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2005年1月スタート

フラッシュバック

2005-06-27 00:50:51 | 日記?週記?
 これは誰にでもあることなのかもしれないし、僕だけのことかもしれない。あまりこういった話を他人にする機会というものがないし、口ではうまく伝えられそうにもないので、はなからあきらめてしまうことになるのだけれど、とにかく僕は突然、今の状況とは無関係な過去の記憶に襲われることが時々、ある。

 襲われる、というのは何とも大げさな表現だけれど、ちっとも大げさではない。何だったんだ、今のは?と呆気にとられるくらい、鮮やかで、リアルな記憶が、現在のシチュエーションと張り合うくらいの勢いで、どこからともなく立ち上ってくるのである。

 書き始めて、こんなややこしいテーマに手をつけるんじゃなかった、と既に少々後悔しているがーまぁ仕方がない、とにかく頑張って書いてみることにしようー、例えばそれはとても感覚的な記憶である。匂いや、響きや、心の動き、といったものだ。余り視覚的な記憶はないが、付随的なイメージとして現れてくることはある。

 抽象的ではない。案外具体的でもある。例えば、3歳頃のある日に午前10時から12時くらいの間にたまたまスイッチを入れたテレビで桂米朝(今の小米朝さんくらいの年齢だった)の落語を放映していて、たまたま数分くらいそのまま観ていたこと、そしてその時の気持ちが一瞬のうちに甦ってきたりするわけだ。或いは20歳頃に大学近くの閑静な住宅街を自転車で走っていた時のこと、その瞬間の希望と焦燥が入り乱れた感情、クリスマスイブを迎える日、少し離れた商店街の買い物帰り、駅のホームで「そうか、もうすぐ昭和54年が終わるんだ」と思ったこととその時の少し寂しさの混じった心持ちー数え上げればキリがない。

 比較的最近の記憶も、人生における初期の頃の記憶も、鮮明さは大して変わらず、等価に現れる。現れると、思わず何かしらの反応を示しそうになる程にリアルだ。いや実際に独り言を呟いてしまうこともある。

 特に害はない。かといって、今すぐ役に立つようなこともない。

 ただ、以前と比較しても、このような記憶が突然立ち現れる頻度が少しずつ増え、また記憶の対象となる時期はより範囲が広がり、密度(詳細さ)も濃くなってきているような気がする。

 どうしてこういうことが起こるのか?自分も聞きたいくらいだが、一つだけ仮説がある。今の自分に対して、過去の自分が「おい、今のお前が全てではないんだぞ。お前が辿ってきた道を忘れるな。常に昔のお前と比較して今の自分の立ち位置や進む方向が正しいか確認しろ。」と迫ってきているのではないか?

 僕は今しがた終えたばかりのビリヤードのショットのことも思い出せないような人間であるが(少しぐらい記憶に残っていれば、もう少し強くなれただろうに)、先の仮説の上に立つならば、ビリヤードの腕前よりは日々の生活を営む腕前には長けているのかもしれない。

 とりあえずは、そう考えて日々を過ごしている。



 ・・・何だかしまらない話になりましたね。ではまた、来週。

時々蕎麦

2005-06-19 21:47:57 | 日記?週記?
 拉麺・ビーフン・焼きそば・パスタ・うどん・冷麺・・・と麺にも色々あるが、物心ついた頃から好きなのは、蕎麦である。およそ麺類なら何でも好きだが、こと僕と蕎麦の間には好きとかいう以前の濃密な関係がある。

 蕎麦はやはりシンプルなものが良い。となると、「ざる」か「もり」である。この指向も幼い頃から変わらない。

 例え冬のさなかであろうとも、子供の頃に親と街を歩いてて、「きよし、ホットケーキでも食べるか?」と問われようものなら、間髪入れず「いやや、ざるそばがいい!」と答えたものである。店内の誰もが、にしんそばなどのあつあつの蕎麦を食べていても、店員が親に向かって注文を尋ねれば、親より先に、臆する事なく「ざるそばがええ!」と大声で返すほどざるそばが好きだったのである。

 真の蕎麦好きは、薬味を嫌うが、なぜか僕は薬味は欲しい。僕が必要とする薬味は二つ。その内の一つである「葱」は薬味として一般的であるから、欠落することはまずないが、もう一つの「うずら卵」は最近なかなかお目にかかることがない。これが寂しい。

 寂しいからと言って、鶏卵を入れたら良いかと言うと、決して良くはない。蕎麦の有名なとある地域では、実際に鶏卵がついてくるのだが、こうなると鶏卵のくせが全面に出過ぎて、鼻につくのである。あくまで、大きさとしてはうずらでないといけない。

 と、色々言っているが、実は僕の近所にある蕎麦屋は、ちゃんとうずら卵がついてくるのである。蕎麦も店内の石臼で毎日引き、その引き立ての蕎麦粉を打っている。しかも、限定メニューで二八ならぬ十割の生粉打ち(ナマコ打ち、ではない、キコ打ち)蕎麦がある。味がまずかろうはずがない。

 僕は、時々休日の午後、その蕎麦屋に独りで行く。注文するのは生粉打ちの大盛だ。ズハズハ蕎麦をすするのは至福のひとときである。

 今日も、そんなささやかな至福を味わった。

 

トリエンナーレ?

2005-06-13 00:16:34 | 日記?週記?
 梅雨がやってきた。僕は季節感に乏しい生活を送っているが、先日夜にベランダに出てみたら、ゲコゲコとカエルの声が聞こえてきて、ようやくそんな季節なのだと気が付いた。慌ててブログのデザインも変えてみた。

 今でこそ季節の移ろいに鈍感であるが、それはエアコンディショナーの効いた部屋で、一日中デスクワークを送っているからに他ならない。逆に、その昔は季節に敏感であった。この時期、雨が降り出す前の、水の香り、土の香りも記憶の中には残っている。

 さて、話は変わって、昨日ふと気になって、というより焦ってインターネットで「横浜トリエンナーレ」を検索を掛けた。

 「横浜トリエンナーレ」、ご存知だろうか?2001年にみなとみらいで開催された、大規模な現代美術展である。幸か不幸か幼少時より具象より抽象、古典より前衛、という指向を持つ僕にとっては堪らない魅力を持ったお祭りであった。社会人になってからは、美術展に行く機会がめっきりと少なくなり、更に小さな双子を抱えてからは、およそアヴァンギャルドとは縁遠い生活を送っていたが、こればっかりは行かないと、と思い立ち、ベビーカーを押しながら、1日がかりで観て回った思い出がある。

 その後は、再び日常の渦に巻き込まれ、美術と縁遠い生活を送っていたのだが、ふと、「そう言えばトリエンナーレ、って3年おきじゃなかったっけ?」と思い出したのが昨日。

 冷や汗がでそうになりました。

 で、検索をかけたら公式ホームページがヒットして、今年の9月から開催、との事。いや、ホッとしました。

 しかし4年おきだったらトリエンナーレ、って言えへんのちゃうか?

うとうとと

2005-06-05 23:55:08 | 日記?週記?
 先週の話の最後に書いていたけれども、今週末は社宅の有志が集って、近くにある会社の福利厚生施設に泊まってきた。

 土曜日の午後に出発したのだが、あいにく午前中に社宅の大掃除があって、側溝の蓋を持ち上げたり、側溝に溜まった泥をすくい取ったり、一時間ほどそういう作業をしているうちに、すっかり身体の節々が痛くなるような予感に襲われた。もう、すっかり身体がなまってしまっているのだ。

 ここのところ平日の業務がとりわけ忙しく、土曜日の午前中はほぼ眠っているので、この日のように普通に起きて、いきなりの肉体作業はツラい。と書いているうちに、何となく情けなくなってきたが、事実だから仕様がないのだ。

 昼食後に睡眠を補うべく、布団に入ろうとしたら、実は息子ハジメがひさびさにオネショをして、敷布団を干すということで、長座布団を敷き、毛布をかぶって、小さく丸まって眠った。

 気が付くと、3時近くになっていて、寝ている間に一生懸命準備をしていた妻の手伝いをするふりをして、とにかく出発した。

 ここでキュルキュルと早送りして、話は翌日。

 眠い目をこすりつつ、他の家族と一緒に宿を出て、磯に向かった。早送りした部分の中には、妻が宿泊した部屋の鍵を持ったまま帰りそうになった話なども含まれるが、余りつまらぬことを書くと、ほうぼうから飛びヒザ蹴りがとんで来かねないので、とりあえず省略したままにしておく。

 磯に着くと、子供達は潮溜まり(というか水溜まり?)でヤドカリ探しに夢中になる。「探す」のに夢中になる、ということは、夢中になっている当人とは別の人間が捕まえるということになる。そういうわけで、お父さん達は、ムスコムスメの言われるがままに、ヤドカリを捕まえるのである。

 ヤドカリに飽いたら、次はカニである。そういうわけで、お父さん達は、再びムスコムスメの言われるがままに、カニを追いかけるのである。

 言われるがままに、と書いたが、まさにその通りで、子供達はとりあえず捕まえて欲しいものを見つけると、「ハジメくんのお父さ~ん、ヤドカリつかまえて!」と大声で叫ぶのである。時には自分の右側と左側から、

 「ハジメくんのお父さ~ん、ヤドカリつかまえて!」
 「ナゴミちゃんのお父さ~ん、カニがいたよう!」

と、同時に声がかかって、突然、僕は息子の父であることと、娘の父であることと、一体どちらを優先させるべきなのか、一瞬にして決断を迫られるような緊迫した状況に陥ったりする。

 それは、ともかくとしても、大の大人もヤドカリやカニを捕まえているうちに、狩猟民族の血が騒ぎだす。そもそも自分のご先祖様が狩猟民族だったのか、農耕民族だったのか、そんなことにはお構いなく、とにかく身体中の血がざわざわと騒ぎだして、いつの間にか率先してヤドカリ、カニを捕まえだすのである。そういうわけで、結構楽しかったです、磯遊び。

 カニを捕まえるのに飽いたら、その次はなく、家に帰るということになるのだが、ここでひと騒ぎ起こる。子供達が誰々ちゃんと一緒に車に乗って帰りたい、という希望と、誰々くんちのクルマに乗ってみたいという願望がごちゃごちゃになって、気が付くと家の子は誰も乗っていないんですが、という状況で家路に就いた。

 帰ると、シャッフルされた子供達は、社宅に着くと自分の家に戻り、複雑にもつれあった糸が、やっとこさ、すっ、とほどけるわけである。

 キュル、と少しだけ早送りして、3時頃。僕は居間のソファに凭れていた。どうやらそのまま意識を失っていたらしく、ハッと気が付いたら6時を過ぎていた。

 平日が5時間未満、うち1日ないし2日は4時間を切ったり、切らなかったり、という程度の睡眠時間なので、考えてみたら平日に休日出勤もやっているようなもんだな、とふと思った。