土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

現代の野中兼山 橋詰毅(つよし)の流通革命 四国山脈貫通トンネル

2013-07-13 18:26:41 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

参院選高知選挙区より出馬している橋詰毅(つよし)候補は、まさにかつての土佐の天才政治家、野中兼山の再来とでも言うべき、とてつもない構想力の持ち主です。

今拙ブログは、橋詰毅(つよし)応援ブログと化していますが、橋詰ビジョンは密度が濃いので、選挙戦終了までに終われる自信がありません。(笑)

さて、津波対策として、高知沿岸部に浮上式防波堤構想を橋詰氏は持っていますが、前回までにその構想を書いてみて、私自身、橋詰氏の合目的かつ、合理的な構想力を再認いたしました。

様々な橋詰氏の発言を、私自身述べて参りました。
その一つ一つは、どれもビックリの内容でした。(笑)

しかし、「税金を使わない方が、資金が集まる。」という橋詰氏の発言のように、「資金がない。」なら、「どうやれば資金が集まるのか。」という観点で、超真面目な橋詰氏が、「県民の、ひいいては国民の、生命と財産を守るには。」という考案のもと、超真面目に考えて練りこまれた政治的見解なのです。

政治的には無名の橋詰氏が、集票技術に限っては、まだ未熟な幸福実現党という新しい組織において、
「一人の政治を志す人間の、政治的ビジョンと構想力が、どこまで通用するのか。」が、高知での戦いの見所だと私は思っています。

橋詰氏の政治的ビジョンは、津波対策に限定されてはいません。
橋詰氏の地方ビジョンは、「私は○○をします。」という所に、実は立脚点がありません。

「高知県の現在と未来には、○○が必要です。」または、「高知には、○○という、大きな可能性があります。」

という前提なのです。
全てそういう発想です。

そのために、どうしても必要な具体的アイテムが、橋詰ビジョンであり、「高知100年繁栄の計」なのです。
ですから、「高知100年繁栄の計」を、高知県民が欲しない限り、つまり何もしなければ、未来の高知県は橋詰氏の言うように、

「100年後は、誰も住まない地域となる。」「100年後は、尖閣扱いの土地になる。」「100年後は、四国の防波堤と成り果てる。」

という未来となってしまうということです。

今まで高知県は、台風などの水害を、県民の努力によって克服してきました。
これから、地域の特殊性を生かして、繁栄の軌道に乗せるべきなのです。

橋詰氏は、高知県の地理的条件に、とても詳しいです。
その地理的条件を生かして、必要なアイテムを根付かせることが、実は橋詰氏の最も得意とすることであり、ここにかつての野中兼山の面影を私は垣間見るのです。

それでは如是我聞で申し訳ないのですが、橋詰氏から伺った、流通革命の根幹をお知らせいたします。

橋詰氏は私に、こう言いました。

「高知県は、日本の最終消費地となっている。」
「産業がなく、他の地域で作られたものを、一方的に我々は買い続けている。」
「これでは高知は、年々貧しくなる一方だ。」
「高知県は、他県との人と物との出入り口を持ち、物の流れを逆転させることができれば、西日本有数の地域へと成長できる。」
「それが、高知100年の繁栄の、第一歩となるだろう。」


私は、橋詰氏に問いかけました。
「で、橋詰さん、どうやってその、人と物の流れを、逆転をさせるんですか?」

橋詰氏曰く。
「要するに、四国山脈が邪魔なんだ。」
「これがなければ、高知は太平洋から仕入れたものを、瀬戸内や中国地方にバンバン流せる。」
「またあちらで作ったものを、高知の港から出せばるようになる。」
「今は山が邪魔をして、流通コストが高く、高知では産業も興せない。」
「四国山脈を、無力化するのが、高知の課題だ。」

「瀬戸内海は島が多く、海峡ばっかりで狭い海だ。」
「また、潮の満ち干きで流れが変わるので、とても危険な海なんだ。霧もよく出るしね。」
「瀬戸内は危険なので、これ以上大きな船はたくさん入れないから、これ以上産業が高度化できない地域でもある。」
「高知がその、瀬戸内の欠点を補えば良い。」

「四国山脈を克服できていないのが、結局は高知を苦しくさせている最大の要因なんだ。」
「幸い四国は、縦に薄い地形をしているので、ここを貫通するトンネルを作れば、中四国に流通の革命を起こせる。」
「高知は、シンガポールや香港のような形での、繁栄が可能な地域なんだよ。」

「四国山脈貫通トンネルで、高知は物を買うだけの地域から、物の出し入れを担う地域となる。」
「物が動くたびに、お金が落ちる地域となれる。」

「高知には山が邪魔なんだから、トンネルを貫通させれば良い。」
「費用は堤防同様、税金を投入するつもりはないし、従って余分に取る必要もない。」
「大きな工事となるだろうが、やる価値はあるし、高知は、いつか必ずやらなければならない。」
「私には高知が宝の山に見えている。今のままでは、とてももったいない。」


海が開けた高知から、海の狭い瀬戸内に物を通すためのトンネル・・・

広大な荒地だった土佐の平野を、堰(ダム)と用水路網で巨大な穀倉地帯へと、短期間で変貌させたのは野中兼山です。
高知県出身者なら、相当な人が知っている歴史的事実です。

私は橋詰氏から、四国貫通トンネルの話を聞いて、高知の海とトンネルが、かつての兼山の堰と用水路と重なりました。

今高知では、 「今、野中兼山が生まれていたら、何をするか。」 を、真面目に考え、さもありなむと思わせるだけの具体策を、持った人が現れているのです。

橋詰氏は、野中兼山の再来です。
高知県民ならば、党派宗派を超えて、支持するべき人物だと、私は確信しております。

                                                  (続く)




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