Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

さよならタスケ、むうチャンおはよう

2016-12-11 12:19:19 | ねこちゃん

むうちゃんおはよう、居たか、こたつのなかだ。7月14日生まれ、もうすぐ5カ月、去年夏急に死んじゃったハクチャンの生まれ変わりかなあ、似てるからかママが衝動買いしたんだな、それが9月15日、ちょうど生後2カ月だったわけだ。猫は6カ月で人間での12歳相当になるらしい、あっという間だ。スコティッシュなんとかだが、猫はやっぱり耳はピンと立ってた方がいい。

タスケはがんばったよ、ぼうこうがん手術の後で5年半も生きたんだから。。。もう、ちょんちょんして起こしてくんないからパパはまた朝寝坊にもどってしまった、もうすぐひと月たつか、むうちゃんもお別れをしたけど、わかんなかっただろ。。。タスケはね、ちゃんとお返事をしてお話ができたよ、利口なねこだった、全然噛まなかったよ、そうだ比べてはいかんな。むうが来た前の日にはタスケはNHKにでたんだ。タスケちゃん、抱っこして一緒にみたよね。「おれねこ」を再放送するってNHKから連絡きたぜ、12月13日は火曜日のNHKーEテレ「0655」、もうどーでもいいけど。

タスケは、おねえちゃんが東京から戻ってくるのを待ってそれから半年も生きてくれた。おしっこ痛かったよなあ、この数年はずっーとママと病院通い、さいごは流動食で持ち直したり、がんばったね。でもな、ひともねこも死すべき存在。。。タスケ、ありがと、むうちゃんと同じ大きさの子猫、拾ってあれから18年経ったんだ。。。可愛がってくれてたおねえちゃんは、今日は臨時の市バスを走らせに(?!)行ったぜ、あいつも、おととい夕方のNHKにでてきた。津波にさらわれて人もいなくなってしまった深沼海水浴場近辺に、いつかバスがやって来るようにと偽バス停をそっと置いたりしてたが、なんと今日だけ本物を走らせてくれるという。偽ー記念乗車券とイベント用のバス停プラカードも作ったりしてたが、どうも満員らしいぜ。また、どっかのテレビでやってくれるだろ、オヤジの出る幕ではないから、こっちはカレイ釣りに行こと思ったけど、寒そうだからやめた、こんじょ無し。それで、むうちゃんと、こたつむり、してるわけだ。(とはいえ、夜の7時のNHKニュースにムスメが現れて、ご両親はあわてて録画した、シャイなのであまり言わない、明日12月19日朝にも「おはよう日本」で7時ごろから流れるみたい、とは言った。2016/12/18追記)

 さっき、パパ居なかっただろ、お散歩わんちゃんをまた一匹撮ってきたんだ、これでも、NHKのタスケやおねえちゃんには及ばぬが自分のとこのコミチャンにはそっと出れるんだ。ハロウィーン番組なんか、こどもたちが60人も来てくれて、おもしろかったよ。今流している学芸会の映像もいいな、猫のメークや衣装、シッポまでたいしたもんだ。こどもたち、みんな一生懸命、真剣、これからも仲良くして素直に伸びてくれよ。。。むうちゃん、も、だよ。。。タスケは、もういないんだ。。。。。どこにいったの?また、うちにおいでよ。。。。。。

 

     

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鳴かぬなら・・・再考

2015-02-05 05:00:17 | ねこちゃん

藤沢周平に明智光秀を描いた「逆軍の旗」という小説がある。「鳴かぬなら・・・」のお三方と肩を並べるまでに至らなかったのは、うーむ、やっぱ陰影がありすぎたのかなあ・・・
「鳴かぬよう しとめたつもりが ホトトギス ー 光秀」かな、などと脇道にそれてしまった。
肥後平戸藩の藩主だった松浦静山が、江戸時代後期天保のころ隠居しごとで残したタイヘンな随筆集「甲子夜話」のなかに、もともとのホトトギス(!?)が居るという。なんとも見事な、よみびとしらず・・・
>>>レファレンス協同データベースより
夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、

 なかぬなら殺してしまへ時鳥    織田右府
 鳴かずともなかして見せふ杜鵑   豊太閤
 なかぬなら鳴まで待よ郭公     大権現様
<<<
おお、そうだと思いつくままに猫ちゃん相手につづけてみた。

鳴かぬなら サイを投げよう ホトトギス  ー ユリウスカエサル
鳴かぬとは ナニおまえもか ホトトギス  ー ユリウスカエサル
鳴かぬなら 代わりがあるの ホトトギス  ー クレオパトラ
鳴かずとも よりをもどして ホトトギス  ー アントニオ
鳴かぬなら 血と汗涙で ホトトギス   ー チャーチル
鳴かぬなら そこがヒントだ ホトトギス  ー エジソン
鳴かぬなら 青くなればあ ホトトギス  ー ノーベル
鳴かぬなら 抵抗せぬこと ホトトギス  ー ガンジー
鳴かぬなら お代はあとで ホトトギス  ー ロスチャイルド
鳴かぬなら あたしがやるわ ホトトギス  ー ヒラリークリントン
鳴かぬなら お菓子を食べて ホトトギス  ー マリーアントワネット
鳴かぬなら 三度も頼むよ ホトトギス  ー 劉備玄徳
鳴かぬなら もうこれでよか ホトトギス  ー 西郷隆盛
鳴かぬなら とべばいいのだ ホトトギス  ー 吉田松陰
鳴かぬなら 別のも欲しい ホトトギス  ー 田沼意次
鳴かぬなら さっさと返上 ホトトギス  ー 徳川慶喜
鳴かぬなら 俺ではないぜよ ホトトギス  ー 正岡子規
鳴かぬから 胃が痛むんだ ホトトギス  ー 夏目漱石
鳴かぬなら やってみせての ホトトギス  ー 山本五十六
鳴かぬなら それでもよしだ ホトトギス  ー 吉田 茂
鳴かぬなら 麦飯を食え ホトトギス  ー 池田勇人
鳴かぬなら どげんかせんと ホトトギス  ー そのまんま東国原
鳴かぬなら おばかさんよねぇ~ ホトトギス  ー 細川たかし
鳴かぬなら それでもいいの ホトトギス  ー テレサテン
鳴かぬなら こまっちゃうなぁ~ ホトトギス  ー 山本リンダ
鳴かぬけど やっぱ好っきゃねん ホトトギス ー たかじん
鳴かぬなら イェイイェイエ ホトトギス  ー AKB48

だんだんおかしくなってきた・・・おや?すばらしく素直なのをネット上でみっけた。
鳴かぬなら わけを教えて ホトトギス ー さすが、教えてGoo-だったかのう?

午前3時ごろに目覚めてもう眠れず、今からまた寝たらヤバイ。FBのみなさんからのヒントですこし追加しこちらにもアップ、松浦ご隠居のをたどって再考したけど、やっぱ、ただのコビベ備忘録におわった。

(さすが子規は、ちゃんとご自分でこれを残しているようですなあ。。。「鳴かぬなら鳴かぬと鳴けよ鵑」ー 愛媛新聞ONLINE より2005.6.4追記)

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トマシーナ ー ポール・ギャリコ

2014-02-13 22:07:24 | ねこちゃん
トマシーナ (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社

 

ジェニィさんのあとは、あたしトマシーナのところに寄ってくれたってわけね。ジェニィがその後どうなったかは、ヒ・ミ・ツだけど、しあわせな結末だったはずよ。はっぴいえんどというバンドがあったわね、カァゼーを~を、あつめてぇ~、でも大瀧さんもどっかへ行ってしまったのね、二月はあんまりいい月じゃないんでしょ、のり坊くん。きょうなんか、おとうさまの命日じゃない、おせんこぐらいあげたの?もういいや、じゃないってば。なごんちゃんに叱られてつまんないのも、いいかげんにしないと・・・あたし、トマシーナの物語いっきによんで、どうだった?

そう!、そうなの、おしまいには、すばらしいひとに変わって行くじゃない、文字だけ読んでも映画観たような気になったでしょ、スコットランド西部、海と森と渓谷とそこで暮らす高地人たち、音楽や、小鳥のさえずりや、ひとたちやけものたちの大騒ぎの声まで聞こえて来て、街で生まれたあたしだけど、I was born in the city ・・・自然と田園はほんとに豊かなものよ。それよりなにより、トマシーナのこのものがたりは、生きとし生けるものの「たましい」のお話なの、これはこころの救済のものがたりなのね・・・Redemption song・・・

あたしが、はじめのほうでした自己紹介みれば、おもな登場人物と登場動物(!)もわかるでしょ、三人組のお友達少年もいたわね、それと肝心な魔女っ子おねえさん。このお話、時は西暦1957年だから、ジェニィからは猫でいうと二世代ぐらい下なの。でもあたしは、時空を超えて、じつは紀元前1957年のエジプト第十二王朝、ブバスティスの猫の女神だったかもしれないことよ・・・スコットランドはテリアたちの生まれ故郷、日本の柴いぬゲンちゃんもこのあいだ雪の中で遊んでたでしょ・・・犬たちって救いがたいほど、能天気なのね・・・ま、それは、どうでもいいわ・・・

>>>>「トマシーナ ポール・ギャリコ/山田蘭訳 創元推理文庫」より引用

 あたしもまた大叔母(ジェニィ)のように、めったにない冒険を経験したの。少なくともあたしの身に起きたのは、このうえなく興味ぶかい不可思議な出来事だったといっていいわね。
これ以上もったいぶるつもりはありません。これは、殺害にまつわる物語なの。
ただ、そこらで読まれている殺しについての本とちがうのはーー 殺されたのが、このあたしだということ。

 そもそも、あたしにこのトマシーナという名がつけられたいきさつも、滑稽ながら許せない勘違いが原因でした。これは、あたしたちが幼いころに雌雄を見分けようとする人間が、あまりにも多く犯しがちな誤りね。グラスゴーに住んでいたマクデューイ家の娘、当時三歳だったメアリ・ルーのもとにもらわれてきたあたしは、最初はトーマスと名づけられたの。やがて、それがまちがいだったことがわかると、家政婦のマッケンジー夫人がさっさとトマシーナと女性形にしてしまいました。あたしが気に入るかどうかなんておかまいなし、おうかがいなんて立ててくれるはずもなく。
 幼いあたしたちの雌雄を見分けるのがどうしてあんなに下手なのか、人間って本当に困ったものね。いいかげんな当てずっぽうはやめて、ちゃんと見ればすむことなのに、ちょっとした手間を省きたがるからそういうことになるの。牡だったらその部分が離れているし、牝だったらぴったりくっついている、それだけのこと。どんなに身体が小さくたって、理屈は同じです。

 獣医のアンドリュー・マクデューイ先生なら、まちがいなく一目で見分けられたはず。でも、あの人は動物のお医者さんとしてはとんでもない変わりもので、愛情も、感傷も、関心も、動物に対しては抱いていないんです。あたしがこの家に来た日からずっと、まともに目を向けてもらったことはなかったけれど、こっちも全然気にしていません。無関心なのはお互いさま、ってことね。

 そのころ住んでいたのは、やはり獣医だった父親からマクデューイ先生に遺された、ダニア・ストリートのだだっ広くて陰気な家でした。一階と二階は事務室や診察室、入院室などがあり、あたしと家族 ーー先生と奥さん、メアリ・ルーは三階と四階に住んでたの。ここの家族は、三人とも赤毛でね。あたしもそうだけど、もうちょっと黄色がかっていて、胸のところに白いぶちがあるんです。でも、誰が見てもすてきなのは、四本の足先と尻尾の先が、おそろいで白くなっているところかしら。見た目や物腰を誉められるのにも、もう慣れっこになってしまったけれど。

 そのときはまだ、生まれて半年しか経っていなかったけれど、メアリ・ルーのお母さんだったアンのことは、いまでもよく覚えています。炉辺の銅鍋のような色の髪をした、美しい女性だったわ。とても明るくて、家の中ではいつも歌をうたっていたから、たとえ雨が降っているときだって、あの家にいてもそれほど暗く陰鬱には感じられなかったの。ひっきりなしにメアリ・ルーを抱っこしてはさんざん甘やかし、内証話ごっこをしてるところは、まるで愛を語り合っているみたいに見えたわね。あの先生がいてさえ、けっして不幸せな一家なんかじゃありませんでした。でも、それも長くは続かなかった。あたしが家にやってきてまもなく、アンは入院していたオウムの病気に感染し、亡くなってしまったから。

 言わせてもらえば、あれはあたしにとってもずいぶんつらい時期ではありました。マッケンジー夫人がいなかったら、あたしはどうなっていたことか。マクデューイ先生はなかば正気を失っているとみんな噂していたけれど、それもまんざら大げさには聞こえなかったくらい。ひどく荒れて周囲に当たりちらしていたうえ、これまで妻に抱いていた愛情を、そのまま娘に振向けたものだから、メアリ・ルーはすくみあがってしまっていたし、それはあたしも同じこと。家に寄りつかず、入院している動物の様子さえ見にいこうとしなくなって何日も経ち、やがてどうしようもなくひどい状況に陥りかけたころ、故郷から先生の旧友が訪ねてきたの。それが、ペディ牧師だったのね。それをきっかけに、いくらかましな状態になってまもなく、大きな変化がありました。

 ペディ牧師とマクデューイ先生は、ふたりがエディンバラ大学に入学する以前からの友だちらしくてーーーあたしの一族とも何匹か顔見知りかもねーー自分の住んでいる町で獣医の診療所が売りに出ているから越してこないかと、牧師は先生を誘いに来たの。
 そんなわけで、マクデューイ先生はグラスゴーの診療所を売り、生まれ育ったダニア・ストリートの家を後にして、アーガイルシャーにあるファイン湾の西岸、ここインヴァレノックの町に移ってきたんです。あたしの身に悲劇が起きたのも、ここでの話。

 そのころメアリ・ルーは六歳、もうじき七歳になろうとしていました。あたしたちが住んでいたのは、アーガイル・レーンの突きあたりから二軒目の家。お隣に住む先生の友人、アンガス・ペディ牧師は、ファンという名のいやらしいパグ犬を飼っていました。ああ、ぞっとする!
 うちは、実際には棟続きの二軒家でした。白塗りの壁に石板葺きの屋根、二階建ての細長い造りで、それぞれの端に立つ背の高い煙突には、たいていカモメがとまっているの。片方にはあたしたちが住み、もう片方はマクデューイ先生の仕事場として、事務室、待合室、診察室、入院室が置かれていました。でも、もちろん診療所のほうには、あたしたちは行ったことはないけれど、けっして来てはいけないと、メアリ・ルーは固く言いつけられていたから。グラスゴーであんなことがあった以上、家族の住む場所に二度と病気の動物を入れまいと、マクデューイ氏は心に誓ってたのね。

 あたし自身ふりかってみて、グラスゴーに比べると、インヴァレノックのほうがはるかに暮らしやすいところだと思います。ファイン湾は、グリーノックの脇を通ってケアンドウにいたるまで、海がぐっと内陸に食いこんだ入江だから、飛びまわるカモメを眺めることも、潮の香りを楽しむことも、浜辺を駆けまわって魚や奇妙な鳥たちを追いかけまわすこともできるのよ。その後ろには暗く恐ろしげな森や渓谷、岩山が広がっていて、狩りをするのにぴったり。グラスゴーでは一度も外に出してもらったことがなかったけれど、ここでは好きなように駆けまわってかまわないの。あたしもたちまち、根っからの高地っ子(ハイランダー)になってしまいました。自分以外のすべてを高みから見下す、それが高地っ子というものなのよ。

 ペット連れの観光客も多いから、マクデューイ先生にとって、夏はいちばん忙しい季節でした。もちろん、たいていは犬だけれど、猫や小鳥のこともあるし、サルが連れて来られたことも一度あったかしら。せっかく休暇にいっしょに来ても、気候が合わなかったり、森の中で何かに噛まれたり刺されたり、たいして強くもないくせに、愚かしくもあたしたち高地っ子に喧嘩をふっかけたり、そんなことがあるたびに、飼い主たちはそのペットを先生のところへ連れてくるの。先生はペットが大嫌いだし、獣医という職業にもうんざりしていたから、こういうことにはほとほと嫌気がさしていたみたい。診療所でそんなペットたちの相手をするよりは、町を出て農場主や小作人とすごすほうが楽しそうでした。

・・・
 メアリ・ルーが飛びぬけて器量よしじゃないなんて言ったのは、よく考えたら礼儀に外れていたかもしれないわね。だってあの娘はあたしのことを、世界で一番器量よしの猫だと思っていてくれたのに。でも普通とはちょっとちがう角度から考えるなら、あの娘もやっぱり飛びぬけて器量よしだったかもしれません。メアリ・ルーはどこにでもいそうな女の子だったけれど、その瞳をのぞきこんでみさえすれば、何か飛びぬけてすばらしいものがこの娘のなかに隠れている、この娘を包んでいるのだということが、あたしにはたしかに伝わってきたから。じっとのぞきこんでいようと思っても、つい目をそらしてしまうような瞳なのよ。まばゆい、このうえなく鮮やかな青でありながら、あの娘が何かあたしに理解できないこと、想像さえつかないことを考えているときには、荒れた日のファイン湾のような暗い色に変わるの。

それを除けば、外見についてはとりたてて何も書くことはありません。つんと上を向いた鼻に、そばかすの散った顔、いつもぎゅっと突き出している下唇、眉とまつげは薄くて、ほとんど見えないくらい。茶色がかった赤い髪は、緑か青のリボンで結び、二本のおさげにしてあります。脚はひょろっと長くて、いつもお腹を突き出しているの。
そうそう、メアリ・ルーのすてきなところといえば、もうひとつ、あのいい匂いがあったわね。マッケンジー夫人がたえず洗濯とアイロンがけに精を出し、あの娘の服や下着の引出しにラヴェンダーの匂い袋を入れていたおかげで、メアリ・ルーからはいつもラヴェンダーの香りがしていたんです。
・・・

>>>>

 

(ほとんど関係ない情景だけど・・・)

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ジェニィ ー ポール・ギャリコ 

2014-02-09 23:27:34 | ねこちゃん

 

ジェニィ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

ポール・ギャリコ『猫語の教科書』のあとは、『ジェニィ』を読んでいた。この小説は、うーん、すばらしい☆☆☆☆☆ 書かれたのは1950年というから、ちょうどぼくの生まれた年だ。もっとはやく読んでいればよかったが、まあ、生きてる間に気づいてよかった。ギャリコ自身も猫がらみの小説のなかで一番のお気に入りだったという。

ジェニィはどこにいってしまったの、最後はどうなってしまうの・・・わからない。アラスジを書く程ヤボなこともないから、ここはジェニィちゃんから、猫の、あの「モミモミ」しぐさについて、猫になってしまったピータ君とともに、教えてもらおう。
 
>>>>『ジェニィ』ポール・ギャリコ/古沢安二郎訳 新潮文庫 より引用
・・・

またあるときピーターは尋ねるのであったーー「ジェニィ、なぜ君は自分が気にいったときとか、楽しい時とか、気が落ちついたときとかに、爪をあんなふうに出したり、引っ込めたりするの?前にもいつか家にいたとき、つまりぼくたちがあの倉庫で暮らしていたとき、君がまるで寝床でもこさえているように、しきりに手を挙げたり、下げたりしているのに気がついたことがあるんだが。ぼくはそんなことはしないね。もっとも、楽しいときはのどを鳴らすけれど・・・」
 ピーターが質問したとき、ジェニィは昇降口のキャンバスのカバーの上に横向きに寝ていたが、やおら顔を上げ、ピータに実に優しい視線を投げてから返事したーー「わかるわ、ピーター。そのこともまた、たとえ姿かたちが猫のようでも、あんたは本当は人間であり、おそらくいつまでもそうだろうと、ということをあたしに教えてくれることの一つなの。でもたぶんあんたにその説明はしてあげられると思うわ。ねえ、ピーター、あたしに何か優しいことを言ってよ」
 そう言われてピーターに考えつくことのできたのは、こういうことばしかなかったーー「おお、ジェニィ、ぼく何から何まで、すっかり猫になれたらいいのに、と思うよーーそうすればもっと君に似てくるかもしらんから・・・」

 ジェニィの顔にいつの間にか、世にも幸福そうな微笑がひろがった。そしてのどをごろごろ鳴らしながら、彼女の白い手は動き出し、まるでパン粉でもこねているように、爪が出たり、はいったりした。
「わかったでしょう?」とジェニィは言う、「楽しいと思うことに関係があるのよ。その原因はあたしたちが子猫で、母猫に乳を飲まされていたころにさかのぼるの。あたしたちははじめのうち、目さえ見えず、ただ触るだけなの。だってはじめて生まれたとき、あたしたちは盲で、目の開くのは数週間経ってからなんですもの。でもあたしたちは触りながら母親の胸に近づき、乳を捜すために、自分たちの体を母親のやわらかい、優しい匂いのする毛の中に埋めてしまうの。そうしているとき、あたしたちは手をそっと上下に動かして、ほしくてたまらない乳がたっぷり出るように手伝うの。たっぷり出ると、あたしたちはのどの奥で、乳が暖かく申し分ないことを感じるの。乳はあたしたちの餓えも渇きもとめてくれるし、あたしたちの心配も欲求もなだめてくれるの。ねえ、ピーター、あたしたちはその瞬間、何とも言えないほど嬉しくて満足なの。とても安心だし、穏やかな気持ちにはなるし、それに・・・そうだわ、まったく仕合せなの。あたしたちは母親といっしょのその瞬間を、決して忘れないの。その気持ちが、それからの先の生涯のあいだ、心に残っているのよ。そしてあとで、大人になってからも長いあいだ、何かのことであたしたちがとても仕合せな気持ちになると、幼いころの、はじめて本当に仕合せだったころを思い出して、あたしたちの手も、足も、爪も、自然にそのころとおなじように、出たりはいったりするのよ。そのことについて説明できることはそれだけ」

ピーターはその話が終わると、しばらく激しい身づくろいをする必要が、自分にあることに気づいた。それがすむと、ジェニィの横たわっているそばに近寄って、彼女の顔の身づくろいをしてやり、やわらかいあごの下と、鼻口部の横に沿ったあたりを、五、六度愛撫してやった。そのことがことばよりもっと多くのことを伝えたはずである。ジェニィは優しくのどをならした。そして彼女の爪はいつもよりせわしなく、出たりはいったりしながら、昇降口のキャンバスのカバーをこねくり回していた。

<<<

ウチの猫。たすけちゃんは、やわらかい毛布などのうえではよく「もみもみ」をしている。玄関前でミャーミャー鳴いていた迷子としてぼくが拾ったのは3ヶ月ぐらいのわんぱく盛りだったから、それまでに十分母親に甘えて育ったのだろう。凛とした性格で抱っこなど嫌いであったが歳とともに膝の上もお気に入りになってきた。かたやハクちゃんは全くモミモミ仕草はしない。交通事故にあい命を落としたノラの母親のそばで鳴いていたらしいのが生後数週間体重500グラム、甘える時間もなかったのだろう・・・きょうは、大雪のあと。車3台を掘り出す(!)のにクタクタとなり、カメラは手元狂って妙なフィルターがかかって白茶のハクちゃんは三毛猫に変身してしまった。ふだんは、女主人にベタベタしている。

 

    

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猫語の教科書

2014-02-01 23:25:13 | ねこちゃん
猫語の教科書 (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房

 

< 猫はいいなあ、ごろごろ寝ていられて・・・>朝日新聞の「再読」ーこんなとき こんな本ー 欄に「猫語の教科書 ポール・ギャリコ 灰島かり 訳 スザンヌ・サース写真」の紹介が出ていた。「猫がいかにして愛嬌を振りまき人間を手玉に取っているのか」・・・お正月松の内の頃の記事、あらもう二月かあ。

ポール・ギャリコは、この本の編集者なのでしょうか? ではほんとうの著者はだれでしょう、だれかしら!? 友人の家の玄関前にぶあついタイプ原稿が置いてあってそれがギャリコのところに持ち込まれたという。どうも、写真家ご夫妻のレイ・ショア家にいる猫、ツィツァCicaちゃんが書いたようなのだが、真相はよくわからない。だけど奥様のスザンヌ・サースの撮った写真にしっかりとタイプライターを打っている彼女が写っているから、やはり著作者はツィツァちゃんなのだろうね!?じょうずな話し方は「声を出さないニャーオ」なんだって。ともかくまずはギャリコさんの「編集者の前書き」を拾い読みすれば、

>>>・・・原稿をパラリとながめてみたが、そこでもっと驚く羽目になった。・・・見たこともない暗号かというシロモノだったのだ。

“£YE SUK@NT MUWOQ 
Q Nab8al Dir Kottebs Dra7D abd J1/4nl4dd ca6sB7

When I wad z vety ypung kotteb 9 jad tje mosfortine ti lise mt motjer abd fymd mys4lf akone 9n tje worlf zt tje aye if s9x w44ks. ・・・ ”

・・・私は暗号に興味があり、戦時中には暗号解読にたずさわった経験もある。・・・私は今までに見たどんな型の暗号とも違っていることがわかった。文字と記号がいりまじっているものは解読に手間がかかる。・・・ところが、数ヶ月に、もう一度この暗号を手にしたとき、信じられないことがおきた。最初の文章がすらすら読めたのだ。
・・・タイプライターの一つの文字のまわりを、文字も記号もおかまいなしに叩いたと見える。・・・動物の前足がタイプのキーを叩いたとしたらどうだろう。そうだそれに違いない。aを打とうとしても、前足はあのまわりのqやwやsのキーにも触れてしまうため、どうしてもそのうちのどれかがプリントされてしまうのだ。・・・

題名にあるとおり素晴らしく頭の良い猫が書いたらしい。・・・解読して行った。結果はこんなぐあいだ・・・

猫語の教科書
子猫、のら猫、捨て猫たちに覚えてほしいこと
    XXX著

「まだほんの子猫のとき、母を亡くすという不幸にあって、私は生後六週間で、この世にたったひとり放り出されてしまいました。でも、そこで悲嘆にくれたわけではありません。だって私は頭もいいし、顔だって悪くはないし、気力にあふれ、自信もあったんですもの。それに母は、あの晩悲しい交通事故にあうまえに、たった数週間とはいえ、役に立つことをいろいろと教えておいてくれたのです。」

>>>この本の、「*著者(?)紹介*」より
ポール・ギャリコ Paul Galico  1889年ニューヨークに生まれる。スポーツ・ライターを経て作家へ。ストーリーテラーとして稀にみる才能を持ち、その作品はすでに古典となっているものも多い。代表作に『ポセイドン・アドベンチャー』『雪のひとひら』『ハリスおばさんパリへ行く」など。また、無類の猫好きとしても知られ、猫を主人公とした小説『ジェニィ』、『トマシーナ』は世界中の猫好きから愛されている。1976年、モナコにて没。

=====

ひとむかし前イグ・ノーベル賞を受賞した犬語翻訳機「バウリンガル」の二匹目のドジョウを狙った(?)「ミャウリンガル」という猫語翻訳機は、電池切れのあと埃をかぶったまま。それは余談として、この本によってとうとう猫の思惑はひととおりわかったつもりとなった。次は『ジェニィ』か、これもタイヘンな小説だなあ。猫好きだった少年ピーター君は、交通事故にあい目覚めれば白い猫に変身してしまっていた!どころか、ノラちゃんになってしまう。すんでのところでやさしい雌猫ジェニーに助けられ・・・猫になってのはじめての食事はネズミ・・・ジェニーから猫としての生き方を学び、そして・・・という物語。ついでに『トマシーナ』『スノーグース』『シャボン玉ピストル大騒動』まで手に入れたがまだツンドク。

さてうちのネコたち、たすけ君の日本語の理解度と会話能力には驚くことも多々。ハクちゃんのほうはマタタビでラリっているの大好きなため分っているのかあやしい。だが境遇とすれば、ツィツァちゃんと全く同じなのだ・・・

  

 

Silent Miaow
クリエーター情報なし
Three Rivers Press
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クルちゃん ー 百鬼園先生

2012-03-04 21:28:10 | ねこちゃん
ノラや (中公文庫)
内田百﨤
中央公論新社

 ノラちゃんは帰って来ない、どこでどうしてるものやら、百鬼園先生は彼を思うたび泣いてばかりいる。「ノラや」の後半はそれがえんえんとつづく。いなくなったのが麹町だから半蔵門から皇居に入り込み正五位を与えられ女官たちに可愛がられた、という可能性もなくはない!?

ノラちゃん失踪の数ヶ月後、子猫が迷い込む。これがクルちゃん。尻尾があれだからジャパニーズ・ボブテイルか。布団にまで潜り込むこの猫も短い一生だがほんとうに可愛がられた。剛胆なようで実に繊細な百鬼園先生、毎晩猫を相手に晩酌しては、なにやらお話しをしているようだ。・・・

うちのたすけは、またガンの手術が要る様だなあ、人でいえばアラカンぐらいの歳。たすけ大丈夫だ。人の話を聞いてぜーんぶわかっているのだ、また病院かあと言ったら、水色のキャリーケージに鼻をつけて、そのあとぷいっと横を向いた・・・(もう切れず、とか・・・あと3ヶ月・・・あら、またきたの。ずっとひざの上にいなさい。2012.3.17)
   

>>>>>>> 以下、「ノラや 内田百﨤 中公文庫 昭和57年3月 1195-690179-4622」収録の『猫の耳の秋風』より、引用 

「クルや。クルや。猫や。お前か。猫か。猫だね。猫だらう。間違ひないね。猫ではないか。違ふか。狸か。むじなか。まみか。あなぐまか。そんな顔して、何を考へてる。これこれ、お膳の上を見るんぢやないよ。見たつてそれはジュンサイだ。酢がかかつてゐるよ。こつちは七味とんがらし。猫の食べる物ではない。猫には向かない。向いたつてここではやらないからおんなしだが、そもそもお前はたしなみが足りない様だ。その低い貧弱な鼻を動かして、そら、鼻が少しづつ動いてゐるぢやないか。よくそんなぺちやんこな鼻が動かせるものだね。小さな穴を片方づつ、ひろげたりつぼめたりするのか。成る程さうすれば穴のまはりが伸縮して、鼻が動いてゐる様な効果を現はす。それによつてお前はお膳の上の物に興味があると云ふ事を示す。それがいかんのだ。お前はお行儀が悪い。ノラはそんな事をしなかつた。第一、お膳のそばへは来なかつた。お前はノラが帰つて来なくなつてから、うちの中へ上がり込んで、お前の思つた通り勝手に振る舞つてゐる。お前はお前でそれは構はないけれど、ノラが今に帰つて来たら、仲よくするんだよ。喧嘩なぞしたら承知しないから。それまではさうやつて威張つてゐなさい。しかしそんなところでお膳の端からいつ迄もジュンサイのお皿を眺めてゐないで、お銚子のお代わりぐらゐには起つたらどうだ。もうこつちは空いてゐるんだ。猫の手も借りたいと云ふのは今だぜ。クルや」
ニヤア
「猫の様な声をするな」
ニヤア
「さては矢つ張り猫だな」
ニヤア
「猫にしても男のくせにニヤアスウ云ふのではない」
ニヤア

「何だ。何を云つてゐるのだ。お前の云ふ事は言語不明晰でよく解らん」
秋になつてから、家内が病気して入院した。後に残りし猫と私は、よそのをばさんや奥さんやお母ちやんが入り代りやつて来て家の事をしてくれるお陰で日日の明け暮れを過ごしてゐるが、病院の事は心配だし、身辺は淋しい。入院当日の夜は猫が私の寝床に這入つて来て、一晩ぢゆうかじりついて離れなかつた。幸ひに経過が良く、退院の日を待つばかりになつてからは、猫を相手に一盞を傾けるお酒の味もよくなつた。


「こらクルツ、お前は夕方もつと早く帰つて来なければいかん。心配するぢやないか。高歩きをしてゐる内に雨が降り出して道がわからなくなり、ノラの様に家へ戻れなくなつたらどうするのだ。一体お前は毎日出歩いてどこをほつついてゐるのだ。身体に虱菜の実を食つつけて来るところを見ると、番町学校の前の空き地の草原を馳け廻ついてゐるのか、あすこにはよく死んだ猫が捨ててあるから、あんな所をうろつくのはよしなさい。こつちの禁客寺のお庭の方から屏の下をくぐつて向うへ行くと、靴屋には権兵衛猫がゐるよ。権兵衛はノラとは大の仲好しだつたが、お前とは仲が悪い様だね。顔を合はせたらその儘には済まされない喧嘩相手なのだらう。お前がひどい怪我をして帰つて来る時はいつも権兵衛と取つ組み合つて、ふんづもぐれつやつて来るのだらう。いつぞやお前の口のまはりに何だか黒い物がついてゐると思つたら猫の毛のかたまりだつた。権兵衛は藤猫だから、その毛を食い千切つて、むしり取つてきたのだ。どつちが強いのか知らないが、喧嘩をするなら負けるな。しかし喧嘩には勝つてもお前が怪我をして帰るのは困る。成る可くそつちの方へ行かない方がいいよ。わかつたかい。わからないのか。わかつたのでも、わからないのでもないか。そんな所らしいな。仕様がないな。こん畜生」

入院中の手伝ひに来てくれるをばさんの家にも猫がゐるさうで、その話しに、猫に畜生と云ふと、何とも云へないいやな顔をしますよと云つた。クルツがいやな顔をした様ではないが、こつちの話しは聞いてゐるらしい。片方の耳の喇叭を少しづつ働かして、人の顔を見てゐる。内側に毛の生えた喇叭の耳は、今では一匹前に大きくなつて、ぴんと撥ねてゐるが、ノラが出て行つた後へ間もなく這入り込んで来た当初のクルツの耳は、小さくて貧弱で、親指の一節ぐらゐしかなかつた。篦で額の上を二タ所ぴつぴつと撥ねた跡が耳になつてゐると云ふ感じであつた。つまり彼はまだ一匹前に育つてゐなかつたので、大体ノラよりは七八ヶ月後から生まれたのだらうと思はれる。

ノラは隣家の縁の下で生まれたのだらう。少し大きくなつてから、隣との境の屏の上で親猫と日向ぼつこをしたり、じやれついたりしてゐるのをよく見掛けたが、その内に私の家で可愛がり出したのを見届けて、親猫はそれではこの子の事はよろしくお願ひ申しますと挨拶した様に私共に思はせて、どこかへ行つてしまつた。そのノラが去年の3月27日に出て行つたきり、こんなに長く帰つて来なければ、挨拶を受けた親猫にも申し訳がない様な気がする。
クルツは、クルツと云ふ名は、ノラの尻尾は封筒ぐらゐの長さがあつたのだが、クルツのは、短かく、おまけに小さなお椀の蓋の様に円くて平つたい。短かいから独逸語でクルツと名づけた。呼びいい様にクルとも云ふ。尻尾は長短著しく違ふけれど、前から見た毛並みや顔の感じはノラそつくりである。ノラの事を気に掛けてくれてゐるよその人は、クルツがゐるのを見て、おやノラちやんが帰りましたかと云ふ。私自身がノラの失踪の当初、屏を伝つてこつちへ来るクルツを見て、何度ノラが帰つて来たと思つたかわからない。




ノラの素性は大体わかつてゐるが、その後へ這入つて来たクルツは丸でわからない。私の家にかうして落ちつく迄、どこで育つたのか、どう云ふ家の飼ひ猫だつたのか、見当もつかない。野良猫で育つたのではない事は手許に飼つて見てすぐわかる。どこかの飼ひ猫が何かのはずみで自分の家に帰る道を失ひ、私の所に落ちついてしまつたのだらう。さうするとノラもどこかで同じ様な境遇になつてゐるに違ひないと、つい又そつちの方を思ひ出す。

クルツはくたびれたと見えて、お膳のわきで大変大袈裟な伸びをした。それから欠伸をした。
「これこれ、クルや。お前、それは即ち失礼と云ふものだぜ。こちらはまだお膳の上が峠を越さないのだ。そら、木戸の音がした。そうら、そら、お待ち遠様と云つた。全くお待ち遠様で、大概四五十分、どうかすれば一時間待たされる。お前なぞ待つてゐられるかい。をばさんがここへ運んで来るのを、お前も行つて手伝ひなさい。泰然として動こうとしないね。その癖、鼻をひくひくさせ出したぢやないか。いいにほひがするかい。蒲焼だよ、鰻だよ。うまいんだぜ。後で、あつちで、お前の皿で少し戴くか。お行儀をよくすればやつてもいいが、猫に蒲焼と云ふ語呂はあまり聞き慣れない様だな。クルや、蒲焼は高いのだよ。高いからうまいのだ。おさつやいわしも高ければもつとうまいだらう。安いからおろそかにされるのだ。もつと高くなつて、高くて食べられない程高くなれば、食べたらきつとうまいだらうと想像する事が出来る。わかつたかい。わからないかい。どつちにしてもおんなじ事だね。一体お前はさうやつて、伸びをした後もまたぢつと座つてゐて、矢つ張りお膳のおつき合ひをしてゐるのか。ここを離れるのが淋しいのか」


手を出して撫でてやらうとすると、頭を少し下げてその手に擦りつける様にする。手の平に当たつた片方の耳の端が割れてゐて、割れた儘になほつて毛が生えてゐる。いつぞやの藤猫権兵衛との出会ひの時、権兵衛に裂かれた疵痕である。その時の喧嘩ではクルツの方が分がよかつた様で、戦場がうちの庭だつた所為もあつたのだらう、門の内側のあたりで大変な声がしてゐると思つたら、お勝手口の前を権兵衛が矢の様に走り抜けた。すぐその後からクルツが追つ掛け、追ひついて石炭箱の上で又取つ組み合ひを始めたらしい。その声と物音でいつもの通り家内がお勝手から馳け降り、物干の三叉の棒でクルツの味方をした。
背中のあたりを叩かれた権兵衛が逃げて行つた後、クルツは家内に抱かれて、ふうふう云ひながら廊下の自分の座布団の上に帰つて来た。全身方方に傷をして血だらけである。家内がリヴノール液で疵口を洗つて消毒し、その後へクロロマイセチン軟膏を塗つた。クルツはおとなしく手当を受けて、済んだらそこへ寝たが、今迄にも怪我をして帰つた事は何度もあるけれど、今日はその程度が大分ひどいらしく、見てゐてもこちらが息苦しくなる程猫の呼吸が早い。ほつておいていいか知らと心配になつて来た。特に額の真向の骨に達する傷が気に掛かる。

初夏の夕方の暗くなりかけた時間であつたが、獣医に診て貰ふ必要があると判断した。心当たりを問ひ合わせ、さう遠くない所にある犬猫診療所へ電話をかけて往診を頼んだ。処置を受ける都合からも、費用の点からも連れて行つた方がいいにきまつてゐるが、全身傷だらけの猫を家の外に連れ出すのは、そんな事に馴れないから今の場合どうしたらいいかわからない。

ところが、ふだん猫のお医者を煩はすなどと云ふ事は考へた事もないので、丸で事情がわからなかつたが、矢つ張り忙しい時は忙しいらしく、当のお医者さんはこれからすぐに出掛けて三鷹へ往診し、そこから鎌倉へ廻らなければならない。お宅へ伺ふのは早くて11時、もつと遅くなるかも知れないと云ふことであつた。夜11時を過ぎてからの猫医の往診は困る。なぜ困るかと云ふに、その時間になれば肝心の私がお酒が廻つてゐて、こちらから頼んで来て貰つた人に会ふ資格なぞなくなつてゐる。又クルツの為に毎晩のその順序を変へたり省略したりしなければならぬ程、事態が切迫してゐるとも思へない。それでは今晩は一晩様子を見て、明日の工合で再めてお願ひしませうと云ふのでその晩来診を乞ふ事は止めた。

幸ひにクルツは一晩で大分らくになつたらしく、翌日はもうその必要もないくらゐ元気になつたから、猫のお医者がうちへ来ると云ふ事件は沙汰止みとなつた。
私の懇意な家が大森にあつて、私の主治医がまたそこの主治医でもある。その家には猫がゐる。或る日主治医の博士が往診されると、その後から猫の主治医が来て、人間のお医者と猫のお医者が鉢合はせをした。
人間担当の主治医の博士は大きな診察鞄を提げ、京浜線の混み合ふ電車の吊り皮にぶら下がつてやつて来る。猫担当の主治医は田園調布の辺りの遠い所から、自動車で、看護婦を連れて乗り込んで来る。世は逆さまと成りにけりの感がない事もない。しかしそんな事を気にしても、それは猫の知つた事ではない。


猫は何も知らないかと思ふ。しかしどうもさうではないらしい節もある。知らないのでなく、知つた事ではないと云ふ起ち場で澄ましてゐるのではないか。知る事は知り、しかもその記憶がある程度持続する例を実際に見た。ついこなひだ、手伝ひに来てゐるよそのをばさんと、そこへ来合はせた若い者が、あぢの干物を焼いて二人で小昼飯を食べてゐた。ちやぶ台の下でクルツが知らん顔をして香箱を造つてゐる。そこへ遅く目をさました私が出て行つて、自分で廊下の雨戸を開けたが、いつも勝手を知らぬお手伝いが雨戸の戸袋の始末にへまばかりやつてゐるのを、御飯中だが一寸起つてここへ来て、ここの所の壷の工合を見ておきなさいと云つた。お膳の前を離れて廊下へ出て来た二人に、ここをかうすれば簡単に開くのだと教へて、それですぐに済んだが、その間にちやぶ台の脚の所にゐた猫が這ひ出し、だれもゐなくなつたお膳の上のあぢに手を出さうとした所を二人に見つかつて、こらと叱られた。クルツは悉く恐縮してすぐに手を引いたさうだが、をばさんがおなかが空いてゐるのだらうと同情して、別の猫の場所に猫の御飯をこしらへて与へた。猫の御飯もあぢである。猫の小あぢは薄味に煮てある。クルツは自分だけ別にそれを食べ終り、うまかつたと見えて口のへりを舐め舐め今度は私のゐる方の部屋に来て、暖炉の前に座り込んだ。

さつきのちやぶ台のあぢの干物からは大分時間が経つてゐる。その間に自分の御飯も食べさして貰つたから、猫のおなかの工合は干物の焼いたのに手を出さうとした時よりは違つてゐる。又その干物事件も手を出さうとした所を叱られた、未遂に終つたのだから私の方ではもう忘れてゐた。
暖炉の所でクルツはらくに身体を伸ばさうとしてゐる。一眠りするつもりらしい。
「御飯を食べて来たのか、クルや」と云ひながら手を伸ばして背中を撫でてやらうとすると、私の手がまだ彼に触れない前に、ただ私の手がそつちへ動いたのを見ただけでクルツはどきんとしたらしく、全身を縮めてぴくんと跳び上がりさうな格好をした。
余程こはかつた様で、そのぎよつとした様子はさつきの干物の一件が彼の記憶にまだありありと残つてゐるのを示す様であつた。それを見て、クルは利口だと思つた。

ノラは利口な猫であつたが、クルも劣らず利口である。
「クルや、お前は利口だね。猫と雖も利口な方がいいよ。人間には利口でないのがゐるんだよ。知つてるかい。知らないかい。どつちでもいいね。利口だと思つてゐて、利口でないのもゐるしね。これ、なぜ人の顔を見る。そんな目をして、人をしけじけと見るものではない。何を考へてゐるのだ。お前の表情は昼でも晩でも、いつ見ても曖昧だ。もつと、はつきりしろ」
ニャア
「ニャアと云つたな。小さな声で。何だ。何だと云ふのだ。わからんぢやないか。これクルや、こつちはもう空いたんだよ。をばさんにもう一本つけて貰つて来な。心配するな。そろそろもうお仕舞だ。しかしその後が、それからあとが長いのだよ。その間が楽しみなのだ。わからんかい。おや、雨が降つて来た。雨の音がするだらう。耳を動かしたな。聞こえるだらう。トタン屋根の音だよ。クルや、雨が降ると淋しいね。病院にも雨が降つて行くだらう。クルや、お前は病院と云ふものを知らないね。長い廊下があつて、白い著物を著た人が歩いてゐるのだよ。行つて見るか。連れてつてやらうか。しかし途中が駄目だな」

少し頭を下げて、眠たさうな様子である。
「クルや、お前は今夜は随分おとなしいね。話しを聞いてゐるのか、おつき合ひをしてゐるのか。淋しいのか。考へて見ればお前には身寄りと云ふものがないね。お父つちやんおつかさんはどうしたのだ。ゐるかゐないかわからんのだらう。兄弟もゐたのだらう。みんなと別れ別れになつて、うちへ這入つて来て、人間の中に混じつて、人間ばかりをたよりにしてゐる。さう思ふと可哀想だね。猫は寂しがり屋だと云ふが、それは尤もなわけだ。お前は外から帰つて来ると、いつだつて大袈裟な声をして。ニャアニヤア家の者を呼び立てるぢやないか。門からお勝手口へ廻つた時も、庭から廊下の外へ帰つて来た時も、ニャアニヤア云ふから出て見ると、口を尖んがらかして、あれはわめき立ててゐるのだね、ただ今、帰りました、帰つて来たぢやないか、開けてよ早く、と云つてゐるのだらう。手伝ひのよその人が迎へに出ると、軒下の小石の上などに腹ん這ひになつて、小石にしがみついて、抱かさらない様に意地を張るだらう。我儘が過ぎるし、よその人の親切に対しても失礼でもある。かう云ふ非常な時は少しは遠慮するものだよ。どうだ、わかつたか。あれ、あんなに雨の音がし出した。あしたも雨が降つてゐたら、外へは出られないのだよ。いいかい、クルや、わかつたかい」

さう云つて平手でぽんぽんと頭を敲いたら、その拍子に乗つた様な動作でごろりと横にころがり、二本の前足を宙に浮かした中途半端な格好で、鯒の頭の裏の様な白い顎を前に突き出した。いつもする事で、そこを掻けを云つてゐるのがわかつてゐるから、彼が気に入る様に掻いてやつた。しかし必ずしも痒いから掻いてくれと云ふのではないだらう。人に甘えたい時の姿態、猫の気持ちを表はす一つの表情だらうと思ふ。
その儘クルツはちやぶ台の横の空いた座布団の上に寝ころがつて、すつかりくつろいだ顔をしてゐる。
「クルや、お前は猫だから、顔や耳はそれでいいが、足だか手だか知らないけれど、その裏のやはらかさうな豆をこつちに向けると、あんまり猫猫して猫たる事が鼻につく。そつちへ引つ込めて隠しておけ」

二三日前の夜明けの、人間の足首の事を思ひ出した。入院中の留守の家事を手伝つてくれる女連の外に、私自身の身辺を構つてくれる若い者が幾晩か家に泊まつた。私の隣の部屋に寝てゐたが、寝る時は暖かすぎる程暖かくて、夜中から冷え込んだ晩の夜明け近く、私は目をさまして手洗ひに立たうとした。廊下へ出るには彼が寝てゐる隣室の布団の足もとを通る。私が自分の寝床に起きなほつて、そつちの方へ目をやると、彼は夜中に寒くなつて、寝ながら掛布団を無闇に上へ引つ張つたと見えて、足の方は掛布団が切れて敷布団が出てゐる。驚いた事に、その白いシーツの上に足首が一つころがつてゐる。
びつくりして、こはくなつて、そつちへ行く気はしないが、なほよく目を据えて見なほした。間違ひなく足首で、シーツの上に無気味にころがつてゐる。ぢつと見つめたが、まだよく目がさめてはゐない。有り明けにともしてある電気の光も薄暗い。何かを見違へてゐるのだらう。暫らく眺めて、沓下だらうと思つた。沓下を穿いたなり寝て、後でもしやもしやするから脱いで足許へつくねたのだらう。さうだつたのかと思ひ直してもう一度よく見たら、矢つ張り沓下ではない。間違ひなく人間の足首である。
全く気味が悪い。ファウスト伝説に、寝て鼾をかいてゐるファウストを起こさうとして手を引つ張つたら、手が根もとから抜けてしまつた。足を引つ張つたら足が取れたと云ふ話がある。ここに寝てゐる彼が、まさかそんな魔法を使ふ筈もない。クルツがどこかの縁の下から、くはへて帰つたと云ふ事もないだらう。

クルツは夜は外へ出ない。あつちの座敷で寝てゐる。しかしそこにころがつてゐるのは足首に違ひない。どうにも合点が行かない。見たくないけれど、そこばかり見てゐる。

起ち上がって、電気を明るくした。それで私の寝ぼけた目もはつきりした。矢つ張り本物の足であつた。ただ、離れてころがつてゐるのではなく、彼につながつてゐた。彼は沓下を脱いで、ずぼん下は穿いたなりで寝てゐる。その足が引つ張り上げた掛布団の裾から出てゐた。ずぼん下が洗濯屋から帰つたばかりなのか、新らしいのか、真白である。シーツは下ろしたての新品である。白いシーツの上に白いずぼん下が乗つてゐて、こちらの目がよくさめない所へ電気がぼんやりしてゐるから、シーツでずぼん下は帳消しになり、沓下を脱いだ裸の足首だけが目に入つて、無気味な勘違ひをした。
足首の一件はクルの知つた事ではない。縁の下からくはへて来たかと押し詰めて考へたわけでもない。悪く思ふな。ただその足の裏の豆が気になつて、足首を思ひ出したばかりだ。

「おやおや、寝た儘で、脚の先だけで伸びをしたな。器用な真似が出来るものだね。指の間を随分ひろげたぢやないか。もうそろそろおつき合ひに飽きて来たと云ふのだらう。ところがこつちは、さつきから急にいい心持ちだぜ。猫が退屈して、こちらは廻つて来て、食ひ違ひだね、クルや。もう一ぺん起きてお出で。起きて来て、お前も何か食べさして貰へ。をばさんの所へ行つて、ニャと云ひなさい。くれるよ。お前の好きな物は、常食の小あぢの外に、出前の洋食屋が持つて来るコロツケのわきづけのヴインナソーセーヂ、あの揚げた味がお前は好きなのだね。猫は練り物が好きだと云ふ。お前もその例に洩れない様だ。しかしソーセーヂは今晩はないよ。取らないんだもの、ないよ。それから銀紙に包んだ三角なチーズ、あれも好きだね。矢張り練り物だからな。洗濯シャボンを齧る様で面白くもないが、猫の好む所へ容喙する事はない。あれはあつた筈だ。あつちへ行つて貰ひなさい。おやおや、起きて来たね。矢張り人の云ふ事がわかるのかい。しかし、起きた途端に、それ、またその小さな鼻をひくひくさせる。お膳の上をそんなに見てはいかん。あつ、さうか、忘れてたよ。忘れて食べてしまつた。お前に蒲焼を少し残してやる筈だつた。あぶらでずるずるしてゐるから、つい咽喉へ辷り込んだのだ。御免よ、クルや、チーズで我慢しな」

ノラも大体クルツと同じ様な物が好きだつたが、特にいつも取り寄せる握り鮨の中の玉子焼には目がなかつた。家で焼く玉子焼と違ふところは、魚河岸から買つて来る魚のエキスの汁で玉子がといてあるのださうで、猫の口にも別の味がしたのだらう。ノラが帰つて来なくなつてから、ノラがその玉子焼をあんなに喜んでゐたのを思ひ出すのがいやで、鮨屋に何のかかはりもないのに、それ以来鮨を取り寄せるのを止めた。勿論外の店から取る様な事はしなかつた。今度家内が退院して帰つたら、それを機会に、またノラがゐた時の鮨を取らうかと思ふ。但し、玉子焼は抜かせる。そんな事を指図すれば向うでは取り合はせに都合が悪いかも知れないが、先ずさう云ふ事でもともと贔屓の鮨を再び家へ入れる事にしよう。取らなかつた期間は一年八ヶ月である。その間にその店のご主人は他界し、ノラのゐる時、家へ届けて来たノラの馴染みの兄さんが今はお店で握つてゐるのだと云ふ。

クルツもその玉子焼を貰げばよろこぶに違ひない。しかしノラがゐないのに、それをクルツにやる気にはなれない。ノラが帰つて来たら、さうしたら一緒に与へてどちらもよろこばせよう。それ迄玉子焼はお預けにする。
家内の入院と云ふ事件の為に、もう一つ区切りをつけた事がある。ノラの失踪後、熊本在住の未知のひとから教はつた猫が帰つて来るおまじなひを続けて、毎晩お灸を据えて、その数が五百三十五になつたのが入院の前晩である。ノラを待つ気持ちに変りはないが、それを続けてゐられない事情が起こつたのだから止むを得ない。五百三十五回で一先づ打ち切つた。
そんな事をこのクルツはみんな知つてゐるのか、丸で知らないのかわからない。起きなほつてもとの通りお膳のそばに座り、人の顔を見てゐる。お酒がいい工合に廻つたところで、ついノラの事を思ひ出したから、困る。目の裏が熱い。

「ねえ、クルや、困るねえ。よさうねえ。そうら、あんなに雨が降つてゐる。段段ひどくなつて来た。雨が降るのも困るねえ。音がするからいけない。クルや、お前か」
膝の上に抱き上げたら、その儘自分ですわりをよくして落ちついた。辷らない様に片手で支へてやつてゐると、次第に膝が温かくなり、それを感じた拍子についクルの上へ涙が落ちた。
「クルや、何でもないんだよ。そらもうお酒もお仕舞だ。お仕舞にしようね。それで、そもそもお前は猫である。膝の上なる猫はお前か。お前が猫でクルでお前で、まみでむじなで狸ではなかつたか」

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コメント
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ノラや ー 内田百﨤

2012-02-25 22:11:20 | ねこちゃん
ノラや (中公文庫)
内田百﨤
中央公論新社


ノラちゃん、あれからずいぶんになるから、先生と奥様に出会えたよね。また可愛がってもらってね。今晩も玉子焼もらいましたか。もう、はぐれることないからね。・・・もう書けないよ・・・うちの歴代ねこちゃんたちも、みーんな、のらちゃんだった、また会いたいなあ・・・後輩のたすけとハクは、おねんね。

      ねこのいっぱいいるまち まきこ

>>>>>>> 以下、「ノラや 内田百﨤 中公文庫 昭和57年3月 1195-690179-4622」 より引用

 「ノラや」 1

猫のノラがお勝手の廊下の板敷と茶の間の境目に来て座つてゐる。
外は夜更けのしぐれが大雨になり、トタン屋根だから軒を叩く雨の音が騒騒しい。
お膳の上は食べ残したお皿がまだその儘に散らかり、座の廻りはお酒や麦酒の壜で、うつかり起てば躓きさうである。
しかしもう箸をおいたので、後ろの柱に凭れて一服してゐる。
その煙の尾をみてノラは座りなほした。つまり両手にあたる前脚を突いた位置を変へたのである。
ノラは決してお膳には来ない。そのお行儀を心得てゐる。
猫は煙を気にする様である。消えて行く煙の行方をノラは一心に見つめてゐる。彼がもつと子供の時は、家内に抱かれてゐて私の吹かす煙草の煙にちよつかいを出し、両手を伸ばして煙をつかまへようとした。しかし今はもう一匹前の若猫だからそんな幼穉な真似はしない。ぢつと見つめて、消えるまで見届ける。

「こら、ノラ、猫の癖して何を思索するか」
「ニヤア」と返事をしてこつちを向いた。ノラはこの頃返事をする。尤も、どこの猫でも返事をするのかも知れない。私は今まで、子供の時家に猫がゐた事は覚えてゐるが、自分で猫を飼つて見ようと考へた事もなく、猫には何の興味もなかつた。だから猫の習性なぞ何も知らない。ノラと呼べば返事をすると云つても、外の猫にノラと声を掛ければ矢張り返事をするのかも知れないし、ノラに向かつて人間の名前を呼び掛けても同じくニヤアと云ふのかも知れない。さう云ふ実験をやつて見た事がないので、私にはどうなのだか解らない。
ノラはそこの間境に暫らく座つてゐた後、どう云ふきつかけか解らないが、腰を上げて伸びをして、それから人の顔を見ながら口一ぱいの大きな欠伸をして向うへ行つてしまつた。多分風呂場へ這入つて、湯槽の蓋の上にいつもノラの為に敷いてある座布団に上がつて寝たのだらう。

この稿は「彼ハ猫デアル」の続きである。一昨年の初秋、今は取りこはした低い物置小屋の屋根から降りて来た野良猫の子が、私の家で育つて大きくなつたので、私も家内も特に猫が好きだつたから飼つたと云ふわけではない。自然に私の家の猫になつたので、その経緯は右の「彼ハ猫デアル」に詳しい。その稿にもことわつてある通り、ノラと云ふ名前はイプセンの「人形の家」の「ノラ」から取つたのではない。それなら女であるが、うちのノラは雄で野良猫の子だからノラと云ふ。だからノラと云ふその名は世界文学史に丸で関係はない。

うちのノラが降臨した高千穂ノ峰は物置小屋である。そのもとの低い物置を去年の秋に取りこはして、後に新らしい物置が建つた。今度のは大分立派で、しつかりしてゐて、屋根も高い。屋根はペンキ塗りのトタンである。ノラは早速新物置の屋根に上がり、塗り立てのペンキの上を歩いて帰つて来て家内に抱かさつたから、家内の上つ張りはペンキだらけになつた。ノラの足の裏をアルコールやベンジンで拭いたり、上つ張りの始末をしたり、大騒ぎをしてゐた。

私の家には小鳥がゐる。目白二羽と赤ひげで、昼間は飼桶から出して座敷に置く。猫に小鳥は目の毒に違ひない。ノラが子供の時は、廊下から座敷の小鳥籠の方をぢつと見据ゑて、腰を揉む様な格好をした事がある。飛び掛からうとしたのである。叱つて頭をたたいて止めさしたが、さう云ふ事が習慣になつて、ノラは決して畳敷きの上には這入つて来なかつた。うつかり這入つて来ようとすると、私が睨めば止めて、そこへ座り込んでしまふ。猫を睨むにも気合ひがある。学校教師の時、学生を睨んだ目つきでは猫には通用しない。昔、四谷の大横町の小鳥屋に猫がゐて、目白や頬白の籠を置いた間で昼寝をしてゐたのを見た事がある。猫でもしつけをして馴らせば、小鳥に掛からぬ様になる実例を私は見て知つてゐる。

ノラが大分大きくなつて、私と家内と二人きりの無人の家にすつかり溶け込み、小さな家族の一員になつた様である。顔つきや、特に目もとが可愛く、又利口な猫で人の云ふ事をよく聞き分けた。いつも家内の傍にゐるので、家内は可愛がつてしよつちゆう抱いてゐた。わたしがこつちにゐる時、お勝手で何か云ついている様だから、声を掛けて、だれか来てゐるのかと聞くと、ノラと話をしてゐるところだと云ふ。
「いい子だ、いい子だ、ノラちやんは」
少し節をつけてそんな事を云ひながら、お勝手から廊下の方を歩き廻り、間境の襖を開けて、「はい、今日は」と云ひながら猫の顔を私の方へ向ける。ノラは抱かさつた儘、家内の前掛けの上で、先きの少し曲がつた尻尾を揉む様にしたり、尻尾全体で前掛けをぽんぽん叩いたりする。生まれてまだ一年経たない去年の夏、庭へ出るとよそから来た猫と張り合つて、喧嘩する様な声をし出した。しかし大体どの猫にもかなはない様で、さう云ふ声が聞こえると、いつも家内がやり掛けた事を投げ出して加勢に馳けつけた。ノラは私の家の庭から外へ出た事がないらしく、いつもそこいらの門の脇か屏の上で睨み合つてゐるのだから、加勢も役に立つわけである。

私の家には門が二つある。往来に面した門から両隣の間の細長い路地を這入つ所にもう一つの門がある。その門と門との間をつなぐ琨擬土(コンクリート)の通路の半分迄もノラは出て行かない。往来の門まで出て、外を見た事は一度もないだらう。たまに家内が郵便を入れに行つたり近所の用達しに出たりすると、ノラは内門の傍までついて行つて、そこから先きへは行かない。帰つて来ると、そこにちやんと待つてゐたと云ふので、家内は抱き上げて頬ずりしながらお勝手に這入つて来る。

庭から外へ出なくても、庭の屏を隔てた向うの靴屋の藤猫が子供の時からノラと仲好しでいつも遊びに来るから、友達には不自由しなかつたのだらう。その藤猫はノラと前後した頃に生まれた雄で、雄同士でも気が合ふと云ふ相手があるのかも知れない。いつも二匹揃つて,鼻を突き合はせる様にして日向ぼつこしたり、庭石の上にいつまでもならんでしやがんでゐたりする。ノラのお友達だからと云ふので、家内がお皿に牛乳をついで持つて行つてやると、靴屋の雄猫がうまさうに舐めるのを、ノラは傍から眺めてゐて、妨げもしなければ、自分が飲まうともしない。
しかし靴屋の藤猫でない外の猫が庭に来るとノラは怒るらしい。追つ払はうとするのだらうと思ふけれど、その実力はないので仰山な声をするだけで結局は逃げて帰る。
よそから来る猫の中に、一匹すごく強いのがゐて、玉猫でこはい顔をしてゐる。ノラはその猫には丸で歯が立たないらしい。一声二声張り合つてゐる内に、いつでもギヤツと云はされて逃げて来る。


夏の暑い日の昼間、ノラは茶の間の間境の廊下の隅で、壁にもたれる様にして昼寝をしてゐた。突然猫の悲鳴が聞こえて、どたばた大変な物音がするから、驚いて茶の間から私が飛び出して行くと、いつの間にかその玉猫の悪い奴が、暑いので開け放しにしてあつたお勝手の戸口から家の中に這入り込み、いい心持ちに昼寝をしてゐるノラの多分腰のあたりへ噛みついたのだらう。ギヤツと鳴いて跳ね起きたノラを追つ掛け、廊下の突き当たりの洗面所の下で団子の様になつて揉み合つた末、ノラが戸が開いてゐた風呂場の方へ逃げ込むのをまだ追つて二匹とも外へ出てしまつた。
中の間にゐた家内が飛んで来て、ノラの加勢に馳けつけたが、もうそこいらにゐなかつた。廊下や風呂場の簀子に、ノラが引つ掛けたと思はれる苦しまぎれの刹那小便の痕が点点と散らかつてゐる。無心に寝てゐるノラをいぢめた悪い奴に非常に腹を立てたが、家内は一層憤慨して、いつだつてノラをいぢめてゐる挙げ句にこんな事までした。もう勘辯しない。これからは見つけ次第、引つぱたいて、突つついて、追つ払つてやると云つた。
ノラは悪い奴の追跡から逃げのがれて、ぢきに帰つて来た。家内はすぐに抱き上げ、頬ずりしていたはりながら、怪我はしなかつたかと方方調べてゐる。抱いたノラの胸がこんなにどきどきしてゐると云つて可哀想がつた。

家内は悪い奴の声を聞き覚えてゐる。ノラがうちにゐる時でも悪い奴がよその猫を喧嘩する声がすると、出て行つて追つ払ふ。ノラが外に出てゐる時悪い奴の声がしたら、何をしかけてゐても投げ出して、長い物干竿を持ち出し、その現場へ行つて悪い奴を突つつく。ノラはうちの庭から外へ行かないので、大概家内の加勢が功を奏する。いつもさうするので、しまひには家内が出て行つただけで、悪い奴はその姿を見て逃げてしまふ。ノラは自分が強くなつたのかと思つてゐたかも知れない。

ノラは子供の時おなかをこはして、洗面所の前で不始末をした事がある。自分の垂れたべたべたした糞を足拭きの切れの中に包み込んで、と云ふのは砂の上にした時の要領で後脚で切れを蹴つたから包んだ様な事になつたのだらうと思ふけれど、大いに信用を害して後始末をした家内から叱られた。
それから後はふんし箱の砂の中へする事をよく覚え、二度としくじつた事はなかつたが、あんまり覚え過ぎて、しなくてもいい時にもする様になつた。外から帰つて来ると、急いでお勝手の狭い土間に置いてあるふんし箱の砂の中に小便する。うちへ帰つてからしなくても、そとにいくらでもその場所はあるのだから、済まして帰ればいいのに、と家内がこぼす。さつき砂を代へたばかりなのにまた新らしくしなければならない。本当に事の解らない猫だと云ふ。そうして砂だらけの足で上がつて来たお勝手の板場や廊下を帚で掃いてゐる。
外へ出て行く時も同じ事で、砂箱にしやがんでゐると思ふと小便をして、ちやんと砂をかけて、そうした上で庭へ出て行く。庭へ行くなら庭でしたらよさそうなものを、と家内がぶつぶつ云ひながら又砂を代へる。

食べ物は、初めの内は私共の食べ残しを何でも食べてゐたが、一昨年の晩秋、まだ極く子供の時に風を引いて元気がなくなり、何も食べなくなつたので私共が心配した。大磯の吉田さんの所へよばれて行つた時の事なのでよく覚えてゐる。家内が可哀想がつて抱きづめにした。バタと玉子とコンビーフを混ぜて捏ね合はせた物を造つて食べさしたら、なんにも食べなかつたのにそれはよく食べた。それから元気になつた。

ノラはこの世にうまい物があると云ふ事をその時初めて知つたかも知れない。
猫にやる煮魚は薄味の方がいいと云ふ事を聞いて、別に薄味に煮てやる様にしたが、煮たのより生の方がいいと又教はつたので、生の儘やる様にしたら大変よろこんで食べる。猫を飼つた経験がないので、さう云ふ事はよく解らないが、いわしは好きでないらしい。小あぢの筒切りばかり食ふ。ノラは与へた食べ物をお皿の外へ銜へ出す事をしない。辺りをちつともよごさずに、お皿の中だけで綺麗にたべる。
和蘭チーズの古いのがあつたから、細かく削つて御飯に混ぜてやつたら大変気に入つて、いつ迄もそれを続けた。丸い赤玉のチーズが無くなつてしまつたので、新らしいのを買つて、又削つて食べさした。
その内に御飯はあまり食べたがらなくなつた様だから止めて、専ら生の小あぢの筒切と牛乳だけにした。小あぢは大概魚屋にあるけれど、うちへ来る魚屋に小あぢがない日もある。さう云ふ時には近くの市場のいつも薬を取つてゐる薬局に頼んで、同じ市場の中の魚屋から買つて来て貰つたり、近所のアパートから区役所へ通つてゐる未亡人に帰りの通り路の魚屋から買つて来て貰つたりして間に合はせる。
生の小あぢの筒切りのお皿の横に牛乳の壷が置いてある。彼は大概あぢの方を先に食べて、それから後口に牛乳を飲む。一合15円の普通の牛乳では気に入らない。どうかすると横を向いてしまふ。21円のグワンジイ牛乳ならいつもよろこんで飲む。生意気な猫だと云ひながら、ついつい猫の御機嫌を取る。

その他、カステラや牛乳の残りでこしらへたプリンは食べる。ノラの一番好きなのは、いつも取る鮨屋の握りの玉子焼であつて、屋根の様にかぶせてある半ぺらを家内が残しておいて、後で与へる。ノラは私共が何か食べてゐても決してその手許をねだる事はしない。後で与へるまで待つてゐる。こちらが済んで家内がお勝手に出て、流しの前の小さな腰掛に腰を掛け、さあお出でと云ふとよろこんでその膝に両手を掛け、背伸びする様な格好で長い尻尾を突つ立てながら、家内の手から玉子焼を千切つて貰つてうれしそうに食べる。鮨屋の玉子焼は普通に家でつくるのと違ひ、河岸から仕入れて来る魚のエキスの様な物の汁が這入つてゐるのださうであつて、猫の口にはうまひに違ひない。そのよろこぶ様子が見たいので家内はいつでもノラの為に残して置く。
しかし鮨屋が出前の桶を届けて来て、ノラが座つてゐるお勝手の板場に置いても、ノラはそれに手を出した事はない。お勝手の棚にも上がらない。魚屋が届けて来た切り身が棚にあつても、ノラがそれを持つて行つたと云ふ事は一度もない。
つまり食足りて礼節を知つたのだらう。落ち着き払つて、動作がゆつくりしてゐて、万事どうでもよささうな顔をしてゐる。

考へ込むと云ふ事のある筈はないが、一所にぢつと座り、何だか見つめて、学生が語学の単語の暗記をしてゐる様な顔をしてゐる事もある。
家内が手洗ひに立つと必ずついて行つて、戸口の外の廊下に座つて待つ。変に食ひ違つた森蘭丸だと思ふ。出て来れば、さもさも待つてゐたと云ふ風に大袈裟な伸びをして、欠伸をして、後をついて歩く。

家が少人数だから、食べ物の遣り繰りは利かない。猫が食べなければその始末は私共がしなければならない。小あぢを買ひ過ぎて残つたとなると、ノラにさう沢山押しつけても食べるものではないから、結局私共が酢の物にしたり天婦羅にしたりして頂戴する事になる。鮨屋の出前持ちがノラと昵懇なので、これをノラちやんに上げて下さいと云つて、身つきのいいあらを持つて来てくれた。家内が煮て与へたらちつとも食はない。しかし大変いいあらなので勿体ないから、もう一度人間の口に合ふ様な味に煮なほして、私と家内でしやぶつた。

私は去年の内に二度、春と秋に九州へ行つた。そのどつちの時であつたか、又行きか帰りかもはつきりしないが、多分帰り途だつたと思ふ、糸崎か尾ノ道かの辺りで寝台でよく眠られなくてうとうとしてゐた。夢ではなく、ぼんやりした頭でそんな事を考へたうつつだつたかも知れない。通過駅の駅の本屋の右手に物置か便所かわからないが小さな建物があつて、そこの小さな、半紙判ぐらゐな硝子窓にノラの顔が写つてゐる。
非常に心配になつて目が冴えてしまつた。留守の間にノラがどうかしたのではないかと案じながら東京に帰って、東京に着いたらすぐにステーションホテルに寄る事にしてゐたので、クロークの電話で家へ今帰つた事を伝へ、同時にノラはどうしてゐるかと尋ねたら無事で元気だと云ふので安心した。
家へ帰つて行くと、ノラは私を何日振りかに見て、ニヤアニヤアと幾声も続けて鳴いた。
元気でふとつてゐて何も心配する事はなかつた。段段に大きくなり、おとなになつた。家の中にゐればのそりのそりしてゐるけれど、庭へ出るとあつちこつちを非常な早さで馳け廻り、その勢ひで一気に梅の木の幹を攀じ登つたりする。運動は不足してゐないだらう。さうして次ぎ次ぎにうまい物の味を覚え、贅沢になつて猫の我儘を通してゐる。目に見えて毛の光沢がよくなり、目が綺麗になり、目方は掛けては見ないけれど一貫目以上、後には一貫二、三百匁はあると思はれる様になつた。


さうして去年の秋に生まれて初めての交尾期に入つた。つまり、さかりがついたのである。家の中にゐても業業しく騒いで外に出たがる。家には猫専用に出入口がないので、それを造ればよその猫が這入つて来る恐れがあり、這入つて来ればノラと違つて小鳥に掛かるかも知れないから造らなかつたが、その為にノラの出這入には一一こちらで戸を開けたり閉めたりしなければならない。出たい時は出たい様にせがむ。帰つて来ればお勝手の戸をからだで押す様にして、軽くどんどん音をさせる。同時にニヤアと云ふ。開け方が遅いと、這入る時にニヤオと鳴いて遅いぢやないかと云ふらしい。夜になつて帰つて来る時は、よく書斎の窓の障子の外に攀じ登つて、書斎の次の中の間で机に向かつている私に声を掛ける。ニヤアニヤアと云ふから起つて行つて、障子を開けるとそこに待つてゐる。しかしそこから座敷を通つてお勝手に行く事はしない。
「ノラや、帰つて来たのか。あつちへお廻り」と云つて障子を閉め、お勝手の戸を開けに行く間に彼は縁の下を斜めに走つて、もうお勝手口へ来てゐる。
仕事をしてゐる時、何遍起たされたか解らない。書斎の窓に上がるのは、庭から帰つて来る時だらうと思ふ。


初めてのさかりがついた時は、その出這入りが頻繁で、猫のサアスに起つたり座つたりしなければならなかつた。
そんな時でもノラは仲好しの靴屋の藤猫と一緒に行動してゐる。良く喧嘩をしないものだと思ふけれど、一匹の雌猫を挟む様に座り込んで、両方ともいい気持ちらしい。
一寸でも手を出さうとすると雌が怒つて大変な声をする。「何をするのさ、このいけすかない青二才だよ」と云つて引つ掻く。ノラは鼻の先を引つ掻かれて帰つて来て家内に何か薬で手当をして貰つた。


その時のさかりでは、ノラは恐らく得る所はなかつたのだらうと思ふ。それから寒い冬になり、ノラは家の中にゐる事が多くなつた。暖炉があるのでお勝手や廊下でもあまり寒くないし、又風呂場の湯槽の蓋の上には、いつもノラが寝る座布団が敷いてある。中のお湯のぬくもりでその座布団はいつでもほかほかと温い。その座布団にノラが寝てゐる上から、家内が風呂敷の切れの様な物を持つて行つて、掛け布団の様に掛けてやり、首だけ出してすっぽり包む。ノラはその儘の姿で寝入つて、下の座布団と上の風呂敷の間から、両耳をぴんと立てて真面目な顔をしてゐるのが可笑しい。私が湯殿に掛かつている手拭で手を拭く為に戸を開けると、眠つてゐるノラが薄目になつて半分目をさまし、眠たさうな声でニヤアと云つて私の気配に挨拶する。或はくるりと上半身だけ仰向けになる格好をして、顎を上に向けて、そこを掻いてくれと云ふ風をする。

そのつもりで戸を開けたのではないが、向うがそんな格好をすれば、つい簀子を踏んでノラの横へ行き、寝てゐる頭を撫で、首筋から背中をさすつてやりたくなる。
さすりながら顔を寄せて、
「ノラや、ノラや、ノラや」と云ふ。別に寝てゐる猫を呼んで起こさうと云ふつもりではない。もとの低い物置小屋の屋根から降りて来た野良猫の子のあんなに小さかつたノラが、うちで育つてこんなになつてゐる、それが可愛くて堪らない。「ノラや、ノラや、ノラや」と云つて又さすつてやる。

お正月を過ぎて2月初めの節分前後になると、又猫のさかりが始まつたらしい。庭の向うや屏の上で、よその猫が変な声をし出した。すでに一度目のさかりを経験してゐるノラは、家の中や風呂蓋の上にばかり落ちついてはゐられなくなつたらしい。
外には身を切る様な冷たい風が吹いてゐる時、ノラがお勝手口の出口の土間に降りて、ニヤアニヤア云つて出て行かうとする。
「お前行くのか、この寒いのに」と云つて家内はノラを抱き上げ、目糞がついてゐると云つて硼酸で目を拭いてやつてから、戸を開けて外へ出した。
中中帰つて来ない事もあり、すぐ帰る事もある。帰つて来ると家内はノラの足を濡れた雑巾で拭く。いつもさうするからノラも馴れていやがらない。小あを食べ、牛乳を飲んですぐに風呂場の湯槽の上に上がる事もあるし、家内に抱かれて合点の行かぬ顔をしてゐる事もある。
「いい子だ、いい子だ、ノラちやんは」家内が抱いたままお勝手から廊下を歩き廻る。顔を近づけると頬つぺたを舐める。或は抱いてゐる家内の手頚を軽く噛む。そこへ私が顔を寄せると、ざらざらした舌で私の頬つぺたまで舐める。

私の所は何年も前から、夕方暗くなると門を閉めてしまふ。閉まつてゐても門を敲いたり、門をこじたりする客が時時ある。今年の2月初め、節分の前日にその門柱に瀬戸物の標札を打ちつけた。
   春夏秋冬 日没閉門 爾後ハ急用ノ外オ敲キ下サイマセヌ様ニ
と書いた。しまひの所を、猫ノ外ハオ敲キ下サイマセヌ様ニとようかと思つたが止めた。ノラは夜になつてからでも出這入するけれど、門を敲いたり、こじたりする必要はない。書斎の窓に上がって私を呼び出してもいいし、門から帰るなら門を攀じ登つて、郵便受けの箱の上から屏に上がり、その上を伝つて洗面所の前の木戸の所で、家の者が気配がすればそこでニヤアニヤア云つてもいいし、いつでもお勝手口へ廻つて、からだで軽く戸を押してもいい。いつでもすぐに開けて貰へる。

冷たい風が寒雨を吹きつけた晩、ノラは家内が「およしよ」と云ふのを聞かずに出て行つた事がある。中中帰つて来ない。12時過ぎても1時になつても帰つて来ない。まだ帰らぬかロ思つてお勝手の戸を開けてみると、肌が凍る様な雨風が吹き込んだ。
その晩は、私はいつもの通り遅くまで夜更しをしてゐたが、到頭帰つて来なかつた。一晩ぢゆう帰らなかつたのはその時が初めてである。
しかし朝になつて、お勝手に家内の気配がしたら、すぐに帰つて来た。どこにゐたのだらうと家内を話し合つたがわからない。雨がひどかつたので、うちの廂の隅か縁の下にでもひそんでゐたかも知れない。いくら寒くても、その時はさうしなければならない猫の必要があつたのだらう。

 

2.

(昭和32年)
3月27日水曜日

快晴朝氷張るストーヴをつける。午後3時起4時前離床。昨夜は夜半2時過ぎに寝て今朝方6時から9時迄寝られなかつたが、その後に熟睡してこんなに遅くなつた。

 

3月28日木曜日

半晴半曇夕ストーヴをつける。夕方から雨となり夜は大雨。
ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつた事はあるが、翌朝は戻つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない。その方へ気を向ける事が出来ない。それよりもこんなに泣いては身体にさはると思ふ。午前4時まで待つた。帰つて来たら「ノラや、帰つたのか、お前どこへ行つてたのだい」と云ひたいが、夜に入つて雨がひどくなり、夜更けと共に庭石やお勝手口の踏み石から繁吹きを上げる豪雨になつて、猫の歩く道は流れる様に濡れてしまつた。

 

3月29日金曜日

快晴夕 ストーヴをたく。朝になつてもお天気になつても、ノラは帰って来ない。ノラの事で頭が一ぱいで、今日の順序をどうしていいか解らない。夕方暗くなり掛かつても帰つて来ない。何事も、座辺の片づけも手につかない。夜半3時まで、書斎の雨戸も開けた儘にして、窓の障子に射す猫の影を待つてゐたけれどもノラは帰らなかつた。寝るまで耳を澄ましてノラの声を待つたがそれも空し。
一昨日27日にノラが出て行つた時の事を更めて家内から聞いた。
私はその日は午後3時頃まで眠つてゐたが、私が寝てゐる間に、お午頃は家内はお勝手でノラを抱いてゐたさうである。その時ノラは昨夜から残してあつた握り鮨の屋根の玉子焼を貰つて食べた。一たん風呂場へ這入つて寝て、暫らくすると、2時頃家内が新座敷でつくろひ物をしてゐる所へ来て、板敷から片脚を畳の上へ出し、滅多にした事がない程畳の上へ伸ばして、家内の顔を見ながら大きな声でニヤアを云つた。
「行くのか」と云つて家内が起ち上がらうとすると、先に立つてもう出口の土間に降りて待つてゐる。家内は戸を開けてやる前に土間からノラを抱き上げ、抱いた儘で戸を開けて外へ出たが、物干場の方へ行くのかと思つたからそつちへ一足二足行くとノラは後ろの方を見て、反対の方へ行きたがる様だから抱いた儘そつちへ行き、洗面所の前の木戸の所からノラがいつも伝ふ屏の上に乗せてやらうとしたら、ノラはもどかしがつて、家内の手をすり抜けて下へ降りた。さうして垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて向うへ行つてしまつたのだと云ふ。

・・・・・・ ・・・・・・

以下、略 

 

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ハムちゃん

2011-12-03 18:33:25 | ねこちゃん

このところ追いかけていたビクトリア女王さまの旦那様アルバート殿下は、緩むなをモットーに心身をすり減らす一生懸命さ、長男の教育にも万全で臨んだようだ。5歳の頃のAlbert Edward, Prince of Walesは、聡明そうなかわいい少年。だが・・・。うちのPoW (PoR?) も似たようなものだ。何をしているか思えば自室でハムスターを飼っていたのであった。きのう彼の不在の間そっと覗けばなんと2匹もいるではないか!雄同士だと喧嘩、雄雌だとすぐ出来てしまうらしい、それぞれ仮設?住居が別だったから雄同士なのかね?まあ、性別も名前も存じ上げないため、オヤジはここでは左側をビクトリアちゃん、右側をアルバート君と勝手に呼ぶことにした。

   

おうおう、ビクトリアちゃん、手を伸ばせば上に乗ってきて、思わず右クリックしたくなる感じ。まあ、WIN用ミニ・マウスだね、こりゃ。かたやアルバート君は、えさ食べたり水飲んだり,回る車で駆け足したりと精力的活動でカーソルの動きの忙しいこと。在りし日のやんごとなきご両人をホーフツさせるようなご両匹(?)ではあるまいか。あーあそれにしてもだ、いつもはドアのすぐ向こうではハクちゃんはギャオーンと(パーマストンのように!?)ドラ声で鳴いているはずだし,おまえたちぞっとしないかね?首相と外相に見つかったら危ないなあ!!おなじ屋根の下、それぞれの存在の認知がずっと無いことを祈る。ま、このところ天敵たちは階下でこたつねこになっている時間が長いからいいようなものの・・・


(2F)
====================================

(1F)

 Prime Minister &  Foreign Secretary

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高見の見物

2011-05-21 23:48:18 | ねこちゃん

ボク・たすけ、たいへんだったよ、切腹して、膀胱のポリープをとっちゃったよ。

 いつもはこんな風にお気楽なのだけど、こんなこと何度もなさそう、おやじに記録してもらおう。


GWの前、X線検査、さて・どうされますか? と、なったようだなあ。

ずいぶん前から大好きな花カツオももらえず療法食で節制して血尿もとまったはずだけど・・・
ママからはインフォームド・コンセプトなしで、いきなりだもんね・・・

で、入院中は4日間鳴き(泣き?)っぱなしで、ハクみたいなハスキーヴォイスになってしまった。
麻酔、開腹手術、縫合、点滴、組織検査、抜糸、結果はまだ、良性だろ?、ニンゲン並みなんだ・・・
本日は、美声にやっと戻ってご機嫌も良いから、みせてあげよか、ホラ、こんなだ。
     
おなかの毛、剃られてしまった。もうくっついたみたい、来週抜糸なの?

いい肌色だからピンクの三味線にされちゃ、やだ、はやく縞々の毛、生えてきてよ・・・


高見の見物で、どれどれ・・・と、ハクで~す。


たすけアニイ、なんか事情わかんないけど、先週は家中探してもいないから一応心配したよ。
エリザベス・カラーしなくていいの?舐めたくなんないの?経過もよさそうじゃない、さあて、追いかけっこするか!
パパは血糖値乱高下、血圧も高どまりで血管広げる薬まで追加されたみたい、ママはコーネンキで気分ハイ/ロー、おにいちゃんはアトピーひどそう、おねえちゃんは課題の彫刻にコンつめすぎて、これまたアトピーだって、このいえビョーニンばっかじゃん・・・

主人公、ボヤっとしてるからだよ・・・またまた飼い犬に手をかまれたって?
ま、どっちもバカかよ・・・狂犬病予防接種で、びっくりしてガブッときたんだって。
注射直後だからキョーケンビョーはダイジョーブだろうけど!?
毎年のことなのにゲンちゃんもコワガリすぎだぜ・・・タマ抜きしても、噛み癖、直んなかったようだね~、ざんねんでした。


こうなるとボクなんか、ダイニングの下でウンチするぐらいで、カワユイもんだろ、どうだ!・・・

 (天の声:ばかネコ Snow Cat め、毎日えらい手間だ、やってらんないよ。デカイ地震くれば開いた窓から脱走するし・・・ねこの避難所生活なんてないんだぜ・・・ここは、Safari だ!  俺様は五黄の寅、IMAC-G5 Tigerだ! セーフM経由奇跡の復活いま立上がったばかりなのだ!おっと、ご主人ともども、またまたおかしくなって来たぜ、もうトラじゃダメか、これじゃ早くヒョウに化けないとヤバイかな。

P. S.    VOX POPULI,VOX DEI    追記 28.may.2011 


たすけちゃん(ASH-Mix、雄11歳)、これは、たいへん。リンパには入り込んでなさそうだが、歳も歳だしあまり進まないことを祈る・・・こいつ頭いいから、来週の病院行きは本人(本猫?)に告知したうえで抗がん剤とママは言ってたよ。

>病理組織学的診断 : 移行上皮癌(Transitional cell carcinoma)

いすれの腫瘤でも、膀胱粘膜由来の悪性腫瘍性病変(膀胱癌)が認められました。...一部では粘膜深部方向への浸潤も認められますが、筋層には及んでいません。切除縁粘膜層には癌細胞の増性...局所再発の可能性があります。検索した範囲内での脈管侵襲は見出せません。


IMAC-G5くん (20インチ:1.8GHz PowerPC 推定6歳)、激安なのに業者さんの対応が素早くかつ丁寧じゃないか。見事に回復(本虎も入替ったらしい)だろ。念のためと、TigerからLeopard(この版はご自身本体より高いはず!)に変身させてくれたようだな。わあ~ラッキーだ・・・


ゲンちゃん (しば、雄7歳)、飼い主はどうでもいいけど、ひとさまを噛むとだめよ。で、庭のぐるりはラティスで完全に囲われてしまったようだな。ったく、もう・・・

 

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新にゃんこ和歌集

2010-09-04 00:32:46 | ねこちゃん
われら二匹は、昼寝もすれば歌も詠むネコである。キジトラが「たすけ」、しろいほうは、「ハク」と号する。ついでに出てくる犬が「金獅子号」、だけど「源・げんちゃん」と呼ばれ読み犬知らず歌なのも、なにか、あはれをさそうことではあるまいか。
ご主人が、このところ思いつきで西行法師に歌をならっているやに聞いて、われらも、本歌勝手取り風で詠んでみた。歌合の判詞はできてこないし、百猫一首まで編むのもなんだしで、自選家集をアップすることにした。

 ― やわらかいものは、ついモミモミしてしまう、どんなもんだろうかと丸くなって詠める、
■もみもみや 母とはぐれて 乳恋し とおき記憶に のこるしぐさよ
...これが、もみもみとした詠みぶりというものであろうか・・・

■ここに来て はや十年も  たちにけり まんま食って寝んねしてまたあした
...ぼく、むかしからシルバーだよね、前の句とは比べらんない出来、あたまかいちゃお~
 ― 6年まえの夏、拾われて2週間め。いまでも煩悩はないけどぉ~orz 、わが身のいまの想いを、
□邪念なく ずっと子供で いらりょうか それにつけても タマのほしさよ



■惜しむとて惜しまれぬべきこの子かは 虎之助ちゃん 教授の家へ
...まもなく茶トラは、もらわれていった、あっちは、さぞかし頭よくなったろうな、ハク、この歌、訳してみなさい



■この世をば 昇りつめたる ここちして それよりなにより あったかいもん
...なんでもまねするちび、こちらが一段上なのは、わかってるよネ


□研ぐけれど すぐに伸びけり 我が爪は ダンボールの肌 はりさけるまで 

...爪とぎも、立ちのポーズが好きだなあ、で、ふすまなんかも、

□ガラス越し どうにも獲れぬ 雀だな あっあっと鳴けば しとめた気持ち
...一生に一度ぐらい、本物をゲットしたいものである

■見わたせば 芝も もみじもなかりけり かけまわる柴 あいつのせいだ

...犬なんぞ陽気すぎて、もののあわれもわからん、こっちは正五位、あっちは翁まろ、外にいればぁ~

★(返し   読み犬知らず)
我が庵は 温室改造 サンルーム 庭なら掘ったよ 18ホール

...どうだ!目線はご主人、早く散歩連れてけ、ガリガリガリ・・・


□ネコはいさ こころもしらず この家は どうせ年中 毛だらけ座敷
...ねずみに飛びつくと、電灯もつけちゃったり、あぶねえなあ


■ねこどうし 人には言えぬ 思いあり いえじゅう走れば すぐに忘れん
...こっちはチカリタビー、かってに遊んでてくれよ、おっと、しっぽ動かすとヤバイな
■すりすりは 右にひだりに クロスせん まとわりすぎれば 踏まれてギャッオ~
...いじめられたことない、わざとじゃないのはわかるけど、気をつけてね~


■何ゆえか 蛸ほど好きな ものはなし キャットフードは 療法食よ

...たすけのは、やわらかいところだけコマ切れ、最近、腎臓がおかしいらしいんだ


□われによき もぐりこまれる ふくろあれ 頭かくして 尻尾はみ出る
...閉空間がたまんないw~、高所恐怖症はないけど、これって閉所歓喜症なの?


□どうしても 入りたくなる ダンボール なぞめく心 浮き立ついのち

...これはまたこれでよかれ、われを忘れる「箱男」なのだ


 ― お出迎えはボクだけの独壇場、一目散に二階から駆け下りて、
■ぶぶ・ぶぶぶ ママのくるまの バクオンだ かわいく鳴いて カツブシ期待


□とび出たら 出家の気分 先輩に 四つき帰れぬ とらちゃんありぬ

...初代のトラちゃんはうっかり外に出たばかりに4ヶ月も漂泊とかで、玄関には白河の関が設けられている
■砂なくば かける仕草を いかにせん してもかいなき わがあとしまつ
...おかあちゃんに教えられたマナーだ。ネコ砂ないんで床をかいてみるけど、どうにもこうにも・・・

■顔ぬぐい みづくろいなら おてのもの 頭のうえに ハナカツオかな

・・・好物、ふがふがハナ息であちこち飛ぶんだ。「かな」は詠嘆とも疑問とも・・・ともかく風流にハナを詠んだ一首なのである


 ― 草食系のふりをして、もっと野菜を・・・でも、あとがたいへん、こりず繰り返す悲しきサガを詠める、
□ねこ草の 青き香りに さそわれて つい手を出せば 毛玉がゲボッ


□きょうもまた 心底からの リラックス あわれ噛み跡 籐椅子なりけり
...日々これ好日、タオルなんかかけたって意味ないってば
 ― とくに澄ましたわけでもなく、すべては心のきめたまぁ~まに、と自然体にて歌う、
■尾をたたみ みつ指つけば よきすがた しばしとどめむ 毛でもなめるか


■夏の夜は ひんやり木の床 よいものだ 冬なら冬で どっか見つけむ
...寝るトコロあちこち転々、西行法師みたいだね・・・




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I read the news today, oh boy

2008-12-07 18:34:46 | ねこちゃん
チャーチルの第二次大戦、今日は「地中海の停頓」という内容のはずだったが、のり坊氏はハクちゃんをおなかに昼寝が過ぎて、Chinque Terreのカバーつけた本も投げ出してしばし「停頓」。

ところが、この風前の灯ブログ、なんと昨日のアクセスは658もあったのでサプライズ!これはミゾウのこと。1日だけの突風か、Gooブログで426位/1143470。もっとも百万人のうち休眠中が7割だろうけど...
矢島翠(Yajima Midori)さんの本「ヴェネツィア暮し」のことをかいた「翠さんのVenezia」をいろんな検索で捜し出して、大勢のかたが(ここだけ!?)頁をひらいてくれたようだ。

どうしたわけだろうと思ったら、翠さんのご主人、加藤周一さんが12月5日に亡くなられたと昨日の新聞にあった。だからか...「知の巨人」のお仕事は膨大なようですが、まだボクにはほとんどわかりません。ご冥福をお祈りします。

もっとも加藤さんのお姿がチラッと出てくるあの記事も、須賀敦子さんのご本からの寄り道やら引用ですみません。...須賀さんの頁までたどられたかたは、600人のうち21人ほど、みなさんお忙しいようだ。
ネット検索の全盛のこの時代「探し物はなんですか?まだまだ探す気ですか」という井上陽水のことばも捨てがたい。「翠さんのVenezia」にもたどりつくのに、ボクは数十年かかったような...ゆっくりしてけばいいのにね。

おっと、あの落ち着いた品のよい装丁の朝日新聞社版、どこに置いたかと探したが見つからず面倒になった。本箱からもはみ出て、どこか奥のほうにツンドク状態になっているようだ。あぶない、あぶない、下のほう丸谷さんとか新田さん有吉さんとかは、ハクちゃんの爪とぎになっている...ネットで「検索」してみたら、矢島さんのあのきれいな本、そして絶版だからいいお値段のようだ。

新聞もいい話がないから読まない日があるけど、読んだ方がいいだろなあ...I read the news today, oh boy....



I read the news today oh, boy
About a lucky man who made the grade
And though the news was rather sad
Well, i just had to laugh
I saw the photograph
He blew his mind out in a car
He didn't notice that the lights had changed
A crowd of people stood and stared
They'd seen his face before
Nobody was really sure if he was from the house of lords

I saw a film today oh, boy
The english army had just won the war
A crowd of people turned away
But i just had to look
Having read the book
I love to turn you on.

Woke up, got out of bed
Dragged a comb across my head
Found my way downstairs and drank a cup
And looking up, i noticed i was late
Found my coat and grabbed my hat
Made the bus in seconds flat
Found my way upstairs and had a smoke
Somebody spoke and i went into a dream
Ah

I read the news today oh, boy
Four thousand holes in blackburn, lancashire
And though the holes were rather small
They had to count them all
Now they know how many holes it takes to fill the albert hall
I'd love to turn you on

====================
The Beatles -- A Day in the Life

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

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整理できない症候群

2007-12-30 18:22:50 | ねこちゃん
もう、今年も終わりか。一年がはやい。あたりまえか。
十歳の子どもの一年は人生の十分の一、こちらはいまじゃ五十数分の一。
むかしは、一年間というのは、ぎっしりつまったものだったがなあ。

大掃除もしないのだが、このひとつきは、いろいろかたずけた。
書斎の様相を呈していたダイニングは本来の用途に戻すべきだと。
じつは、パソコンと山のようなツンドク書籍ごと追い出されてしまった。
やっと、すき焼きや鍋物が食べられる状態に!?
あたりまえか。

言い訳をすれば、うちじゅう?整理できない症候群、
冷蔵庫のなかには、賞味期限2005の「新ソバ粉」などもあったようだ。
なぜモノやらなにやらあふれるか、もったいないとかで、捨てないからでしょ。

思いきって捨てれば、スッキリ、暮らせるのにね。頭のなかもだよ~
でも、人類の「歴史」においては、価値がわからぬ人が大事な財産を簡単に捨ててきたのだよなあ...
みなさま、よいお年を。

コメント (5)
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イナバウア~ねこ

2006-12-05 00:29:55 | ねこちゃん
ボクは、猫背気味だから無理かなあ、でもやってみよう。
のびィーを洗練させて、あのイナバウア~もマスターした、どうだ今年の大賞。
静香ちゃんねこになったら、ごほうび、弐萬円ものだね!?
ボクだってカラダ柔らかいから、やればできるじゃん。

グルグル回るネコじゃらしを追っかけたら、目がまわってヨレヨレ。\(@_@)/
たまには逆回転もしないと大変らしいと、コムスメともども気がついた。
フィギュアネコも、楽じゃない。

ラストの決め、観客に両手をかざしたはずがバンザイ・はりつけネコになってしまった。
やらせたママは、あまりのことに顔を隠してしまった。
ボク最近は温風ヒータの前で、じさまネコみたいな顔で寝てばっかりいるが、たまにはタイクツしのぎにヒト様と遊んでやるのもいいことだ。

誰にだって苦手なこともある。ボクは水を飲むのがヘタなのだ。
ピチャピチャ飲んだあとは、ハナのあたり水滴だらけですぐわかられてしまうのだ。
さすがにセンパイのタスケは、身づくろい顔つくろい、腕力にも一日の長あり、
温風ヒータ前の指定S席の取り合いでは、ボクはネコパンチ一発くらってしまったよ~。かれは、この夜も、ばかばかしくなってそっとカメラを避けたっけ。

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Jeffrey Archer氏の猫

2006-08-19 01:36:37 | ねこちゃん

ジェフリー・アーチャーさんは、今何やってのかなと、GOOGLEしてみたら、ここ数年トンデモナイことで「塀の中」にまでいたんですね。まあ、なんともすばらしい小説的浮き沈み。日本語版の名翻訳者永井淳氏の解説から前半戦の栄光部分を...

Jeffrey Howard Archerは1940年生まれ。ウェリントン・スクールからオックスフォード大。ビートルズを呼び学内でチャリティコンサート、保守的な大学当局を困惑させる。1969年保守党から最年少の下院議員に。73年に革命的排気ガス装置!とのインチキ会社に42万7千ポンド投資して全財産を失う。議員も辞任して破産法廷に通う日々。金のための小説家転進78年に「百万ドルをとり返せ!」は発行後半年で100万部、映画化権収入と合わせ、借金完済してお釣りがきた...
さぁて、ここからの最近まで浮き沈みは、Wikipedia
85年には上院議員となり政界復帰するものの翌86年にスキャンダルで辞任。99年には偽証罪に問われ01年実刑が確定。服役後03年7月に保護観察、獄中記を出版。07年には絵画盗難を題材とした新作を発表予定...とか

...おお、どれどれ今度はなんと「獄中記・地獄編」!...近くの本屋ぶらっと、無い。ちぇ、田舎の本屋め。帰ってヨク見たら角川ではないか!あれっ新潮ではない、永井さんの訳でない?ま、いいか...そのうち...

アーチャーさんは、「百万ドルをとり返せ」から「十四の嘘と真実」までは全部読んだ。
フリーマントルBrian Freemantle、フォーサイスFrederick Forsyth、JクランツJudith Krantz(これはすごいオバちゃん)、そしてアーチャー...などなど、十数年前、引越し手伝いしないばっかりに、愛妻はここぞとばかり子ども会廃品回収にダンボールごと百冊ぐらい出してくれたのだ、なんという、アーチャー!!
で、半分以上は買い直したのだ。永井淳さんという訳者も得て、すばらしい物語の才能。「100万ドル」がコン・ゲームconfidence game小説、「大統領に..」はフォーサイスばりのサスペンス、「ケインとアベル」はシリアスな大ロマン。

ところで、アーチャー氏は今ケンブリッジCambridgeにお住まい、猫を4匹飼っている。“オリバー”と“スタンレー”くんは、お隣の志村さんちに通ってくるのだ。
こちら志村さんの「ケンブリッジ通信」。1975年以降、英国ケンブリッジに在住し、版画、映像作家、エッセイストとしての創作活動を綴るウェブ・サイト。
志村博のイギリス猫エッセイ」 そして「ケンブリッジ通信

ケンブリッジの学寮では『カレッジで犬を飼うこと、まかリならん! ただし、猫はお構いなし』
>...ジェフリー・ アーチャー氏の奥方メアリーさんの私見をご紹介しよう。彼女によれば、疑うことをせず主人にひたすら従順に付き従う犬のような動物はケンブリッジのアカデミックな気風には馴染まないそうで、疑い深く謎めいている猫こそはカレッジにぴったりなのだと言う...
>べンソンくんはカレッジでの「名誉晩餐権」も。かれはカレッジで一番良い生活をしていると学生たちは言う。すなわち、ディナー付き・論文なし・試験なし!

哲学猫、小町猫、あごひげ優美猫に、白足袋睨み眼猫、アーチャー家の狩猫...うちのタスケそっくりのバブルちゃんもいるなあ。

アーチャー家のご主人は塀の中でも、猫ちゃんたちは自然のままにのんびりしたご様子であった。
おっと本日の写真・相合傘?は、うちの居候猫でした。


************
以下、邦題は永井淳訳・新潮文庫版。ボクのメモ代わり、悪しからず。 
「NOT A PENNY MORE,NOT A PENNY LESS(百万ドルをとり返せ!)  ISBN:4-10-216101-5」
「SHALL WE TELL THE PRESIDENT? (新版・大統領に知らせますか? ISBN4-10-216110-4 」
「A Quiver Full of Arrows (十二本の毒矢) ISBN:4-10-216109-0 」
「KANE and ABEL(ケインとアベル・上下) ISBN:4-10-216103-1 ISBN:4-10-216104-X 」
「The Prodigal Daughter (ロスノフスキ家の娘・上下) ISBN:4-10-216105-8 ISBN:4-10-216106-6 」
「First Among Equals (めざせダウニング街10番地) ISBN4-10-216107-4 」
「A MATTER OF HONOUR (ロシア皇帝の密約) ISBN4-10-216108-2」
「A TWIST IN THE TALE (十二の意外な結末) ISBN:4-10-216111-2 」
「BEYOND REASONABLE DOUBT (無罪と無実の間) ISBN4-10-216112-0 」
「AS THE CROW FLIES (チェルシー・テラスへの道・上下) ISBN4-10-216113-9 ISBN4-10-216114-7 」
「HONOUR AMONG THIEVES (盗まれた独立宣言・上下) ISBN4-10-216115-5 ISBN4-10-216116-3」
「EXCLUSIVE (最後の特ダネ) ISBN4-10-216117-1 」
「TWELVE RED HERRINGS (十二枚のだまし絵) ISBN:4-10-216118-X 」
「THE FOURTH ESTATE (メディア買収の野望) ISBN4-10-216119-8 ISBN4-10-216120-1 」
「THE ELEVENTH COMMANDMENT (十一番目の戒律) ISBN4-10-216121-X 」
「TO CUT A LONG STORY SHORT (十四の嘘と真実) ISBN:4-10-216122-8 」

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我輩のボール遊び

2006-05-14 23:39:25 | ねこちゃん

我輩は猫であるのだが、犬みたいな遊びもできるのである。硝子戸越しにゲンチャンのボール遊びを見ていたら、あんなことは簡単にマスターしてしまった。最近は、ボールを投げてよとダミ声で催促するようにしている。どうせ、ここの家のひと達も暇なのだ。

うちの主人公、ボクの大先輩「吾輩」のホンを読んでくれているというではないか。色々読み散らかしているらしく最後までたどり着いてないのに、その上をまたぐこと度々のボクは、同類だし先輩の最期もなんとなくわかるのだ。

ご主人は「菜の花忌」以来日本に里帰りしてローマに戻れないみたいだが、「ローマはなぜ滅んだか」などは眺めていたね。でも経済大国だったころのローマ人の美食、孔雀の舌の料理などを知っても、仙台の牛タンのほうがいいねえなどと言うばかり。

「吾輩は..」の苦沙弥先生は、ローマ時代の退廃的なこの料理をも話題にしていて、他にも明治30年代にして「食の均一化・規格化、マニュアル化」の牛鍋屋チェーン「いろは」も大好き。
「猫伝」を、じっくり読んだほうが面白いですよ~。うちのご主人は中学生の時読んだらしいが、無理だったでしょうご理解は。

「吾輩」先輩生まれたのは明治37年1904年日露戦争勃発、もう100年も前かあ。戦争真っ盛り・終戦の頃まで3年執筆とは、漱石先生も先輩猫も余裕だにゃ~。先生も胃は弱かったけど深刻すぎずユーモアと知性に溢れ、死や老いも思わなかった、「三四郎」までがいいなあ...と、硝子戸の中で後輩猫は、思うのだ。

ご主人は、孫の房之介さんが書かれた(描かれた?)昭和期の大家の絵をコピッった漫画学すばらしいとニタニタしているが...文章には「山」、漫画には「線」のキレ、か!

*********
「吾輩は猫である 夏目漱石 新潮文庫 ISBN4-10-101001-3」
「夏目房之介の漫画学 ちくま文庫 ISBN4-480-02625-8」
「漱石のレシピ 藤森 清・編著 講談社+α新書 ISBN4-06-272182-1」
「ローマはなぜ滅んだか 弓削 達 講談社現代新書  ISBN4-06-148968-2」

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