帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをします。
一緒に、喜怒哀楽などを楽しんでもらえたら、嬉しいです。
さあ~てと、父 (母)となられていらっしゃるあなた、まだ子供だよという
あなたや他の人の目には、此の娘っ子は、どんな風に映るでしょうか?
題して『 さっちゃんとパパ 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の7≫ 留守番(店番)???
ところで、留守番をしていた時母は・・というと、
その家にいてお友達と話をすることもあったが、
だいたいはいなくなるのだった。
もう一人のお友達と3人でよく出かけていた。
ここでのことは多分、パパには内緒だったと思うよ。
とすれば、危ない橋を渡っていたことになるねんねえ。
一言私がしゃべれば、父にばれる可能性があるのだから・・・
しかし、母はあんまり隠し事はしてないようにも見えた。
自分は人様に指をさされるようなことはしていない、
私の両親はそういう人達だった。
どちらかというと人に尽くすタイプの人だった。
あたしは、山の家ではないこの家が面白かった。
なぜか、あたしがいててもここの人は出てこない。
旦那さんと息子さんなのだが・・・
仕事は不動産もやっていたように思う。
客が来ては何処かへ行ったようである。
息子さんは居ない事の方が多かった。
ええっ!じゃあーーー
あたし一人やん!!
ーーーそうなのである!
8歳の私一人なのである。
それとも、
すぐ近くの誰ぞの家にでも、いたのかなあ。
しっかし、この家にある読み物。どうにかしてよ~!
新聞か、やばい本しかないんだよ~~~!!
この時のことが、ばれたのはやはり、1か月以上もの入院だったと思う。
若干8歳の私に銀行入金など頼めるものではないだろう。
母が言うより先に封書がいくつか来たようである。
わけのわからない物に父はかなり悩んだようである。
実家箪笥&人形
つづく。。。
8歳というと、1年か2年生ですか?
んn・・・なるほど・・・店番ですね。
実家箪笥&人形、これは、さっちゃん にとっては懐かしい
思い出の、大事な、大事な、写真ですね。
忘れていることがあるのかも知れません。
でもいいんです。想いでだけを封じ込めるので・・
旅行に行くと必ずご当地人形がお土産でした。
箪笥は父が亡くなったとき、処分しました。
人形も供養させていただきました。
もう、写真だけになりました。