暮れの2009/12/30 13:00-、NHK-BS2で「よみがえるビートルズ」を流した。ナガラで観ていた娘が教えてくれたのだが、「やっぱ、レット・イット・ビーだな」、などというようになった。おまけで続いて「ファースト・ライブ・イン・アメリカ」も。冒頭の彼らの笑顔は、このときNYに着いたときもの。そうか、もはや半世紀近くたつのだ!追っかけで泣き叫んでいた女の子たちも、”アラ還”のおばあちゃんになってしまった、はずだ...
この1月2日、3日も21:10から、「BS世界のドキュメンタリー・ビートルズ解散40年...」が放映される。見逃しても、『NHKオンデマンド』に載ればいいのだけど...
昨年2009・9月ごろに「ビートルズ・リマスター版」なるものが出た。団塊の世代の僕らはLPのあとCDリマスタで買いなおしたはずだが、こんどはもっとクリアな音というがセットで何万!?、これじゃあ高過ぎて...輸入版のバラで探すしかないなあ、もともとの作りと雰囲気ならばモノラル版がいいはずだ。
昨年2009・1月だから、ちょうど1年前も、「The Beatles ... Hey Jude」を。何年か前勝手に「W杯 ビートルズ大会」をやってみた。彼らは僕の同時代のスーパースターであった。もともと雑音交じりのラジオで聞いてたのだ、微妙なベースの響きが違おうがまあどうでもよく、それより大事なのはあの頃のこと。
むろんアルバムは、ラバーソウル以降がいいのだけど、この映像をあらためて観てるとアイドル時代もいい一瞬だったね、特にリンゴが明るくていいや、まあ、ずっーと気のいい奴ではあった。あんなに若かったのに、もう二人も欠けてしまってつらいなあ。彼らは、チヤホヤされたのにスポイルされず、新しい音づくりやポップな領域に挑戦しつづけ20世紀を後々まで伝える創造的な作品群を残してくれた。思いを書けばさしさわりのある記憶と出来事ばかり、それぞれのアルバムに、それぞれの曲に、時とともに。1969なら安田講堂攻防戦、僕はもはや縁のない場所で遠い世界の出来事をモノクロテレビで見ていた。「野生のエルザ」抱えて髪の長い少女があらわれたような...
そうだ、NHKの「よみがえるビートルズ」から、彼らの肉声をテロップから拾っておこう。このドキュメンタリはもうジョンが亡くなってからだろうなあ...ジョージ・マーチンの人柄もみえ、映像全体に笑顔と温かさがあっていいな。 ”Let It Be”と”Abbey Road” 、アルバムが出た順は逆転したが、彼らのパフォーマンスの最後は”Abbey Road”のB面、彼らの幕の引き方も鮮やかであった。72年ごろか、Get Backの映画は観たのだが、あのかたもどうしてるかなあ...
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(マーチン) 彼らはその時非常に革新的な時期にいました。まずアルバムを書き上げてからリハーサルをして、それを大観衆の前で演奏して新曲のアルバムを作ろうとしたのです。
=== ”Let It Be” Album released - May 1970 ===
(ポール) 「レット・イット・ビー」プロジェクトは作業の過程をそのまま見せることにあったんだ。
-- Let It Be (1970) --
(マーチン) トゥイッケナム映画スタジオでリハーサルを開始しました。
(ジョージ) リンゴ準備はいいかい? uh,1,2,3,4
-- I Me Mine (1970) --
(ジョージ) もとはポールのアイデアだったと思う 新曲をリハーサルし、コンサートで録音しようってね。今でいう「アンプラグド」みたいなやり方だね、もっとも演奏はアンプラグド・スタイルではなかったけれど
(マーチン) ジョンが「余計な作業は加えなくていい」と言ったときは、ちょっと驚きました。ボーカルや他の重ね録りは要らない、初めに録ったままじゃないといけないと...
-- I've Got A Feeling (1970) --
(マーチン) 私が)トゥイッケナムへ行ったときは本当によくない雰囲気でした。みんなが全く協調していなかったのです。
(ジョージ) トゥイッケナムはすごく寒くていい雰囲気とはいえなかったんだ。だからそこはやめてレコーディングスタジオに入ることに決めたんだ。
(マーチン) 結局サビルロウのアップルスタジオでレコーディングをしました。
-- For You Blue (1970) --
(リンゴ) レコードを聴けば、僕らが楽しんでいる時はそれが演奏にも現れているのがわかると思うよ。個人的な事情など関係なくて、いざ音楽となると僕らは1000%の力を込めていたんだ。
-- One After 909 (1970) --
(ポール) 「ワン・アフター・909」昔に戻ったみたいだった。若い頃の生々しいエネルギーがあって、10代の頃を思い出させてくれるよ。スタジオに入ってからはすごくいいセッションができた。丸く坐って音楽を楽しんだんだ。演奏するのがとても楽しくて最後は屋上で演奏したんだ。
-- Get Back (1970) --
-- The Long And Winding Road (1970) --
(ポール) 「レット・イット・ビー」を作ってクリン・ジョンズにミックスしてもらったんだけど...それがすごく素直でシンプルなミックスで好きだったんだ。でも、アラン・クラインが「充分じゃない」とフィル・スペクターを連れてきて...アルバムのクレジットにあるとおり彼が”再プロデュース”することになったんだ。
(ポール:もう一回やりたい? ジョン:うん、少なくともあと1回は。もうチャンスはないかも知れないしね。
マーチン:最後のパフォーマンスだ、オーディエンスがいるよ)
=== ”Abbey Road” Album released - September 1969 ===
-- Because (1969) --
(マーチン) ポールが電話してきて「もう1枚でコードを作りたい、プロデュースしてくれない?」と言ったのには驚きました。
すぐに「以前のようなやり方でやるならね」と答えました。
「僕らもそうしたいんだ」とポールは言いました。
「ジョンも同じ考え?」と聞いたら「うん、そうだよ」と言ったのです。
(ポール) 「アビイ・ロード」のセッションを始める前に、ボクシンググローブを置いて...一丸となってとてもスペシャルなアルバムを作ろうということになったんだ。
-- Come Together (1969) --
(ポール) シングルというとジョンか僕もしくは僕ら二人で書くものと考えがちだったんだけど...突然ジョージがこの曲を持ってきたんだ。
-- Something (1969) --
-- Octopus's Garden (1969) --
(リンゴ) 「アビイ・ロード」の最後の部分は今でも僕らの作った最高の作品の一つだと思うね。
-- Mean Mr.Mustard (1969) --
(ポール) 本当にたくさんの曲のかけらがあったんだ。ジョンは「ポリシーン・パン」という曲を持っていた。
(...ジョン:ごめん失敗した。...ポール:失敗してくれてうれしいよ、ジョン:よかった...1,2,3,4)
-- Polythene Pam (1969) --
(ポール) そしてそれらを全てメドレーにして繋げるというアイデアを思いついたんだ。それが「アビイ・ロード」のB面としてオペラ風の作りになったんだ。全ての楽曲を上手く活用できたし、よかったよ。
-- Carry That Weight (1969) --
(ジョージ) その時点では、ビートルズの最後のレコードになるとは、僕らはというか、僕は知らなかった...でも終わりに近づいているんだろうというのは、何となく感じていたけどね。
(ポール) 僕は最後のアルバムになるかもしれないという予感はあったから、僕らが何ができるか見せてやろうじゃないか!?お互い何が出来るかみせてやろう...トライして楽しい時間を過ごそうと...
(マーチン) とても楽しいアルバムでした。全てものすごく上手くいってたし、だからこのアルバムは大好きなのです。
-- The End (1969) --
(ポール: キープして、素晴らしいって印をつけといて!
ジョン: ティーンエイジの詩だよ、ホット・ロッド・ボールディ...)
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画像:Photograph of The Beatles as they arrive in New York City in 1964
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles
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