これは誰にでもあることなのかもしれないし、僕だけのことかもしれない。あまりこういった話を他人にする機会というものがないし、口ではうまく伝えられそうにもないので、はなからあきらめてしまうことになるのだけれど、とにかく僕は突然、今の状況とは無関係な過去の記憶に襲われることが時々、ある。
襲われる、というのは何とも大げさな表現だけれど、ちっとも大げさではない。何だったんだ、今のは?と呆気にとられるくらい、鮮やかで、リアルな記憶が、現在のシチュエーションと張り合うくらいの勢いで、どこからともなく立ち上ってくるのである。
書き始めて、こんなややこしいテーマに手をつけるんじゃなかった、と既に少々後悔しているがーまぁ仕方がない、とにかく頑張って書いてみることにしようー、例えばそれはとても感覚的な記憶である。匂いや、響きや、心の動き、といったものだ。余り視覚的な記憶はないが、付随的なイメージとして現れてくることはある。
抽象的ではない。案外具体的でもある。例えば、3歳頃のある日に午前10時から12時くらいの間にたまたまスイッチを入れたテレビで桂米朝(今の小米朝さんくらいの年齢だった)の落語を放映していて、たまたま数分くらいそのまま観ていたこと、そしてその時の気持ちが一瞬のうちに甦ってきたりするわけだ。或いは20歳頃に大学近くの閑静な住宅街を自転車で走っていた時のこと、その瞬間の希望と焦燥が入り乱れた感情、クリスマスイブを迎える日、少し離れた商店街の買い物帰り、駅のホームで「そうか、もうすぐ昭和54年が終わるんだ」と思ったこととその時の少し寂しさの混じった心持ちー数え上げればキリがない。
比較的最近の記憶も、人生における初期の頃の記憶も、鮮明さは大して変わらず、等価に現れる。現れると、思わず何かしらの反応を示しそうになる程にリアルだ。いや実際に独り言を呟いてしまうこともある。
特に害はない。かといって、今すぐ役に立つようなこともない。
ただ、以前と比較しても、このような記憶が突然立ち現れる頻度が少しずつ増え、また記憶の対象となる時期はより範囲が広がり、密度(詳細さ)も濃くなってきているような気がする。
どうしてこういうことが起こるのか?自分も聞きたいくらいだが、一つだけ仮説がある。今の自分に対して、過去の自分が「おい、今のお前が全てではないんだぞ。お前が辿ってきた道を忘れるな。常に昔のお前と比較して今の自分の立ち位置や進む方向が正しいか確認しろ。」と迫ってきているのではないか?
僕は今しがた終えたばかりのビリヤードのショットのことも思い出せないような人間であるが(少しぐらい記憶に残っていれば、もう少し強くなれただろうに)、先の仮説の上に立つならば、ビリヤードの腕前よりは日々の生活を営む腕前には長けているのかもしれない。
とりあえずは、そう考えて日々を過ごしている。
・・・何だかしまらない話になりましたね。ではまた、来週。
襲われる、というのは何とも大げさな表現だけれど、ちっとも大げさではない。何だったんだ、今のは?と呆気にとられるくらい、鮮やかで、リアルな記憶が、現在のシチュエーションと張り合うくらいの勢いで、どこからともなく立ち上ってくるのである。
書き始めて、こんなややこしいテーマに手をつけるんじゃなかった、と既に少々後悔しているがーまぁ仕方がない、とにかく頑張って書いてみることにしようー、例えばそれはとても感覚的な記憶である。匂いや、響きや、心の動き、といったものだ。余り視覚的な記憶はないが、付随的なイメージとして現れてくることはある。
抽象的ではない。案外具体的でもある。例えば、3歳頃のある日に午前10時から12時くらいの間にたまたまスイッチを入れたテレビで桂米朝(今の小米朝さんくらいの年齢だった)の落語を放映していて、たまたま数分くらいそのまま観ていたこと、そしてその時の気持ちが一瞬のうちに甦ってきたりするわけだ。或いは20歳頃に大学近くの閑静な住宅街を自転車で走っていた時のこと、その瞬間の希望と焦燥が入り乱れた感情、クリスマスイブを迎える日、少し離れた商店街の買い物帰り、駅のホームで「そうか、もうすぐ昭和54年が終わるんだ」と思ったこととその時の少し寂しさの混じった心持ちー数え上げればキリがない。
比較的最近の記憶も、人生における初期の頃の記憶も、鮮明さは大して変わらず、等価に現れる。現れると、思わず何かしらの反応を示しそうになる程にリアルだ。いや実際に独り言を呟いてしまうこともある。
特に害はない。かといって、今すぐ役に立つようなこともない。
ただ、以前と比較しても、このような記憶が突然立ち現れる頻度が少しずつ増え、また記憶の対象となる時期はより範囲が広がり、密度(詳細さ)も濃くなってきているような気がする。
どうしてこういうことが起こるのか?自分も聞きたいくらいだが、一つだけ仮説がある。今の自分に対して、過去の自分が「おい、今のお前が全てではないんだぞ。お前が辿ってきた道を忘れるな。常に昔のお前と比較して今の自分の立ち位置や進む方向が正しいか確認しろ。」と迫ってきているのではないか?
僕は今しがた終えたばかりのビリヤードのショットのことも思い出せないような人間であるが(少しぐらい記憶に残っていれば、もう少し強くなれただろうに)、先の仮説の上に立つならば、ビリヤードの腕前よりは日々の生活を営む腕前には長けているのかもしれない。
とりあえずは、そう考えて日々を過ごしている。
・・・何だかしまらない話になりましたね。ではまた、来週。