先月28日の記事でちょっと予告しましたが...
前年(1971年)の9月にはC62重連急行ニセコはDL化されていましたが、C62は1年後の夏も函館本線でローカル列車などに充当されていました。
それを狙って函館本線へも行きましたが、D51との共通運用なので残念ながら出会えず...線路際情報で、C622は火を落として暫くは動かないという話を聞いてガッカリした覚えがあります。
そんな北海道遠征も半ばを過ぎて、札幌から函館へ夜行列車、確か「すずらん6号」で移動するために札幌駅へ行くと...苗穂方から蒸機が近づいて来ました。
D51ですが、重単のようです。急いでカメラを取りだして...
D51が切り離されて見えて来たのは...
何とC622でした。
当時の北海道では蒸機は珍しいものではなかったと思いますが、一般客も注目していますね。
そして眼前を通過...
転線してバックで客車に連結するところ(だったと思います)
どうやら臨時列車の先頭に立ったようでした。
ピントは不正確、手ぶれと被写体ブレオンパレードの稚拙な写真で、ネガを現像してベタ焼きしただけのカットでしたが、ネタ切れということもあり今回初めてスキャンして画像処理してみました。
当時は、ピンぼけ、手ぶれ、単なる被写体ブレ(表現としての被写体ブレは除く)は写真の三悪という崇高な理念?に基づいて写真を撮っていたので(爆)、これらの写真はもうどうしようも無い不出来な写真でした。
でも、こうして見返してみると、当時の札幌駅の雰囲気が伝わってきて懐かしさがこみ上げてきます。
函館本線 札幌駅
列番不明 D51713、C622
1972年8月4日撮影
前年(1971年)の9月にはC62重連急行ニセコはDL化されていましたが、C62は1年後の夏も函館本線でローカル列車などに充当されていました。
それを狙って函館本線へも行きましたが、D51との共通運用なので残念ながら出会えず...線路際情報で、C622は火を落として暫くは動かないという話を聞いてガッカリした覚えがあります。
そんな北海道遠征も半ばを過ぎて、札幌から函館へ夜行列車、確か「すずらん6号」で移動するために札幌駅へ行くと...苗穂方から蒸機が近づいて来ました。
D51ですが、重単のようです。急いでカメラを取りだして...
D51が切り離されて見えて来たのは...
何とC622でした。
当時の北海道では蒸機は珍しいものではなかったと思いますが、一般客も注目していますね。
そして眼前を通過...
転線してバックで客車に連結するところ(だったと思います)
どうやら臨時列車の先頭に立ったようでした。
ピントは不正確、手ぶれと被写体ブレオンパレードの稚拙な写真で、ネガを現像してベタ焼きしただけのカットでしたが、ネタ切れということもあり今回初めてスキャンして画像処理してみました。
当時は、ピンぼけ、手ぶれ、単なる被写体ブレ(表現としての被写体ブレは除く)は写真の三悪という崇高な理念?に基づいて写真を撮っていたので(爆)、これらの写真はもうどうしようも無い不出来な写真でした。
でも、こうして見返してみると、当時の札幌駅の雰囲気が伝わってきて懐かしさがこみ上げてきます。
函館本線 札幌駅
列番不明 D51713、C622
1972年8月4日撮影