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『アオバト三枚 ③』 富士をバックに
照ヶ崎岩礁で海水を吸飲した<アオバトの群れ>
が駅前・サンダースホームの杜に戻る所です。
後には富士が見えているのですが、残念ながら
いまいちですね
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『アオバト三枚 ③』 富士をバックに
照ヶ崎岩礁で海水を吸飲した<アオバトの群れ>
が駅前・サンダースホームの杜に戻る所です。
後には富士が見えているのですが、残念ながら
いまいちですね
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『アオバト三枚 ②』 白い舟と
沖には<キスつり>の遊魚船。 岩礁に
降り立った、アオバトの群れと合わせて
撮りました
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『アオバト三枚 ①』 波被り
昨日は、今年最大級の<アオバトの群れ>が
照ヶ崎岩礁に飛んできました。 私が撮った
のは<30羽ぐらい群れ>でしたが、写真仲間
は「40-50羽ぐらいだよ」。 本格的なシーズン
到来です。 最初の一枚は<波被り>
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『こゆるぎの浜で』 波をよむ
こゆるぎの浜で、100年以上続いています
<地曳網漁・台船さん>。
昨日は波が高く、舟を沖に出すタイミングが
難しく<波をよむ>時間が長くなりました。
そして、一気に舟を押し出しと船外機が
動作するまで、魯を漕ぎ続けます。
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『女子敬業学舎』 善福寺
伊東希元は高麗・善福寺を創建した了源師の子孫で、
明治六年、生沢の東昌寺の一室に、国府地区で初めて
小学校を開いた。 明治33年、善福寺に戻り敷地内に
「女子敬業学舎」を創立して、近郷近在の婦女子の教育
に当った。 明治37年(1904)頃、高橋誠一郎さんは、
大磯に居られたので、一時教師をした事がある。
<高橋光著「ふるさと大磯」より>