土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

食うための戦争を終わらせた国 日本 (前編)

2013-06-30 09:19:53 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

先の大戦で日本は負けましたが、世界史的に多大な貢献をいたしました。
当時世界制覇寸前まで来ていた、白人による植民地時代を、日本は終わらせたからです。

一騎打ちをしたアメリカと言えども、戦争当時にはまだチャキチャキの侵略国家でした。
しかし、日本との対戦の後、彼らは世界の警察へと成長しました。
日本がアメリカを脱皮させたと言っても良いと思うのです。

さてそして、日本は戦後の復興期に入って行くのですが、この戦後の繁栄は、
更に世界史に大きな影響を与えたと私は考えております。

日本の復興と大繁栄がもたらした意味とは何か。
それは、侵略の意義そのものを、人類の心から消し去ったことなのです。

それは戦後日本の繁栄が、自国領土の拡張を伴わない繁栄だったからです。

これは、人類史上初めての出来事です。

侵略というのは、国家のビジネスです。
海賊型経済、略奪方経済によって、自国経済のパイを広げるものです。

またブロック経済下の社会では、自国工業製品の安定的販売先を求めるために、直接統治できる地域は広いほど有利なので、
それまでの世界の国々は、繁栄すればどうしても領土を拡張せざるを得なかったのですね。

しかし、戦後日本の繁栄は、
領土を拡げなくても繁栄できる、世界史上初めてのモデルだったのです。

しかも日本には、資源らしい資源は取れません。
自国から資源が出ない小さな国であっても、日本型モデルであれば繁栄できる・・・という実例を、
人類は、戦後日本の繁栄を見たことで得たのです。

仏教的に言えば、人類は戦後日本の繁栄を見て、そう悟ったのです。

これが実は、

「侵略するより、日本型モデルの方が、ビジネス的に割が合う。」という経済的結論が、
人類の共通概念として、戦後の世界に、完全に定着したのですね。

日本は、軍事的に世界の植民地から、占領者たちを追い払いましたが、
それだけではなく、侵略の意義すらも、人類の心から追い出してしまったのです。

日本は、誇るべき国です。






戦った相手と同盟を結ぶ国 日本

2013-06-29 10:50:02 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

日米同盟は大事です。
日本は日米同盟を堅持し、さらに同盟関係が効率的に運用されるよう、努力を怠ってはなりません。

日米同盟は、現在世界第1位と、実質第2位の国家通しの軍事同盟であります。
日米のGDP合計も、軍事予算の合計も、現在の世界のそれらの過半数を超えますし、実質軍事力も世界最大規模となります。

日米同盟堅持、そして更なる効率的な運用は、世界から日米の覇権戦争をなくすと同じことですし、
世界から大戦争をなくす抑止力にもなりますので、これは世界中の大部分の人々が望んでいることなのです。

少なくとも、日米同盟が堅持されることは、日本にとって最悪の選択である、米中同盟締結を阻止いたします。
戦前の日本の苦難が、日英同盟破棄から来ている以上、この教訓を忘れるようなことがあってはなりません。

さて、国家通しの軍事同盟の話になりましたので、同盟に関する日本の大きな特徴にも触れたいと思います。

私は日本という国は、とても不思議な国だと思います。
なぜなら日本は、戦争をした相手の国と、その後同盟を結ぶという傾向があるからです。

まずは日英同盟ですけど、日本の幕末期にイギリスは薩摩と戦争をしております。
それが1863年です。

そしてその後、日本は薩摩・長州出身者による薩長閥による明治政府が誕生し、1902年に日英同盟が締結されます。
薩英戦争の後、薩摩とイギリスは急に親交が深くなり、イギリスから薩摩への武器供与なども行われておりました。

それが明治維新の大きな原動力となりましたし、明治政府の大きな後ろ盾でもありました。
この薩摩とイギリスとの親密な関係が、その後の日英同盟に発展したことは間違いないと思います。
今のイギリス人も、とても親日的ですよね。

日清戦争と戦った相手の清国は滅んでしまいましたが、日本の後押しを受けて満州帝国として復活します。
満州国は第2次世界大戦時における、日本の最大の支援国でした。

清王朝は満州人の国ですので、これも、戦った相手との同盟関係と言えますし、
実は現在の現中国でも、旧満州地域(現中国東北部)は、親日度は結構高いのですね。

同盟関係とは言えませんが、実はロシア共和国は親日国なのです。
ロシアが唯一敗戦した国ということで、一目置かれているのでしょうか?(笑)

特に現共和国大統領のプーチン氏は、大変な親日家として有名ですね。
日本人は相変わらず嫌ロシア的ではありますが・・・(^^;

そして台湾は、とても親日度が高いと言われますね。
民主主義国家なので、様々な意見がありましょうけど、親日的と言って差し支えないでしょう。

日本統治が、正当に評価されている・・・とも言われます。
しかしここは、中華民国政府ですよね。

中国共産党軍との戦いに敗れ、大陸から逃げてきた人たちの国でもあります。
そうここも、かつて日本と戦った相手でもあるのです。

そして最後になりますが、アメリカ合衆国です。
日米同盟が両国で署名されたのは、1951年です。
あの太平洋を股に架け、まれに見る大国通しの死闘を繰り広げた大戦終了から、たった6年後の軍事同盟締結です。

アメリカが長年冷戦を続けてきたロシアと、その後同盟を結びましたか?
第2次イラク戦争の実質的な終了から、早10年が経過しましたが、アメリカとイラクが軍事同盟を結びましたか?

全然、そのようなことはありませんよね。

当たり前です。
軍事同盟というのは、いみじくも同盟相手と共に戦うのですから、
それだけの信用度がなければ、成立などできるものではありません。

直接対決した国家通しが、終戦6年後に軍事同盟・・・

このような事例は他には恐らくありません。
私も全ては知らないのですけど、日本以外の国家が、対戦した相手とすぐに軍事同盟を結ぶなどということは、まぁ、ないのではありませんかね?

人の感覚的には、ありえないことですよね。
そう思いませんか?

しかし日本では、戦った相手とは、その後同盟または親和性のある間柄になる・・・というのは、
ある意味では歴史の必然・・・という雰囲気すらあります。

これは驚くべきことです。
日本の皆様、そのような歴史を持っている国家というのは、まず他にはありませんからね。

事例が1回くらいなら、節操のない国民と言えなくもないですが、
戦った全ての国々と、その後親密になるというのは、これは何らかの法則があるはずです。

しかし、なぜなのでしょう?
なぜ日本だけが、戦った相手の国と軍事同盟も含めた、とても親密な関係となれるのでしょうか?

私は、日本人は基本的に無私公平で、信義に厚いからだと思うのです。
戦争というのは、戦っている人の心情が浮き彫りにされるものです。

日本人が戦うのは、守るべき信条があるからであり、決して相手が憎かったり、
己の欲望を満たすためではないということが、実際に戦った相手には、きちんと通じるからではないでしょうか?

私は、戦争を美化したりするつもりはありません。

しかし数々の戦争での、その後の各国の日本の評価が変わり、相手国家の態度が変わるその多くの事実から、
日本という国家そして日本人の、本当の意味での素晴らしさを評価し、再認識せざるを得ないのです。


38度線に見る、日米の実力から。

2013-06-28 11:48:13 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。
今朝鮮半島では、北緯38度線に南北朝鮮の軍事境界線を引いて、朝鮮戦争を休戦中です。

朝鮮戦争のいきさつについては、資料や他のブログ等で語られていることですので割愛いたします。
私が興味があるのは、この38度線というのが、軍事境界線であるということです。
すなわちこのラインが、少なくとも休戦時における南北朝鮮の軍事力が拮抗しているラインであるということです。

ここは、中ソ朝連合軍と、米韓連合そして、戦後間もない日本の後方支援によって、軍事バランスが取れた地点なんですね。
今の世界では珍しい、軍事境界線=事実上の国境という概念のラインです。
戦前ではこの概念の方が、むしろ主流でした。

さてここは、戦前日本領でもあります。
その北には、日本が支援して建国した、満州国もありました。
これらは、侵略して得た土地ではなく、戦前の世界で承認された国境線によって囲まれた地域でした。

つまり、朝鮮や満州の国境線は、侵略等の軍事行為によってできた軍事境界線ではなかったのです。
これは当時の日本の考え方である、日本本土の余裕しゃくしゃくの防衛ラインと見るべきですね。

つまり、日本本土を守るには、朝鮮半島を守れば良いし、朝鮮半島に侵攻してくる勢力があれば、満州から撃退すれば良い・・・
という陣形が読み取れます。

これは朝鮮戦争を戦った、マッカーサー元帥も理解したようで、時のトルーマン大統領に、
朝鮮半島への中ソの兵站を阻止するために、中ソ朝国境に原爆投下するよう進言しています。
トルーマン大統領は、第3次世界大戦になることを恐れ、マッカーサーを罷免したとお聞きしています。

アメリカは日本と戦い、そして朝鮮戦争を経験して、
「日本と戦い、国家を滅ぼしたのは間違いであった。」
「戦う相手を間違えた。」
と、実感したはずです。

何が言いたいかと申しますと、
実質アメリカ軍が、今の朝鮮半島の38度線以南を統治しているのですが、
かつての日本は余裕で、もっと北まで統治していましたよ・・・。ということです。

つまり、日米には軍事力格差があった・・・と言われておりますが、そんなことはありませんよ・・・。
ということが言いたいのです。

では戦前日本の軍事力から算出した軍事境界線というものがあれば、それは一体どれくらいの範囲なのか。
それは、大東亜共栄圏+αであると思います。

日本軍は、東は千島列島、南はニューギニア、北は樺太中央、西はインド東部まで進軍しました。
これを仮に、大東亜共栄圏といたします。

しかしこの時の日本は、ABCD包囲網によって、石油全面禁輸というハンデキャップを負っておりました。
ですから、石油等の資源が潤沢に使える状態であれば・・・・。

私は別に、戦前日本を美化するつもりはありません。
国粋主義者でも、世界制覇を妄想する人間でもありません。

私は戦前日本に対し、怒っているのです。
それほどの実力がありながら、何ゆえにムザムザと世界から孤立し、ムザムザと敗戦するに至ったか!!

これぞ真の、歴史の反省ではないでしょうか?
そうではありませんか?
そこを見つめ、徹底的に分析し教訓を得ない限り、また不幸を繰り返すことになりませんか?

私は思うのです。
結局は、日英同盟の破棄こそが、戦前日本の苦難の始まりであると。

日英同盟下での、英国の協力を得ながら、人種差別撤廃理念の拡大ができていれば良かったのにと。

日英同盟破棄は、アメリカの陰謀であったでしょう。
しかし日本は、その陰謀を食い止めることができませんでした。
ここから全ては始まったのです。

今、そしてこれからの日本にとって、最も恐れるべきことは、米中同盟の締結です。
これは恐ろしいです。

そしてその次に恐ろしいのは、日米同盟の破棄、または無力化です。


この二つの内、いずれかになれば、日本は戦前と同じく、孤立または大国への服従の、
いずれかの選択を迫られることになります。

何があっても米中同盟を阻止し、そして日米同盟を堅持し維持しなければ、
私が放った戦前日本への怒りと同じ言葉を、未来の日本の子孫から、我々自身が受けることを予告いたします。

これこそが、歴史の正しい反省であり、反省を通して学ぶ正しい選択です。















欧米から見た、侵略の歴史の終焉

2013-06-27 18:03:46 | 誇るべき日本の歴史

                       

    (左がパラオの国旗、右がバングラディッシュの国旗です。両国の国旗デザインは、日の丸が元です。)

土佐のくじらです。

前回記事は日本視点、そしてアジア諸国視点で、大東亜戦争を述べました。
そしてそれを、アジア維新の幕開けと評しました。
今回は、同じ大東亜戦争を、欧米視点で述べてみます。

欧米諸国は大航海時代以降、全世界に植民地を作り続けました。
大航海時代とか、植民地主義時代とか、もっともらしい熟語を並べておりますけど、要するに侵略の歴史です。

その、海外にどれだけ植民地を持つか・・・が、その時々の、国家の国力を現していたと言っても過言ではありません。
そのために、植民地争奪戦争を、列強諸国は何百年も続けていたのです。

その植民地主義の歴史的勝者の代表が、時の連合国であり、ABCD包囲網を作った国々であり、
植民地主義を取っていなかった、またその歴史に乗り遅れていたのが、日独伊三国の枢軸国なのです。

そしてその、植民地経営の実態は、搾取を中心とした経済であり、投資に見合うだけの利益を得る体系でした。
すなわち、植民地経営=侵略は、国家ビジネスそのものだったのです。

つまりその本質は、海賊的経済であり略奪型経済なのですね。

そして植民地の民の反乱させないため、軍隊は全て母国軍でした。

日本のように植民地は持たず、全て自国に併合し、朝鮮や台湾のような併合国の民にも軍役を課す・・・。
つまり、侵略地の人々に軍隊を持たせるようなことは、植民地主義から言えば、それは反乱の機会を与えることですから、
これは絶対にありえない事です。

つまり日本は、植民地経営などしていないのです。
したがって、侵略もしてはおりません。
一時的に統治したのみであり、略奪など経験しておりません。

日本のように投資ばかりして、見返りのほとんどない植民地経営などありえないです。
インドネシアではインドネシア軍まで、日本は創設しております。

満州国の軍は、日本の関東軍がレンタル軍として統治しておりますが、これは元来、
日露戦争で南満州鉄道の権益を得た日本が、鉄道の護衛のために派遣した軍です。

つまり、元来日本が統治していた満州の地に、満州国という満州人の国をつくったのですね。
満州は旧日本の傀儡国家・・・と揶揄されるのですけど、実はそれだけではなくて、超お人好しなことを日本はやっているということを知らなければなりません。

満州国という独立国ができてしまえば、満州国からの税収は、日本には入りませんね。
ましてや関東軍という、ボディーガード付きですので、これほど人の好い話はありません。

「満州を日本に併合。」ならば、まだ税収が入りますから、国益の理にかなうというものです。
しかし満州国は、文字通り満州人の国で、しかも日本の軍事負担まであります。
超お人好しです。

もし、アメリカ合衆国の国内に、イスラエルをつくっていれば、時のアメリカ大統領は、歴史上の偉人と称えられるはずですよね。

満州国創設はそういう、人が好すぎて信じられない歴史的事例なのです。
もちろん、その裏には、日本本土国防の地理的要因が大きく、日本が元来、国防史観国家であったことの証明でもあります。

ともあれ、欧米列強の侵略者にとって第2次世界大戦は、植民地主義経済を取っていた国々にとっては、とても手痛いこととなりました。

日本に植民地から、追い出されたからです。
植民地=国力でしたよね。

つまり、連合国の勝利という、歴史的史実があるにもかかわらず、彼らもまた、著しい国力低下を経験したのです。
実質この戦いの勝者は、米ソ両国のみでした。

連合国のこの戦争の本当の狙いは、「植民地経済とその利権を守る。」だったのです。
そのためには日本の、人種差別撤廃理念が、とてもとても邪魔だったのです。

民主国家VS独裁国家などは、誰もが使う自大主義的、自己礼賛主義的なスローガンにしか過ぎません。

そしてその植民地は、二度と彼らの手には戻っては来ませんでした。
アジア人たちが、日本の戦いによって、欧米人が逃げ惑う姿を見ることで目覚めてしまったからです。

もう安易な植民地支配はできません。
投資(軍事予算)に見合う、利益を出すことは、もうできなくなったからです。

この戦争以降、欧米人にとっては植民地経済そのものが、割の合わないものとなったのです。
戦争=ビジネス論国家には、戦争が割りの合わないことを思い知らせることでしか、戦争を終わらすことはできないということです。

日本の戦いはこの教訓を歴史に刻んだ、貴重で偉大な実例なのです。
歴史は勝者が書くので、もみ消されているだけです。





大東亜戦争は、アジア維新の幕開けとなった。

2013-06-26 08:58:41 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。
ブログ開設以来の歴史シリーズも、いよいよ戦後の時代に入ってまいりました。

日本は、大東亜戦争=太平洋戦争をやりたくはなかったでしょう。
日本は元来、国防線が延びることを嫌う、国防史観の国だからです。

日本が覇権主義的な国家であったら、強い軍隊を使って、南満州鉄道の利権を得た時点で、
ロシア領沿海州や、中国北部などに侵攻したはずです。

当時の軍事バランスから言って、それは十分可能でした。
戦争=ビジネス論的な発想をする国であったら、自分たちより弱い部分が見えたら攻め込みます。
日本は、そういう発想そのものをしない国なのです。

今の日本が、敗戦を通して平和国家になったのではなく、昔も今も、日本は変わってはいないのです。
しかしABCD包囲網による石油全面禁輸の措置は、国防史観の国日本の重い腰を上げさせました。

イギリス海軍などが駐屯する中国大陸沿岸部、アメリカ領フィリピン、オランダ領東インド(インドネシア)、
シンガポールからインド東部にいたるイギリス領に次々と攻め入り、この地から200年以上支配した者たちを追い払いました。

これは日本視点から見れば、オランダ領東インド(現インドネシア)の石油資源確保の戦いでしたが、
しかし現地の人々、特に被支配階級であった国民たちには、全く違ったものとなりました。

絶対にかなわないと思っていた白人が、自分と同じ、小柄な黄色人種に追い払われ、みっともなく逃げ惑う姿を目の当たりにする機会だったからです。

当時は、「白人優位説」というのが、世界を支配しておりました。
また、圧倒的な兵器を持つ白人列強諸国に、アジアの人々は、「絶対にかなわない。」と思っていたのです。
それを日本人が、「そうではありませんよ!」という実例を、強烈なインパクトで見せ付けてしまったのです。

終戦後、欧米列強諸国はかつての植民地に、再び戻ってきました。
しかしアジア諸国は、もう二度と、元の植民地支配には戻ることはありませんでした。

なぜなら、彼らは気づいてしまったからです。
「たとえ彼らが我々を攻撃できたとしても、服従せず団結すれば、彼らは我々を支配することはできない。」ということを。

これは、かつての幕末の日本が、欧米列強に屈せず明治維新を成し遂げた時と同じ智恵です。

欧米列強諸国は船でやって来ますから、決して大人数では来れません。
また、植民地人の全てを殺めるだけの武器弾薬があるわけではありません。

植民地の民の方が、圧倒的に人口は多いのです。
ですから、彼らがたとえ無防備であっても、一斉蜂起されたら、列強は支配できないのです。

ですから、羊飼いに飼われる羊の如く、植民地の民が戦意も気概もなく、
ただ彼らが生き残ることだけを考え、屈している状況下でのみ、支配が可能だったのです。
インドの独立の父ガンジーの、有名な無抵抗主義もこれの延長戦上にあると思います。

日本のアジアでの戦いは、アジア全体の維新の幕開けとなりました。
日本の維新の幕開けに、吉田松陰先生は処刑されました。
日本の維新は、吉田松陰先生の死から実際は始まりました。

日本の敗戦は、アジア維新の幕開けに必用だった、松蔭先生の死・・・だったのかも知れません。