銭紋
(ぜにもん)
銭は訓では「ゼン」というが、これは音の
「セン」が「セヌ」になり、「ゼン」に転じたもの。
銭紋が初めて文献に現れるのは、
「蒙古襲来絵詞」の『連銭』。
寛永銭 天保銭 六つ念じ銭
青山銭 六連銭(六文銭)
真田六文銭は地蔵信仰による六道銭!
真田氏は、三途の川の渡川料として
六文銭をいつも所持するという秘話からくる、
先陣の旗などで決死を表したものという。
≪六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天井≫
【有文銭紋】・・・文字が書かれているもの
「永楽」などの瑞祥的理由から。
① 政和通宝(中国製)
② 永楽通宝(日本製)
③ 寛永通宝(日本製)
④ 康熙通宝(中国製)
【無文銭紋】・・・文字が書かれていないもの
信仰的理由、文字の省略。
① 裏銭
② 三文銭
③ 六連銭
④ 八連銭
⑤ 銭九曜
いつもお世話になっている↑↑家紋ワールドさんです。
いつもありがとうございます。
≪ 銭 ≫
古代には稲米、布帛、、家畜、勾玉、鏡、剣
などの現物が用いられることが多く、稲米と布帛は
法定鋳貨の出る鎌倉期まで一般に使用された。
天武天皇の頃、銅銭が使用されたとか、
朱鳥八年(694)鋳銭司の置かれた伝承はあるが、
最初の鋳貨は和銅元年(708)の「和銅開宝」といわれる。
その後、平安末まで十二種の鋳銭を「皇朝十二銭」と呼ぶ。
銭は唐制にならって、1文を単位とし、千文を一貫。
しかし、日本の銭は人気が無く、十世紀にやむなく廃絶。
十二世紀に、中国の銅銭(鎌倉期の宋銭、室町期の明銭)
が輸入され、これに諸国の私鋳銭が加わり、
十五世紀辺りまで続いた。
天正、文禄、慶長のころには、ようやく国家権力が統一
されて諸通宝が鋳造され、金・銀の半金が登場した。
江戸期には、金座、銀座、銭座の貨幣発行機関が
開かれ、貨幣の統一を実現。
『家紋大図鑑』:参照
『日本家紋総覧コンパクト版』:参照
ちょっと気になるリンク集
「音読・日本の絵巻」
by: 楊 暁捷 (X. Jie YANG)様
様より「永楽通宝の謎」
永楽銭は嫌われたり好まれたり、大小いろいろな
サイズのものが唯一残っている銭とのことです。
戦国武将 家紋ロータリーキーホルダー
真田幸村六文銭紋