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明日へ続く道

060807 AD/HD等の子どもの理解と指導方法

2006-08-07 | 特別支援教育
今日の午後は、特別支援教育コーディネーター養成研修だった。
今日の講師は、山崎晃資先生(目白大学人間社会学部教授)。
テーマは、「LD,ADHD等の子どもの理解と指導方法」だった。

前半は、ADHDの概念や、その歴史を話をしていただいた。
でも正直、ちょっと難しくて十分理解しきれなかった。

中盤は、診断についての説明。
毎回のことだけど、「あるある」と思う場面や行動についての話がたくさん出た。

最後は、手立てについての話。
手立ては、我々学級担任にとっては一番必要なものだけど、なかなか深まらない部分だ。
今回も、これまで聞いていた対応の確かめになったけど、そんなに新しい視点での話はなかったと思う。

やっぱり学級担任として必要なことは、
医学的知識 < 障害の理解 < 全体の中での手立て
だと思う。
「手立て」がもっと見えてこないと、理解や考え方だけでは、特別支援教育の垣根はなかなか取り払えないと思う。

今日の研修で特に印象に残った内容をまとめておく。

■軽度発達障害の問題点
・日常生活が困難
・周囲の無理解・困難
・反社会的行動、衝動性が露わになってから問題視される
・いじめの対象になりやすい
→軽度発達障害児を抱える学級の中で、まさに「あるある」という問題点。
問題点は共有し、その要因も理解できるのだけれど、これらにどう対応するかが難しい。

■ADHD児との関係
 ADHDの子は、信頼できる人のことは非常によく聞く。
それに対して、ボーダーラインの子たちは、周囲を巻き込んで反抗することが多いそうだ。
 自分のまわりを見ても、診断のはっきりしている子たちよりも、ボーダーの子どもたちの対応の方が難しい場合が多い。
河村茂雄先生の本で読んだ「全体指導に参加できない子」と「全体指導を妨げる子」についての視点を思い出した。
より手がかかる「全体指導を妨げる子」は、ボーダーラインの子の方に多い気がする。

■ADHDは、発達障害ではない!?
 ADHDは、性格に言うと発達障害ではなく、行動障害だそうだ。
精神遅滞、自閉症、学習障害は、発達障害のくくりとなる。
また、診断の際、行動面から見るとほとんどの子は、ADHDになってしまうし、
学力の面からみると、ほとんどの子は、学習障害になってしまう。
切り口によって、捉え方がずいぶん変わってくるということだった。
 自分はADHD=軽度発達障害というのイメージをもっていた。
ただ実際、我々にとっては、医学的な分類はあまり関係ないと思うのだけれど、どうなのだろうか?

■ADHD児の対応
 「原因は親のせいではない。症状を増幅させているのは、親のせい。」という話があった。
 「親」を「担任」に置き換えると、耳が痛い話だ。
 障害の特性をとらえて、障害を増幅させない指導に努めたい。そのためにも症状が出ているきっかけがどこにあるのかを、冷静にみつめられないとできない。

■片付けのできない女性
 片付けのできない成人女性の部屋の写真を数例提示してもらった。
 すごい部屋だった。
 講師の先生のところに相談に来るそうだが、手立てがみつからないことも多いらしい。
 第一線にいる先生も手立てに悩んでいる。
 流行のように「特別支援」と叫ばれているけれど、行政がうつハード面の手立てに対して、実際に対応するソフト面の実践は、まだまだ考える余地が多いことを実感した。

 今日の講師の山崎先生は、ご自身の悩みや苦労をストレートに表現されていた。
 また、通常学級でADHDを抱えることの苦労を共感的に述べていて、さらにまず学級経営をしっかりしてからでないと難しいでしょうということを言われていた。
 こういう観点で話をしていただけると、話を素直に聞きやすいと思った。
コメント
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