しばらく夏休みを取っていたので、ブログに投稿するのは久方振りだ。
最後の投稿が8月1日なので、随分と夏休みを取っていたようだが、もちろん20日余りも仕事を休んでいた訳ではない。そういうことをすれば、戻ってきた時には自分の机が消滅していることだろう。
僕が夏休みに入ったのは8月13日である。それでは、ブログは単にサボっていたのかと言うと、そうではない。事情は他にある。
ツマが子達を連れて自分の実家に帰ってしまったのだ。いや、書き方が悪いな。ツマが一足先に子達を連れて、自分の実家に戻ったのだ。これが8月4日のことである。もちろん実家に帰ったきり、ということもなく、僕が休暇に入る8月14日に僕の実家で落ち合いましょうということになっていたのである。
さて、そうなると僕は丸々10日間も独り身になるわけであり、色々と思いを巡らせた。風呂桶に目一杯お湯をはって、ザブンと浸かろうが誰も文句は言わない。風呂上がりに全裸で家の中を歩き回っても、カーテンさえ閉めてあれば、何ら恥ずることもない。毎日外食で好きなものを食べたって構わない。要は何でもし放題、普段できないことをやったところで何のお咎めもない。
とワクワクしていたが、独身生活は予想外の方向に向かった。
まず、初日にベランダに出たら、サンダルの帯が切れてしまった。これがケチの付き始めである。
2日目には、テレビの調子が悪くなり、スイッチを入れたら、テレビの方で勝手にスイッチを切りやがる、いや、切られたもうた。何度スイッチを入れてもテレビの方が「そなたにはテレビを視聴する資格はございません」と言わんばかりに頑なにスイッチを切られたもうたのである。「おいおい、何だよこれは」と思いつつ、気を鎮めてよく見ると、テレビの下部にある小さなランプが点滅している。4回チカチカと点滅した後、しばらく消灯し、再び4回の点滅を規則正しく繰り返している。「ははん、これは何かのメッセージだな。取説を見れば、すぐに直せるに違いない。」と思って、内心ほくそ笑んだのだが、その取説が一筋縄では取り出せない。取説をしまっているキャビネットが収まっている押し入れは、長年の不摂生で詰め込むだけ詰め込んだ状態で、件のキャビネットは奥の方にある。おまけにその押し入れの手前にも、色々なものを積み上げており、二重、三重のバリアーが施されているのである。時は金曜の夜。僕はバリアーの前に佇み、「ははん、これは何かのお告げだな。要はキチンと片付けなさい、ということだな。」と先程と比べて微妙にトーンを落として、納得した。
3日目、とにかくバリアをどかし、かつバリアを構成する要素一つ一つを別の部屋の床に並べていった。午前中いっぱいを使って、バリアを突破した後、目的のテレビの取説を手にすることができた。早速「調子の悪いときは?」のページを開き、ランプの点滅の項を読んでみると、「点滅の回数を確認し、お買い上げの店舗、もしくは弊社のサービスマンにご連絡ください」と書いてある。
一瞬、ロボコン(古いなあ)のようにテレビを破壊しようかと思ってしまった。
怒りがおさまった後、家の床一面に広げた物品を再び収納する必要があることに気が付いた。少なくとも、一室分の床が片付かないと寝る場所さえないのだ。しかも、元と同じように収納していては馬鹿である。整理しながら収納してゆく必要がある。
もう、心を無にして、とにかくランダムに配置されている物品を、関係あるもの同士(本体とコネクター・アダプター・マニュアル、といった感じで)で一カ所にまとめ、あらかた物品同士の関連付けが終わると、重要度を考慮して押し入れに戻してゆくのである。
斯様な人力デフラグの末、とりあえず寝るスペースを確保した後、夜に電気店に行って、壊れたテレビに引導を渡すことにした。つまり、新しいテレビを買い、壊れたテレビを引き取って処分してもらうことにしたのだ。僕も小市民ゆえ、液晶薄型テレビとブラウン管テレビのコーナーを行きつ戻りつし、時にはカタログを手に取り、一度店を出て煙草を吸ったり、ジュースを飲んで頭を冷やしたり、つまり自分の欲望とフトコロ具合を天秤にかけつつ、腸がねじ切れんばかりに激しく思い悩んだ末に、液晶テレビを買うこととした。一旦決めてしまうと、心は軽い。あんなこと、こんなこと、夢は膨らむ。
そこに冷や水を浴びせたのが、電気店の店員さんである。曰く、「明日の日曜日は配送の予定が一杯で、お届けは無理です。」と。
すぐさま「では、いつ配達してもらえますか?」と問い返した。
店員曰く、「明々後日の火曜日なら」と。
我思う、「うん、明々後日なら、まぁ、いいか。」と。
我思い直す、「ちょっと待てよ、よく考えたら火曜日は仕事で、家には誰もいいひんやんけ!」と。
我落胆して曰く、「では、今度の土曜日にお願いします。」と。
店員曰く、「了解しました。」と。
其の時我稲妻の如く名案浮かんだり、「液晶テレビは軽いから、今持ち帰って、今度の土曜日に壊れたテレビを引き取ってもらっては?」と。
我が名案を聴いて店員曰く、「できないことはないですが、引き取りの為にそちらに伺うのに別途費用が発生してしまいますが、それでもよろしいですか?」と。
我、我が名案を即座に否決せしものの、それでは余りに「別途費用」をケチるの心、店員に見透かされ過ぎと思い、激しく煩悶す。
しかし我、煩悶しつつ、悟りを開く、「よく考えたら、別途費用なんざ、数千円の話、すぐにテレビを見れるのならば、安いものではないか。」と。
されど我、一瞬の悟りの後、新たに気付く、「ちょっと待てよ、壊れたテレビ、それまでどこに置いとくねん?ちゅうか、あのテレビ、一人でテレビ台から下ろせるんかいな?確か、50kg以上あったぞ、あれは。」と。
我、忽ちにして脳内に画像が浮かぶ。即ち、新式薄型液晶テレビの傍らで、旧式重厚長大ブラウン管テレビの下敷きとなりて孤独の内に息絶えんとする若者の画像なり。
我、店員に対して曰く、「いやぁ、よく考えたら、古い方のテレビが大っきくて、とても一人で動かせるようなシロモノではないので、やっぱり土曜日に配達してください。」と。
というわけで、結局休暇に入って帰省するまでテレビは見られないことになった。
以降は帰省するまで、人力デフラグを黙々と続けた。随分上の方で書いた夢のビジョンはことごとく消え去った。大体平日は仕事が終わる時間に外食しようにも、もうロクな店は開いていないのだ。従って、ロクでもない店で食べるか、家に帰って侘しくご飯を作って食べるかしかないのである。
家に帰れば、人力デフラグが待っている。おっと、その前に我がツマから頼まれていた、花の水やりと、カブトムシおよびクワガタムシの餌やり兼安否確認もしなくては、てな状況では、いちいち湯をはってゆったりとバスタブに浸かる気も起きない。味気なくシャワーを浴びるのみである。
とまぁ、毎度のことながら言い訳が長くなったが、とにかくこういう状況も手伝って、ブログは長期お休みをいただいたわけである。
とりあえず、無事に休暇に突入し、テレビがやってくるのとほぼ同時に人力デフラグが完了した後、夜行バスに乗って帰省し、ひやしあめをたらふく飲んで、大谷祖廟の万灯会を眼下に左大文字と鳥居の送り火を拝み、親族、恩師ともお会いすることができ、天下一品のこってりも食して満足の末、一家で寝台急行に乗って戻ってきたのが土曜の朝。
そして、今、日曜日の深夜、久々にブログを書いているわけだ。
あと7時間もすれば、仕事が始まるのだが、そうこう言っているこの数時間は本当に贅沢な自分だけの夏休みである。
最後の投稿が8月1日なので、随分と夏休みを取っていたようだが、もちろん20日余りも仕事を休んでいた訳ではない。そういうことをすれば、戻ってきた時には自分の机が消滅していることだろう。
僕が夏休みに入ったのは8月13日である。それでは、ブログは単にサボっていたのかと言うと、そうではない。事情は他にある。
ツマが子達を連れて自分の実家に帰ってしまったのだ。いや、書き方が悪いな。ツマが一足先に子達を連れて、自分の実家に戻ったのだ。これが8月4日のことである。もちろん実家に帰ったきり、ということもなく、僕が休暇に入る8月14日に僕の実家で落ち合いましょうということになっていたのである。
さて、そうなると僕は丸々10日間も独り身になるわけであり、色々と思いを巡らせた。風呂桶に目一杯お湯をはって、ザブンと浸かろうが誰も文句は言わない。風呂上がりに全裸で家の中を歩き回っても、カーテンさえ閉めてあれば、何ら恥ずることもない。毎日外食で好きなものを食べたって構わない。要は何でもし放題、普段できないことをやったところで何のお咎めもない。
とワクワクしていたが、独身生活は予想外の方向に向かった。
まず、初日にベランダに出たら、サンダルの帯が切れてしまった。これがケチの付き始めである。
2日目には、テレビの調子が悪くなり、スイッチを入れたら、テレビの方で勝手にスイッチを切りやがる、いや、切られたもうた。何度スイッチを入れてもテレビの方が「そなたにはテレビを視聴する資格はございません」と言わんばかりに頑なにスイッチを切られたもうたのである。「おいおい、何だよこれは」と思いつつ、気を鎮めてよく見ると、テレビの下部にある小さなランプが点滅している。4回チカチカと点滅した後、しばらく消灯し、再び4回の点滅を規則正しく繰り返している。「ははん、これは何かのメッセージだな。取説を見れば、すぐに直せるに違いない。」と思って、内心ほくそ笑んだのだが、その取説が一筋縄では取り出せない。取説をしまっているキャビネットが収まっている押し入れは、長年の不摂生で詰め込むだけ詰め込んだ状態で、件のキャビネットは奥の方にある。おまけにその押し入れの手前にも、色々なものを積み上げており、二重、三重のバリアーが施されているのである。時は金曜の夜。僕はバリアーの前に佇み、「ははん、これは何かのお告げだな。要はキチンと片付けなさい、ということだな。」と先程と比べて微妙にトーンを落として、納得した。
3日目、とにかくバリアをどかし、かつバリアを構成する要素一つ一つを別の部屋の床に並べていった。午前中いっぱいを使って、バリアを突破した後、目的のテレビの取説を手にすることができた。早速「調子の悪いときは?」のページを開き、ランプの点滅の項を読んでみると、「点滅の回数を確認し、お買い上げの店舗、もしくは弊社のサービスマンにご連絡ください」と書いてある。
一瞬、ロボコン(古いなあ)のようにテレビを破壊しようかと思ってしまった。
怒りがおさまった後、家の床一面に広げた物品を再び収納する必要があることに気が付いた。少なくとも、一室分の床が片付かないと寝る場所さえないのだ。しかも、元と同じように収納していては馬鹿である。整理しながら収納してゆく必要がある。
もう、心を無にして、とにかくランダムに配置されている物品を、関係あるもの同士(本体とコネクター・アダプター・マニュアル、といった感じで)で一カ所にまとめ、あらかた物品同士の関連付けが終わると、重要度を考慮して押し入れに戻してゆくのである。
斯様な人力デフラグの末、とりあえず寝るスペースを確保した後、夜に電気店に行って、壊れたテレビに引導を渡すことにした。つまり、新しいテレビを買い、壊れたテレビを引き取って処分してもらうことにしたのだ。僕も小市民ゆえ、液晶薄型テレビとブラウン管テレビのコーナーを行きつ戻りつし、時にはカタログを手に取り、一度店を出て煙草を吸ったり、ジュースを飲んで頭を冷やしたり、つまり自分の欲望とフトコロ具合を天秤にかけつつ、腸がねじ切れんばかりに激しく思い悩んだ末に、液晶テレビを買うこととした。一旦決めてしまうと、心は軽い。あんなこと、こんなこと、夢は膨らむ。
そこに冷や水を浴びせたのが、電気店の店員さんである。曰く、「明日の日曜日は配送の予定が一杯で、お届けは無理です。」と。
すぐさま「では、いつ配達してもらえますか?」と問い返した。
店員曰く、「明々後日の火曜日なら」と。
我思う、「うん、明々後日なら、まぁ、いいか。」と。
我思い直す、「ちょっと待てよ、よく考えたら火曜日は仕事で、家には誰もいいひんやんけ!」と。
我落胆して曰く、「では、今度の土曜日にお願いします。」と。
店員曰く、「了解しました。」と。
其の時我稲妻の如く名案浮かんだり、「液晶テレビは軽いから、今持ち帰って、今度の土曜日に壊れたテレビを引き取ってもらっては?」と。
我が名案を聴いて店員曰く、「できないことはないですが、引き取りの為にそちらに伺うのに別途費用が発生してしまいますが、それでもよろしいですか?」と。
我、我が名案を即座に否決せしものの、それでは余りに「別途費用」をケチるの心、店員に見透かされ過ぎと思い、激しく煩悶す。
しかし我、煩悶しつつ、悟りを開く、「よく考えたら、別途費用なんざ、数千円の話、すぐにテレビを見れるのならば、安いものではないか。」と。
されど我、一瞬の悟りの後、新たに気付く、「ちょっと待てよ、壊れたテレビ、それまでどこに置いとくねん?ちゅうか、あのテレビ、一人でテレビ台から下ろせるんかいな?確か、50kg以上あったぞ、あれは。」と。
我、忽ちにして脳内に画像が浮かぶ。即ち、新式薄型液晶テレビの傍らで、旧式重厚長大ブラウン管テレビの下敷きとなりて孤独の内に息絶えんとする若者の画像なり。
我、店員に対して曰く、「いやぁ、よく考えたら、古い方のテレビが大っきくて、とても一人で動かせるようなシロモノではないので、やっぱり土曜日に配達してください。」と。
というわけで、結局休暇に入って帰省するまでテレビは見られないことになった。
以降は帰省するまで、人力デフラグを黙々と続けた。随分上の方で書いた夢のビジョンはことごとく消え去った。大体平日は仕事が終わる時間に外食しようにも、もうロクな店は開いていないのだ。従って、ロクでもない店で食べるか、家に帰って侘しくご飯を作って食べるかしかないのである。
家に帰れば、人力デフラグが待っている。おっと、その前に我がツマから頼まれていた、花の水やりと、カブトムシおよびクワガタムシの餌やり兼安否確認もしなくては、てな状況では、いちいち湯をはってゆったりとバスタブに浸かる気も起きない。味気なくシャワーを浴びるのみである。
とまぁ、毎度のことながら言い訳が長くなったが、とにかくこういう状況も手伝って、ブログは長期お休みをいただいたわけである。
とりあえず、無事に休暇に突入し、テレビがやってくるのとほぼ同時に人力デフラグが完了した後、夜行バスに乗って帰省し、ひやしあめをたらふく飲んで、大谷祖廟の万灯会を眼下に左大文字と鳥居の送り火を拝み、親族、恩師ともお会いすることができ、天下一品のこってりも食して満足の末、一家で寝台急行に乗って戻ってきたのが土曜の朝。
そして、今、日曜日の深夜、久々にブログを書いているわけだ。
あと7時間もすれば、仕事が始まるのだが、そうこう言っているこの数時間は本当に贅沢な自分だけの夏休みである。