いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 福島 鯉こく

2024-05-13 08:50:45 | 郷土料理

 「鯉こく」

 主な伝承地域 郡山市

 主な使用食材 鯉、味噌、きくらげ、豆腐

 歴史・由来・関連行事
 鯉の生産がさかんな福島県郡山市。生産だけでなく、鯉食文化を守るために「鯉に恋する郡山プロジェクト」を立ち上げるなど、鯉食の認知拡大、定着に力を入れている。猪苗代湖のミネラルたっぷりな水の中で育った郡山の鯉は、臭みがなく、みずみずしく、脂乗りも良いため、和食から洋食までさまざまな料理で使われている。
 そんな鯉を使った代表的な郷土料理の一つに「鯉こく」がある。鯉こくは、切身の鯉と豆腐、ネギなどを煮込み、味噌で味付けした味噌汁のような存在。だしに鯉のうまみが染み込み、身も心も温まる一品となっている。

 食習の機会や時季
 中国の現存最古の薬物書「神農本草経」によれば、鯉はその昔、医薬品として扱われており、人びとの健康維持に役立つ食材として親しまれていた。また、現在も血流改善や糖尿病の食事療法にも効果が期待できるとされている。そんな栄養たっぷりの鯉を使った料理の中でも、鯉こくは特に、出産後に母乳がよく出るように願いを込めて、栄養食として作られることが多いという。

 飲食方法
 鍋に湯を沸かし、下ごしらえした鯉、きくらげ、豆腐を入れて煮込み、水で溶いた味噌で味を調える。食べる際にしょうがのおろし汁を入れると風味が豊かになる。具材としては鯉の切り身を使うが、頭を入れて作ると鯉のだしがより出ておいしい。また、仕上げに七味唐辛子や粉山椒をふりかけることも。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で一般的に作られている。また、郡山市では公式ホームページにて鯉こくのレシピを公開。郷土料理を気軽に楽しんでもらえるよう、情報提供を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_22_fukushima.html より

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<B級ご当地グルメ> 秋田 男鹿やきそば

2024-05-13 08:42:06 | B級ご当地グルメ

 「男鹿やきそば」

 都道府県 秋田県
 地域 男鹿市
 推進団体 男鹿のやきそばを広める会
 概要 「男鹿焼きそば」「男鹿しょっつる焼きそば」は秋田県男鹿市のご当地B級グルメ。
 「ナマハゲ」で有名な男鹿。
 ワカメと昆布だしが練りこまれた若草色の麺を使用。カニ爪、エビ、イカなどの海の幸をふんだんに入れ、地元で古くから使われている、ハタハタを塩と共に漬け込み発酵させた液体調味料「魚醤ハタハタしょっつる」で焼き上げた海鮮塩焼そば。

 ハタハタしょっつると特製麺を必ず用い、具材に肉を使わないことを条件として、具材や調理法は各店のオリジナル。
男鹿市内の30店舗以上で提供されている。

*https://b9navi.com/%e7%94%b7%e9%b9%bf%e3%81%ae%e3%82%84%e3%81%8d%e3%81%9d%e3%81%b0%ef%bc%88%e7%a7%8b%e7%94%b0%e7%9c%8c%e7%94%b7%e9%b9%bf%e5%b8%82%ef%bc%89/ より

 

 「男鹿しょっつる焼きそばとは」

 ナマハゲの郷「男鹿」をもっと多くの人に知ってもらい、そして訪れてもらえるように
 秋田県男鹿市は、国定公園男鹿半島に位置する海と観光のまち。「泣ぐ子はいねーがー!」で有名ななまはげの里でもあります。男鹿に足を運んでもらえる「食」を創ろうと、地元食文化「ハタハタしょっつる」を気軽に楽しんでもらえる「焼きそば」として開発したご当地グルメです。

 素材の核は男鹿の伝統調味料「ハタハタしょっつる」
 男鹿しょっつる焼きそばは、日本三大魚醤のひとつ「しょっつる」の旨みが決め手です。
 魚醤は、魚を塩と共に漬け込み発酵させた液体調味料で、濃厚な旨味を有しています。日本では、秋田のしょっつる(塩汁)、能登のいしる(魚汁)、香川のいかなご醤油。海外では、タイのナンプラー 、ベトナムのヌックマム、イタリアチェターラのガルムなどが知られています。

 いしるはイワシ、ナンプラーはアンチョビなどが原料ですが、男鹿のしょっつるは、伝統的にハタハタと天日塩だけで作られています。だから香りが穏やかで白身魚特有の上品な味わいが特長です。和食はもちろん、洋食や中華の隠し味として食通をうならす調味料の逸品です。

 ハタハタは魚辺に神「鰰」と書く深海魚。厳寒の12月上旬、雷ともに産卵のために一斉に沿岸に押し寄せてくる神秘的な魚です。新鮮なハタハタだけを天日塩で漬けこみ、3年もの間じっくり漬け込んだ自然発酵の旨み。水も調味料も保存料も一切加えない琥珀色の液体。まさに神の魚と時の結晶といえます。男鹿の伝統食文化「ハタハタしょっつる」を活かした「男鹿しょっつる焼きそば」をぜひお試しください。

 男鹿しょっつる焼きそばのルール
 1.タレは日本三大魚醤の一つ秋田名物しょっつるベースの塩味としょうゆ味。しかも男鹿の「ハタハタしょっつる」は、日本で唯一ハタハタと天日塩のみで三年間も熟成させた地域に伝わる正統製法。だから上品かつ芳醇な味わいが自慢です。
 2.麺は粉末ワカメと昆布ダシ入りの特製麺。ほんのり若草色で磯の香りが漂います。
 3.具材に肉を使わない海鮮焼きそばで、タレと麺以外は各店オリジナルレシピなのも「男鹿しょっつる焼きそば」の大きな特徴。それぞれのお店が特徴を出して提供しており、観光巡りとともに、いろいろなお店の焼きそばを食べ比べる楽しさがあります。

 イベント出展メニューはカニ爪入り
 男鹿のやきそばを広める会として、県内外のグルメイベントに出展(出店)する際は、提供レシピを統一しております。海鮮具材は原則カニ爪、エビ、イカ入りで、塩タレ(一部しょうゆタレ)です。ぜひお近くでイベントの際はお楽しみください。

 男鹿のやきそばを広める会
 ご当地グルメ「男鹿しょっつる焼きそば」を通じた「男鹿」のPRを目的とした街おこし団体。市内の飲食店・製造業者のみならず、市民も参加した活動を展開中。まずは市民から愛され、市民一人一人が男鹿の宣伝マンとなっていただくことを目指しています。事務局は現在、男鹿市商工会内にあります。

 公式キャラクターおが丸
 父から男鹿しょっつる焼きそばを世に広めるよう特命を受けたなまはげの子。日夜PR活動に奮闘中。

 男鹿のやきそばを広める会 事務局(男鹿市商工会内)/ 〒010-0511 秋田県男鹿市船川港船川字新浜町50

*https://oganavi.com/yakisoba/about/ より

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<伝統野菜> 熊本 春日ぼうぶら

2024-05-13 08:34:47 | 伝統野菜

 「春日ぼうぶら」

 【生産地】熊本市春日、中島

 【特徴】日本の和かぼちゃ。長さ30cmを超え、ヘチマやヒョウタンのような形をしている。長さ50㎝ほどまで成長するものもある。表面はくすんだ橙色で、中身は鮮やかな橙色。農薬を使わず完全な自然栽培でも元気に育つほど強い。

 【食味】あっさりとした味が特徴。甘みがあり、きれいなだいだい色をしている。

 【料理】素焼き、煮物(出し・そぼろ煮など)、サラダ、冷製スープやポタージュスープなどのスープ類やムースなどスイーツに向く。

 【来歴】原産地は中国。来歴は不明。昭和30年ごろまで農家の庭先によく植えられていた。熊本民謡「おてもやん」に名前が出てくる。「ひご野菜」に選定。

 【時期】8~11月

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-12 より

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うまいッ! NHK「“ツブパリ”であまい“おかずみそ”紀州金山寺みそ~和歌山~」

2024-05-13 08:31:40 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「“ツブパリ”であまい“おかずみそ”紀州金山寺みそ~和歌山~」 2015年09月27日

 番組内容
 みそ汁に使う調味料ではなく、ごはんのおかずや酒のつまみとして食べるみそ「金山寺みそ」。和歌山県御坊市の金山寺みそは鎌倉時代に中国の径山寺(きんざんじ)から伝わって以来、760年以上にわたって受け継がれている。うり、なす、しょうが、しその4種の夏野菜と米、麦、大豆の3種のこうじを混ぜ合わせて熟成させることで、うまみと甘みを生み出している。夏、仕込みの最盛期を迎えた老舗を訪ね、おいしさの秘密を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201509270615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「金山寺みそ」

 金山寺味噌(きんざんじみそ)は、和歌山県、千葉県、静岡県等で生産されている、嘗(なめ)味噌の一種。中国から紀州の興国寺に伝わった径山寺味噌(徑山寺味噌、きんざんじみそ)が原型となった。由良に近い湯浅に味噌づくりが広がり、その工程で滲み出した液体から醤油がつくられるようになったと言い伝えられており、「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」として日本遺産の一つに認定されている。

 和歌山県の特産品として和歌山県推薦優良土産品に指定されているほか、千葉県でも特産品・推奨土産品として扱われている。

 「紀州金山寺味噌」として、地理的表示保護制度により和歌山県内と生産地の範囲として登録されている。

 概要
 大豆・米・麦・野菜から作られ、3ヶ月程度熟成させる。おかずや酒肴として食べることが多い。

 まず、炒った大豆を引き割り、これに麦を合わせ麹を作り、米麹、塩と合わせ、塩漬けしたウリ、ナス、ショウガ、シソを加え、密閉して3ヶ月ほど熟成させる。現在では、野菜の入っていない、あるいは上記以外の野菜入りの製品も金山寺味噌と表記される。

 歴史
 鎌倉時代、禅僧心地覚心(法燈国師)は宋に渡り、浙江省杭州にあった径山興聖万寿禅寺(通称「徑山寺」)で修業し、そこで作られていた嘗味噌の製法も学んだ。帰国後、高野山金剛峯寺を経て、開山した興国寺の周辺に伝えたとされている。紀州由良の地は水が硬質で、より良質な水を求め、北は有田川、南は日高川の周辺に製造が広がったと言われている。

 中国の徑山寺では徑山寺味噌の製法は絶えており、丸新本家などが中国側と復活に向けて協議している。

 2008年3月20日、和歌山県岩出市の根来寺旧境内から、約430年前の金山寺味噌が見つかった。

 2017年8月10日、「紀州金山寺味噌」が地理的表示保護制度に和歌山県の産品として初めて登録された。全国では39番目の登録であり、「味噌」の登録は全国初である。

 製造・販売元
 垣内みそ店(和歌山県)
 堀河屋野村(和歌山県)
 丸新本家(和歌山県)
 やまだ(和歌山県)
 天田屋(和歌山県)
 あみ清数見商店(和歌山県)
 ダイフク食品(和歌山県)
 大阪味噌醸造(大阪府)
 ますやみそ(広島県)
 浅野味噌(広島県)
 カネジュウ食品(静岡県)
 本多醸造所(静岡県)
 鈴木こうじ店(静岡県)
 小川屋味噌店(千葉県)
 池田屋醸造(熊本県)
 丸正稲垣(長野県)
 宝来屋本店 (福島県郡山市)

*Wikipedia より

 <地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 39. 紀州金山寺味噌

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=be68279814716129b95b5bfd9da3e556&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTclQjQlODAlRTUlQjclOUUlRTklODclOTElRTUlQjElQjElRTUlQUYlQkElRTUlOTElQjMlRTUlOTklOEMmcD0x

こちらもご参考に

 

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<料理用語-和食> けば照り

2024-05-13 08:07:08 | 料理用語

 「けば照り」

 「けば」は葛粉を意味する用語である。

 醤油に水溶きの葛粉を加えてとろみつけたものを「けば照り」と言う。焼き物の他煮物などに照りをつけるために使うもの。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/010.html より

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<異名-人物> カミソリ後藤田

2024-05-13 08:04:32 | 異名

 「カミソリ後藤田 後藤田正晴」

 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年〈大正3年〉8月9日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の警察官僚、政治家。位階は正三位。

 内務省を経て警察官僚として昭和期の動乱にあたって治安維持に努め、第6代警察庁長官まで上り詰めた。

 退官直後に田中角栄により抜擢され内閣官房副長官として田中政権を支えたが、参議院から国政に進出しようとしたことが「阿波戦争」に発展し、田中の権勢を弱めることとなった。その後逆境を乗り越えて徳島県全県区から衆議院議員に選出され、以後7期務める。

 この間に自治大臣(第27代)、国家公安委員会委員長(第37代)、北海道開発庁長官(第42代)、内閣官房長官(第45・47・48代)、行政管理庁長官(第47代)、総務庁長官(初代)、法務大臣(第55代)、副総理(宮澤改造内閣)などを歴任。以後も晩年まで自由民主党の重鎮・御意見番として国政を支えた。

 その辣腕ぶりから「カミソリ後藤田」、「日本のアンドロポフ」、「日本のジョゼフ・フーシェ」などの異名を取った。

*Wikipedia より

 「アンドロポフ」-ユーリ・アンドロポフ

 ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ(ロシア語: Ю́рий Влади́мирович Андро́пов、ラテン文字表記:Yurii Vladimirovich Andropov、1914年6月15日 - 1984年2月9日)は、ソビエト連邦の政治家、軍人。ブレジネフの死後はソ連共産党中央委書記長、最高会議幹部会議長として同国の最高指導者の地位にあった。党中央委第二書記、国家保安委員会(KGB)議長、駐ハンガリー人民共和国ソ連大使を歴任。軍の階級は上級大将。

 長らく秘密警察のトップたるKGB議長を務めた。書記長に就任後はブレジネフ時代に蓄積された停滞と腐敗の一掃・労働規律の強化に乗り出したものの、就任後に病に倒れ十分な成果を収められなかった。しかしアンドロポフの構想の一部は、自らが目を掛けて引き立ててきた同郷の後輩でもあるミハイル・ゴルバチョフに引き継がれた。

 「ジョゼフ・フーシェ」

 ジョゼフ・フーシェ(仏: Joseph Fouché, 発音例, 1759年5月21日 - 1820年12月25日)は、フランス革命、第一帝政、フランス復古王政の政治家である。ナポレオン体制では警察大臣を務め、タレーランと共に体制の主要人物となった。特に百日天下崩壊後は臨時政府の首班を務めてナポレオン戦争の戦後交渉を行った。

 複数の場所に同時に存在するという近代警察の原型となった警察機構の組織者、秘密警察を駆使して政権中枢を渡り歩いた謀略家として知られる。権力者に取り入りながら常に一定の距離を保って激動の時代を生き抜いた人物であったとされ、「カメレオン(変幻自在の冷血動物)」の異名を持つ。オーストリアのユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクによる評伝が有名である。

*Wikipedia より

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<難読漢字-動物> 氈鹿、羚羊

2024-05-13 07:58:20 | 難読漢字

 「氈鹿、羚羊 かもしか」

 カモシカ、羚羊は、哺乳綱偶蹄目ウシ科ヤギ亜科に分類されるカモシカ属(Capricornis)に属す種の総称。

 語源
 本来はニホンカモシカを指した。その語源はカモ + シカ(鹿)であるが、カモの語源には諸説ある。

 ・ニホンカモシカが険しい山岳(かま)に住むことから。
 ・毛氈(もうせん、けむしろ、かも)にニホンカモシカの毛を織ったことから。
 ・ニホンカモシカは、古くは狩猟対象であり食用とされていた、その味が鴨のように美味だから「カモシカ」という説もある。
 ・谷間などを走っている様を上から見下ろすと、カモシカの背中の毛色が揺れ動き鳥などが飛んでいるようにも見えたから、という説もある。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 月に異に など

2024-05-13 07:55:26 | 慣用句・諺

 「月に異に-つきにけに」

 月ごとに。月ごとにまして。

 

 「月に磨く」 

 月光を浴びて、景色がいっそう美しく見える。

 

 「月に叢雲花に風-つきにむらくもはなにかぜ」

 世の中の好事には、とかく差し障りが多いことのたとえ。

 

 「月の桂を折る」

 《「晋書」郤詵 (げきしん) 伝の「桂林の一枝」の故事が、のちに月の桂の伝説と結びついたもの》官吏登用試験に合格する。

 

 「月の前の灯火」

 りっぱなものと比較されて引き立たないことのたとえ。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 新藤酒造店

2024-05-13 07:49:52 | 日本酒

 「(有)新藤酒造店」

 酒の心をわかる酒徒達にひっそりと呑み続けられています。

 『富久』と『鶴』というめでたい言葉を重ね持ち、長寿の酒として親しまれているこの酒は、明治3年創業以来伝統的手造りの技術をかたくなに守り続けて9代目、吾妻山系の伏流水と恵み豊かなこの地の選びぬかれた酒米を高精白し、杜氏と蔵人が魂をかたむけた酒造りの中に脈々と受け継がれ、今も変わらぬ本物の日本酒として、酒の心をわかる酒徒達にひっそりと呑み続けられている。

 (有)新藤酒造店 山形県米沢市大字竹井1331

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/71/ より

 代表銘柄

羽陽富久鶴 金鶴

古くから地元のみで販売されてきたベースグレードの酒をハイクオリティー化。酒造好適米使用の本醸造として急温急冷など大吟醸のテクニックまでもフィードバック。飲み飽きずオールマイティーな酒質。適度な香りを持ち、かつトラディショナル感を残したコストパフーマンスに優れた、地元還元の作品。
情報詳細
特定名称 本醸造酒
原材料 米、米麹、醸造アルコール
使用米 酒造好適米
アルコール度 14%
酸度 1.2
日本酒度 ±0

*https://www.sakenomy.jp/sake/TST0000049031/ より

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<四国八十八箇所> 第43番札所 明石寺

2024-05-13 07:38:51 | 巡礼

 「明石寺」

 明石寺(めいせきじ)は、愛媛県西予市にある天台寺門宗の寺院。源光山(げんこうざん)、円手院(えんしゅいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第四十三番札所。

 本尊真言:おん ばざらたらま きりく そわか
 ご詠歌:聞くならく千手(せんじゅ)の誓いふしぎには 大盤石(だいばんじゃく)もかろくあげ石
 当寺は本関所寺であり、証・四国八十八ヶ所「結願」の証書(賞状)を有料で書いてもらうことができる。(後程郵送になる)

 概要
 古墳時代に造られた小円墳(明石寺古墳1号から3号)が入口横の山裾にあり、古くから開けた文明の進歩した地区であった。当寺の背後にある御篠山(標高388m)山頂には南予にある篠山権現が勧請されており、その東斜面の標高約270m(本堂の位置で)辺りに境内が広がっている。観音が乙女に化身し大岩を運んでいたが夜明けが来たので置いて消えたという伝説のある霊地(その後も白王権現として崇拝される)である。中世に宇和郡が西園寺氏の荘園となってから周辺に松葉城や黒瀬城が築かれ同氏との結びつきが強かった。同氏が滅亡したのちも世襲にて存続された為、多くの書類や仏像や書画など文化財が散逸することなく現存している。

 歴史
 『由緒覚書(1783年記)』によれば、6世紀に欽明天皇の勅願により正澄上人が唐からの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建し、天平6年(734年)役行者より5代あとの寿元行者が熊野より十二社権現の勧請と十二坊の建立をし修験道の中心道場として、その後、荒廃した堂宇を弘法大師が大師御筆紺紙金泥の経を納め再興したとあるが、『明石寺尊像再興勧進状(1689年記)』では観音像安置と熊野権現勧請は天平6年(734年)十二坊成立は弘仁13年(822年)となり、『宇和旧記(1681年記)』では熊野十二社権現の勧請は承和3年(836年)となっている。しかし、現存の本尊千手観音は平安末期の作であることから、十二社権現の勧請も同時期で本地仏として造られた可能性もある。

 その後、建久5年(1194年)には、源頼朝が命の恩人[1]である池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀堂を建立し経塚を築きさらに堂宇の修繕をして再興し、山号を現光山から源光山に改めたという。その後も武士からの信仰が篤く、室町時代は伊予西園寺氏の祈願所となるが1578年豊臣直臣戸田勝隆が南予の大名になるや西園寺氏は滅亡する。それとともに当寺も断絶の危機を迎えるが、別当十二坊のうちの上之坊が明石寺38世となり断絶を防ぎ、1665年には正式に上之坊が相続を認められ修験者による世襲により現代に続くこととなる。 1638年に空性親王が邊路で当寺に滞在した折に上之坊門前の桜を「時雨桜」と命名する。1653年に京都の僧澄禅が遍路で来訪した時には本堂は朽ちて傾き本尊は薬師堂に移されという状態であったが、寛文12年(1672年)に宇和島藩主伊達宗利が仁王門と観音堂を建立そのほかの堂宇も再興した。

 明治初年、当寺と一体であった熊野十二社権現は神仏分離により切り離され本堂との間に柵が設けられる。昭和5年にはその下に続くように熊野神社の拝殿と祝詞殿が建立される。

 寺号
 本来の名称は「あげいしじ」だが、現在は「めいせきじ」と呼ぶ。『宇和旧記(1681年記)』に「詠歌に「〜やすく上げ石」とあり、然らば上石寺と書くべきか」とある。なお、当寺の持住の名は37世「海澄」38世「快澄」~42世「真澄」と〇澄という名前が現在まで続き、明石別当〇澄と呼ばれ姓は無かったが明治期以降に姓が付けられて現在まで姓は「明石(あかし)」氏である。(ちなみに、47番八坂寺の持住も「八坂」氏である。)

 境内
 山門(仁王門):仁王像(江戸時代作・木造玉眼古色・増高阿形178cmと吽形178.5cm)
 本堂:本尊千手観音坐像(平安時代末期作・素木仕上げ・彫眼・増高82.0cm)、脇陣に不動明王立像と毘沙門天立像(ともに鎌倉時代作・木造玉眼彩色・像高100.1cmと99.5cm)、二十八部衆像(風神雷神を加えると27体現存・鎌倉時代作・増高57.8cm~69.9cm)。毎年、8月9日(午前10時から午後8時まで)本尊千手観音が開帳され堂内の諸仏を拝観でき、午後6時より護摩法要がある。外陣の天井は信徒によって奉納された絵馬が天井絵として飾られている。また、屋根には耐寒性の良い赤褐色の石州瓦が使われている。
 大師堂:弘法大師像(京仏師赤尾右京が正徳2年(1712年)製作・像高44.5cm)。ときどき厨子が開いていて運が良ければ拝観できる。当寺に大師堂が初めて建立されたのは『前古堂棟札之写(1636年記)』による16世紀後半説、1636年建立説とあるが明確なのは1712年である。
 鐘楼
 地蔵堂:延命地蔵菩薩立像(江戸時代作・増高162.8cm・木造玉眼漆箔)が拝顔できる。
 弘法井戸
 夫婦杉
 しあわせ観音石像と大型五輪塔:石像は1960年建立。塔は源頼朝が立てたと伝わる命の恩人「池禅尼」の供養塔で総高155.3cm。
 宇和西国三十三所:客殿奥からしあわせ観音へとU字形に並ぶ。
 坪ヶ谷新四国(地四国八十八):後述
 歌碑句碑:しあわせ観音の右後ろにあり、また、その手前約20 mの右の丘の中に一つある。また、寺への進入車道の左の丘の中に「お遍路に昨日も今日も南風」がある。
 参道から石段を上ると右手に本坊・納経所が、左に手水場があり山門をくぐる。右手に地蔵堂があり、さらに石段を数段上がり、合計79段で正面の本堂に達する。その右側に鐘楼と大師堂がある。山門手前を左に行くとトイレがあり、その先奥に弘法井戸がある。また、本坊前を通り奥の山に入っていくと宇和西国三十三所があり最奥に、しあわせ観音が立つ。

 宿坊:定員30名(団体専用)
 駐車場 20台。普通車以下は無料、バスは1,000円、マイクロバスは500円。
 行事:「明石寺修験 採燈大護摩供」2月3日節分・本堂への石段下と地蔵堂の間の空間で護摩供が修験者たちにより行われ信者達が火渡りをする。

 文化財

 国の史跡
 伊予遍路道 明石寺境内:28.36591 ha。2019年10月16日指定
 伊予遍路道 大宝寺道:当寺より大寶寺までの67.3 kmのうち当寺より755 mで、当寺より峠を経て宇和文化の里(特別支援学校への道をさらに上がった辺り)に至る道。2019年10月16日指定
 国の登録有形文化財
 仁王門:明治34 (1901) 年頃建築、以下9件が2007年10月登録
 本堂:明治23年 (1890年) 頃建築
 大師堂:明治13年 (1880年) 建築
 地蔵堂:明治42年 (1909年) 建築
 鐘楼堂:江戸時代末期建築
 客殿:大正期建築、昭和42年 (1967年) 頃改造
 手水舎:昭和12年 (1937年) 建築
 石段および石垣(仁王門前):大正5年 (1916年) ・大正期建設、昭和初期増設
 石段および塀(本堂前):昭和5年 (1930年) ・昭和19年 (1944年) 建設
 愛媛県指定有形文化財
 絹本著色熊野曼荼羅図 1幅:縦98.5 ㎝、横38.5 cmの掛け軸、室町時代作、昭和40年 (1965年) 4月2日指定
 ふるさと文化財の森
 檜皮(ひわだ) 西予市明石寺ヒノキ材:平成26年3月24日文化庁設定、第58号、面積3.93 ha
 無指定の文化財
 役行者椅像:1784年作、像高61.0cm、一木造、木造玉眼彩色。
 伝増長天立像・伝持国天立像:平安時代中期作、木造彫眼素地。
 絹本著色天台大師画像:室町時代作、94.8×36.0cm。

 明石寺  愛媛県西予市宇和町明石201

*Wikipedia より

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