いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 じゅうねんぼたもち

2024-05-11 15:08:39 | 郷土料理

 「じゅうねんぼたもち」

 主な伝承地域 福島市、いわき市

 主な使用食材 じゅうねん(えごま)、もち米

 歴史・由来・関連行事
 福島県はえごまの名産地。その歴史は明治時代よりも前と言われ、長く栽培が行われてきた。えごまは県内で「じゅうねん」と呼ばれており、えごまを食べると十年長生きすると言われるほど栄養価が高いことや、収穫した種子が十年経っても蒔けば芽を出すことから、この名が付いたとされている。福島県では健康食品として親しまれており、じゅうねんを使った郷土料理が多く存在する。
 中でも代表的な料理が「じゅうねんぼたもち」。もち米を食べやすい大きさに丸めて、煎って砂糖で味付けしたじゅうねんを絡める。通常あんこやきなこで包むぼたもちを、じゅうねんで作るところが、特徴となっている。煎ったじゅうねんは香り高く、風味豊かに仕上がる。

 食習の機会や時季
 じゅうねん自体は5~6月頃に種まきを行って栽培するが、収穫した後に乾燥させて保存するため、通年食べられる。ちなみにいわき市内では「白蛇のたたり」という民話があり、その中で「胡麻は作らないために、じゅうねんの栽培が盛んになった」という内容が言い伝えられている。また、標高の高い山間部では胡麻の栽培が難しく、代わりにじゅうねんが多く栽培されるようになったとも考えられている。県民にとってなじみ深いじゅうねんを使ったぼたもちは、また、おやつや来客時のもてなしとして供されている。

 飲食方法
 じゅうねんには白種と黒種があるが、じゅうねんぼたもちでは黒種を使う。じゅうねんはフライパンで軽く煎ってからすり鉢ですり、塩と砂糖で味を付ける。じゅうねんが焦げないようにフライパンを動かしながら加熱し、2粒ほどがぷちぷちと跳ね始めたら火を止めるのがポイント。また、すり鉢でする際は、30分ほど粘りが出るまでしっかりとすり込むと、もち米からはがれにくくなる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 福島県の公式YouTubeチャンネルではじゅうねんぼたもちを作っている様子を公開している。また、いわき市内の小学校では授業でじゅうねんの栽培やぼたもちづくりを行うなど、保存・継承の取り組みを行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_20_fukushima.html より

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<B級ご当地グルメ> 秋田 鹿角ホルモン~鹿角と言えばホルモン!~秋田県鹿角市

2024-05-11 15:05:03 | B級ご当地グルメ

 「鹿角ホルモン~鹿角と言えばホルモン!~秋田県鹿角市」

 都道府県 秋田県
 地域 鹿角市
 推進団体 
 概要 鹿角ホルモンは、秋田県鹿角市(かづの)のご当地グルメ。
 鹿角と言えばホルモン、と言われるほどの名物料理で、コンロにジンギスカン鍋をかけ、豚の腸・ハツに牛ミノ・センマイなどに秘伝のたれを揉み込んで味付けしたホルモンを載せ、その上にキャベツをのせて食べます。

 最後にうどんを入れて仕上げ、というのがおすすめのようです。

*https://b9navi.com/%e9%b9%bf%e8%a7%92%e3%83%9b%e3%83%ab%e3%83%a2%e3%83%b3/ より

 聞きしに勝る浸透力! 鹿角かづのホルモンというカルチャー 2018.12.19

 秋田県鹿角かづの市の名物「鹿角ホルモン」。
 「ホルモン」といえば、独特の臭みとゴムのような食感、そしていつまでも噛み切れず口の中に残ってしまう、あの……。実は、大の苦手です。

 しかし、鹿角で親しまれているホルモンは、私たちがよく見る網や鉄板の上で焼かれているものとは似て非なるものらしく、「まず騙されたと思って食べてみて!」と自信たっぷりの編集部一同に押され、渋々しぶしぶ鹿角市へやって来ました。

 鹿角では、ホルモンを味わえるお店がいくつかありますが、今回訪れたのは、白い外壁が印象的な「花千鳥はなちどり」。

 ここで、本日のホルモン先生、山崎祐一やまざきゆういちさん(写真右)、坂本寿美子さかもとすみこさん(写真左)合流。鹿角市で生まれ育ち、子どもの頃から鹿角ホルモンを食べて育ってきた2人に楽しみ方を教わります。

 まずは、鹿角ホルモンのお供に欠かせない生ビールで乾杯!

 テーブルの上には、網でも鉄板でもなくカセットコンロが。そこへ、ホルモンとキャベツがどっさり乗った鉄鍋が登場。第一印象は、豪快なキャベツの山。

 実はこれ、ジンギスカン鍋! よく見ると、キャベツの下に漬けダレをたっぷりまとったホルモンが。「ここに豆腐やもやしを入れる方もいます。でも、僕はホルモン&キャベツのみ!」と山崎さん。

 コンロに火をつけ、鍋の様子をじっくり観察。最終的にどんな姿になるのか、まったく想像できない。

 強火で煮ること数分。甘辛いタレのおいしそうな匂いが漂って……あっ! 溝から煮汁があふれそう!

 ここで、最初に鍋とともにやってきたスプーンが登場。
 「すくった汁をキャベツの上に繰り返しかけて、味を染み込ませていく「煮焼き」っていうスタイルが鹿角ホルモンの特徴。でも、こうやって小皿に取っておく人もいます」

 煮汁との戦いを終えたら、キャベツをまわりの溝へ、ホルモンを真ん中の山へとポジションチェンジ。キャベツに味が染み渡り、肉にもほどよく火が通るそう。そして再び待つ……まだ食べちゃだめ?

 キャベツがしんなりしてきたら、先ほどすくっておいた煮汁を一気に戻す! 鍋に煮汁が染み渡るジュワーっという音でご飯1杯いけそう。

 ホルモンも山から溝に降ろし、煮焼きしながら待つ。鍋に火を入れてから約10分、ついに完成!
 ここから各自ホルモンを楽しみ、食べ足りなければ具材を追加して煮焼く、を繰り返していくそう。
 火を止めると鍋から湯気が立ち、より一層ツヤツヤと輝くホルモンとキャベツ。少し辛からそうな見た目ですが、一体どんなお味なのでしょう。

 まずは主役のホルモンから。恐る恐る噛んでみると、甘辛い煮汁とホルモンの肉汁、そしてニンニクの香りが口いっぱいに広がります。いつもは苦手なプリプリ、コリコリとした食感さえも楽しく、噛めば噛むほどおいしさが増す不思議……!

 お店によって違うけど、ハツやセンマイ、レバー、タン、主に豚のホルモンが入ってます。

 いろいろな部位をミックスしたものを、ひと括りで「ホルモン」って言ってます。味付けは、韓国料理の影響が強いみたいですよ。
 店員さん曰く、企業秘密という特製ダレ。確かに、新鮮なホルモンとうまみが凝縮されたこのタレのおかげか、独特の臭みがまったく気になりません。

 そして、忘れてはいけないのがキャベツたち。これでもかと煮汁を吸い、大きさは最初の半分以下になってしまいましたが、甘みは2割……いえ、5割増し。

 煮汁を戻すまではずーっと強火なので、キャベツに味が染み込んで最っ高なんです。

 キャベツは本っ当に何周でもいける!

 そして、熱々のご飯の上にホルモンとキャベツを乗せ、煮汁を少しかけたら贅沢な「ホルモン丼」の出来上がり。もう見ているだけで幸せ。

 ご飯があると、ホルモンなんてあっという間になくなっちゃう。この2人前のホルモンも一瞬です(笑)

 ご飯と卵入れで、煮汁をちょっと足して、〆のおじやもいいんですよ。
 お店ではあんまりやらないですけど、自宅で食べる時は結構やりますね。

 うんうん。うちもご飯派かな。あと、うどんで〆るのもおいしいんですよ。

 山盛りのホルモンをあっという間に完食。
 お腹が満たされたところで、鹿角ホルモンについていろいろと聞いてみましょう。そもそも、ジンギスカン鍋で焼くのは羊肉だけだと思っていましたが……

 僕らは逆に羊肉を焼いたことがない。この鍋は、鹿角ホルモンをやるためだけに使います。だってまず、この形状が最高じゃないですか。焼けるし漬け込めるし。

 言われてみると、これでホルモン以外はやったことないかも。
 生まれてこのかたこの鍋しか知らなかったので、初めてすきやき鍋を見た時、意味がわからなかったんです。「鉄鍋なのになんで凹んでるんだろう?」って。

 前に関東でホルモン食べた時、「え゛! 炭で食べるの?!」ってびっくりしました。網の隙間から落ちていくのが耐えられなかった(笑)。

 「大阪では一家に1台たこ焼き器がある」、って言われてるみたいに、鹿角の各家庭にひとつはあるんでないがな。

 関東で食べるホルモンは、カルチャーショックですね(笑)。

 鍋は金物屋さんでも売ってるし、鹿角だとホルモン屋さんで直接買えるんです。サイズにもよるけど、だいたい1000円台から。
 我が家には2つあるんだけど、それこそこの間やろうと思って引っ張り出してきたら、メンテナンスが悪かったんですね。錆びてました……。

 あー……。大変ですよね。メンテナンス。終わった後に焦げを取るのが大変なんですけど、そこをしっかりやらないと後々響く。

 自宅にジンギスカン鍋がある、ということは、必ずしもホルモン=外食ではないんですね。

 鹿角でホルモンっていえば、「ホルモン幸楽」、「花千鳥」、「平和軒」っていくつかお店がありますけど、味付けもそれぞれ違うし、お客さんもそれぞれお気に入りの店があって。

 だいたい「外派」と「家派」にわかれるんです。ホルモンは、お店で食べるだけじゃなくて持ち帰りもできるので、「ホルモンは家でしかやらない」って人もいます。

 ホルモンって、ひとりでじっくり食べてもいいし、家族や友達みんなでわいわい食べるのもいい。あとは、外で食べると言ってもお店じゃない時もあるしね。

 天気がいい日は、近所の公園でやったり。うちは、カセットコンロと鍋を自転車のカゴに入れて、キャベツはあらかじめちぎってビニール袋に入れで(笑)。

 人それぞれ、各家庭で楽しみ方やこだわりがあるようです。お2人とも毎日食べているくらいの勢いを感じますが、ふだんはどれくらいのペースで食べるのでしょうか?

 僕は、人が集まる機会があれば、気付いたらホルモン食べてるな。特別な日に食べるっていうよりは……。

 うちは「ラクしたいな」って時に食べる。

 あぁ、そうかも! 他の鍋料理って、材料切ったりダシ汁作ったり、いろいろと仕込みが大変じゃないですか。でも、ホルモン鍋は食べるタイミングさえ覚えておけば問題ない!
 あどは、シーズンになると隙あらば食べたりとか。

 ビールがおいしいシーズンとか?

 そうそうそう! 夏の「花輪ばやし」のシーズンとか! お盆や年末年始に人が帰ってくるシーズンもだし、ちょっと疲れてきたシーズンにも……。結局いつでもウェルカムです(笑)。

 「花輪ばやし」の時なんかは、ある程度お祭り準備が終わったら、みんなで買い出しに行ってやりますよね。夜通しやるお祭りだから、スタミナつけなきゃ!

 徐々に火が通ってきた鍋の様子を伺いつつ、ホルモンとキャベツのポジションチェンジに挑戦。
 もうひとつ気になるのが、ホルモン屋さんの営業時間。
 例えば、今回お邪魔した花千鳥さんの開店時間は朝10時。ということは、その時間からホルモンを食べたいお客さんがいるってことですか?

 そういうことです!
 特に、農家さんたちは朝のうちに仕事を終えで、10時ぐらいから酒っこやりながらホルモンつまんだりしてますよ。

 幸楽さんは朝9時台から開いているので、うちもよくホルモンを買いに行きます。食べるのはさすがに午後ですけど(笑)。

 だいたい夜に食べるお家が多いかな。でも、朝ホル、昼ホル、夜ホル、全部いいですよね。

 他の地域では、こういう食べ方はあまりされないんですかね?

 地元消費がすごいもんなぁ。小さい時から食べてますもんね。

 私も東京に住んでた時、わざわざ鹿角からホルモンと鍋を取り寄せて家でやってました。

 うちも姉が千葉にいるので、贈答用として送ってます。花千鳥さんと幸楽さんのホルモンを、1000円ずつ買って。

 なるほど! 食べ比べセット、いいですね。

 一度鍋が焦げつくと味が侵食されるので、火力調節は念入りに。しかし、若干煮汁が少ない気が……。

 すると突然、ホルモンに生ビールを飲ませるという衝撃の光景! 「後半戦はすぐ水分がなくなるので、ビールを足します。お肉も柔らかくなっていいんですよ」
 大胆かつワイルドな「鹿角ホルモン」という食文化。秋田県内の他の地域にはない、独特な空気をまとっていますが、この地に根付くきっかけは何だったのでしょう?

 諸説ありますが、鉱山文化の影響が強いみたいです。
 昔、鹿角にあった「尾去沢おさりざわ鉱山」では、馬とか牛が労働力として使われていました。それらを処分する時に内蔵も手に入るんで、どうせ捨てるんだったら食べちゃおう、と。

 岐阜県にも昔、鉱山で栄えた地域があって、そこでもホルモン料理が根付いているそうです。がっつり濃い味でスタミナ満点のホルモンは、鉱山で働く人たちにも人気だったんでしょうね。

 鉱山で働くために全国から労働者が集まった時代だから、外の文化と鹿角の文化が融合しながら定着していったんじゃないかな。

 ホルモンって、一口ひとくちが新鮮に感じません?
 口に入れるたび「おいしい!」みたいな。

 んだ! いちいちおいしいんだよなぁ。
 熱々なのもいいし、冷めてきても歯ごたえが出て、それもまたいい。

 止まらないですよね。スタミナもつくしお酒にも合うし、ホルモンは主食であり最強のつまみです。

 ホルモンの話をする時、とても楽しそうな2人につられてどんどん箸が進みます。もしかして、ホルモン克服したかも……?
 単なる名物の枠を超え、文化として人々の暮らしに浸透し、もはや切り離すことができない鹿角とホルモン。作り方にひと手間あるのもまたよし。「鹿角ホルモン」は、鹿角という町だからこそ生まれた、唯一無二のカルチャーでした。

 【花千鳥】 鹿角市花輪堰向10

*https://nanmoda.jp/2018/12/5019/ より

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<伝統野菜> 熊本 赤大根 -追記あり-

2024-05-11 14:59:20 | 伝統野菜

 「赤大根」

 五木赤大根
 いつのまにか大根の仲間では一番出荷が多くなっている大根です。
 五木赤大根とは出会いもとても印象的なものです。
 熊本県で五木赤大根を守っている生産者さんから私の守っている雲仙こぶ高菜との効果の中で月の赤大根をやってきました。

 私はこの大根を見たときこんなに素敵な大根が残っていたことにとても感動してしました。
 赤の濃色で横に白のすじが入りとてもコンパクトな大根です。
 肉質は硬めですが、芯には霜降り状の赤みがよく出てる系統もあります。

 浅漬けやサラダなどの生食やおろしに向いています。煮物には不向きというよりは熱を通すと、この大根の特有の成分が失われていくことも知りました。

 他の在来種と比べて耐寒性が強く収穫後半まで収穫が続くものですからついつい出番が多くなってしまいます。

 他の島大根、雲仙赤紫大根、横川つばめ大根等は、2月になれば寒さの中で大根の一番上の肩のところが傷んでしまって収穫できずに畑の中でトラクターで土の中へ耕してしまったものです。
 この冬は寒暖の差が激しくそのために寒傷みになってしまいました。

 しかし五木赤大根には、寒傷みは発生していません。
 私は五木赤大根も平家大根と言われていますが、むしろこの赤大根は源氏の方の大根なのではと感じてしまいます。
 なぜなら岩手県の地大根の見本が私の所に届いた時、この五木赤大根にとてもよく似ていました。
 その時にこれは原子の流れの大根では、と・・・!


 今回の出荷分とは、畑の中で花芽が出る直前に葉を切り落として畑の中に残しておいたものです。在来種の大根達とは2月に入れば次々に花芽を初めて行きます。
 まさに在来種大根の泣き所です。
 五木赤大根は水洗いした時の美しさ、交配種とは違い、一本一本が姿が少しずつ違う。
 特に赤皮の中に横に入った白は自然と歴史の中に生まれる美しさに思えます。もうこの大根も私の畑の中で20年以上も一緒に暮らしています。
 大根の仲間の中でも私は一番大好きな大根でもあります。

 今春も収穫中に残した種用を定植しています。いつも山の畑に花を咲かせていたのですが、今回は新しく仲間入りした長崎大根に場所を奪われて別の畑での種用の定植となり、少し今春は戸惑いの花になるのでしょうか・・・・?

 20年も同じ畑の中で暮らしていく中、今頃はすっかり馴染んでよくできるようになってきています。
味もこの土地風土に合った味をこれから表現していくのではと思えます。

*http://blog.sai-san.jp/?eid=6 より

 

 「赤大根」

 【生産地】五木村とその周辺市町村、八代市泉町

 【特徴】「糸巻き大根」系の赤大根も多くの系統が存在するが、寒さに強く、抽苔が遅い、冬場の貴重な野菜。赤大根を縦に切ると、中身は白く、真ん中に鮮やかな赤い筋が入っている。

 【食味】味は通常の白い大根と大きく変わらないが、少し固めの食感。肉質がかたく、煮ると柔らかいが、煮くずれしにくいのが特徴。糖度も高い。

 【料理】酢漬け。生の大根を、皮をむかずに酢に漬けると赤大根の鮮やかな色が楽しめる。大根おろしにすると、ピンク色になる。

 【来歴】五木村を中心として九州山地の集落には、在来の「糸巻き大根」系の大根など、多くの品種や系統の“赤い大根”が栽培されてきたが、そのほとんどは伝統野菜である。多くの系統の赤大根があるが、戦後導入されたことがはっきりした系統を除いて「赤大根」として「くまもとふるさと野菜」に選定。

 【時期】秋から冬に入手可能。産地五木村とその周辺市町村、八代市泉町※入手可能時期及び場所地域内直売所等で販売。

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-8 より

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うまいッ! NHK「やわらかで脂がのったワカサギ~茨城県・霞ケ浦~」

2024-05-11 14:54:52 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「やわらかで脂がのったワカサギ~茨城県・霞ケ浦~」 2015年09月13日

 番組内容
 温暖な茨城県が、全国有数のワカサギの産地であることは、意外に知られていない。琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きな湖、茨城県の霞ケ浦では、7月から12月までワカサギ漁がさかんに行われている。特長は“骨がやわらかく”“脂がのっていること”。淡水魚の白身魚なのでもともとは淡泊な味の魚だが、「霞ケ浦・北浦のワカサギはおいしい」と、漁師は胸を張る。温暖な気候がカギだという、そのうまさのヒミツを探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201509130615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 上品で淡白な味わい!霞ヶ浦・北浦の「わかさぎ」

 「わかさぎ」は、『県のさかな(淡水種)』にも選定されている、茨城県を代表する魚のひとつです。
 県内の主な漁場は日本で2番目に大きな湖「霞ヶ浦・北浦」。平均水深4メートル程と浅いこの湖では、エサとなるプランクトンが豊富なため、わかさぎは成長が早く、型が大きく脂がのっているのが特長です。

 わかさぎ漁が行われるのは7月下旬から12月いっぱいまでの約5か月間で、漁は基本的にわかさぎがエサを食べ始める前の夜明け前から行われ、1回あたりの曳網時間を短くし、漁獲後はすぐに氷水に漬けるなど、鮮度保持や品質管理には細心の注意が払われています。
 霞ヶ浦・北浦の「わかさぎ」はふわふわとした食感で上品で淡白な味わい。さらに、身や骨が柔らかく内臓の苦味も少ないので、天ぷらや唐揚げなどで丸ごと食べて、わかさぎの持つDHA、EPA(不飽和脂肪酸)やカルシウム(ミネラル)など、健康に良いとされる優れた栄養素をすべて摂取していただくのがオススメです。
 霞ヶ浦・北浦周辺の直売所等では、生のわかさぎはわかさぎ漁の期間中に、冷凍品又は佃煮などの加工品は周年購入することができます。

 1.船上・漁レポート
 わかさぎ・しらうおひき網漁
 11月下旬の午前5時00分、気温6度。まだ夜が明けない小雨の降るなか、霞ヶ浦の南西部にある船溜まりから、霞ヶ浦漁業協同組合 浮島支部の支部長 伊藤義男さんと石塚賀光さんがわかさぎ漁に出港しました。

 わかさぎ漁は、昭和40年代の初め頃までは風を動力として進む“帆引き船”で行う「帆引き網漁」が主流でしたが、現在は通称「トロール曳き」と呼ばれる動力漁船で開口板付きの網を曳く「わかさぎ・しらうおひき網漁」で行います。

 本日2回目となる漁の舵を取るのは、伊藤さんの愛弟子 石塚さん。石塚さんは伊藤さんの甥にあたり、2年程前から霞ヶ浦の漁師の魅力に魅せられ、伊藤さんの元で霞ヶ浦の漁業を学んでいます。
 小雨が降り、荒れた湖面の上を船はエンジン音をうならせながら力強く進みます。「これくらいの雨ならどうってことない。漁ができる期間は嵐でも漁に出るよ」と笑う伊藤さん。漁場を目指すこと約30分。いよいよ漁のスタートです。

 技術の継承
 伊藤さんが当たりをつけた漁場に着くと、素早く網入れ(船から網を降ろす)が行われ、漁が始まります。時速4キロメートル前後でゆっくりと船を進ませながら、水中の袋網を広げていきます。

 わかさぎ漁は『速戦即決』が基本原則。いかなる条件下にあっても、1時間以上は網を曳きません。理由は、繊細な魚体にできるだけ傷をつけずに、鮮度良く漁獲するためです。
 舵を取る石塚さんに「今日みたいな雨の日は、魚は潜っている(湖底の方にいる)から、いつもより深めに曳こう」伊藤さんが声をかけます。
 「操船技術は、5年~10年かけて身に付ける難しい技術。この技術で漁獲量に大きな差がつきます。身に付けるにはとにかくやってみるしかない。やってみて、失敗して、覚えていくんです」と伊藤さん。なんでも、初心者は水中で網を十分に広げることができないため、網に入る魚の量に大きく差がつくのだとか。そのことを知っている石塚さんは、何度も何度も伊藤さんに操船の方法を尋ねながら慎重に操船し、伊藤さんも丁寧にそれに応えます。こうして師弟同士がコミュニケーションを図りながら漁は行われます。

 網を曳くことおよそ40分、夜もすっかり明けた頃、伊藤さんがスっと立ち上がりました。網揚げが始まります。

 2.品質への配慮
 氷を入れて鮮度維持 網に繋がる縄を力強く引く石塚さん。網の先には“鳥山”が立ち、魚が獲れたことを予感させます。
 「この瞬間が一番ワクワクします。沢山入っているといいな」石塚さんはそう言い、伊藤さんと共に息の合った動きで巧みに網をさばきながら網を引き揚げていきます。
 漁獲した魚を手に取り、「これがわかさぎだよ」そう言って伊藤さんが見せてくれたのは、キラキラと銀色に輝くわかさぎです。魚の入った箱には直ちに氷が入れられ、冬季でも鮮度を守る配慮には余念がありません。そして直ちに船溜まりに戻ります。
 立冬から12月の冬期に漁獲されるわかさぎは、通称「寒曳き(かんびき)わかさぎ」と呼ばれ、一年魚のわかさぎが最も大きく成長し、旨味も増します。通称「ナツワカ」と呼ばれる解禁直後の脂ののった夏のわかさぎと並んで、「旬のもの」として根強い人気があります。
 「霞ヶ浦の冬わかさぎは、他産地のものに比べて焼いたときの香りが良い。そして甘みがあって大きいのが特長だね」と伊藤さんは言います。
 3.選別作業・出荷
 手早く丁寧に行う選別作業
 船溜まりに戻ると、目の前にある伊藤さん宅にわかさぎを運びます。
 伊藤さん宅の敷地内には、魚の選別場と、獲れたての魚を煮干しや佃煮にする加工場、それらを販売する店舗もあります。
 選別場に入ると、すぐに二人は作業に入ります。水を張った樽に漁獲した魚を入れ、わかさぎと雑魚を分けていきます。
 「選別は、わかさぎがもつ体のハリが失われないように手早くやります。とにかく鮮度を保つことを一番に考えています」そう言いながら、二人はアッと言う間に作業を終えました。

 本日1回目の漁で伊藤さんが操船したときに獲ったわかさぎは10キログラムほど。一方、石塚さんが操船した2回目の漁で獲ったわかさぎは、天候の影響もあって2キログラムほどでしたが「上々だよ。少しでも獲れたから良かった」と伊藤さんは言います。やはり悪天候の時ほど師弟の漁の技術の差が表れるようです。

 選別が終わると、ここからは伊藤さんの奥さま伊藤慶子さんの出番です。
 「主人は獲る、私は売るのが仕事です」と笑う慶子さん。生の魚は重さを量って近隣の直売所での販売用にパックに詰め「冬の大きなわかさぎは名物の焼きわかさぎにもするのよ」そう言いながら慣れた手つきでわかさぎを串に刺していきます。慶子さんが作る伊藤商店の焼きわかさぎや佃煮は、古くから地元で評判です。

*https://www.ibaraki-shokusai.net/season/fish/wakasagi/ より

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<料理用語-和食> 蹴飛ばし

2024-05-11 14:46:18 | 料理用語

 「蹴飛ばし」

 馬肉のことを「けとばし」と言う。

 もう少し品の良い言葉でいうと「桜肉」である。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/07.html より

 「冬」の季語でもある。

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<異名-人物> 壊し屋

2024-05-11 14:40:28 | 異名

 「壊し屋 小沢一郎」

 小沢 一郎(旧字体:小澤一郎、おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(18期)。2024年4月現在、最古参の国会議員でもある。

 衆議院議員であった父の佐重喜の突然の逝去により、弁護士となるために通っていた日本大学大学院法学研究科を中退し、政治家となった。以降、自治大臣兼国家公安委員会委員長、内閣官房副長官(政務担当)、自由民主党幹事長、新生党代表幹事、新進党幹事長、新進党党首、自由党党首、民主党代表代行、民主党代表、民主党幹事長、国民の生活が第一代表、生活の党代表、自由党共同代表を歴任した。

*Wikipedia より

 自民党を離党して、2度の政権交代に中心的な役割を果たし、その剛腕と経歴から「壊し屋」の異名を持つ。

*https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/14059.html より

 

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<難読漢字-動物> 河馬

2024-05-11 14:34:06 | 難読漢字

 「河馬 かば」

 カバ(河馬、Hippopotamus amphibius)は、哺乳綱偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)カバ科カバ属に分類される偶蹄類。

*Wikipedia より

 1864年に村上英俊によって編纂された仏和辞典『仏語明要』では、hippopotama の訳語を「川馬」としている。1872年の石橋政方訳『改正増補英語箋』では hippopotamus の訳語を「河馬」としたうえで、読みを「かば」としている。古くは hippopotamusが「海のウマ」と訳されることもあったようで、日本でも1862年の『英漢字典』・1872年の『英和字典』・1862年の『英漢字典』などでは hippopotamus の訳語を「海馬(うみうま)」としている。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 杖に縋るとも人に縋るな など

2024-05-11 14:27:00 | 慣用句・諺

 「杖に縋るとも人に縋るな-つえにすがるともひとにすがるな」

 安易に人の助けをあてにするなという戒め。

 

 「杖に突く」

 それを杖にして寄りかかる。

 

 「杖の下から回る子」

 杖を振り上げても逃げようとしないで、その下からすがりついてくる子供。自分を慕ってくるものには残酷な仕打ちはできないことをいうたとえ。杖の下に回る犬は打てない。

 

 「杖ほどかかる子は無い」

 杖のように頼りになる子はいない。わが子といっても、本当に頼りがいのある子はなかなかいないことをいう。

 

 「杖も孫ほどかかる」

 年をとると、孫を頼りにするように杖を頼みにする。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 後藤酒造店

2024-05-11 14:17:38 | 日本酒

 「後藤酒造店」

 古い伝統を守りながら地元の酒を厳選し、手造りで高品質な酒造りを行っています。

 天明創業以来、古い伝統を守りながら蔵人たちの田でとれた契約米を中心にこだわり純米酒・純米大吟醸酒等の高品質のお酒を醸して山形の恵まれた自然から美味しいお酒をお届けしています。現在、弊社で製造している清酒はすべて特定名称酒です、代表銘柄の『辯天(べんてん)』は七福神の中で音楽や芸能を司る女神「辯才天」に由来しています。

 (株)後藤酒造店 山形県東置賜郡高畠町大字糠野目1462

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/65/ より

 代表銘柄

【極上 大吟醸原酒】 辯天 山田錦

使用米:兵庫県産酒米 山田錦
精米歩合:35%
Alc.:17%

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<四国八十八箇所> 第41番札所 龍光寺

2024-05-11 14:04:01 | 巡礼

  「龍光寺」

 龍光寺(りゅうこうじ)は、愛媛県宇和島市三間町戸雁にある真言宗御室派の寺院。稲荷山(いなりざん)、護国院(ごこくいん)と号す。本尊は十一面観音。四国八十八箇所第四十一番札所。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:この神は三国流布(るふ)の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く
 沿革
 寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地を巡錫した際、白髪の老人に出会った。その言動から五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻んで安置した。本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで、四国霊場の総鎮守の寺とされ、開基したと伝えられてる。

 元は稲荷田(現在地より南東へ約0.5 km)にあったが火災により、承応2年(1653年)澄禅が巡拝しときには田んぼの中に小堂があるだけになっていたが、元禄元年(1688年)広田杜があった現在地に移され、稲荷社が壇上中央、その東側に観音堂、その下段に大師堂が建てられ、『四国遍礼名所図会(1800年刊)』が書かれた江戸時代中期ころまでには現在に続く景観が成立し神仏習合の「三間の稲荷」として親しまれていた。なお、江戸時代前期には、「立光寺」という名で神宮寺としての龍光寺が成立していた。

 明治の神仏分離で、稲荷神社と当寺に分離され、旧本堂は稲荷神社の社殿となり、旧本堂に祀られていた稲荷大明神像は新しく下段に建てられた本堂の向かって右に、旧観音堂に祀られていた本地十一面観音像は本尊として中央に移された。また、納経もそれまで「本社稲荷大明神 本地十一面観音」と書かれていたが、「本尊十一面観音」に変更された。

 境内
 石の鳥居:参道入口
 狛犬:当寺境内入口
 本堂:本地の十一面観音は立像であり、拝顔できる現在の本尊は彩色の坐像である。その本来の本尊も五穀を背負った姿と云われる稲荷明神像も秘仏で、龍の目玉と云われる石[5]も秘蔵でいずれも現住職も見たことがない。
 大師堂:大師像が拝観できる。金色の孔雀明王が鎮座。右側に回廊に上がる階段がある。
 鐘楼
 水子地蔵石像
 七福神
 石の鳥居が参道の入口に建つ。両脇に民家が並ぶ参道を進み石段を上詰めると狛犬の置かれた境内に至る。左に鐘楼、右に水子地蔵尊がある。その先左手に本堂が建ち、右手に大師堂がある。納経所は本堂の左にある。赤い鳥居をくぐり石段をさらに上って行くと稲荷神社がある。

 宿坊:なし
 駐車場:12台。無料。

 文化財

 国の史跡
 伊予遍路道 稲荷神社境内及び龍光寺境内:2.749453 ha。平成29年10月13日指定
 伊予遍路道 仏木寺道
 当寺本堂前27 m。平成29年10月13日追加指定
 当寺西尾根を横断し県道31号に至る山道約450 m。平成28年10月3日指定
 市指定有形文化財
 稲荷神社本殿 一棟:平成15年8月1日指定。所有者は稲荷神社。
 伝承では大同2年(807年)京都稲荷社を稲荷田に勧請したと伝えられ、その後、元禄元年(1688年)現在地の広田杜に遷されたとされる。三間社流造、こけら葺き。建築は18世紀前期と推定されている。本殿は覆屋内にあるため、保存がよい

 龍光寺 愛媛県宇和島市三間町戸雁173

*Wikipedia より

 

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