室蘭本線には名前に「栗」の付く駅が3つあり、北から栗沢、栗丘、栗山の順でした。
沢があって、丘があって、山になるという、地形通りに付けられた名前...かどうかは知りませんが...
栗丘と栗山の間にはちょっとしたサミット(とトンネル)があり、室蘭本線でも有数の撮影地でしたね。
写真は栗丘駅を出発して間もなくの、緩い左カーブになっているところです。
暫く前のtamura様の記事「C57135のこと」や、郷愁紀行様の記事「重連客レ栗丘発車」に栗沢側の出発シーンが出てきましたが、こちらはその反対側(栗山側)です。
機関車が雲隠れですが、C5744の牽く224レです。
この写真の一番手前の客車は、拡大しても文字が良く読めませんでした。
オハ32? あるいはスハ32でしょうか...
2枚目ではドレインで隠れていたファンの姿が、3枚目では沢山見える様になりました。(笑)
前から撮った写真は何枚か有るのですが、そのうちの1枚、栗丘駅を出発した直後の写真を貼っておきます。
(この写真は大きくなります)
列車の最後尾が未だホームに掛かっていますが、その右側には駅長さんが写っています。
また、アウトカーブに1名、インカーブには10名以上のファンが写っています。(^^ゞ
室蘭本線 栗丘~栗山 1975年11月23日撮影
沢があって、丘があって、山になるという、地形通りに付けられた名前...かどうかは知りませんが...
栗丘と栗山の間にはちょっとしたサミット(とトンネル)があり、室蘭本線でも有数の撮影地でしたね。
写真は栗丘駅を出発して間もなくの、緩い左カーブになっているところです。
暫く前のtamura様の記事「C57135のこと」や、郷愁紀行様の記事「重連客レ栗丘発車」に栗沢側の出発シーンが出てきましたが、こちらはその反対側(栗山側)です。
機関車が雲隠れですが、C5744の牽く224レです。
この写真の一番手前の客車は、拡大しても文字が良く読めませんでした。
オハ32? あるいはスハ32でしょうか...
2枚目ではドレインで隠れていたファンの姿が、3枚目では沢山見える様になりました。(笑)
前から撮った写真は何枚か有るのですが、そのうちの1枚、栗丘駅を出発した直後の写真を貼っておきます。
(この写真は大きくなります)
列車の最後尾が未だホームに掛かっていますが、その右側には駅長さんが写っています。
また、アウトカーブに1名、インカーブには10名以上のファンが写っています。(^^ゞ
室蘭本線 栗丘~栗山 1975年11月23日撮影
道内の客レは既にここだけだったんですかね。
2枚めのお写真の客車はスハ32です。
(因みに在来一般型客車にあっては重量記号のみ違う形式=オハ35とスハ35の様なもの=は存在しません。スハ32はあってもオハ32だのナハ32だのはありません)。
他のお写真から推測しましてカマ次位からマニ60+スユニ60+スユニ60+スハフ32+スハ32+スハ32+オハフ62とお見受けします。
1975年といえば昭和50年、蒸気機関車最後の年ですね。
撮影日を拝見しますと勤労感謝の日の(祝)ましてカウントダウンの日々。
それでこんなに撮影者がおられるのですね?
そして駅長さんも(笑)
私はもうこの頃には完全に諦めていました。汽車賃出すだけの値打ちがあるのか?と(笑)
北海道は私には九州より遠かったのです(ーー
この年は浪人中で「鉄」どころではありませんでしたわ(笑)
蒸機の引く列車の後追い写真。
私も、このアングルがとても好きです。
蒸機の力強さが一番表現されていると思います。
そのあとにずらりと並ぶスハの窓がなんとも素敵です。
でも、室蘭本線は最後まで結構本数がありましたから、ファンも大勢いましたね。
それこそ日本全国から集まって。(笑)
こんな写真からでも形式が判定出来てしまうとは...( ゜_゜;)
>重量記号のみ違う形式=オハ35とスハ35の様なもの=は存在しません
初歩的な事も知らずに、お恥ずかしい限りです。(^^ゞ
その前の12月14日にはC57135牽引で最後の客レが室蘭本線を走りました。
この写真を撮影してから3週間後でした。
何度も訪問した北海道、この撮影旅行が佐倉の最後の蒸機撮影でした。
後ろ姿を見られたくなかったようです。(笑)
佐倉が浪人していたのは大分前ですが、蒸機撮り始めたのは大学に入ってからでした。
もう少し早く目覚めていれば、関東近辺でもっと撮れたなぁ...