いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 おひら

2024-05-08 09:23:46 | 郷土料理

 「おひら」

 主な伝承地域 只見町

 主な使用食材 豆腐、ハヤ、まいたけ、昆布、ごぼう

 歴史・由来・関連行事
 海藻にまいたけ、川魚のハヤと、海と山、川の恵みがバランスよく取り入れられた煮物。平たいお椀に盛りつけて提供されることから「おひら」という名が付いた。産卵期で腹の色が赤くなった「赤腹」と呼ばれるハヤを焼き干しにして使う。うまみがだしにしっかりと出て、味わい深い。
 いわき市周辺では里芋や八つ頭、ごぼう、にんじん、こんにゃく、凍み豆腐などを煮物にした「おしら」という郷土料理がある。「おひら」が訛っておしらになったと言われており、おひら同様に平たいお椀に盛りつけられていることからこの名が付いたと言われているが、只見町で食べられるおひらとは内容が異なっている。

 食習の機会や時季
 お祝い事の際に食べられる料理として知られている。特に、大晦日に作られ、正月に食べることが一般的。積雪量の多い只見町では、冬に新鮮な農作物を収穫することが難しく、長期保存のきく食材を重宝していた。おひらは、そんな保存できる食材を有効に使ったご馳走と言える。

 飲食方法
 鍋に焼き干しにしたハヤとたっぷりの水を入れて煮てだしを取ってから、いったん取り出す。その後、昆布やごぼう、まいたけなどの具材を加えて煮込んで焼き干しを戻し、醤油で味を調える。盛り付けの順番にもルールがあり、一番下に山芋やごぼう、その上にまいたけや昆布、厚揚げなど、最後にハヤを乗せる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 只見町の飲食店や宿泊施設などで提供されているほか、給食のメニューとして供されることもある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_17_fukushima.html より

 「おひら」

 おひら(お平)は、日本各地の郷土料理。

 以下のように異なる料理であるが、名称はいずれも平らな椀に盛り付けることから「お平」と呼ばれるようになった。

 ・岩手県洋野町

 岩手県洋野町の郷土料理。葬儀などの仏事には欠かせない料理であり、お盆にも食される。

 ご飯、ナメコの味噌汁、おひら、三つ盛(皿にコンニャクのクルミ和え、カブ漬け、菊花の酢の物を盛り付けたもの)が仏事のお膳として供された。

 ・福島県只見町

 福島県只見町の郷土料理。祝い事の際に食される料理であり、特に大晦日に作られ、正月に食べることが多い。

 山の物(マイタケ)、海の物(昆布)、川の物(ハヤの焼き干し、アカハラと呼ばれる)、里の物(ヤマイモ、ゴボウ、厚揚げ)を煮込んで醤油で味を調えた料理である。椀への盛り付けかたにも決まりがあり、ヤマイモやゴボウを椀の下に、その上に結び昆布、マイタケ、厚揚げを盛り、一番上にハヤの焼き干しを盛り付ける。

 只見町は豪雪地帯であり、降雪期間は食材が限られていた。保存可能な食材を利用した料理であり、栄養学的には一品でタンパク質、カルシウム、ビタミン類がバランスよく採れる健康食である。

 (シーズン中ならば)只見町の飲食店や宿泊施設などで提供されているほか、学校給食のメニューとしても供されている。

 ・静岡県

 静岡県の各地域で食べられている郷土料理。法事や寄り合いなどで人が集まる行事の際に作られてきた。

 根菜類やサトイモ、コンニャク、干しシイタケ、昆布などを別々に煮て、平らな器に盛り付ける。大鍋でいっしょに煮込むこともある。

 庚申講の際に提供される膳はおひらと決まっていた。

 ・愛知県豊根村

 愛知県豊根村の郷土料理。

 サトイモ、ダイコン、ニンジン、ゴボウといった冬野菜、糸昆布、シイタケ、油揚げ、豆腐、ハンペンといったさまざまな具を大きな鍋で煮込み、ダシ汁、醤油、砂糖で味付けした汁物である。年末に作り、正月三が日に女性が炊事をしなくてすむようにするための料理とされる。

 2021年度(2022年3月)に文化庁の100年フードに認定された。しかしながら、2022年の時点では同じ愛知県であっても名古屋市街でのインタビューでは知名度は皆無に近かった。認定に併せて、豊根村の家庭料理であったおひらを日本全国にPRする取り組みがされている。

 ・香川県志々島

 香川県三豊市志々島の郷土料理。祭事の際など食べられるおもてなし料理である。

 イリコや昆布だしで炊いた油揚げ、高野豆腐などを平椀に盛り付ける。京都の精進料理が伝わったものではないかと推測されている。

 ・大分県津久見市

 大分県津久見市の郷土料理。年末年始に作られ、年取りに供される。

 海の物、山の物、里の物を5種類ほど取り合わせた煮物料理である。漁村部では塩サバを入れるのが特徴で、農村部などでは塩サバが入手できなかった場合には、豆腐や油揚げを用いた。

 また、正月料理の1種である「塩サバの煮物」を「おひら」と呼ぶこともある。

*Wikipedia より

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<伝統野菜> 熊本 赤碕からいも -追記あり-

2024-05-08 09:20:46 | 伝統野菜

 「赤碕からいも」

 九州・沖縄地方、熊本県の地域ブランド。
 主に葦北郡津奈木町赤崎地区で生産されている。古くから赤碕地区ではさつまいもが栽培されており、芦北地域では赤崎からいもとして有名。いきなり団子・いもづるのキンピラ・がねあげなどの料理に利用されている。くまもとふるさと伝統野菜。

*コトバンクHP より

 「赤崎唐芋-あかざきからいも」

 【生産地】芦北郡津奈木町赤崎地区

 【特徴】赤崎地区の土壌は唐芋(からいも)に合い、美味しい芋がとれるとされる。芦北地域では「赤崎唐芋」として有名。

 【食味】水分を含んだ粘り気のある食感。

 【料理】いきなり団子、いもづるのキンピラ、がねあげ、からいものぼた餅など

 【来歴】昔から津奈木町赤崎地区では良品質のサツマイモが生産される地区であり、甘夏が盛んになる前は、大面積に作付けされていた。現在は、数戸の農家が小面積作付けする程度。くまもとふるさと伝統野菜。

 【時期】周年。入手可能時期及び場所青果、加工品が地域直売所で入手可能であるが、栽培少なく、事前の問い合わせが必要。

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-7 より

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<B級ご当地グルメ> 宮城 凍みっぱなし丼

2024-05-08 09:13:44 | B級ご当地グルメ

 「凍みっぱなし丼」

 都道府県 宮城県
 地域 大崎市
 推進団体 玉造商工会
 概要 「凍みっぱなし丼」は、宮城県大崎市の特産品である「凍みっぱなし」(「凍み豆腐」を乾燥させず、凍らせたまま熟成させたもの。なめらかな歯ごたえが特徴)をカツ丼風に仕上げた新ご当地B級グルメ。(2010年12月完成)
 岩出山・鳴子温泉地域の十数店舗で「凍みっぱなし丼」「凍みっぱなし柳川風御膳」を提供している。

* https://b9navi.com/%e5%87%8d%e3%81%bf%e3%81%a3%e3%81%b1%e3%81%aa%e3%81%97%e4%b8%bc/より

 

 地元でおなじみの昔ながらの食材を使った、甘辛い一品

 “凍みっぱなし”とは、豆腐を凍結・熟成させたもので、大崎市岩出山地域に古くから伝わる製法で作られる保存食。東北の長い冬の貴重なたんぱく源として重宝されてきた。乾燥させた“凍み豆腐”とは異なり、熟成させたままの状態なので、柔らかく食べやすいのが特徴。これを使ったご当地メニューが“凍みっぱなし丼”だ。甘辛いたれを絡めた“凍みっぱなし”を揚げ、卵でとじたカツ丼風の一品で、さっくりとした食感とやわらかくジューシーな口当たりが美味。大崎市の岩出山地域や鳴子温泉地域の飲食店で味わうことができる。

*https://kyoudo-ryouri.com/food/2743.html より

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うまいッ! NHK「驚きの大きさと甘さ ルビーロマン~石川・加賀市~」

2024-05-08 08:54:10 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「驚きの大きさと甘さ ルビーロマン~石川・加賀市~」 2015年08月09日

 番組内容
 石川県産の高級ブドウ「ルビーロマン」は、ゴルフボール程もある大きさと糖度が18度を超えるという甘さが最大の魅力です。栽培農家の土山恭弘さんは、甘くて大きな実を育てるため、開花後すぐに1房の実を3分の1に減らし、1メートル四方にわずか1房だけを残します。ルビーロマンのおいしさの秘密に迫ります。さらに、ルビーロマンの厳しい品質管理と、その結果生じる規格外のブドウを使ったぜいたくな加工品もご紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201508090615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

<ぶどう> ルビーロマン

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=89c381811eb0bc7dd10b7dd5a0002422&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTMlODMlQUIlRTMlODMlOTMlRTMlODMlQkMlRTMlODMlQUQlRTMlODMlOUUlRTMlODMlQjMmcD0x

こちらをご参考に

 IoTで出荷、品質アップ 加賀のブドウ農家 試験導入し8年、成果上々 北國新聞(2023年8月30日)

  石川県内最大のブドウ産地である加賀市豊町で、IoT(モノのインターネット)を活用した生産管理が徐々に成果を上げている。試験導入から8年、県産高級ブドウ「ルビーロマン」の市内の出荷数は今季、2019年比で5割増となる6500房を計画。町内の農家が栽培した1房が5年連続で初競りの最高値となるなど品質アップにもつながっているという。

 29日、豊町果樹生産組合の山下弘蔵組合長ら生産者3人が市役所を訪れ、宮元陸市長に出荷実績やデジタル技術の活用状況を報告した。

 加賀市ではルビーロマンの安定供給と出荷増を目指し、2016年にIoTを活用した実証実験が始まった。21年から本格運用に移り、現在は豊町の農家3軒が温度、湿度、照度、土壌水分を計測するセンサーを使って管理している。

 ルビーロマンなどを育てる土山ぶどう園では、約2ヘクタールのハウス内4カ所にセンサーを置いている。各数値をスマートフォンで確認できるほか、高温や低温になると通知が届く仕組みで、園主の土山恭弘さん(52)は「通知で暖房の停止に気付いたこともあり、これまで把握できなかった箇所にも目が届くようになった」と話す。

 市によると、ルビーロマンは市内の15軒が約29ヘクタールで生産している。このうち、豊町が最大の14ヘクタールを占める。農家数、栽培面積はほぼ変わっていないが、出荷数は2019年が4181房だったのに対し、今季は8月21日時点で4566房となり、9月いっぱいまでに6500房を目指している。

  ●獣害防止にドローン検討

 宮元市長への報告の中で、生産者からはイノシシやカラスの被害が出ているとして、ドローンを活用した見回りができないかと提案があった。

 山下組合長は夜間にドローンを自動飛行させ、動物が嫌がる音や匂いを出すことで農園への接近を防ぐアイデアを示し、宮元市長も賛同した。

 宮元市長は「これからも生産のトップを走るために、どんどん技術革新を取り入れていってほしい」と後押しする考えを強調した。

*https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000034259 より

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<料理用語-和食> 下駄作り

2024-05-08 08:42:41 | 料理用語

 「下駄作り」

 カツオを造りにするときの切り方のひとつ。

 厚めに切って豪快に盛るたたきなどにする。下駄は板前の履く「高歯」を指し、これの造作にちなんだ呼び名。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/05.html より

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<異名-人物> イラ菅

2024-05-08 08:39:04 | 異名

 「イラ菅 菅直人」

 菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日 - )は、日本の政治家・弁理士(登録番号:07558)[2]。立憲民主党所属の衆議院議員(14期)、国のかたち研究会設立者・会長。立憲民主党最高顧問。

 厚生大臣(第85代)、副総理(鳩山由紀夫内閣)、財務大臣(第13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、経済財政政策)、内閣総理大臣(第94代)、旧民主党代表、民主党代表(初代、第3代、第8代)、民主党政策調査会長、民主党幹事長、民主党代表代行、旧立憲民主党最高顧問を歴任した。中選挙区制時代の選挙区は、旧東京7区。小選挙区比例代表並立制導入後は東京18区及び比例東京ブロック。

*Wikipedia より

 非常に短気で、些細なことでも癇癪を起こして怒鳴り散らす性格から、産経新聞は「イラ菅」と呼ばれていると報じた。

*Wikipedia より

 

 

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<難読漢字-動物> 大蛇

2024-05-08 08:32:56 | 難読漢字

 「大蛇 おろち」

  日本神話の八岐大蛇(やまたの大蛇)ほか、各種神話、伝説に現れる伝説上の生物。うわばみとも。以下、この派生語。

*Wikipedia より

 「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力や霊力あるものの意。

*https://yain.jp/i/%E5%A4%A7%E8%9B%87 より

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<慣用句・諺> 血を引く など

2024-05-08 08:13:04 | 慣用句・諺

 「血を引く」

 血筋を引き継ぐ。

 

 「血を見る」

 争いで死傷者を出す。

 

 「血を分ける」

 血族の関係にある。

 

 「狆が嚔をしたよう-ちんがくしゃみをしたよう」

 狆のようにくしゃくしゃとした顔つきであるさま。滑稽で醜い顔つきの形容。ちんくしゃ。

 

 「枕席に侍る-ちんせきにはべる」

 女性が男性と共寝する。枕席を薦 (すす) む。枕席に侍 (じ) する。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 加茂川酒造

2024-05-08 08:06:47 | 日本酒

 「加茂川酒造→㈱加茂川」

 事業承継はご先祖さまに仕組まれていた!? 創業280年の老舗酒蔵再生の裏にあった数奇な運命 2022.11.17

 2022年1月、山形県の中部に位置する白鷹町で、町内唯一の酒蔵であった加茂川酒造が「株式会社加茂川」として再出発を果たしました。事業承継をしたのは、県内でお酒などの卸売を手がける「小島洋酒店」。酒蔵の事業承継の事例は数あれど、本来、製造と仕入れの関係にある両者の間で行われるのは珍しいことです。どのような経緯で酒造業を引き継いだのか、「小島洋酒店」の小島一晃さんと、杜氏の鈴木七十郎さんに話を聞きました。

 「思い出の場所をなくしたくない」と酒造りの道へ
 加茂川酒造の創業は1741年。初代は鈴木七四郎氏で、代々当主が名前を襲名しながら280年以上にわたって酒造業を営んできました。代表銘柄は「加茂川」「久保桜」など。派手さはないものの飲み飽きしない酒質で、地元の人を中心に愛されたお酒だったと言います。しかし、時代とともに日本酒の消費が低迷し、次第に経営が悪化。さらに近年のコロナ禍も追い打ちをかけ、2021年に廃業することに。その後、鈴木家と親戚の間柄だった「小島洋酒店」が主な出資者となり新会社「加茂川」を立ち上げた上で、事業譲渡を受けることになりました。

 小島さん「うちは酒類全般の卸ですから、もともと加茂川酒造は仕入先のひとつ。しかし、それ以上にここは大叔母の嫁ぎ先でもあって、私も子供の頃から何度も遊びに来ていた場所だったんですよ」

 廃業を見越し、数年前から水面下で加茂川酒造の事業譲渡の話が進むなかで、2021年6月に「加茂川」が発足。旧会社から新会社へ土地などの売買を行いました。ただし、債務までは引き受けられず、旧会社は破産という形を取らざるを得なかったそう。それでも両者の中にわだかまりはなく、むしろ「身軽になって再生していく」という前向きな気持ちで事が進んだのは親戚同士という通常の仕入先以上の関係性があったからかもしれません。そんななか、小島さん自身も「さまざまな思い出の詰まった場所をなくしたくない」との思いに背中を押され、新会社の社長に立候補。酒蔵の土地や建物、設備、従業員などを引き継ぎました。

 卸と小売店が異色のタッグを結成
 酒蔵としてリスタートした加茂川ですが、実は大きな問題がありました。それは、酒造りの責任者とも言える“杜氏”がいなかったこと。当初は、旧加茂川酒造の杜氏に新会社での酒造りも任せるつもりでしたが、さまざまな事情により難しくなってしまったのです。

 小島さん「卸売業者として、長年お酒の仕事に携わって来ましたが、酒蔵の経営は初めて。ましてや酒造りとなると全くの未経験です。杜氏がいないというのは困りましたね」

 そこで白羽の矢が立ったのは、蔵の向かいでお酒などの小売店「ヤマシチ商店」を営む鈴木七十郎さん。鈴木さんの先祖から分家してできたのが加茂川酒造という縁があるほか、ご自身の家も大正時代に小売店を始めるまでは、代々酒蔵だったと言います。しかも鈴木さんは、1998年から2008年ごろまで10年にわたり、本業の傍ら加茂川酒造の酒造りを手伝った経験の持ち主。以降人手の足りない時にたびたび駆り出されては作業にあたっていました。

 鈴木さん「もともとは家業のためにもっとお酒のことが知りたくて、向かいの酒蔵でいろいろ勉強させてもらおうと思ったのが始まりだったんです。お酒がどうやってできたか、なぜこんな味になるのか興味があって。手伝い始めて2、3年後には『タンク1本、好きに造ってみろ』なんて言われて(笑)。無茶ぶりでしたがいい経験をさせてもらいました」

 そんな関係性があったからか、杜氏を打診されたときも「俺がやるしかない!」と一念発起。新生・加茂川の第一弾となるお酒の仕込みに奔走しました。通常、酒造りは冬季に行われますが、加茂川としての酒造りが始まったのは4月。初夏の気温の中での作業は苦労の連続でしたが、無事にお酒が搾れたときは、感動もひとしおだったそう。

 小島さん「改めて酒造りをする人に尊敬の念を抱きましたね。初めて酒造りの過程を全部見て、一緒に作業して、出来上がったお酒には愛着を持っています」

 鈴木さん「町の人にも酒蔵を残してくれてうれしいと言ってもらえて、やってよかったなと思いました」

 もともと知り合い同士だった2人ですが、社長と杜氏の関係となり、一層急接近。仕込み作業の合間に酒造りへの思いを語るなど絆を深めていったそう。「つらいことも笑い飛ばすような鈴木さんの性格に何度も救われた」と語る小島さん。一方、鈴木さんも「お互い経営者同士だから事業を遂行することに迷いがなかったのもよかった」と分析します。卸と小売店が手を組んだ異色の酒蔵は、こうして新たな歴史を歩み始めました。

 時を超え、一族の願いが実った事業承継
 怒涛の初年度が終わり、2年目の仕込みも目前に控えるなか、「加茂川」は今後どのような酒造りを目指すのでしょうか。

 小島さん「わたしが魅力に感じているのは“貴醸酒”。日本酒を日本酒で仕込む特殊なお酒です。海外の方をもてなすために考え出されたお酒で、実は加茂川酒造は全国に先駆けてこのお酒を仕込んだ蔵でもあるんです。そんな歴史を大切に、いつか本当に国賓のおもてなしにも使われるようなお酒が造れたらいいですね」

 加茂川酒造時代に培った技術を生かし、今後は海外にも積極的に坂路を広げたいと小島さんは話します。

 一方、杜氏の鈴木さんも、小売店の経験を生かし、これまでとは違ったアプローチの販売方法を模索していきたいと意気込んでいます。

 鈴木さん「一般的には、酒蔵はお酒を見ているし、卸や小売店はお客さんを見て商売しています。私たちにはそのどちらの目もあるので、両方の架け橋になるような取り組みができたらおもしろいのかな」

 壁にかけられた家系図
 ふたりにとって事業承継は、あくまで「加茂川」の名前を残すために必要だったこと。280年にわたり紡いできた歴史を、後世につなげられたのが一番のメリットだそう。

 鈴木さん「先代もどうにかして生き残らせる道をずっと模索していましたし、私の父も最期までなんとかしたいと言っていました。『加茂川』存続は一族の願いだったんです」 

 そもそも、鈴木家が道を挟んで分家した背景には、「分家しても近い距離にいれば助け合える」という初代の考えがあったからと伝わります。長大な家系図を見ながら、今回の事業承継は、そんな先祖の思いが導いたものに思えてならないと笑う小島さんと鈴木さん。一族の願いは時を超え、「加茂川」に新たな息吹をもたらしました。

 文・渡部あきこ

*https://relay.town/magazine/story_kamogawa/ より

 ㈱加茂川 山形県西置賜郡白鷹町大字鮎貝3258

 代表銘柄

手造り純米  加茂川

酒 別 純米
アルコール度 15度
原料米 さわのはな
精米歩合 60%
日本酒度 +5

すっきりとした飲み口のお酒

純米大吟醸原酒 久保桜

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 16度
原料米 山田錦
精米歩合 40%
日本酒度 -1
酸 度 1.8
風味豊かな味わいとキレの良さが引き立ちます

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<四国八十八箇所> 第38番札所 金剛福寺

2024-05-08 07:59:25 | 巡礼

 「金剛福寺」

 剛福寺(こんごうふくじ)は、高知県土佐清水市にある真言宗豊山派の寺院。蹉跎山(さだざん)、補陀洛院(ふだらくいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第三十八番札所。

 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか
 ご詠歌:ふだらくやここはみさきの船の棹(さお) とるもすつるも法(のり)の蹉跎山
 概要
 境内には亜熱帯植物が繁っている。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、大師一夜建立ならずの華表、亀呼場、大師の爪書き石の「弘法大師の七不思議」の伝説が残されている。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が難所であったことを示していて、当寺は俗に足摺山という。また、大師御遺告の25条の第1条の中に「名山絶嶮の処、嵯峨孤岸の原、遠然(えんねん)として独り向ひ、掩留(おんる)して苦行す」とあるのは当地であるといわれる。

 歴史
 寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。寺名は、五鈷杵は金剛杵ともいわれそれから金剛を、観音経の「福聚海無量」から福を由来したとされている。

 金峰(きんぽう)上人が住持の時、修行を邪魔する魔界のもの達を呪伏すると、そのもの達が蹉跎した(地団太を踏んだ)ことから、山号を月輪山から蹉跎山に改めたといわれる。

 歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代末期には足摺岬の先端にあることから南方補陀落の観音浄土を望む霊場として修験者の行場となり、また、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。

 鎌倉時代に幡多荘が成立すると領主の九条家(のちに一条家)が崇敬し庇護を受けた。鎌倉時代後期(建長から弘安期)には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。南仏を「南仏房」と記す史料もあり、南仏(房)は慶全の別名であったとみられる。

 室町時代に熊野信仰が盛んになると熊野権現を守護神とし土佐西部の修験の拠点となった。尊海法親王が住職を勤し、戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入って土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。

 2022年12月4日正午より100年に一度の当寺の開創1200年大祭が行われた。

 境内

 山門(仁王門)
 本堂:毎年、正月三が日、本尊が開帳される。
 大師堂:大師像が拝観できる。
 多宝塔:胎蔵大日如来坐像鎮座。
 護摩堂:毎月28日に護摩が焚かれる。
 愛染堂:愛染明王坐像鎮座。
 行者堂:役の行者像と両脇に前鬼・後鬼。
 釈迦堂:朱色と白の八角堂で釈迦如来坐像を祀る。
 権現堂:熊野三所権現、当山鎮守
 知恵の文殊堂(祠):獅子に乗った文殊菩薩像(素木仕上げ)を祀る
 鐘楼堂:中に2つの釣鐘が掛かる。
 和泉式部逆修塔
 百八仏:五智如来・十三仏・千手観音の鋳造仏が108体境内に配置されている。
 句碑:芭蕉「けふはかり人もとしよれ初時雨」が多宝塔の右前奥に和泉式部の逆修塔と並んであり、高木晴子「渡海僧おもふ卯浪の沖を見る」が仁王門から境内の壇に上がる途中の右にあり、高木晴子「夏潮に珊瑚の吐息きゝとむる」が大師堂の左前にある。上林暁「補陀落の東門とかや春の寺」と『足摺山の一夜』と題する20句が刻まれた句碑が山門進入口の左にある。
 黒田杏子献燈十二句碑:『ガンジスに身を沈めたる初日かな・花ひらくべし暁闇の鈴の音に・たそがれてあふれてしだれざくらかな・なほ残る花浴びて坐す草の上・漕ぎいづる蛍散華のただ中に・雨林曼荼羅蛍火無盡蔵・日光月光すずしさの杖いつぼん・能面のくだけて月の港かな・飛ぶやうに秋の遍路のきたりけり・いちじくを割るむらさきの母を割る・柚子湯してあしたのあしたおもふがな・白葱のひかりの棒をいま刻む』の12句の俳句を刻んだ石碑を12基本堂の背後にコの字状に設置。
 山門を入ると左手に海亀の石像、修行大師像、釈迦堂、鐘楼堂がある。右手の納経所を過ぎ、正面奥に本堂が建てられている。本堂の手前右のほうに護摩堂、多宝塔があり、その先に和泉式部の逆修塔がある。本堂左手の池の畔を行くと愛染堂、行者堂、権現堂があって大師堂に至る。

 宿坊:あり(電話予約のみ)
 駐車場:40台、大型4台。無料。(正月期間・GW・お盆8月14日~16日は、白山神社前からお寺への東方向へは車両通行止めで、バスセンター大駐車場から寺までシャトルバスあり。)

 文化財
 県指定保護有形文化財
 木造千手観音立像および両脇侍立像(不動明王・毘沙門天):平成12年3月28日指定
 木造(三面)千手観音立像:像高163.5 cm・本面両脇面とも白毫玉眼・暦応5年(1342年)作
 木造不動明王立像:像高140 cm・室町時代前期作
 木造毘沙門天立像:像高130 cm・室町時代前期作
 木造二十八部衆立像:平成12年3月28日指定
 木造風神・雷神像:平成12年3月28日指定
 愛染明王坐像:檜の寄木造、彫眼彩色、像高84.0 cm平安後期作。昭和44年8月8指定
 高野大師行状図画五巻:高野山の僧、柘宝が応永22年(1415年)に描いた十巻のうちの五巻。昭和44年8月8指定
 土佐清水市有形文化財

 多宝塔:高さ19 m 14 cm、方三間多宝塔、明治11年6月起工、同13年11月上棟式落慶。昭和34年2月20日指定 
 十三石塔:寛文4年(1664年)8月土佐二代藩主山内忠義の寄進。昭和34年2月20指定
 木造不動明王立像:護摩堂の中尊・不動明王、像高62 cm、室町時代作、昭和40年3月5指定
 鰐口:青銅製、直径45 cm、至徳二年 (1385) 作、昭和39年7月15指定
 梵鐘:高さ132 cm、下部の口径95 cm、土佐二代目藩主山内忠義の寄進、昭和39年7月15指定

 手洗鉢:花崗岩製、長さ153 cm、巾78 cm、高さ75 cm、同じく山内忠義が寛文4年(1664)寄進で山内家の家紋の丸に三つ葉柏、昭和39年7月15指定
 宝篋印塔:和泉式部の黒髪をうめた逆修の塔といわれる。高さ165 cm、鎌倉時代作、昭和39年7月15指定
 絵画8件(絹本著色胎蔵界曼荼羅図・絹本著色金剛界曼荼羅図・絹本著色理趣曼荼羅図・絹本著色白赤不動尊像図・絹本著色地蔵尊像図・絹本著色弘法大師像図・金剛福寺の大勝金剛曼荼羅・道興准后筆の不動明王画図)、工芸品5件(接僧箱・角手洗・青磁草花文尊及青磁唐草文瓶・呉須皿鉢・金剛福寺の仏飯器)、彫刻4件(嵯峨天皇勅額・金剛福寺額・懸仏千手観音像・元和の石灯籠)、書跡7件(紺紙金泥法華経八巻・紺紙金泥法華経法師品・金剛福寺古文書・土佐国幡多庄地検帳・土佐国畑庄足摺地検書・足摺縁起書二巻・明写経)については名目のみ記述する。
 土佐清水市天然記念物
 足摺岬のクワズイモ群落、昭和34年2月20指定

 金剛福寺  高知県土佐清水市足摺岬214-1

*Wikipedia より  

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