『大磯吟行(完)』 国府地区。 1954年(昭和29)に、大磯町・国府町が合併。
古い歴史が色濃い<国府地区>を吟行するのもお勧めです
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『メジロ集う』 高麗・善福寺。 境内の河津桜が見頃に。 メジロたちが蜜を求めて
次々と飛んで来ます
『大磯吟行』大磯地区。 「江戸時代に入り東海道の道程が変わり、江戸日本橋より京都三條までを百三十五里と定め
五十三次と決定。 大磯と江戸との道程は十六里。 この長い道中の松並木は夏はとくに木陰をつくり涼しく、冬は
防風林となり寒さをふせぐ」 <「大磯俳句読本」より>
『大磯吟行』 祭り・行事。 大磯は小さい町ですが、祭り・行事は多彩
一年を通しての「祭り・行事」をご紹介
『大磯吟行』花水川のほとり・高麗山。 「高麗山を映してゆったりと流れる川の上流に大山、丹沢連山が望まれる。
春浅い高麗山の芽吹き・菜の花明かり・そして桜・美しい虫の音・曼珠沙華と、いつ訪れても豊かな自然が優しく包み込んでくれる」
<「大磯俳句読本」より>
『大磯吟行』旧藤村邸・地福寺。 「大磯は藤村の青春時代の人生体験に、深くかかわる旧東海道に沿う町で
あるばかりでなく、日ごろ敬慕する西行法師の面影を伝える鴫立庵があり、敬愛する日本画家安田靭彦氏も
住んでいた。 三間の中の一間は茶室風に作られた小座敷で藤村の仕事場であった」
「俗塵を離れた静寂な境内には、早咲きの梅が。 生前この境内の小梅林を愛し、ここに永遠の眠りの地を
選んだのであった」。 <「大磯俳句読本」より>
『大磯吟行』 こゆるぎの浜。 「北に山を背負っている磯は本当に暖かく、秋・冬でも地元に
住む人は、よく磯や浜辺を散歩する。 昔、いろいろな政治家や文人が好んでこの静かな町に住み、
この浜辺を散策する姿が見られたという。 <「大磯俳句読本」より>
『大磯吟行』 鴫立庵。 「鴫立庵は、西行法師や虎御前の遺跡であり、町の刊行史蹟の一つになっている。
鴫立庵は第一世庵主大淀三千風以来、代々の庵主が俳諧道場として経営し、近隣青年たちの教育並びに地方
文化の啓発に力を尽くしてきたといわれている」 <「大磯俳句読本」より>
『大磯俳句読本』 鴫立庵開庵三百年。 私が、大磯町内の撮影場所のガイドブックとなっています。
「俳諧師・大淀三千風が京都から西行の像を持ち帰り、大磯に祀り、庵の名を鴫立庵と名づけたのは
元禄八年(1695)です。 芭蕉の死んだ翌年です。 それから三百年。」。平成七年に大磯町観光協会
から刊行されました。 明日から<大磯吟行>として、ご紹介していきたいとおもいます
『大磯の路地(小径)』 茶屋町石畳。 「ここ茶屋町は恐らく明治になる頃まで石船町といったらしい。
この路地の石畳は、統監道が出来る前に小磯にゆく伊藤博文のために敷いたようだ。 この道の東側の茶屋町公民館は
塔前寺といって、地福寺の末寺であった。 その先の愛宕神社の下まで、百足屋の貸別荘、愛松園で家が五つあった。
新嶋襄もここで没している。」 <「阿波多羅」より>
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