『傷む 安田靭彦邸』東小磯。 「昭和三年に新居を現在のところに建てられ、入口の橋を沢上橋と
名づけられ、この橋は弟子たちが作品をもって厳しい指摘をうけ、すごすご渡るので涙橋との異名があった。
昭和五年に安田善次郎翁追善のために、王城山麓に藤原期復元の持仏堂、平唐門、校倉の設計をされた。
その後、一本松の稲荷をつくられた」 <「阿波多羅」より>
建物の面影も無くなりました ・ ・ ・
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