Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

2007年は団塊の年?

2007-01-08 21:58:18 | テレビ・インターネット
2007年は団塊の年!とか。
NHKスペシャル[1000人にきく団塊の素顔] <スタジオと1000人の団塊世代をネットで結び番組が進む。彼らはいま何を考え、これからどのように生きるつもりなのか・・・スタジオゲスト/桂文珍、映画監督・崔洋一、漫画家・里中満智子、ポスト団塊・ラサール石井などが、楽しくトーク。団塊世代の知られざる姿が浮き彫りに・・・!>だって、ナガラで、観ていた。
落語家・桂 文珍さん、1948年12月10日生まれ。団塊の世代ど真ん中。

堺屋太一氏はビデオ出演、仕事絡みの人間関係と決別、好きな事に人生をかける「好労文化」によって世界をリードできるんじゃないか、と。
番組ででた話題のなかから:モラル低下とマナー責任は?、仕事優先・子どもを甘やかして育てたので若者がろくでもないことになった、それは個別の問題だろ、いや数の多さから影響力大きいよ、これからの生きがいは見つかっているのかな?...
団塊世代も「職縁」社会から離脱し夢を追える年代に達した?...さあて、ほんとうだろうかなあ!?

あらためて団塊の世代とは?:フリー百科事典『Wikipedia』から。
>団塊の世代は、第二次世界大戦直後の日本において1947年から1949年にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代(約800万人)である。作家の堺屋太一が1976年に発表した小説『団塊の世代』で、鉱物学で一塊の単位で採られる鉱物をいうノジュール(nodule)の訳語を、世代を表す言葉として用いた事により登場した言葉である。またその子の世代は団塊ジュニアと呼ばれる。なお日本のみならず米国等でも同様の現象がみられ、ベビーブーマーと呼ばれる。
2007年から2010年にかけて、団塊の世代が一斉に定年退職をするため、年金制度に多大な混乱をもたらすと予想されている。多量退職によるベテラン職員不足を回避し、技能継承のため、定年延長、再雇用等で乗り切ろうとする企業がある一方、彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。こうした、この世代が及ぼす多大な影響を「2007年問題」と呼ぶことがある。

キーワード:「学生運動」「若者文化」「恋愛結婚と友達夫婦」「ニュータウン」「経済成長と大量消費」「競争」…自分たちのことだ...何とも...

そのうち、われわれも高齢化の一翼を担う!? そして、次の世代からは少子化で生産人口もジリ貧...
日本の人口と年齢構成はどうなっていくのか。団塊の世代より全体のほうが、よっぽど心配だよ。(以下、図表・記事引用:内閣府―共生社会政策統括官「少子・高齢化対策」より

■まず、「有史以来の日本の人口の変化」について。
歴史人口学の研究者である鬼頭宏氏の「人口から読む日本の歴史」(講談社)によれば、わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは減少を何度か繰り返しながら、大きな波を描くように変化してきた。人口増加には、弥生時代から10世紀以降にかけてみられる稲作農耕とその普及による人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という2つの大きな流れがあるという。 鬼頭氏が江戸時代までの人口について様々な資料から推計したところ、縄文時代には約10万人~約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年)には約1,220万人となった。江戸時代には17世紀に人口が増加し、18世紀には停滞して、おおむね3,100万人から3,300万人台で推移した

■(ボクの生まれた1950年から100年間の推移)
1872(明治5)年の日本の総人口は、3,480万人であった。現在から100年前の1904(明治37)年には4,613万人となった。1912(明治45)年に5,000万人を超え、1936(昭和11)年には、明治初期の人口の倍となる6,925万人となった。人口増加率は、毎年平均して1%を超えていた。
こうした人口増加の背景には、明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展に伴う国民の所得水準の向上と生活の安定、保健・医療等の公衆衛生水準の向上、内乱がない社会の安定等、様々な要因があげられよう。
第2次世界大戦による経済社会の混乱を経て、1947(昭和22)年から1949(昭和24)年の第1次ベビーブーム期を迎えた。人口増加率は、外地からの引き揚げも加わって、年率2%を超えた。1948(昭和23)年に総人口は8,000万人を超えたが、早くもその8年後の1956(昭和31)年には9,000万人を超えた。
...ちょうど明治元年(1868年)以来100年目となる1967(昭和42)年に、わが国の人口は1億人を超えた。...このように明治以降の近代日本の歴史は、100年間に総人口が3倍になるという人口拡大期であった。さらに、1971(昭和46)年から1974(昭和49)年には、第1次ベビーブーム期の世代が結婚、出産期を迎えたことにより第2次ベビーブーム期を迎えた。その後も人口は増大を続け2003(平成15)年10月時点では、1億2,760万人と過去最高の人口となっている。


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人口から読む日本の歴史

講談社

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個人的な体験-BLOG編

2007-01-06 01:28:44 | テレビ・インターネット
前回のブログ記事アップで、始めてから222件めのゾロメ、新年から縁起がいいなあ!週刊・不規則ブログ・拙文にもかかわらず、たくさんのアクセスをいいただき、まことにありがとうございます。個人的な体験を告白し御礼にかえさせていただきます。

光などブロードバンドのインフラも整ってきて新たなネットユーザが急増、いまや日本のインターネット人口は、ケータイiモードなどもいれれば8千万人とも。インターネットの海を漂い、どなたかのを読みかつ楽しんでいれば、そのうち自分でもナニか書いて見たくなる、で、1億総ブロガーとなるわけですね。
去年春の総務省の数字はもう完全に古いのでしょうが、ブロガー800万人、MIXIみたいなクローズされたコミュニティに700万人というのがあります。ただ、一か月で一回でも読み書きする「アクティブなユーザ」はそのうち2割ぐらい、他は3ヶ月坊主で休眠状態とか。
「BLOG」という方式は、コンテンツアップの容易さ・他のサイトとの相互リンク・GOOGLEのような検索ロボットの充実とあいまってインタネット・WEBの世界に新風を吹き込んだわけです。

ボクも「遅れてきたブロガー」なわけですが、人文・歴史的な話題で気楽に読むようなものでもないにもかかわらず、かなりの方のお目に触れていることでイイカゲンなことはかけぬという緊張感が常にあります。とはいえ、史学的な研究でもなし、創作でもなし、まだまだ勉強メモ段階というところ、誠にすみません。
読みにくい部分直したり画像をつけ足してみたり全記事いつまでも未完成、自分が最大の読者なのでしょうか!?

ネット上でふれあったかたがたは四,五十代?それでいて感性豊かな若々しい人たちでした。このような人たちがこれまで人生で蓄積してきたもの、外に発信し始めた知的な財産、絵、文章の確かさ、趣味の豊かさは新鮮な驚きであり、おおきな刺戟になって、自分もと、今まで続いているおおきな理由です。

ブログのようなネット上では、HN・ニックネームでのヴァーチャルな世界とでもいうのでしょうか。でも仮面だけのままでその人となりが見えなければ、ネット上での行動に新たな信頼と価値が生まれにくいし、あってもなくても良いようなものばかりになるでしょう。欧米のかたのサイトはプロフィールが鮮明、実名まで出して自分が主役としてバックグラウンドを明らかにして読者に信頼を得るという段階に来ています。発言と掲載内容には、責任を持つという意思表示なのでしょうね。

昨年1年間でボクのブログを訪問してくれた方(ユニークID数)が延べ16、914人、読まれたページ数は43,375にもなりました。昨夏からランキング登録、以降のアクセスは倍増、先輩諸氏の優良なサイトとのリンクのおかげもあって、GOOGLE検索でも自分の記事とキーになる言葉が探しやすい位置でヒットするようになりました。前回記事など<新春 箱根駅伝>で検索したら74万件のなかで4番目ぐらいに現れるので、びっくりしました。なにも特段の工夫もしてないのですが...(やっぱり、上のほうからは消えてた、なんかの間違い!? <新春は、箱根駅伝>では、かろうじて発見できますが...追記1.6 14:37)
<柴犬ゲンちゃん>も、検索で出てきてよかったね(こういうのがあるのでホントに必要な情報が?...)

妙なクニ以外インターネットの世界に国境はありません。アメリカのブログ会社の追跡サイトによれば、世界で5,000万のブロガーがいてブログ記事の言語別では英語39%、日本語31%、中国12%、西、伊、仏、独語各2~3%づつとか。英語、ロマンス系言語などは世界規模で理解し合えるのでしょうが、日本語、中国・韓国語...ほとんど世界からは、検索もされない謎の世界なのでしょうね。

このGOOGLEどうなっているのかの秘密は、こんどの1月21日(日)午後9時からのNHKスペシャル“グーグル革命の衝撃”で見てみましょう。
わが誕生日にあたり、皆様にせめて御礼をと思い書き始めましたが、遅筆ゆえ、せっかくの記録も日付が、すっかり変わってしまいました!


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新春は、箱根駅伝

2007-01-02 16:17:08 | テレビ・インターネット
新春は、箱根駅伝・「東京箱根間往復大学駅伝競走」。ことしで第83回にもなるのか。(箱根駅伝公式Webサイト。
本日1月2日は往路・1区から5区まで108.0km。小田原から芦ノ湖までの最終5区の23.4km、4人抜きの今井正人主将の走りで、1区出遅れヒヤッとした順天堂大学が最終区でゴボウヌキ、往路優勝を飾った。最後のがんばりも、ほんとにいい顔だ。

今井君は2年のとき、このタフな5区で11人抜き、去年5人、4年生で最後の今年は4人抜いて順位をひっくり返した。小柄だが腿の筋肉ときれいな体型、揺れのない前傾フォーム、腰は少し高いが接地・着地が早いのでタン・タン・タンと地面に足を置いて疲労しない走り、とか。小田原からの標高差が八百数十m、彼は上りに強い「山登りの神様」と呼ばれているようだ。
福島の原町高出身、他校をつぎつぎ抜いていくが、抜かれるほうも一関学院・仙台育英出と、東北人としては複雑な感じ。順天堂大チーム、往路優勝インタビューでは皆話しっぷりも堂にいったもの、さすがテレビ・映像世代の若者たちだなあ。なによりも「箱根を走った」、この思いだけでもこれからの長距離の人生を乗り切ってゆけるだろう。

最近の学生は体力に最後の余裕があって、タスキをつないでもあまり倒れ込まなくなった。やっと渡して責任果たし崩れ落ちたり、時間制限のオーバーでがっくりするのを見ると、なんとも辛い。団体戦の良し悪しではある。

以前日本テレビの箱根駅伝ディレクタの話を聞いたことがあった。俯瞰カメラの設置ポイントやらのご苦労あったみたいだが、最近の映像は車載カメラから上位走者だけを撮りすぎかなとも思う。それよりも、民放のアナはよけいなことをしゃべりすぎる。懸命に走っているのを見て、何も言葉が言えなくなることはないのだろうか?(仕事でやるだけだから、本当に感激して涙が出たりしてはならないということなのか?これが、空虚な饒舌・絶叫調の作り声につながる。そんな音声で「感激」するほど、視聴者はバカではないのだ!)

うるさい時は、パソコン上のテレビ放送は音だけを消して、「Google Earth 」「Google Map」を見て遊んでいた。箱根のダラダラ坂上る道もクネクネ、地図で表現できる道路は、実はデフォルメされた記号みたいなもの。2万5千分の一の地図なら、1ミリの幅で描かれた道路は、幅員25メートルの大通り!?

1963年プレオリンピック、仙台・宮城野原のサブトラックで1万メートル競走の前、スポーツ刈りランニングシャツのランナーが黙々と一人でアップをしていた。翌年の東京五輪でマラソン銅メダルをとった円谷幸吉だった。その後「...お父様、お母様、幸吉はもう走れません...」との遺書を残して命を絶った。
彼は誰のために走ったのだろう。無責任な、マスコミと周囲のため?長距離走者の孤独...

ボクは、この五輪の聖火リレーの伴走者をやった。雨模様だった本番の日は、聖火を持った高校生のお兄さんが火を消さないように急ぎすぎ独走態勢!?に入ってしまった。必死についていったが中学生の僕らはずいぶん引き離されて、伴走者に見えなかったかもしれない。リレーで次にツツガナク繋ぐというのは、実に大変なことなのだ。
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