところで関係ないわけです。

日本は、核武装に踏み切るべきときが来たと思います。

核兵器は、核武装してない相手にのみ有効な大量破壊兵器です。

核武装していない相手なら、報復がないからです。

ですから核武装している者同士は、核戦争はできません。

核武装している者同士は、通常兵器でしか戦えなくなります。

となれば、日本が核防衛を構築できれば、中国や北朝鮮らの、時代遅れの横暴な野望は頓挫することを意味します。

二度と日本を被爆国としないために、そしていつまでも日本が日本であるために、今の日本は早く決断しないといけません。

コップの中の争いを、いつまでも続けている暇はありません。

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