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『大磯の漁業』 瀬の海
こゆるぎの浜沖、<瀬の海>と呼ばれるポイントに
遊漁船が展開しています。 「戦後、昭和20年代はまずまず
の漁獲高であったが、昭和30年代には陸(おか)にあがる漁師
が多くなった。 岩場が多かったのでカキ・トコブシ・アワビ・サザエ・
やワカメ・テングサを素潜りでとる、もぐり専門の漁師もいた。
漁獲高を増やすため、戦前廃船を購入して照ヶ崎沖合に沈めたり、
1957年(昭和32)から10ヶ年計画で県が瀬の海へ、コンクリート
ブロックを投下して魚のアパート造りをした」
<大磯町刊行「おおいその歴史」より>
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『ミカン集荷』 小磯丘陵
「小磯丘陵は、標高はもっとも高いところで、100mを
少し超える程度。 関東ローム層が残っているところが
ある。 このような環境はみかん栽培に適していたので
あろう。 昭和に入ってからみかんの栽培は急速に増え、
現在小磯丘陵は60%以上がみかん畑で占められている。
ここは水はけがよく、よく日があたり、南風があたるので
甘いみかんができるのだというのが土地の農家の話である」
<大磯町刊行「おおいその歴史」より>
写真は、小磯丘陵でミカンの集荷作業に追われるミカン農家
の方々
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『今日は』 憂国忌
1970(昭和45)年のこの日、三島由紀夫が割腹自殺した
忌日。 大磯は、三島由紀夫が「潮騒」を書くに当たり、
長い間逗留したという旅館「大内宿」のある土地として知られて
います。 又、三島由紀夫は「東海道線で駅らしい駅と言えば、
大磯駅だ」と言った話も伝えられているそうです。 写真は、
昨日大内宿へお伺いして、三島由紀夫氏が滞在中にサイン帳
に書かれた漢詩を撮らしていただきました。
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(漢詩) 中国の名詩百選に<屈原 (紀元前340~278年)>
離騒(憂いに遭いて) 滄浪閣のうた
朝には木蘭の滴る露を吸い
夕には秋菊の散る花片をくらう