三笠から幌内までの支線は、当時客扱いしていたのかどうか判りませんが、石炭などを輸送する貨物列車がたった一駅間を頻繁に往復していました。
グーグルマップを見ると、三笠~幌内間は現在も2/3位の線路が残されていますね。そして元の幌内駅は現在三笠鉄道記念館となっているようです。
幌内は日本で三番目に開通した鉄道の終端駅(反対の終端は小樽手宮)で、歴史のある駅です。
この写真は再スキャン再処理して再掲ですが...
撮影時の記録が無いので列車番号はおろか上りか下りかも不明ですが、背景や光線の当たり具合から見て上り列車でしょう。
そう思ってGMで廃線跡を辿ると、S字カーブの曲がり方から撮影場所の見当が付きました。三笠駅から5~600mの辺りです。
現在はやはり木々に覆われていますが、線路は剥がされずに残っているようです。
この写真は初公開です。(多分)
同じ19640が牽いていますが、こちらは下り列車でしょう。
上の写真を撮った場所とほぼ同じ場所で、反対側を向いて撮影していたようです。
幌内支線の9600は三笠~幌内間の往復しかしていなかったようなので、三笠駅には給炭設備や転車台があった筈です。
当時はそういった設備の撮影は全く頭に無く、今から思うとキチンと記録しておくべきだったと後悔です。
一昨日の写真も含め、いずれも日の丸写真で見返すと随分ヘボな写真ですが、当時のカメラはファインダースクリーンの中央にピント合わせ用のスプリットイメージが有ったので、置きピンで無い限りファインダー中央に機関車が来るのは致し方なく...
S字カーブの様子が良く判るので、まぁ良いか...
機会が有れば三笠鉄道記念館やトロッコ鉄道なども訪問してみたいです。
幌内線 三笠~幌内
19640、列番不明
1971年9月2日撮影
グーグルマップを見ると、三笠~幌内間は現在も2/3位の線路が残されていますね。そして元の幌内駅は現在三笠鉄道記念館となっているようです。
幌内は日本で三番目に開通した鉄道の終端駅(反対の終端は小樽手宮)で、歴史のある駅です。
この写真は再スキャン再処理して再掲ですが...
撮影時の記録が無いので列車番号はおろか上りか下りかも不明ですが、背景や光線の当たり具合から見て上り列車でしょう。
そう思ってGMで廃線跡を辿ると、S字カーブの曲がり方から撮影場所の見当が付きました。三笠駅から5~600mの辺りです。
現在はやはり木々に覆われていますが、線路は剥がされずに残っているようです。
この写真は初公開です。(多分)
同じ19640が牽いていますが、こちらは下り列車でしょう。
上の写真を撮った場所とほぼ同じ場所で、反対側を向いて撮影していたようです。
幌内支線の9600は三笠~幌内間の往復しかしていなかったようなので、三笠駅には給炭設備や転車台があった筈です。
当時はそういった設備の撮影は全く頭に無く、今から思うとキチンと記録しておくべきだったと後悔です。
一昨日の写真も含め、いずれも日の丸写真で見返すと随分ヘボな写真ですが、当時のカメラはファインダースクリーンの中央にピント合わせ用のスプリットイメージが有ったので、置きピンで無い限りファインダー中央に機関車が来るのは致し方なく...
S字カーブの様子が良く判るので、まぁ良いか...
機会が有れば三笠鉄道記念館やトロッコ鉄道なども訪問してみたいです。
幌内線 三笠~幌内
19640、列番不明
1971年9月2日撮影
ズームレンズだと必要ないのですね? まだまだピントの合わせ方が分かりますせん(笑)
昔の習性で真ん中にどうしてもピント合わせしてしまいます。
全然へぼなことありませんよ、私は好きです。三笠駅はたった一度の訪問でしたが同じくこのS字カーブのおかげで40数年経った今も印象に残る満足のいく写真が撮れてました。
電関人も、道内の知り合いに連れられて2014年に初めての訪問でしたが、幌内や夕張界隈は、所々炭住も残りお写真の雰囲気も
想像がつくくらいですよ!
S蒸機の運転があるときに併せてぜひ訪問なさってみてください。。。
このS字カーブで写真を撮られていましたか...
駅からも近くて良い所でしたが、夏場はやはり煙が出ませんね。
デジタル一眼に限らず、現在のカメラは全てAFですから、レンズの種類に限らず、スプリットイメージは必要ありませんね。
MFのレンズを使う場合でも、フォーカスエイドが有る筈です。
お使いのカメラで、AFポイントを確認して下さい。
昔のカメラの様に中央部だけではなく、ファインダーの中の一定の範囲にピントを合わせられる場所が何カ所かあります。詳しくは取説を。(笑)
初めて行ったところが、随分前に来たことが有るような感じ、所謂デジャヴュを何度か味わいました。ルーツが足尾だからかも知れません。(笑)
三笠鉄道村では蒸機の運転体験も出来るんですね。それで線路が結構長く残っている訳ですか。
Wikiによると、昭和47年11月1日に旅客営業を廃止してますから、この時は営業しているはずですが、数往復だったのでは?
どちら行きも正向運転ということは、営業距離2.6kmで両端に転車台があったのですかね。
石炭と言えば北九州はセラ、北海道はセキが主力だったと思いますが、無蓋車も繋がっていますね。
撮っている頃は貨車の種類など全く興味がありませんでしたが、、、貴重な記録です。(笑)
弾丸ツアーでなくても外されるコースでしょうね。(笑)
旅客営業も有ったと言うことは、姿は見ませんでしたがディーゼルカーが走っていたのでしょうね。
随分短い盲腸線ですが、両端に転車台があったのだと思います。
自分もこの頃は貨車の知識はほとんど無かったです。(^^ゞ
ただ、セキの横に道外禁止と書いてあったのは良く覚えています。
石炭輸送ならセキだけですが、無蓋車(トラ?)にも石炭が積んであるように見えますね。セキが足りなかったのかな?