Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

サイドマン - ビートルズに愛された男

2010-01-04 00:05:05 | 音楽・芸術・文学
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2010.1.2にNHK−BS2で放映された「サイドマン—ビートルズに愛された男—」というドイツで作られたドキュメンタリーは、出色の出来であった。クラウス・フォアマンKlaus Voormann、1938年生まれだからボクのひと回り上の寅年だ。彼は、あのビートルズ「リボルバー」のジャケットのイラストの作者だったといえば、わかってもらえるのだろうか。
やさしかったジョージ・ハリスンの髪の毛の端っこに彼は隠れている。

この純粋すぎるアーティストの、いわば、”世界・わが心の旅”は、ボクにとって貴重なお宝映像となった。2009年は71歳にして、ポール、リンゴ、マンフレッドなど友だちとともに初の主役で"A Sideman's Journey"をリリース、やるなあ。
放映ビデオから、彼の言葉を>>印で、登場人物の言葉は名前つきで、印象的な個所を拾っておいた。 (2010.1.9 13:10ー 再放映あり)


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( All You Need is KLAUS  A journey into the life of Klaus Voormann  / ドイツKick Film作品・ 2009 より  )

===スタジオ「ブルーパーム」(L.A.)
>>思い出の場所や旧友を訪ねて人生を振り返るとどうなるかなあ。見当もつかない。誰が来てくれるかは当日までわかりませんでした。
(ヴァン・ダイク・パークス)あの時代を代表するベーシストだね、一番人気があったよ。
...なるほど、できるはずだろう? ダイジョーブ、ソロの前を聴かせて...
♪♪ Blue Suede Shoes
1に金で、2にショーだ、3で準備できたら、よし行こう、僕の青いスエード靴には触らないで...

===Paul McCartney のスタジオ(イギリス・サセックス)
(ポール)
クラウスの絵はいつもみていた。あの画風が好きだったんだ。彼が『リボルバー』のジャケットを手がけた経緯は覚えてないけど・・・あの絵には、おどろいたなあ、傑作だ。

>>ジョンにアイディアを求められたのでスタジオに行き、曲を聴きました。みな美しく圧倒されました。ビートルズの新境地でした。本当に衝撃的でその上独創的、その感覚を表現したかった。描き終わるとスタジオに行きました。もってきた絵を棚の上に置くと、部屋は静まり返りました。不評なのかと思い震えました。...ポールが口火を切り...彼らは細部まで見てくれました...とても嬉しかった。

(ポール)
ビートルズが有名になり多忙を極めたボクらにとって、昔からの仲間は特別な存在だった。...めったに会えなかったけれど、クラウスも親友さ。いっしょに過ごすときは楽しかった。クラウスはボクらと同じタイプの人間だ。国籍は違うけど、彼の中にはリバプールで育ったような魂を感じるよ。...時々何時間も電話で話した。彼のお気に入りの曲がテープで届くこともあったね。ストラビンスキー、R&B、ジャズなんかだ。ずっといい関係が続いているよ。

===ハンブルク時代
♪♪ I'm in Love Again
♪♪ Ain't She Sweet

>>ハンブルク時代は大きな節目でした。”カイザーケラー”で出合った頃はビートルズは無一文のただの若造でした。...でもポールにはカリスマ性があり、ジョンの歌もすごかった。ジョージの繊細な音と相まって実に見事なものでした。リンゴも加わりました。

(アストリット・キルヒヘル/かつての恋人)
クラウスは熱を上げていました。すばらしい演奏を見に行こうと誘われました。一度いっしょに聴いてほしいというのです。...その日から毎晩通いました。

(ポール)
クラウスたちは、ふらっときては音楽を聴いていたんだ。とてもかっこよかったよ、謎めいていてね。芸術家気取りの彼らは最高だった。ジョンもボクも芸術には興味があったから親しみやすかったんだ、そこが魅力だったね。

>>長くて黒い手編みのマフラーとスウェードのジャケット、まるで前衛芸術家みたいでした。長い指の風変わりな人物像を描き始め独自の画風を磨きました。絵に関しては少しづつ自分自身の方向性を見つけていきましたが、音楽も好きでした...レイチャールズやマイルスデイビスを、ロックはまったく別物でした。

(アストリット)
クラウスはうらやむような目でステージの上の人たちを見ていました。ある時、トップテンクラブでステュワートに代わりクラウスがベースを弾きました。が、ステージで演奏する度胸はなく客席のイスで弾いてました。

>>手前の右の黒い影が私です。ポールがピアノ、ピートがドラムでした。...でもステュワートの心は美術にありました。...ポールが怒るとジョンが言いました。「ルックスだけで十分さ」。ステュワートは意思を貫きバンドを辞めました。...彼からベースを買い、「ボクがバンドに参加するのは?」とジョンに言いましたが、「ごめん、ベースはポールがやる」と断られました。

>>休暇に入ったとポールから手紙が来ました。「LPを作り終え、あれこれ楽しく過ごしている、遊びに行っていい?」...メンバーが着いたのは深夜でした。...山登りしたり、ビーチに出かけてみんな日に焼けて鼻が真っ赤でした。...彼らは感じが良く、この上なく気さくで、初めて会うタイプでした。

>>音楽の道は厳しいので美術を学ぶことにしました。音楽と美術の間で揺れる気持ちは今でも続いています・・・
自分たちやドイツ人のことなど何でも笑い飛ばしてしまう幸せな彼らを見て、人生はかくあるべき、と感じました。私も幸せな人生を送ろうと決心し、ドイツを離れることにしたのです。

===ロンドン、アビイロード
>>商業デザイナーになりたくてロンドンに移ると、いっしょに住もうとジョージが言ってくれました。...駅から直接EMIスタジオに行きました。スタジオは人気スポットでした。...若者たちは悲鳴を上げ道が開けたので、なかに入れました。すぐにジョージが出迎えてくれました。
今でもメンバに会うと何となく気後れがします・・・。そう感じさせなかったのが、ジョージです。

>>彼らは大物で、自分は凡人だといつも感じます。私は彼らのことをずっと尊敬してきました。すばらしい人たちです。...私がクラシックギターを弾くと、ジョージはそれを見ていました。私が弾いたのはタレガ、バッハ、ロドリゲスでした。

>>...就職した私は商業デザインの分野でキャリアの階段を上っていきました。出世を続け仕事も能力も認められました。自分が有能だという自覚もありました。

===
>>『リボルバー』の原画がどこにあるか訊かれたんだ。...

(ジョー・ウォルシュ/イーグルス)
あの絵に少し手を加えた! ああ、色も塗ってみた。カラーでもすてきだよ、デジタル化もした。...ハッハッハ、ぜーんぶ、ウソだよ~
ジャケットの作者にずっと興味があった。『リボルバー』の原画は、ある時ロスで見つけたんだ。じっくり鑑賞すると今でも新しい発見がある。絵だけでなくクラウスは音楽のキャリアもすごい、デスコグラフィーを見なよ、彼が参加した作品は傑作ばかりだ。

===
♪♪Short People

>>美術と音楽はまったく別のものです。音を描くのは不可能です。「リボルバー」の時のように、特定の時代の感覚やミュージシャンのイメージなら表現できます。でも音楽そのものの映像化は無理、不可能だと思います。
グラミー賞の候補になったときは本当に驚きました。...誇りに思いました。

>>(リボルバーのジャケットを指して)
ここに、私がいます。悪趣味ですね。すぐにジョンに見つかり、からかわれました。
これはビージーズのもの。...これはジミ・ヘンドリックス、スクラッチボードを使いました。黒い表面を削って暗いところから光の中へ白い線で出てくる感じ、この画材の持ち味ですね。...仕事は仕事、趣味は関係ありません。お金をもらうからには、依頼人から求められた世界観を表現しなければなりません。ニーズとターゲットを真剣に考えるのが仕事です、明快でしょ。

>>不思議と楽しい思い出ばかりです。本当はそうでもなかったはずなのに・・・
人はたいがい、そう感じるんですかね、40年代や50年代は、大人になるのがあこがれだった、でも60年代には逆に若さが魅力になった。

(ツイッギー)若者たちは世界を変えようとしたわ。ビートルズやストーンズに共鳴したのよ。ロンドンはファッションから芸術音楽まで流行の発信地として注目を集めてパワフルだった。

オジーのドレスね、すてきだわ
    >>髪をここにつなげたんだ
光の入り方から何もかもがイメージどおりなのね。
    >>長い影を作るためにライトと風向きを調整した、絶妙だった
これは傑作よ、ああ~、何の雑誌?
     >>ヴォーグ。カラーで掲載された、でも白黒の方がいい
私の顔だけが写真、他の部分は描き加えたのね・・・当時、ジョージの妻だったパティを通じてクラウスと知り合ったと思う。クラウスとは気が合いすぐ友達になって、仲間たちとよく出かけたの・・・

>>少人数のグループでいろんな場所へ出かけました。ジミ・ヘンやザ・フーを観て、クラブをハシゴして、そんな毎日を送りました。

===
(アストリット)夫から、バンドを組もうという話がありましたが、クラウスは参加したくないと、とにかく自分では力不足だと。...「難しく考えずにやればいいの」、クラウスは初めのうち観客に背を向け演奏してました。
  
>>自信のあるなしは、人さまざま...その後もバンドから誘われ戸惑いながらも私が選んだのは、マンフレッド・マンでした。

♪♪Mighty Quinn(1968)
Come all without, come all within, You'll not see nothing like the mighty Quinn.

>>サインを頼まれるのは恥ずかしかった...ただ好きなことをしていたかっただけです、自分の気の向くままにね。「こうすれば受ける」という声は無視、それよりも自分がどう感じるかが大事...

(マイク・ダボ)マンフレッドの家に行くと、すごくハンサムな若者がいた。身なりが優雅で、新しいボーカルだと思った。こいつには勝てないと感じ、クビを覚悟した、新しいベーシストだといわれ、ほっとした、覚えているか?ハッハッハ
(トム・マッギネス)...Mighty Quinn、アレは危うくお蔵入りになりかけた。レコーディングはしたものの半年もほったらかしだったな...

===
>>・・・どうしてもイギリスに住み続けたくて結婚、組合に入って労働許可が得られました。音楽の仕事と並行して絵も少しやっていました。
そんなとき、突然セッションに呼ばれて、ジョンとトロントで演奏しました。それからジョージのアルバムに参加して、またジョンやリンゴと仕事を...そしてカーリ・サイモンやニルソンのアルバムなど音楽の仕事ばかりが続くようになったのです。まったく予想しなかった展開です。

>>プラスティック・オノ・バンドを結成しない?とジョンが私に声をかけてきました。...
「とにかく演奏をしたいんだ」と強引な物言いでした、「エリック・クラプトンも参加する。君はどうするんだ」と、いらだってました。参加すると答えたら、明日空港で会おうといわれ戸惑いました。トロントに飛び、翌々日が本番だというのです。移動中の機内で私たちはリハーサルを始めたけどエンジンのすぐ隣で騒音がすごくて、アンプも使えないしエレキベースも音など聞こえません。...

(ジョン・レノン)こんばんは。ぶっつけ本番だから馴染みの曲をやろうよ。
♪♪ Blue Suede Shoes

>>ジョンはスタジオ作業を早く終わらせるタイプ、「さっさとやろう」とみんなをせかしていました。対照的なのが周囲を和ませていたジョージです。彼がいると、どんな現場でもいい雰囲気になりました。「All Things Must Pass」に私は参加しました。ビートルズのどのLPより売れたと思います。

===
>>当時私はハムステッドに住んでいました。クリスティンとの離婚が決まったとき、ジョージは自分の邸宅に誘ってくれました。そこで暮せたのは本当に幸いでした、離婚はつらかった。...ジョージの曲作りにも関わりました。朝から晩まで彼と音楽や生活を共にしていたのです。

(ジョージ・ハリスン)幻のベーシストを紹介しましょう。 クラウス・フォアマン !!
♪♪ コンサート・バングラディッシュ(1971)

>>ジョージは人に対してとても親身になる男でした。相手の気持ちを大事にします。彼は自分の人生や考え方について話をしてくれました。逆に私にとても個人的なことを聞いてきたこともあります。ジョージのことを特に大切に思うのは自然なことでした・・・・

(オリビア・ハリスン)
クラウスはジョージをいろんな形で支えました。時には絵を描き、庭仕事もしました。ジョージに刺激を与えてくれ、魅力にあふれた友人でした。芸術の旅路を行く仲間でした・・・

>>精神世界に傾倒していたジョージですが、多くの悩みを抱えていて、でもそれを人には言いませんでした。ジョージの悩みや苦しみが私にはよくわかりました。だから彼を支えました。彼は病気を気にしませんでした。「クラウス、肉体は単なる殻にすぎないんだ」、「心配はいらないよ」、私への気遣いです・・・

>>私はジョージの夢をよく見ます。違う年齢のジョージが、いろんな場所に出てきます。
彼は、今でも、私と共にいます・・・
  — 彼女といっしょに庭で植樹をする —、いい感じね、うまくできたわ・・・

===ロサンゼルス
(リチャード・ペリー/プロデューサ)
久しぶり、クラウス。信じられないよ、君に会うのをずっと待ってた。見せたいものがある、さあ、入ってくれ。見覚えあるかい?君が参加した作品ばかりだ・・・
楽しかった?ほんとにそうだね、「私を愛したスパイ」もある・・・・・あれはリンゴの「ユーア・シックスティーン」と「想い出のフォトグラフ」

(ペリー)
初めてクラウスに会ったのは1971年6月でした。「ニルソン・シュミルソン」を手がけ始めたころです。初セッションのあとで、すごいものを作っていると思い始めました。「ウィズアウト・ユー」は世界中で1位になりました。次はカーリー・サイモンのアルバムでした。

>>彼の電話「ニルソンのアルバムのために演奏してくれないか?」に、私は黙っていました。間を置くのは私の癖なのですが、ペリーはギャラを倍にしてきました。...いつの間にか有名になっていたことに気づいていなかったのです。

===アメリカ東部・マーサズ・ヴィニヤード島
♪Back the Way
— それは遠い昔の話なの、扉が開かれるよりも前の話、氷が割れるよりも前の話、みんな私を道化と思っていた、誰一人聞いてこなかった、サンドイッチを部屋に持っていこうかなんて、私はいつも待っていたわ、まあまあだと思われていた私が、今や まばゆく輝いている・・・ それは遠い昔の話なの、私をきれいだと思う人もいた — 

>>70年代以来カーリーには会っていません。彼女に会うのは実に久しぶりでした。...

(カーリー・サイモン) ああ、クラウス、クラウス・・・かっこよくて全然変わらない~
連絡を取らなくなっても、どこかでつながっていたと思うわ。人生には特別な出会いがあるの。出合った瞬間から心が通じ合うのよ。セッション初日にクラウスを見て、圧倒されたわ。びっくりするほど美形だったんですもの。その上信じられないほど控えめで謙虚だったわ。伏目勝ち、突然顔を上げて、またすぐ視線を落とすの。

手慣らしをするかのようにこんな感じでベースを弾き始めたわ。ベッベッロベッベッロベッ・・・
サン・オブ・ア・ガン!彼の演奏を聴いて反射的に出た言葉よ。内容とは無関係。彼の演奏に驚いて、思わず出たのが、あのフレーズよ。

(ペリー) ベッベッロベッベッロベッ・・・、ポップスの歴史に残るベース演奏のイントロだ。
(カーリー) あの曲の産声、それがベースの演奏よ。
♪You're So Vain
You walked into the party like you were walking onto a yacht ...

(カーリー)ほら、見て。低い道も高い道も同じ場所に続いている。
スコットランド民謡よ、— 君は高い道を行き、僕は低い道を行く、一足先にスコットランドの土となろう。悲哀を胸に抱え再会するその日まで。美しき岸辺、美しき丘、そしてローモンド湖 —

(ペリー)録音技術はアメリカよりロンドンの方が上でした。レコードの音が良く、技師の腕も確か、編曲者たちもクラシックで鍛えられていました。
(カーリー)
「うつろな愛」ではミックジャガーが、「ナイトアウル」ではマッカートニー夫妻がコーラスで参加しました。録音の時、ミックがこう言ったわ「ポールに会うから緊張している」。実はポールたちも緊張してたのよ。...あの頃はみんなまだまだ未熟だったので、トップ争いもあったわ。だけどクラウスは誰とも競争しなかった。彼はバンドリーダではなく正真正銘のアーティストだったの、とても多彩なアーティスト。

>>再会に心が揺れました。私は長年音楽から離れていました。もう音楽はたくさんと思ったからです。それが突然思い出をたどって旧友と会うことになりました。...みんな集まって演奏し、いい雰囲気でした。

昔の出来事や古い友人たちのことが、よみがえりました。
ジョンとジョージは亡くなりました・・・・
カーリーに再会してさまざまな思いがこみ上げました、とても切なかった・・・・

===スタジオ「ブルーパーム」 (L.A.)
(リンゴ・スター、ドン・プレストン・グラント・ガイスマン、ジム・ケルトナー、ヴァンダイク・パークス、ランディ・ニューマン、トレヴァーローレンス、イナラ・ジョージ...)
♪You're Sixteen
♪He Needs Me 

>>ビートルズ解散後も彼らとは友だちでした。みんながいい関係でいられるよう、少しは潤滑剤になったかも・・・・
>>私はいつも欧州とアメリカを忙しく往復していました。ロンドン、NY,LA,ニューオリンズ...それで、アメリカに移った。当時ロスは最先端をいっていました。
リンゴは住む場所を提供してくれました。あんな生活をしたのは生まれて初めて、シボレー・カマロまで借りてくれ、朝食は何になさいますかと聞かれて、王様気分です。...バンガローに簡単な絵を描いて貼り付け、リンゴに行き先を知らせてました。

>>...私はドイツに戻ることにしました。でもドイツのレコード会社は..環境がまったく違いました。レコード会社とバンドをつなぐ仕事なら出来るかもしれない。トリオというバンド、ドクタージョン、「ダ・ダ・ダ・」楽しかったね。こうして私は、はからずもプロデューサになりました。...そして、コーラスのクリスティーナと出会いました。...
(妻クリスティーナ)...彼は落ち着いている、どんな苦難も克服できる...彼とは20年になります。

♪Such A Night 

>>私の性格ややり方を受けいれる相手ならプロデュースします、でも私には不向きな仕事だったので辞めました。
...ビートルズと出合ったころの本を出版しました。こうして私は美術の活動に戻ったのです。
物事は常に変化し続けます。私の人生にも別の展開があったでしょう。もしも自分がビートルズの一員だったら、フォリナーの一員だったらどんな人生だったか興味があります。この人生に十分満足していると言える人はいないでしょう。違う人生もあったはずです。
私は常に流れに従ってきました。無理をしたことがありません。ずっーと漂っていたのです・・・

===

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3 コメント

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You're sixteen (姫リンゴ)
2010-01-09 15:46:05
こんにちは!
たった今このドキュメンタリーをテレビで見て、このブログを拝見しました!
すごい、丁寧に内容をまとめられていて、感激です
後編で、LAのスタジオで、リンゴスターがドラム担当して、You're sixteenを演奏した場面がありますが、ここでボーカルを担当した歌手の名前が知りたいのですが、テロップが一瞬で消えてしまったので、見過ごしてしまいました。
お分かりになれば、ぜひ教えてください
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ベストアンサーかなあ? (のり坊)
2010-01-14 02:15:07
ぼくの読者はGOOGLEのロボットさんぐらいなもので、コメントなど、あると思ってもみず、ご返事おそくなりすみません。
映像で出てくるテロップ、そうですね、一瞬だ。こんなこと書くの、実はかなりタイヘン、でも、ぜひ文字でも残しておきたかったので、2日かがリ...

あのヴォーカルよかったのかな?、今夜はチカレテ、もう映像見直す気力なくよくわからないけど、CDのクレジットでみると、Max Buskhl というひとだろうかなあ。
ドラムスは、リンゴのほかに、Jim Keltner もたたいてて、だいたい、リンゴが出過ぎないように気にかけてたところが、印象に残ったなあ。

ということで、お答えになったのか、なんないのか...





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[付録・A SIDEMAN'S JOURNEY] (のり坊)
2010-01-14 02:33:57
おまけとして、というより本文は1万字までなので、もう書けないため、サイドマンたるクラウス・フォアマン初主役のCD、どんなものであったか、ということを...

このビデオのなかでも、いろんなセッション・シーンが垣間みえたが、旧友を訪ねながらまた音楽の世界に...
そして70歳の誕生日を期してとうとうクラウスはサイドマンから、フロントマンになった、と。
それが、このCD。ビートルズの再々・リマスターもいいのだろうが、記憶までリマスターできないし・・・・高いし。
こういうスバラシイのが50%OFF、おかしなことだ。

むろん彼のデザインしたジャケットだが、主役かな?クラウスは横向き、ひとりベースをひいている。
ここのへんが、彼の奥ゆかしさ。ポールだけはちょっとスマシテいるのだが、みんな笑顔だ。
みんなに心から感謝されながら、この名脇役はバイプレーヤー全てに、このアルバムをささげたということだろう。

クラウスは、演奏する曲を何週も決めかねていた。彼にとって、Johnの"Imagine"は神聖なものだ。Nilsonの"Without You"もそうだ。
Don Prestonが決めた"Blue Suede Shoes"もジョンを思いださせ、いい友だちだったHarryの"He Needs Me"はVan Dyke Parksも自分も絡んでいたから選んではみた...でも、ビデオにはあったが、このアルバムには、これは入っていない。

"YOU'RE SIXTEEN"、You're sixties or seventies? いいことだ、Ringoもまた元気になって。
これもいい、"SHORT PEOPLE",Don Preston もJoe Walshもいつまでも達者ですなあ...
それに、Bonnie Bramlett "MY SWEET LOAD"、失礼だけどアラ還でこの迫力はどうだ。
Mike D'Abo のヴォーカル、メンバーそろってくれて"MIGHTY QUINN"。
おっと、こうなるとやっぱり、ベースマンは、ずーとSIDEMANかなあ...
でも、選曲やお友だちの出し方やら、彼の人柄がつくりにも感じられる秀作ですね。
古希・アラ還、団塊の世代にかぎらず若い人も、テレビ映像だけちょっと観て通り過ぎるより、手もとにおくべきだろね、これは。


おいおい、もう寝よ~  こりゃ、まずい...  
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