土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

脱原発は、弱いものイジメです。

2013-10-12 08:39:04 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

10月に入ったというのに、全国的に暑い日々が続いております。
昨日東京では、最高気温が30℃を超え、観測史上、最も遅い真夏日となったそうですね。

市役所などの公的機関では、冷房などの稼動期間が決まっているところも多く、公立病院などは、建物の外よりも屋内の方が暑くなっているようです。
それは、最近新しく建てられた建築物というのは、設計当初からエアコンを使う前提で建てられているため、断熱や機密性が高くが強く、エアコンを切ると、建物が魔法瓶状態になってしまうからです。

政府そして、電力会社からの節電要請もあり、病院と言えども、空調に電力を使わないようにしているのもわかりますが、何事にも前提というものはありますので、その前提を無視した努力というのは、かえって様々な弊害をもたらすことは、文明人としては知っておかなければならないと思います。

でなければ、秋の熱中症、しかも屋内での熱中症の恐れがあることを知らなければなりません。

そもそも、この電気文明である現代日本において、なぜそのような節電をしなければならないのですか?
今国内で原発稼動が前面ストップしております。

発電量の少ない火力発電のみで稼動しておりますので、電力供給量の総量が少なくなっております。
そして問題は、年間3~5兆円の燃料代の上乗せがあり、それが既に電気料金として上乗せされております。

年間3~5兆円というのは、消費増税分と同じですから、日本は来年4月を待たずして、その経済的な影響を脱原発によって、既に先取りして受けていることを知ってください。

節電+電力料金上昇。

言葉にすればこれだけですが、節電も電力料金上昇も、堪えるのは生活弱者なのです。

お年寄りや、小さな子供や、病気で身体の弱っている方には、節電はキツイのです。
また、生活費が少ない方にも、電気料金上昇はキツイです。

最もわかりやすく言うならば、要するに、
脱原発は、弱いものイジメなんですよ!

しかし、貧しい方々の味方であると、私も認識していた、某社民党も共産党も、なぜだか脱原発なんですよね。
某TBSなども、毎朝脱原発のニュース番組をしておりますね。
私は一応彼らは、弱い者の味方だとは思ってはいて、ある一定の尊崇の念は抱いてはいたのですけど、裏切られた感がありますね。

彼らの脱原発は結局、別の思惑があるのではありませんか?

日本から原発がなくなれば、原子力に関する知識も経験も人材もいなくなりますからね。
さすれば、核兵器に関する基礎知識も基礎技術もなくなります。

さすれば、一番喜ぶのは?・・・さあ誰でしょうね。
お隣の、バリバリの侵略国家が、世界で一番喜ぶでしょうね。

侵略国というのは、相手が強ければ弱くしてから攻めてきますからね。
歴史を学ぶと、侵略国家というのは、必ずそういう手口を使っていますから、要注意なのです。


日本だけが、原発をやめても無駄です。

2013-10-08 10:44:37 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

福島第1原発の冷却水漏洩から、にわかに原発停止論が再燃しております。
しかし事故の処理の問題と、国家の基幹根幹であるエネルギー問題とは、分けて考える必要があります。

先の戦争が、「石油の一滴は血の一滴」と言って始まったように、エネルギー問題を軽んじると、戦争の引き金になることを、重々承知していないといけません。

それに、日本だけが原発をやめても無駄です。
なぜなら、お隣の韓国や中国では、今後大幅な原発推進をするからです。

日本は脱原発するならば、中韓両国と歩調を合わせなければ無駄です。
中韓の原発で事故があったら、放射線物質は偏西風で日本に来ます。

ですから日本は、新たな防御策を講じ、安全性を高める施策を提示し、実施して世界に定着させるることです。

原発施設の外周を強固にすれば、放射線は遮蔽(しゃへい)できます。
それは、レントゲンを使う病院などでは、一般的に行われていることです。
放射線は光ですから、さえぎることができるのです。

放射線は光ですから、原子炉を地下水で冷却できるレベルにまで小型化し、地下や山中で発電しても良いのです。
分厚い土を、放射線は通過することはできません。

原子力空母や原潜用の、原理力エンジンが既に存在しますから、原発の小型化は、完全な実用技術です。
そしてその新技術、新思考を、今後海外のエネルギー施策に、日本は世界に普及させて行くべきです。

そういう姿勢こそが、福島での原発事故の教訓を、真に生かした、文明的な選択なのではないでしょうか?

脱原発を決めたドイツでは、電気料金が最大4倍にもなり、産業を圧迫し始めています。
このままではドイツは凋落し、結果、ヨーロッパも沈むでしょう。

しかし、ドイツのすぐ近くのフランスや、ポーランドでは原発を推進しています。
もしもフランスやポーランドで事故があれば、ドイツも被害を受ける距離です。

ドイツ国民の選択は、一時的、感情的なものであり、決して文明的なものではありません。
日本は、ドイツの真似をしてはいけません。

現在のところ、火力発電はエネルギーシェアでは、国内最大規模です。
火力の良いところは、
発電のON・OFFがやりやすいところ。
発電施設を作る場所を選ぶ必要のないところ。
施設を造る際の、初期投資が少なくてすむところですね。

ですから、ON・OFFのやりにくい原発を主軸にし、火力で全体の発電量を調整していました。
ですから、日本の火力発電所の全てが、日々発電していた訳ではないのです。

一方欠点は、まず発電に必要な石油資源を、完全に輸入に頼っているところ。
そしてもう一つ、これが意外と知られていないですが、欠点としては、とてもタチが悪いです。

それは、必ず、有毒成分を排出してしまうところです。
いわゆる排気ガスですけど、これを排出量ゼロにするのは、構造上不可能です。

一酸化炭素・炭化水素・硫化水素・窒素酸化物・ect・・・・主なものはこれですけど、どれもこれも猛毒です。

原子力発電で発生する放射能は、封じることができますが、排気ガスにはそれができません。
なぜなら、排気しないと、火が燃えないかからです。

脱硫装置や、各種触媒装置の普及で、かなり毒物を除去、無毒化しておりますし、最新のガスタービン火力発電(ジェットエンジン)による発電は、かなり高効率で窒素酸化物も、かなり出さないようにはなっております。
しかし、全原子炉停止状態の今は、古い発電機を使わざるを得ないのですね。

燃料を燃やすことで、必然的に排出する有毒成分は、直接、そして即座に、人体に影響を与えます。
火力発電所は、人口の密集地に多く存在いたします。
それが、どのような影響を与えているか、マスメディアは調査しているのでしょうか?

火を燃やして発生させた、蒸気で発電機を回すだけの火力発電の構造は簡単ですが、この排出ガス管理には膨大なコストと、厳密な管理技術が必要です。
また、古い火力発電を使用せざるを得ない状況下において、発電機の故障も頻繁化しております。

私が子供の頃、昭和40年代は、都会では非常に大気汚染がひどく、よく、”光化学スモッグ”という言葉がニュースかで言っておりました。
今はほとんど聞くことはなくなりましたが、これは自動車の排出ガス技術にみならず、脱石油社会を目指して、延々と努力を積み重ねてきた結果なのです。

火力発電の発電量は、原子力には遠く及びません。
ですから今、かつて停止休業していた火力発電機能を、フル回転して対応しております。

このままでは、過去の大気汚染の時代に、社会が逆戻りする可能性が高いです。
いくら排気ガス管理技術が高くなっていても、排出ゼロが不可能ならば、母数が増えれば、大気中の汚染を防ぎきることは不可能です。

都市型のゼンソクや光化学スモッグによる被害、そして新手のアレルギー症状、部屋を閉め切ることによる、結核などの呼吸器系感染症・・・などなどが、ニュースで報じられるようになると、私は予想いたします。
昭和40年代よりも、排ガス制御は格段に進んでいますが、必要エネルギーも、桁違いに多くなっているからです。

漫画や映画 ”3丁目の夕日” の時代。
この頃の時代に、ノスタルジックな感傷を抱く方も多いでしょうけど、その実態は、大気汚染にまみれた環境で、貧しく生きていた、かつての日本人の姿でもあるのです。

エネルギーの輸入依存の国家体質は、今も昔も変わっておりませんから、国防上のリスクや負担も当然のように増えます。
いずれにしても、この日本の40年間あまりの努力は、この石油に依存する社会からの脱却が目的であったことを、再度思い知らされることになるだろうと思います。

要は、それだけ火力発電社会、そして石油依存型社会というのは良くない・・・という、歴史的事実があるということです。


脱原発と、原発停止は違う。

2013-10-07 21:41:00 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

昨年末に行われた衆院選挙において、特筆するべきことは、脱原発や卒原発を訴えていた政治勢力が、事実上駆逐されたことでした。
選挙が始まったころの国民世論や、各種新聞報道などは脱原発ムードが強かったのが、投票段階でひっくり返りました。

何があったのでしょうか?
源義経の、一の谷鵯越(ひよどりごえ)のような、局地における歴史における一大事件が起こっていた可能性がありますね。

さて、そのような事情の日本のエネルギー問題ですが、ここ最近では福島第一原発事故現場での水漏れ等で、再度原発停止への世論誘導がなされているように思います。

ドイツ・イタリアの欧州国家が、相次いで原発停止に踏み切っており、日本でも原発を止めよ・・・。
そういった風潮があるらしいですね。

しかしヨーロッパでは、フランスという原発万歳国家がありまして、そこから陸続きで電力を供給されます。
そして大事なことは、経済面で言えばイタリア経済は破産し、ドイツは凋落が始まっているということです。
エネルギー問題は、国家の機関問題であり、一時的な感情で言ってはならないのです。

そして、踏みとどまって考えなければならないことは、脱原発と原発停止は違う・・・ということです。

今も世界中で原発停止を訴えていらっしゃる菅元首相はアホですから(笑)、脱原発=原発停止を考えているかも知れません。

しかし、脱原発=原発停止は間違いなのですね。
しかも、かなり危険な間違いです。

エネルギー政策は、国家戦略の大切な基本軸ですので、即位代替案なしで、基軸となっている大規模電気エネルギー生産の方法論を止めることこそが、極めて異常な判断なのです。

電気は、貯めることのできないエネルギーです。
そして季節や時間帯よって、消費量が大きく変動する性格を持ちます。

ですので、Stop&Goのやりにくい原発を30%ほど生産し、それを機軸としながら、止めたり付けたりの容易な火力で、
季節差や時間差による、需要への対応のための、発電コントロールをして来ました。
今現在は、原子炉の定期点検等の関係から、日本国内の原子炉は全て稼動を止めていますから、この30%がありません。

水力は、本当に電力が足りなくなった時や、水の豊富な時期に、緊急避難的な運用をしているのですね。
火力は燃料代がかかりますので、今年間3~5兆円の石油を使っています。
これは消費増税に匹敵します。

水力などの自然エネルギーは、投資コストの割りに発電量が極めて少ないです。
原子炉一機4000億円と言われますが、ダム1つで、4000~7000億円します。
ダム一つの発電量は、火力発電と同じレベルですし、自然相手ですから、安定供給が不可能です。

不安定な電力というのは、使えない・・・ということです。
人間は、自然をコントロールできませんから、自然に頼る電力システムでは、使えないのです。


あくまで日本のエネルギー政策は、原発を基軸にしており、後の方法論での発電は、補足的予備的な運用です。
これは、電気エネルギーの性格と需要の変動の関係から、そうなっているのですね。

ですから、今の日本においての原発停止状態というのは、主食なしの食事、おやつやデザートばかりで、栄養補給状態・・・に日本がなってしまういうことなのです。
つまり、この状態が続くと、国家は栄養失調状態、飢餓状態に陥るわけですね。

長期的な視点に立った場合の脱原発は、私も賛成です。
つまり、「絶対原発でなければならない。」とは思っておりません。

もっと安全で安く、そして大量に発電できる方法論に移行していくことは、電気文明である日本にとっても喜ばしいことであると思うからです。

まぁ、いかような方法論であっても、本来何もない状態から、無理やりエネルギーを作り出すわけですから、完全に安全であるとか、絶対に環境に影響がないエネルギー政策というのは、理論上あり得ません。

原発は放射能が出ますけど、それに限らず、たとえ他の方法論であっても、必ず何かは影響があります。
要は、電気エネルギー政策というのは、無理に作り出すエネルギーによって、必ず出てくる副産物を、いかに管理し制御するか。
そして、リスクを最少に抑えることができるかという、リスクマネジメントの問題であり、そのリスク管理は、発電量に見合ったものであるかという、コストと経営的な問題なのですね。

放射能が出なければ、それで良いという問題ではないのです。

ですから、人類が無事脱原発し、新エネルギーに文明が移行したとしても、必ずそのリスクマネジメント分野と、発電量とコストという問題は、人類は、永遠に戦っていかなければならない問題なのですね。

火力であっても、水力であっても、今までその戦いの歴史はありましたし、今も続いているのです。

まとめますけど、脱原発と、原発停止は違います。

現状の日本ににおいて、安易な原発停止は間違いです。
電気は国民にとって、貴重な財産であり、基本中の基本のインフラであり、事実上の日本の命綱です。


原発は、封じ込めば良いのです。

2013-08-27 18:20:04 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

拙ブログの記事では、戦争の歴史を扱うことが多いので、誤解なさっている方も多いかも知れませんが、私はこれでも平和主義者のつもりです。(笑)
世界から戦争をなくしたいがために、戦争の歴史を研究しているのです。

その平和主義者(笑)である私が、最近のニュースなどで、とても気になっていることがあります。
福島第一原発の、冷却水の水漏れ事故を、ことさら大げさに報道する風潮です。

数日前に記事にもしましたが、これを前回衆院選挙で破れた、脱原発への世論誘導にマスコミが利用しているとするならば、それは大変な問題です。
これは、戦前に朝日新聞を中心としたマスコミ勢力が、アメリカへの宣戦布告を世論誘導したのと同じ結論に至るからです。

現代の日本国民の多くの方の常識では、「原子力は制御不可能技術だから、もうやめた方が良い。」と、いうイメージでしょうね。
確かに、原子力エネルギーは膨大で、事故れば手が付けられないところがあります。

しかし私は、脱原発は反対です。
原発問題は、放射線の防御技術の問題だからです。
今の技術で、放射線をさえぎることは、完全にできるからなのです。

放射能は、何か汚染物質のようにお考えの方もおおいですが、要するに「光」です。
放射能は光ですから、遮蔽(しゃへい)することができます。
分厚いコンクリートや、重い金属は通れない性格があるのです。

病院のレントゲン室は、これで放射線を遮蔽し封じています。
つまり、原発施設の外側を、もっと強固な建築物にすれば良いだけです。
原発テロや他国の攻撃も怖いので、兵器に対応できるくらいの強さが必要です。

それに原発は、発電を止めても安全ではないです。
核燃料は、もう既に国内にあるからです。
核燃料がある限り、放射能汚染の危険はあるわけですから、厳重に管理された原子炉の中で、燃え尽きるまで発電させた方が安全です。

そして、安全基準をいくら上げても無意味です。
もう既に、十分すぎるほどの、高いレベルでの基準だということは、以前の記事でご紹介した通りです。

最も危険度の高い、半減期の短い放射性ヨウ素の場合、基準値を超える水を、最も身体への影響が大きいとされる妊婦が、一体どれだけ飲めば、影響が出ると思いますか?

1tです。

1tの水なんて、普通の人は飲めないです。
妊婦がそれだけの水を飲めば、絶対に妊娠中毒症になります。

放射性ヨウ素は、半減期が1週間と短いので、1tの水を飲むのに半年かければ、もう最初の放射能は消えています。
基準値とはそういうレベルなので、いちいち気にするのは無意味です。
また、基準値を上げても安全性は変わらないので、むしろ安全性をこそ上げるべきです。

福島第一原発は、M9の地震でシステムどおり自動停止しました。
その後の事故は、自家発電用ディーゼル発電機の故障のためです。
津波で、ディーゼル発電機が壊れたのです。

しかし大事なのは、大地震でも津波でも、40年前作の原子炉自体は壊れなかったのです。
これで世界では、日本の原子力産業の信用は、実は大幅アップしたのです。
今年の春に、ベトナムとウクライナが、日本の原子力発電を購入する契約をしましたが、あの東日本題震災を耐えた日本の原子炉技術を、世界が認めたのです。

チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故は、ウランの暴走を止められない事故でしたので、その後の死の灰による放射能汚染が深刻でした。

福島の原発事故は、それらとは違い、原発ゴミによる放射能汚染です。
ですから実は、あまり深刻ではないのです。
もう少し冷却が進めば最終的には、施設ごとコンクリートなどで封印すれば終わります。

ですから、福島の教訓を生かすなら、これから造る原発は、鉄壁な放射線遮蔽対策と、水素爆発でも耐える外壁で守れば良いということです。
また、地下水で冷やせるくらいの小型のものなら、都市の地下でも裏山でも造れます。

分厚い土の中なら、放射能は絶対に漏れないし、水素爆発でもびくともしません。
原子炉は原爆と違い爆発しませんが、万一爆発しても、山を崩すほどの爆発力を人類は造れません。

原発のコストのほとんどは、保障費用です。
地下や山中に小型の施設を大量に造れば、コストも安く、地上への影響もありませんから、いざとなれば捨てれば良いです。

原発を止めるなら、せめて代わりの大規模エネルギーを、政治は創出しないと無責任です。
エネルギー問題は国家根幹問題です。

太陽光など自然再生エネルギーは、費用がかかる上に発電量が小さく、不安定な性能しか得られません。
費用は100兆円かかるというじゃないですか。

人間は、自然をコントロールできないです。
不安定な電力状況だと、製造業も情報サービスも、医療もお手上げです。

100兆円使うなら、原発の放射能は完全に封じ込めます。
その方が、現実的です。

福島では大勢の方々が、今でも避難生活を続けています。
福島第1原発は、今も事故処理中です。

しかしエネルギー問題は、国家の根幹の、超重要課題です。
一地方の問題だけではありません。

少なくとも、次世代大規模エネルギーのめどが立つまでは、止めてはいけません。
脱原発は、大人として無責任な判断です。

先の戦争の原因は、エネルギー問題でした。

「石油一滴は、血の一滴」
という合言葉の元、あの苦しい戦争は始まったのです。

今の日本は、電気文明です。
電気をいかに作るか、どう利用するかが、日本の文明の質です。

次の大規模発電の見通しが立つまでは、原発を止めてはいけません。
石油輸入の如何では、先の大戦の二の舞になりかねません。

エネルギー問題とは、そういう問題なのです。

私は心から、平和を愛しています。
ですから、資源のない日本は原発は保持すべきだし、むしろ安全性を上げて、もっと推進できるように工夫するべきだと思います。






福島原発水漏れは、それほど怖くない。

2013-08-25 10:12:26 | エネルギー問題

土佐のくじらです。

ここ数日、東京電力の福島第一原発で起こった、貯蔵冷却水を溜めるタンクからの水漏れ騒動が、メディアを騒がしております。
貯蔵タンクから漏れた水が、海へ流出した可能性が云々・・・と、取り出さされておりますが、この時期においては、たとえ放射能緯線レベルが高い冷却水が海へ流出したとしても、それほど大騒ぎする必要はありません。

なぜなら、問題となっている福島第一原発一号炉は、核分裂していないからです。

ウランは燃えにくいので、一度核分裂すると、核分裂が終了しても余熱が長く続きます。
ですから、長期間の冷却が必要です。

しかし原子炉を継続して冷却でき、核分裂していなければ、半減期の短い放射能物質は発生いたしません。
福島第一原発一号炉で問題であったのは、冷却経路システムができる以前の、放射性ヨウ素が発生していた時だけなのです。

冷却できず余熱が多大な時には、多量の放射性ヨウ素が発生いたしますが、冷却できれば、半減期の長いものに移行してまいります。
放射性ヨウ素は、半減期が約1週間と短く、すぐに消えて、放射能を発生しない別の物質になります。
ですから今、現場でどれだけ放射能が検出されようが、それらは半減期の長い、セシウムやストロンチウムなどのはずです。

半減期の短い放射性物質が、なぜ怖いかと言いますと、要するに勢いが強いわけです。

放射能とは、放射線を発生させる物質とお考えになればよろしいいです。
放射線とは、要するに、眼には見えない光です。
物質から飛び出した光の粒が、放射線です。

光も、たとえば、紫外線などを多量に浴びると、日焼けや火傷になりますね。
放射線は、とても波長の短い光ですから、可視光線や紫外線より、物資を通過しやすいのですね。

半減期の短い放射線は、この光が飛び出す勢いが強いので、生態に与える影響が大きいのです。

たとえば、パチンコ玉を放射線にたとえるとするならば、これを銃に詰めて発射すると、殺傷能力が発生するでしょうね。
これが、放射性ヨウ素などの、半減期の短い放射性物質です。

でもパチンコ玉を、手でポイっと投げたくらいでは、身体はビクともしませんよね。
これが、半減期に長いセシウムや、ストロンチウムなどの物質とお考えになればよろしいです。
今の福島第一原発の冷却水は、こういった、半減期の長いものしか存在しないはずです。

まぁ、パチンコ玉とて、ダンプカーいっぱいの量であれば、下敷きになって大事になるかも知れませんが。

ですから、たとえば、セシウムを基準値超えした肉で、人体に影響があると思われるくらいを摂取しようとすれば、大体一日1Kgの肉を、3食5年間食べ続けなければならない・・・という計算になりますね。
これでは、放射線障害になる前に、別の病気に罹ってしまいます。(笑)

また、セシウムは水に良く解けるので、農作物や海産物に吸収されやすいのですが、尿からの排泄もされやすいので、摂取しても、人体にそれほどの影響はないのです。

またこれも、半減期の長いストロンチウムですが、今から2~40年前の、北海道の土壌のストロンチウムは、原発事故直後の、福島での数値の1万倍以上ありました。

ストロンチウムは比重が軽いので、遠くの原子力関係の影響も受けます。
気流の関係で日本では、北海道が最もストロンチウムの汚染状況がひどかったのです。

この時期は、世界中で地上核実験を行っておりました。
ですから当時は、現代の原発事故直後より、土壌ははるかに放射能汚染されておりました。

しかし幼少時より、雪印の乳製品をバカスカと食べ(笑)、サッポロビールを水代わりに飲み干す青春時代を送った私は、今でもいたって健康体でございます(爆笑)。

このように、半減期の長い放射性物質は、生態にはほとんど影響はございません。
齢48歳の私が、生き証人でございます。(笑)

今回の福島での水漏れは、適切な後処理がなされれば、何の問題もありません。

ですからいたずらに、話題づくりに熱心なマスコミの風潮に惑わされることなく、また、福島の農作物や海産物を怖がることなく、皆様が安らかに日々をお過ごしなさることを、私は心より願っております。