Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

つつじは満開...

2006-05-21 18:07:09 | なんでもあり・ファミリー

昨日のお魚があり過ぎて、正室の指示に従い彼女の実家に持っていった。
おばあさんは亘理にイチゴ狩りに、おじいさんは庭でドロだらけ。
「おっ、ちょうどよかった、もすこししたら今日はお寺だ」そういえば檀家集まってナニするとかウチにも案内来てたはずだが...行った事がない。同じお寺なのでマアいいか。ついでにいえばお墓参りも効率的!?「荒城の月」土井晩翠先生の菩提寺である。

「施餓鬼会?ありゃ和尚さんのレクレーションですな...栄一郎じいちゃんがこの25日だしね」と、おじいちゃんは欄間の父親の写真を見上げる。96歳まで生きて、ウチのムスコは生まれ変わりのはずだが...
でも覇気がちがうなあ、このじさまは若き大平正芳さんを鍛え、戦中は民政官でマレーにいき、戦後地元に戻るや県会の選挙にウッテ出たりした。蘭の温室、絵、掛け軸...明治の人は多趣味で余裕がありました。

僕と孫である妻をまえにこの部屋で、「若いうちは男は落ち着く事など考えず転勤してあるけ」などと一時間もしゃべり続けた。(で、そうはしたのですが...)
「おやおや、今日はどうしたんでしょう、ずいぶんご機嫌で...」長く教員をした明治のキャリアウーマンいわゑおばあさんやら周りもびっくり。もうあれから二十数年たった。

隣の写真は?「栄一郎サンの弟、志津川あたりの生糸も買い集めて横浜で商売したんだね」関東大震災で体を壊して1年後若くして亡くなった。「生糸ぐらいしか海外に売るものなかったんですよ。」

「ところで...」そらきた! (@_@;) 「Aクン、勉強余り好きでないみたいだなあ...専攻が情報デザ..?ハテ?..何になろうとしてるんだろ..」
大正末期~昭和一桁世代は理科系人種が戦争を生き残った?理づめでくるのでアイマイサでもっては、しのぎにくい。
青少年A=ムスコ、昨日から仙台青葉祭りで踊ってたらしい(朝も帰っていなかった)などともいえず...「S子も外でヒトのことはやるくせに...ま、入学祝い約束したから、どこでやるかな...そのときでも...」
監督不行届き...<(_ _)>  空は真っ青、五月晴れ、つつじ類もいろいろ満開なのに...

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「たいつり草」

2006-05-20 20:49:31 | ローカルな話題
「たいつり草」とはなにか?鯛釣草、けまんそう科/けし科.多年草.東アジア原産...釣竿でタイを吊り上げたのに似て、鯛釣草と云う...が、形はイカかタコにも似ている感じ.ハート型の蕾の下側が両側に裂けて開花する...とのこと。(*)
次はすずらん、こちらはユリ科。なぜかドイツすずらんの国、福島からもらった。

たいつり草、これが鯛かなあ?それよりも雁の群れに見えなくもない...
妻が鉢植えにしてくれてるので、お言葉に甘えて...
きょうは天気もいいし、今年もそろそろ「たいつれそ~」ということで。

そして...たいつり草のおかげで、ほんとに釣ってきた。でも、これじゃあ、少し釣りすぎでした。この半分ぐらいでやめないと...鯛が釣れるまでやってたのでこうなってしまった。

黒ソイの下のほう、これはヒラメですよ、カレイと反対向きですね、上目づかいでヒラヒラ泳いでましたね。
さて、食べ過ぎておなかが黒ソイみたいにならないようにしないと...
スタイルは、カレイに...姿、品格ではやっぱり、鯛かなあ...

********
(*)http://www.jtw.zaq.ne.jp/tanakun/index.htmより。

Guts トルネードII 3000(替スプール付き)

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我輩のボール遊び

2006-05-14 23:39:25 | ねこちゃん

我輩は猫であるのだが、犬みたいな遊びもできるのである。硝子戸越しにゲンチャンのボール遊びを見ていたら、あんなことは簡単にマスターしてしまった。最近は、ボールを投げてよとダミ声で催促するようにしている。どうせ、ここの家のひと達も暇なのだ。

うちの主人公、ボクの大先輩「吾輩」のホンを読んでくれているというではないか。色々読み散らかしているらしく最後までたどり着いてないのに、その上をまたぐこと度々のボクは、同類だし先輩の最期もなんとなくわかるのだ。

ご主人は「菜の花忌」以来日本に里帰りしてローマに戻れないみたいだが、「ローマはなぜ滅んだか」などは眺めていたね。でも経済大国だったころのローマ人の美食、孔雀の舌の料理などを知っても、仙台の牛タンのほうがいいねえなどと言うばかり。

「吾輩は..」の苦沙弥先生は、ローマ時代の退廃的なこの料理をも話題にしていて、他にも明治30年代にして「食の均一化・規格化、マニュアル化」の牛鍋屋チェーン「いろは」も大好き。
「猫伝」を、じっくり読んだほうが面白いですよ~。うちのご主人は中学生の時読んだらしいが、無理だったでしょうご理解は。

「吾輩」先輩生まれたのは明治37年1904年日露戦争勃発、もう100年も前かあ。戦争真っ盛り・終戦の頃まで3年執筆とは、漱石先生も先輩猫も余裕だにゃ~。先生も胃は弱かったけど深刻すぎずユーモアと知性に溢れ、死や老いも思わなかった、「三四郎」までがいいなあ...と、硝子戸の中で後輩猫は、思うのだ。

ご主人は、孫の房之介さんが書かれた(描かれた?)昭和期の大家の絵をコピッった漫画学すばらしいとニタニタしているが...文章には「山」、漫画には「線」のキレ、か!

*********
「吾輩は猫である 夏目漱石 新潮文庫 ISBN4-10-101001-3」
「夏目房之介の漫画学 ちくま文庫 ISBN4-480-02625-8」
「漱石のレシピ 藤森 清・編著 講談社+α新書 ISBN4-06-272182-1」
「ローマはなぜ滅んだか 弓削 達 講談社現代新書  ISBN4-06-148968-2」

コメント (3)
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猫の木

2006-05-13 21:39:04 | ねこちゃん
猫の運動のためには広さよりも高さがあればよい!家の広さについてはもとよりドーしようもないが高低ならなんとかなるか、外に一切出さない彼らにおわびのしるしに「猫の木」を作ってやった。

このあいだ志津川湾の海で拾ってきた柱にまるく削った板をつけてと考えたが、DIYで見たスノコみたいな板をくっつければいいではないか!と安直な設計変更に流れた。まあ、そのためイメージは保ちつつあっという間に出来上がったノダ。木製のプランターの土台に倒れないように立てるバランスが苦労と工夫ではありましたよ。

猫の木だから上から下までぜんぶ木製というところ、コダワリとセンス、職人芸が光りますなあ。実はノコギリぐらいしか工具がなく他の材料の選択枝がないから...

さすがに分別盛り6歳の「たすけ」は、ご主人の工作能力の危うさと思いつきのいい加減さを見て取り「危うきに近寄らず」、2歳チャレンジ意欲満々の「ハク」ちゃんは、けなげにも爪とぎまでしてくれてごきげんであります。が、てっぺんはグラグラしている模様、ボンドで補強の必要ありますな。アブナイ、ここからは現場を見て知恵というか、ドロナワの手当てを働かせる。

さて、世界に一つだけの木なのだヨと言い含めつつ、ご印象をうかがったところ、
「ハク」 ;「まだ、ニャンともいえない、ちょっと高すぎるかにゃ...」
「たすけ」;「危なっかしいので、もすこし模様見だにゃ...」
とのことでした。
(5.14、追記・追画像!?:少し低くしてカドもとって色も塗り、ハクちゃんの完成検査も受けました)
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「プラネットアース」

2006-05-08 00:20:48 | テレビ・インターネット
NHKスペシャル プラネットアース 「生きている地球」をみた。
5月7日から10日までが第1集としての放映。NHKとBBCが5年かけて撮影、制作した自然ドキュメンタリである。うちのアナログ25インチでもあんなにすごいのだから、高精細でみたいなあ。まずは、地上デジタルにしないと、もう一歩だ。こういうものを見るインフラだ。地上デジタルみれるワンセグ・テレビチューナー付きケータイというのも映像・音質とも申し分なし、欲しいですねえ。

動く画像の迫力と、時間の経過も追った映像は大変すばらしい。このようなものを作って、伝えて、残す努力に敬意、情熱と根気、思想とお金と時間がいる制作。
ヘリコプタにぶら下げた無振動の望遠カメラで地上を追いかける。BBCのスタッフの表情もいいですね、なにか、いい映像を掴む底力が違うな!
なぜ、地球上にいろんな気候があるの?ドキュメンタリの中では、一言地軸の傾き、と言ってましたよ。
ボクの使っているインターネットでの番組情報ガイドEPG によれば、放映と内容は以下の通り。

≪放送時間≫
2006/05/07(日)21:00 ~ 22:00
05/08(月)~05/10(水)22:00 ~ 23:00

≪詳細情報≫
生命の神秘と美しさにあふれる地球の姿を最高のハイビジョン技術でとらえ、環境ごとに編集した映像を3シリーズ、計11回、第一集、「生きている地球」 南極から北極まで、ツンドラ地帯、温帯、熱帯に至るまで地球に多様な環境がある謎と、それぞれの場所で生きる生物達の姿。

5/7(日)・体感温度が氷点下60度ノルウェー北極圏の小さな島で暮らすホッキョクグマの親子。夏のツンドラ地帯でカリブーの群れを狙うオオカミの一群のハンティングを追跡。水を求めて砂漠を旅する象の大移動を追う。巨大サメとゴクラクチョウのダンス。
5/8(月)「天空の滝エンジェルフォール」山で生まれ、海にそそぐまでに多くの命をはぐくむ川の流れをたどる。地球最後の秘境と呼ばれる南米のギアナ高地からは、落差1千メートルにもなる世界一の滝、ピラニア大群5メートルのワニvs野牛ヌー潜水する猿
5/9(火)「洞窟未踏の地下世界」深さ400mの洞窟へダイビング
5/10(水)「巨大な砂嵐」砂漠に雪が降る?

さしずめ動く画像の「NATIONAL GEOGRAPHIC」といったところ。この雑誌もすばらしい。何年かはとってたが手元にあると安心してツンドク、で、最近は古本でいいもの見つけたときだけ。(付録は、ないけど)

**************
National Geographic the Wildlife Photographs

Natl Geographic Society

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5月7日

2006-05-07 01:28:22 | なんでもあり・ファミリー
福島にいたあの日からちょうど50年たった。

F大付属小入試は父の期待にそえず、住んでいた家近くのS聖母小学校に入った。制服仮縫いの日は祖母と一緒、入学式の写真には父が写っている。母が入院中だったからだ。

朝ごはんのとき電話が鳴り、ばあちゃんが受けた。
「母さん死んだんだよ」というひきつった祖母の声にも、僕は学校に行くと言い張った。日曜ではなかった、あの日は学校だった。
休み時間に校庭側のコンクリートタタミで遊んでいたら、連れ立って歩いてきたマザー二人から声をかけられた。
「お母さま、よくなられました?」僕、だまって首を振る。「おかわりないの?」「退院されたの?」。だまって首を振る。ためらいながら最後に聞いてくれた「亡くなられたの?」に、僕はうなずいた。
マザー達は驚き一人はどこかへ走ってゆき、すぐさま僕を家に帰したようだ、ここから記憶途切れる。

病院での母は眠っていた。
祖母が「パンツは、はかせられなくて上からかけただけ」と誰かに言っている。
母に近づくと、目をあけた、ように見えた。部屋を出ようと離れたとき、また、まぶたが開いてはっきりと僕を見た。死んでなんかいないじゃないか、と思った。

縁側でオマルに真っ赤なおしっこが出て祖母が「あらっ、のり坊大変だ」と慌てた。すぐに近くの国立病院に入院させられた。自家中毒だったという。このとき3才だとすると、昭和28年、仙台でのことだ。
心細くて二階の窓から見ていると、病院の正門から小柄な母が歩いて入ってきた...うわぁ..
一番古そうな記憶だけど、まるで昨日のことのようだ。

母は、おとなしい人だった。縁側の前の畳で裁縫をしている。僕は横で遊んでいる。弟がよちよちやってきてヨイショとすわりタチバサミがボキッと折れた。「困った子ねえ」という言葉は出たが母はまったく怒らなかった。

仙台の仙石線宮城野原駅近くの母の知り合いらしい家で小犬をもらった。買い物篭のなかに小さな茶色い犬が動いていて、線路沿いの帰り道、何度も篭を覗きながら家に帰った。名前はペスになった。耳が垂れた毛が多少長い雑種で色は茶色。父が福島に転勤する昭和29年までテニスコートの向いの祖母の家にいたから、これは4才ぐらいのときだったか。

(1学期はずいぶん休んだ。深緑色の小さな聖書と赤い万年筆、(モルヒネの?)注射器と消毒綿入れ、たからものをビスケットの函につめて、畳の縁をブーブーと走らせていた。何十年もたって古いアルバムを見つけた。母はカトリック系の仙台高等女学校・いまの仙台白百合学園の出なのであった。僕が修道院の小学校に入れられたのは、母の最後の意志だったろう。半世紀たちアラ還の僕は、なるべく白百合のあった花京院交差点を渡る。重そうなかばんを抱えた小柄な女学生の通学路と行き来した空間を横切っているような気がして...2010.5追記)

1956年・昭和31年5月7日午前8時45分...
いったい、僕は誰に向かって何を書いているのだろうか、
インターネットがどこかにつながっているなら...これ読んでね。今、花盛りだよ。

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「青春」の詩

2006-05-06 19:45:06 | 音楽・芸術・文学
今日もまずまずの天気、カレイ13匹、黒ソイ1、アイナメ1。
カレイだけ狙っていったが釣りすぎ、ナメタも2枚。鯛はぞろぞろいるのに、水冷たく食い気なし。

帰り道は眠気防止のため、「52番街」通って来た。このあいだテレビでBilly Joelのコンサートやってた、再放送しないかな。あいつとは同じ歳だ、アーティストは若いなあ。

だれか、西海岸に行っちゃったって?三陸海岸もなかなかだぜ、でも大都会がいいなあ。田舎ばっかいると演歌風になるのだ、次入ってたCD、これだもんね、
♪ ひとぉ~つぅや~ぁ、ふたぁつうじゃないのぉ~、ふぅ~るき~ずぅ~わぁ~...
あれっ?これ大阪の大都会だ。心配せんといて、これがわしの人生や。
30年こんなの聞いてるようじゃ進歩してないって? ほっといて。
.....
I don't need you to worry for me cause I'm alright
I don't need you to tell me it's time to come home
I don't care what you say anymore , this is my life
Go ahead with your own life and leave me alone
.... MY LIFE by Billy Joel "52nd STREET" 1978 CBS/Sony ...


昨日の話、思い起こせば曽野綾子さん40過ぎて友達が増えますます活発となり、ただでメークしてもらえるのでテレビにもちょくちょく出られ、ずっと青春にあるような感じ。
皇后様の何年か先輩、そんなお年に見えないなあ。よく食べ、家の中にぎやかだからいいのでしょうね。大変な時代と環境も切り抜けてこられ、信仰も深く、発言に自信もおありだ。だから、いつまでも若い。チューリップのようだ!?

そういえば数年前会社で教えてもらった「青春」の詩があるではないか。あらためて素直に聞けば、すばらしい内容である。ただ、原詩にはちょっと違う部分があるようだ...
...心の中に無線局、感受性のアンテナをいつまでも...

青春  Youth ; Samuel Ullman  訳:岡田義夫  (*

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春というのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、 驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。


*********
 (* http://www.rik.co.jp/itai/itai.htm

52nd Street
Billy Joel
Sony/Columbia

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「ボクは猫よ」

2006-05-05 16:26:28 | ねこちゃん

吾輩は猫である。Io sono il gatto. Mi chiamo Neko.
「ボク」の名前が「ネコ」だからだ。 もっといい名前くれてもよさそうだが、あるだけでもよしとしよう。
飼い主の曽野綾子さんだって、どう自己紹介するの?
Io sono Sono. Piacere. 「わたしはSonoよ。はじめまして」こんなのあるかにゃあ?

さて、ホンの題名は、「ボクは猫よ」。
明治38年1月「ホトトギス」巻頭をかざった夏目漱石「吾輩は猫である」に遅れること何ン十年、「飼い猫ボタ子の生活と意見」に先立つこと十年、現代の女流文豪の佳作「ボクは猫よ」は、昭和54年9月から「秋田魁新報」に連載された。
「元祖・猫」のほうは読み直すと大変だから、のり坊氏、道草食ってるんだね。でもいい遠回り。彼は、曽野さんのきれいな単行本を大量に見つけため、千円ほども使って買い占めたなかの一冊に、105円の「ボク」がいたわけなのだ。

ところが、これならうちにあるじゃない!と、「ねこ」キーワードなら数百冊お持ちの愛妻のバ声がきこえた。
ムム、いま二階の納戸のあたりの本箱はどうなっておるのか?なあに、猫も二匹いる事だし二冊あっても...「海の見える芝生で」1961新潮社なんてのも家にあった!

この前の掘り出し物、読んだ気配もない「狂王ヘロデ」。岩波やみすずのを出してくれる人いればいいのだが、殆どないのだな~。ホントに読んでれば、もったいなくて捨てられないよね。

「ボク」といえば、苦沙弥先生のとこの後輩みたいなもの。あちらも読書家だったし、耳もよかったなあ。あやかって「ボク」も小説家の「裏見おばさん」の家と、ご近所を科学的観察眼と哲学的な思索をもてあそびながら歩き、さまざまな場面に出くわす。
おばさんのお知り合いも続々登場、誰だろう・誰かしら?
吉来淳太郎、熱川弘文、大松右京、蚕太、堺大一郎、豊村穣、近田芸太郎、白根耕一郎...
しかして、聖職者と呼ばれる修道女や神父たちが、なぜおばさんの心を捉えるか?
昔から彼女は、それらの人々の中に、「捨て身」なものを見てきたからであった。山谷のシスターたちの夕の祈りに感動する。インスタントラーメンの袋でヨダレかけを作る母親の貧しい国にも行く。

開いてある本の上で昼寝をし、ショーペンハウエルなども拾い読みをするので、なかなか哲学的となるよ。ときにバタンと閉じて、読みかけのページを判らなくする。難しくなりすぎてもね。
「ボク」がちょっと話題にしたものだけでも、こんな具合だ。

「エウデモス倫理学:アリストテレス」で、風変わりな人とは何か?
「エネルギー:アーサーへイリー」にて、物語の構成力ということについて。
「ローマ人への手紙 4章7、8節:聖パウロ」が、カトリックとプロテスタントの違いの鍵。
「時代精神の病理学:フランクル」で、断念に馴れる。
「エミール:ルソー」は、死へ向かってまっしぐら。
「随想録 フランシスベーコン」には、燻製塩豚氏の書くローマ皇帝最期の言葉。
「新約聖書」ギリシャ語勉強すれば、愛することは、アガパーオー、フィレーオー、エピポセーオー。
「二都物語 ディケンズA Tale of Two Cities ; Charles John Huffam Dickens」少女時代に夢中になるべき本なのか。
「?? ピエール・ジョゼフ・プルードン」統治される、される、される、女々しい被害者意識だ。

さて、ボタ子のほうは、少しは時が新しい二匹目の...だったかなあ。
でも、もう「ボク」いないよ~。「ボタ子」はどうかな~。三浦おじさん・曽野おばさんは、大いに元気みたいで、いいねえ~
おっと、画像はうちのハクちゃんの「伸びー」芸でした。

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